[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ2 (1002レス)
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416(2): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)23:25 ID:X86N+dMk(4/7)
>>409
障害者ではないが、異色の数学者 レイモンド・スマリヤン
むかし、おサルさんが言っていたのを思い出したよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%B3
レイモンド・スマリヤン
レイモンド・メリル・スマリヤン(Raymond Merrill Smullyan、1919年5月25日 - 2017年2月6日)は、アメリカ合衆国の数学者、ピアニスト、論理学者、老荘哲学者、奇術師。
ニューヨーク市のFar Rockawayに生れる。最初は奇術師をしていた。1955年にシカゴ大学から学士を得る。1959年にプリンストン大学から博士号を得る。アロンゾ・チャーチのもとで学んだ数多くの傑出した論理学者の一人。
経歴
スマリヤンは博士課程にいるときの1957年に“Journal of Symbolic Logic”に論文を発表し、ゲーデルの不完全性定理が1931年にゲーデルが発表した論文よりも初等的な形で形式系を考察できることを示した。ゲーデルの不完全性定理に関する現代的な解釈はこの論文から始まっている。その後、スマリヤンはゲーデルの不完全性定理における魅力的な部分がタルスキの定義不能性定理から必然的に導かれることを示した。タルスキの定理は不完全性定理よりも容易に証明できて、哲学的に不完全性定理と同じような不安を与えるものである。
スマリヤンは数学パズルや論理パズルに関して多くの書物を著している。最も有名な本は『この本の名は? 楽しい論理パズル』である。
スマリヤンの論理学の問題は多くは古典的なパズルを拡張したものである。
さらに複雑なパズルにおいて、スマリヤンは“ノーマルズ”というキャラクター(嘘を吐くか、または真実を話す)を創造した。さらに“はい”または“いいえ”と答える代わりに“はい”または“いいえ”を意味する単語で読者がどの単語がどの意味を表すのか分らないパズルを作った。このパズルは「最難論理パズル」として知られていて、上記のようなキャラクターとパズルに基づいている。トランシルヴァニア・パズルにおいては、住民の半数は狂気であり、偽の事実を信じていて、他の半分の住人は正気であり、真の事実のみを信じている。
417(1): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)23:34 ID:X86N+dMk(5/7)
>>416
1959年から統合失調症を患うようになり、1960年代には精神病院に通いながら研究を続け
ノーベル経済学賞、アーベル賞を受賞した 『ビューティフル・マインド』のジョン・ナッシュ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
ジョン・ナッシュ
ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア(John Forbes Nash Jr. 1928年6月13日 - 2015年5月23日[1])は、アメリカ人の数学者。ゲーム理論、微分幾何学、偏微分方程式で著名な業績を残す。1994年にゲーム理論の経済学への応用に関する貢献によりラインハルト・ゼルテン、ジョン・ハーサニと共にノーベル経済学賞を、2015年に非線形偏微分方程式論とその幾何解析への応用に関する貢献によりルイス・ニーレンバーグと共にアーベル賞を受賞した。 微分幾何学では、リーマン多様体の研究に関して大きな功績を残す。
1959年から統合失調症を患うようになり、1960年代には精神病院に通いながら研究を続ける。1970年ごろから寛解に向かい、1990年代には症状が出なくなったとされる。彼の半生を描いた映画『ビューティフル・マインド』は、天才数学者としての偉業と成功、及び後の統合失調症に苦しむ人生を描いた作品である。
高校は地元のブルーフィールド・カレッジに進学。この頃、E.T. Bellの著書 "Men of Mathematics"(邦題『数学をつくった人びと』ハヤカワ文庫)を読み、後の専門分野となる数学に興味を持つが、電気技術者の父の影響で化学や電気工学を専攻する[3]。
大学入学 - 博士号取得
17歳の時、カーネギー工科大学にジョージ・ウェスティングハウス奨学生として進学。入学当初は専攻が化学工学であったが化学に変更、その後教員の勧めで数学に変更。選択科目で国際経済学を学び、経済学に対する興味を持つ。この大学で1948年に、学士号と修士号を同時に取得。
ナッシュは博士課程をプリンストン大学で過ごすことになるが、カーネギー工科大学での指導教官であるリチャード・ダフィン(英語版)がプリンストン大学へ送った推薦状には「He is a mathematical genius.(この男は数学の天才である。)」と書かれていた[4] 。
423: 132人目の素数さん [sage] 2023/03/16(木)08:37 ID:UlO9use4(1/3)
>>416-417
スマリヤンは別に狂ってはいない
ナッシュは完全に精神を患っていた
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