Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 73 (870レス)
上下前次1-新
抽出解除 レス栞
リロード規制です。10分ほどで解除するので、他のブラウザへ避難してください。
836(3): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 08/20(水)07:21 ID:faz+vbtX(1/2)
>>821-825
(引用開始)
>ZFで無限公理を認めるとは 無限操作を認めることだよ
正反対。
無限公理が存在することが無限操作を認めない証拠。
なぜなら仮に無限操作を認めるとしたら対の公理の無限回適用で帰納的集合を構成でき、無限公理は不要だから。
(引用終り)
ふっふ、ほっほ
1)無限公理の”メンタルピクチャー”(加藤文元>>819)が欠落している
2)集合の制限なしの無限操作を認めると、ラッセルのパラドックスなどが起きる
一方、無限操作を一切認めないと 不便。というか カントールの無限集合論に 公理として到達できない
そこで、制限された集合の無限操作として 無限公理をおいた
もう一つは、選択公理による無限操作
この二つの無限操作と他の公理との組合せによる無限操作は、ZFC内で認められる■
(参考)>>819より再録
https://note.com/katobungen/n/nccba3ef014f6
note.com
なぜ微分積分学は不完全なのか?
加藤文元 2025年2月23日
メンタルピクチャー
私は数学や数学の理解に関するいくつかの概念とその用語を導入したいと思う。そのうちのひとつは「メンタルピクチャー(MP)」というものだ。
形式化図式と数学の「理解」
形式化図式は数学を「理解する」という行為の内実とも、深く関係している。人間による数学の理論とは、単なるコードの連なりとして理解することではない。それは理論のメンタルピクチャー(MP)と、それと形式的理論との関連付け、すなわち形式化図式を構築することである。メンタルピクチャーだけによる理解は危険であるが、メンタルピクチャーによる裏付け・接地のない理解は不健康である。それは健康でないだけでなく、理解の深さがないという意味でも、完全な理解とは言えない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
ラッセルのパラドックス
矛盾の解消
公理的集合論によって何をもって集合とするかについての形式的な整備が進められ、素朴(だが超越的)な
R^ の構成を許容しない体系が構築された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86%E7%9A%84%E9%9B%86%E5%90%88%E8%AB%96
公理的集合論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E9%9B%86%E5%90%88%E8%AB%96
素朴集合論
素朴集合論は非形式的に自然言語で定義される。離散数学で馴染み深い数学的集合の側面(たとえば、 ベン図やブール代数に関する記号の取り扱い)を説明するものであり、現代の数学における集合論の概念を日常的に扱うのに十分なものである[4]。
素朴集合論は多くの目的に十分であると同時に、より形式的な取り扱いへの足がかりとしても有効である
838: 132人目の素数さん [] 08/20(水)08:27 ID:FFMsJxNV(6/10)
>>836
>1)無限公理の”メンタルピクチャー”(加藤文元>>819)が欠落している
君は勝手読みして間違ったなんちゃらピクチャーを妄想するから口を開けば間違う。
>2)集合の制限なしの無限操作を認めると、ラッセルのパラドックスなどが起きる
こいつ教えてやったのに間違えてる。
ラッセルのパラドックスが生じる原因はひとえに内包公理であって集合の制限なしの無限操作なるものではない。
そもそも制限があろうが無かろうが無限操作なるものは一切認められない。実際おまえは無限項の和なるものの定義を示せていない。
教えられて間違いに気づくのが普通のバカ。教えてもらったのに間違えるこいつは救い様の無いバカ。
> 一方、無限操作を一切認めないと 不便。というか カントールの無限集合論に 公理として到達できない
だから早く無限項の和なるものの定義を示せよ。示せもしないくせに無限操作とかほざいてんじゃねーよ基地外。
> そこで、制限された集合の無限操作として 無限公理をおいた
妄想w
ラッセルのパラドックスの防止はひとえに内包公理を分出公理に弱めたことによる。
無限公理が必要なのは分出公理からは無限公理を導出できないから。対の公理、和集合の公理、べき集合の公理も同じ。
と教えてやったのに間違えてる。教えてもらったのに間違えるこいつは救い様の無いバカ。
そして無限公理は無限操作を許すのではなく帰納的集合の存在を保証する公理。
論理式が読めないから勝手読みして間違ったなんちゃらピクチャーを妄想する。それが口を開けば間違いだらけの原因。
>もう一つは、選択公理による無限操作
選択公理も無限操作を許すのではなく選択関数の存在を保証する公理。
口を開けば間違いだらけ。
>この二つの無限操作と他の公理との組合せによる無限操作は、ZFC内で認められる■
これは酷い。よくもここまで妄想できるものだ。
妄想野郎にはこの一言でよい。「早く無限項の和なるものの定義を示せ。」 示せないことがこいつのなんちゃらピクチャーが全部妄想である何よりの証拠。
839: 132人目の素数さん [] 08/20(水)08:38 ID:FFMsJxNV(7/10)
>>836
いつになったら無限項の和なるものの定義を示すの? well-defined なら定義を示せるはずなんだが、なんでいつまでも示さないの? 君の妄想だから示せないの?
無限操作教信者の君、なんでたった一つの定義すら示せないのに無限操作が許容されてるとかデタラメ言うの? 基地外だから?
849: 132人目の素数さん [sage] 08/20(水)11:16 ID:C+cqd7md(1/2)
>>836
>無限公理の”メンタルピクチャー”が欠落している
>集合の制限なしの無限操作を認めると、ラッセルのパラドックスなどが起きる
>一方、無限操作を一切認めないと 不便。
>というか カントールの無限集合論に 公理として到達できない
>そこで、制限された集合の無限操作として 無限公理をおいた
>もう一つは、選択公理による無限操作
>この二つの無限操作と他の公理との組合せによる無限操作は、
>ZFC内で認められる
なんだこのトンデモ妄想は(笑)
ラッセルのパラドックスは無限とは関係がない
「私は自分を愛さない人の全てを愛し、それ以外の人は愛さない」
「」内の言明には無限はどこにも表れない
しかしながら「」は矛盾する
「私」が自分を愛さないとすると、私は自分を愛することになるが
そうなると、愛する条件に反するから、私は自分を愛せない
結局愛しても愛さなくても矛盾する
つまり「自分を愛さない人の全てを愛し、それ以外の人は愛さない」
みたいなことが云えてしまうとダメなのである
素朴集合論でなくても、任意の命題Pについて
X⇔(X⇒P)
となるような命題Xが存在すると前提すると矛盾する
なぜならこんなXが存在するとどんなPも導けてしまうから(笑)
もう、無限操作とかきれいさっぱり忘れろ
集合論にそんなもの出てこないし
パラドックスの原因ですらないから
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.025s