[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ2 (1002レス)
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400
(1): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)08:26 ID:X86N+dMk(1/7)
>>396
>>Frobenius theorem (real division algebras)の証明の中で、
>>n=2としておいて、四元数 の4次元にもって来るところが、
>>ちょっと技巧的と思った
>>(そこが、証明のキモじゃないかと思ったよ)

>生成元がe1,e2の2つの場合の基底の全体は
> 1,e1,e2,e1e2
>の4つ

上記で
あんたの下段のカキコと
おれの上段にカキコと同じ意味だよ

n=2 e1,e2
そこから、四元数 の4次元にもって来るって
401
(2): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)08:29 ID:X86N+dMk(2/7)
>>399
あんた、おっちゃんに おサルと呼ばれて嬉しいだろう?w
一人でサル踊りを踊ってろ!www

(引用開始)
>>377 名前:132人目の素数さん[sage] 投稿日:2023/03/14(火) 12:39:58.44 ID:PzzRlrSe [1/2]
おサルの無様な詰み、確と見届けたw

>>378 名前:132人目の素数さん[sage] 投稿日:2023/03/14(火) 12:40:45.52 ID:PzzRlrSe [2/2]
by おっちゃん
(引用終り)
415: 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)21:08 ID:X86N+dMk(3/7)
>>414
東大クイズ王?
416
(2): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)23:25 ID:X86N+dMk(4/7)
>>409
障害者ではないが、異色の数学者 レイモンド・スマリヤン
むかし、おサルさんが言っていたのを思い出したよ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%B3
レイモンド・スマリヤン
レイモンド・メリル・スマリヤン(Raymond Merrill Smullyan、1919年5月25日 - 2017年2月6日)は、アメリカ合衆国の数学者、ピアニスト、論理学者、老荘哲学者、奇術師。
ニューヨーク市のFar Rockawayに生れる。最初は奇術師をしていた。1955年にシカゴ大学から学士を得る。1959年にプリンストン大学から博士号を得る。アロンゾ・チャーチのもとで学んだ数多くの傑出した論理学者の一人。

経歴
スマリヤンは博士課程にいるときの1957年に“Journal of Symbolic Logic”に論文を発表し、ゲーデルの不完全性定理が1931年にゲーデルが発表した論文よりも初等的な形で形式系を考察できることを示した。ゲーデルの不完全性定理に関する現代的な解釈はこの論文から始まっている。その後、スマリヤンはゲーデルの不完全性定理における魅力的な部分がタルスキの定義不能性定理から必然的に導かれることを示した。タルスキの定理は不完全性定理よりも容易に証明できて、哲学的に不完全性定理と同じような不安を与えるものである。

スマリヤンは数学パズルや論理パズルに関して多くの書物を著している。最も有名な本は『この本の名は? 楽しい論理パズル』である。

スマリヤンの論理学の問題は多くは古典的なパズルを拡張したものである。

さらに複雑なパズルにおいて、スマリヤンは“ノーマルズ”というキャラクター(嘘を吐くか、または真実を話す)を創造した。さらに“はい”または“いいえ”と答える代わりに“はい”または“いいえ”を意味する単語で読者がどの単語がどの意味を表すのか分らないパズルを作った。このパズルは「最難論理パズル」として知られていて、上記のようなキャラクターとパズルに基づいている。トランシルヴァニア・パズルにおいては、住民の半数は狂気であり、偽の事実を信じていて、他の半分の住人は正気であり、真の事実のみを信じている。
417
(1): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)23:34 ID:X86N+dMk(5/7)
>>416
1959年から統合失調症を患うようになり、1960年代には精神病院に通いながら研究を続け
ノーベル経済学賞、アーベル賞を受賞した 『ビューティフル・マインド』のジョン・ナッシュ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
ジョン・ナッシュ
ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア(John Forbes Nash Jr. 1928年6月13日 - 2015年5月23日[1])は、アメリカ人の数学者。ゲーム理論、微分幾何学、偏微分方程式で著名な業績を残す。1994年にゲーム理論の経済学への応用に関する貢献によりラインハルト・ゼルテン、ジョン・ハーサニと共にノーベル経済学賞を、2015年に非線形偏微分方程式論とその幾何解析への応用に関する貢献によりルイス・ニーレンバーグと共にアーベル賞を受賞した。 微分幾何学では、リーマン多様体の研究に関して大きな功績を残す。

1959年から統合失調症を患うようになり、1960年代には精神病院に通いながら研究を続ける。1970年ごろから寛解に向かい、1990年代には症状が出なくなったとされる。彼の半生を描いた映画『ビューティフル・マインド』は、天才数学者としての偉業と成功、及び後の統合失調症に苦しむ人生を描いた作品である。

高校は地元のブルーフィールド・カレッジに進学。この頃、E.T. Bellの著書 "Men of Mathematics"(邦題『数学をつくった人びと』ハヤカワ文庫)を読み、後の専門分野となる数学に興味を持つが、電気技術者の父の影響で化学や電気工学を専攻する[3]。

大学入学 - 博士号取得
17歳の時、カーネギー工科大学にジョージ・ウェスティングハウス奨学生として進学。入学当初は専攻が化学工学であったが化学に変更、その後教員の勧めで数学に変更。選択科目で国際経済学を学び、経済学に対する興味を持つ。この大学で1948年に、学士号と修士号を同時に取得。

ナッシュは博士課程をプリンストン大学で過ごすことになるが、カーネギー工科大学での指導教官であるリチャード・ダフィン(英語版)がプリンストン大学へ送った推薦状には「He is a mathematical genius.(この男は数学の天才である。)」と書かれていた[4] 。
418
(2): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)23:55 ID:X86N+dMk(6/7)
>>410 ベクトル解析
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%83%E6%95%B0
四元数(英: quaternion)
1880年代の半ばごろから、ギブス、ヘヴィサイド、ヘルムホルツらの創始したベクトル解析によって四元数は取って代わられるようになる。ベクトル解析は四元数と同じ現象を記述するために、四元数に関する文献から自由に用語法や考え方を拝借していたが、ベクトル解析の方が概念的に簡単で、記法もすっきりしていたので、遂には数学と物理学における四元数の役割は小さく追いやられることとなった。このような変遷の副作用で、現代的な読者にはハミルトンの仕事は難しく複雑なものと化してしまった。ハミルトンのオリジナルの定義は馴染みがなく、その書き振りは冗長で不明瞭である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%96%E3%82%BA
ウィラード・ギブズ

ジョサイア・ウィラード・ギブズ(Josiah Willard Gibbs, 1839年2月11日 - 1903年4月28日)は、アメリカコネチカット州ニューヘイブン出身の数学者・物理学者・物理化学者で、エール大学(イェール大学)教授。

熱力学分野で熱力学ポテンシャル、化学ポテンシャル概念を導入し、相平衡理論の確立、相律の発見など、今日の化学熱力学の基礎を築いた。統計力学の確立にも大きく貢献した。ギブズ自由エネルギーやギブズ-デュエムの式、ギブズ-ヘルムホルツの式等にその名を残している。 ベクトル解析の創始者の一人として数学にも寄与している。

ギブズの科学者としての経歴は、4つの時期に分けられる。1879年まで、ギブズは、熱力学理論を研究した。1880年から1884年までは、ベクトル解析分野の研究を行った。

1880年から1884年まで、ギブズは、アイルランドの数学者ウィリアム・ローワン・ハミルトン が考案した四元数 の考え方と、ドイツの数学者ヘルマン・ギュンター・グラスマンの「広延論(Ausdehnungslehre)」の考え方を組み合わせて、ベクトル解析という数学分野を産み出した(ギブズとは独立して、オリヴァー・ヘヴィサイドも、この分野の開拓した)。ギブズは、このベクトル解析を数理物理学の目的に沿うようにしている。

つづく
419
(1): 132人目の素数さん [] 2023/03/15(水)23:56 ID:X86N+dMk(7/7)
>>418
つづき

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E8%A7%A3%E6%9E%90
ベクトル解析
歴史
現代の学校教育では古典力学の導入からベクトルを用いた物理教育が行われ、数学でも幾何ベクトル・線型代数学・ベクトル解析といったベクトルの概念が普通に教えられている。しかし古典力学の登場と同時にベクトルも誕生したのではなく、物理法則などを表記するために19世紀に生まれ[1]、20世紀になり高次元ベクトル場にまで一般化された。

ベクトルが誕生するまでは直交座標系を用いた解析幾何学やウィリアム・ローワン・ハミルトンが考案した四元数を用いた記法が主流であり、力学・電磁気学の教育・研究でも解析幾何学的な多変数微積分学を用いた力学や四元数表記の電磁気学が普通であった[1]。余談だが、同じようにベクトルを扱う数学理論である線型代数も登場時期はほぼ同じであり、こちらは完成が遅れたため教育に本格的に導入されるのは20世紀後半、数学教育の現代化が言われ出した頃である。20世紀前半は教えられている物理数学が現代とは違っていたのであり、ベクトルは数学ではなく物理学の授業で導入され行列式が先に教えられていたし[2]、行列を用いて量子力学を定式化したヴェルナー・ハイゼンベルクも線型代数を習っていなかった。日本でも明治初期の物理教育では、四元数に基づく電磁気学が教えられていたことは有名である。

ベクトルを初めて教育に導入したのはウィラード・ギブスとされ、1880年代のイェール大学の講義で記号こそ現代とは違うものの、外積・内積やベクトル解析の概念などが当時使われていたが、イギリスの四元数の著書もある物理学者ピーター・ガスリー・テイトの評判も大変不評であったという[1]。

日用いられている記号や専門用語の大半は1901年に出版されたギブスとエドウィン・ウィルソン(英語版)の共著、ベクトル解析によって確立された。

しかし、ギブス以降の物理学の教育ではベクトルは四元数を推進していたハミルトンやテイトのいたイギリスにおいて寧ろ盛んに用いられるようになり、物理学における常識的な概念となった[1]。しかしながら20世紀に入ってからはむしろスピン角運動量などの概念も四元数に非常に類似しており、ハミルトンには先見性があったのではないかとされる[1]。
(引用終り)
以上
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