[過去ログ] 夫婦同姓は明治31年からでした 伝統ではなかった 法務省 [659060378] (1002レス)
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804
(1): デスルフォビブリオ(長野県) [US] 08/16(土)16:18 ID:B907KAVE0(1) AAS
何年経ったら伝統なの?
807: バチルス(アメリカ) [IT] 08/16(土)16:20 ID:pU68DyeP0(2/15) AAS
>>804
1000年単位なら伝統じゃね

井本さいま」となっていたケースの事例から、少なくとも同地では夫婦同名字が一般的だったとされる[40]。
幕末の歌人竹村多勢子のように婚姻後も実家の名字を署名した例が散見される[41]。しかし、それが掲載されている『平田先生門人姓名録』では、生家の名で登録されている既婚女性が多勢子含め5名であるのに対し、婚家の名で登録されているのは10名であるため、多勢子の例をもって、夫婦異名字が原則だったというのは疑問だとの批判がある(柴桂子)[42]。

中世が夫婦同名字だったとすると、なぜ近世に別名字の事例も登場したか問題となるが、家名としての名字が父子相承され父系血統の標識たる氏(本姓)と同化したことへの表れではないかという説がある(大藤修)[43]。
当時の女性は公的文書では「諏訪宇右衛門娘 きた」「百姓儀右衛門女房 しげ」「大和屋宇蔵同家母 まさ」などと呼ばれ、女性の人名表記は父や夫や息子などの当主の名称と続柄で記載するのが一般のため、現代のように婚姻により名字が変わる・変わらないという観点が無い

外部リンク:ja.m.wikipedia.org名字
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