Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 73 (694レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん

リロード規制です。10分ほどで解除するので、他のブラウザへ避難してください。
88
(2): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 07/30(水)20:34 ID:mIho28o5(1/3)
>>84-87
ふっふ、ほっほ
踏みつけられて なお 動くゴキブリくん
夏は暑いね、元気だね ゴキブリくんw ;p)

さて、自己言及の論理と計算 長谷川真人 数理解析研
補足で、下記のja.wikipedia 自己言及のパラドックス を貼る

「この文は偽である」
この文が真ならば、この文は偽で
この文が偽ならば、この文は真の
パラドックスです
上記 長谷川真人 氏の通り
ラッセルの逆理 と、カントールの対角線論法 との
両方に関連する 数学基礎論の重要事項です!w ;p)

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
自己言及のパラドックス
自己言及のパラドックス または嘘つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。この文に古典的な二値の真理値をあてはめようとすると矛盾が生じる(パラドックス参照)。
「この文は偽である」が真なら、それは偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり……というように無限に連鎖する。同様に「この文は偽である」が偽なら、それは真ということになり、真ならば内容から偽ということになり……と、この場合も無限に連鎖する。

歴史
嘘つきのパラドックスの一例として、エピメニデスのパラドックス(紀元前600年ごろ)が示された。エピメニデスは伝説的哲学者でクレタ島出身(クレタ人)とされており、「クレタ人はいつも嘘をつく」と言ったとされている。この言葉の出典は、新約聖書中の「テトスへの手紙」(1章12-15節)である[1]。

パラドックスの詳細と派生
嘘つきのパラドックスの問題は、真理と虚偽に関する一般通念を適用すると矛盾が導かれる点である。文法や意味論の上では規則を守りつつ、真理値を割り当てられない文を構築することができる。

このパラドックスの最も単純な文は次の通りである。
・この文は偽である。(A)
(A) が真だとすると、そこで表明されていることは全て真でなければならない。しかし、(A) はそれ自身が間違っている(偽である)と表明しているので、それは偽のはずである。これを真とする仮説を立てると、それが偽だという矛盾が生じる。同様に偽とする仮説を立てても矛盾を生じる。この文を偽だとすると、そこで言っている内容は真ではないということになる。すると、それは真だということになる。どちらの仮説を採用しても、(A) は真でありかつ偽であるという結論に至る。

しかし、この文を真とすると偽だということになり、偽とすると真だということになることから、「真でも偽でもない」と結論することもある。このようにこのパラドックスに反応することは、真理と虚偽についての一般通念である「全ての文は二値原理に従う」を否定することであり、それは排中律とも関連する概念である。
90
(5): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 07/30(水)23:10 ID:mIho28o5(2/3)
>>88 追加
『ZFCは、あらゆる性質に対して、その性質を満たすすべてのものの集合が存在するとは仮定しません。むしろ、任意の集合Xが与えられたとき、一階述語論理を用いて定義可能なXの任意の部分集合が存在すると主張します。上記のラッセルのパラドックスによって定義された対象R は、任意の集合Xの部分集合として構成することができないため、ZFCでは集合ではありません』(下記)
ゴキブリさんは、これを百回音読しましょう!w ;p)

(参考)
https://en.wikipedia.org/wiki/Russell%27s_paradox
Russell's paradox
google訳
集合理論的応答
1908年、エルンスト・ツェルメロは、任意の集合理解を分離公理(Aussonderung )などのより弱い存在公理に置き換えることで素朴集合論のパラドックスを回避する集合論の公理化を提案した。(パラドックスの回避はツェルメロの当初の意図ではなく、彼が整列定理を証明する際に用いた仮定を文書化するためであった。)[ 9 ]この公理理論は、1920年代にアブラハム・フランケル、トラルフ・スコーレム、そしてツェルメロ自身によって修正され、 ZFCと呼ばれる公理的集合論となった。ツェルメロの選択公理が論争を呼ぶことがなくなると、この理論は広く受け入れられるようになり、ZFCは現在まで 標準的な公理的集合論であり続けている。

ZFCは、あらゆる性質に対して、その性質を満たすすべてのものの集合が存在するとは仮定しません。むしろ、任意の集合Xが与えられたとき、一階述語論理を用いて定義可能なXの任意の部分集合が存在すると主張します。上記のラッセルのパラドックスによって定義された対象R は、任意の集合Xの部分集合として構成することができないため、ZFCでは集合ではありません。ZFCのいくつかの拡張、特にフォン・ノイマン・ベルネイス・ゲーデル集合論では、Rのような対象は真クラスと呼ばれます。

ZFCでは、集合Aが与えられたとき、 Aに含まれる集合のうち、自身を要素としない集合だけからなる集合Bを定義することができます。ラッセルのパラドックスと同様の理由により、 B はAに含まれません。このラッセルのパラドックスのバリエーションは、すべての要素を含む集合は存在しないことを示しています。

ツェルメロら、特にジョン・フォン・ノイマンの研究によって、ZFCによって記述される「自然な」対象とみなされるものの構造が最終的に明らかになった。それは、空集合からべき乗集合演算を無限に反復することで構築されたフォン・ノイマン宇宙 V の要素である。こうして、ラッセルのパラドックスに抵触することなく、非公理的な方法で集合について推論することが再び可能になった。つまり、Vの要素について推論するのである。このように集合を考えることが適切かどうかは、数学哲学における対立する見解の間で論争の的となっている。

ラッセルのパラドックスに対する他の解決策としては、型理論に近い戦略に基づくクワインの新基礎理論やスコット=ポッター集合論などが挙げられる。さらに別のアプローチとしては、二重拡張集合論のように、適切に修正された理解体系を用いて多重帰属関係を定義する方法がある
91
(4): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 07/30(水)23:19 ID:mIho28o5(3/3)
>>90 補足
>『ZFCは、あらゆる性質に対して、その性質を満たすすべてのものの集合が存在するとは仮定しません。むしろ、任意の集合Xが与えられたとき、一階述語論理を用いて定義可能なXの任意の部分集合が存在すると主張します。上記のラッセルのパラドックスによって定義された対象R は、任意の集合Xの部分集合として構成することができないため、ZFCでは集合ではありません』

 これ>>82 尾畑研 第2章 集合
"ラッセルのパラドックスは集合論の矛盾を突いているように見えるが
今日から見れば何が集合であり何が集合でないのかを設定し切れていなかったということである
厳密を旨とする現代数学では一群の公理系を設定して
それのみを用いて論理的に導き出された結果を集積することで
理論が構築される
集合論も例外ではなくパラドックス解消の努力の中で集合の定義(公理)が明確
化されて公理的集合論が構築された結局ラッセルのパラドックスを引き起こすは集合とは認めないこととなった"
と同じ趣旨だ

要するに、パラドックスを起こさないように
『何が集合であり何が集合でないのかを(しっかり)設定』する
これが、ZFC公理集合論による ラッセルのパラドックスの克服法なのですんmんm
勝手な ワケワカの記号∩の使用ww それは”お呼びじゃない”ってことねwww ;p)
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.024s