[過去ログ] 純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)20 (1002レス)
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(5): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 06/20(金)22:24 ID:LS/4Ckc6(3/5) AAS
>>632 戻る
(引用開始)
>無限の存在が集合論の他の公理から独立である
無限の存在? なにそれ? 無限集合の存在だろ? バカなの
で、誰が従属と言ったの? 
(引用終り)

・独立 vs 従属? ああ、線形代数と勘違いの条件反射かよ、おまえ。お里が知れるな、オチコボレさんよw
・”無限の存在”は、渕野先生の表現から借用したんだよ >>629の "P173 3 無限の存在証明"な
 公理的集合論以前でも、古代ギリシャの昔から、”無限”の概念は人類は知っていた(アリストテレスの著作がある)
 それ以外にも、ポンスレの射影幾何無限遠点や、リーマンの複素平面を球面としたときの北極点など
 ところで、カントールとデデキントさんは、無限を無限集合で扱うことを考えたのです
 なので、渕野先生 >>629 "P173 3 無限の存在証明"は、これで意味は通じるw ;p)
・さて、「無限の存在が集合論の他の公理から独立」を語るには
 極限順序数(下記)から始めるのが分かり易いだろう
 下記の通り、極限順序数で ノイマンの後者関数とフォンノイマン基数割り当て(英語版)を用いれば
 自然数の集合ω=Nであり、ωは”後続順序数でない”という性質を持つ
 だから、有限の順序数から後者関数を使うだけ では、ω=Nには到達できないのだ
・だから、無限公理が必要で、但し”自然数の集合ω=N”の存在を、まず公理と置いても良いのだが
 もっと賢いのは、ω(=N)を含みそれより大きい集合を一気に認めてしまうことだね
 つまり カントールの順序数 ωのあとも, S(ω), S(S(ω)), S(S(S(ω))), ............, ω + ω・・ とやることが分っているのだからね
 そしてωは、部分集合として ωより大きい集合から 取り出して構成すれば良いんだよ
(おっと "∩"は使わない方がいいぞ!www ;p)

(参考)
外部リンク:ja.wikipedia.org
極限順序数は 0 でも後続順序数でもない順序数を言う
あるいは、順序数 λ が極限順序数であるための必要十分条件は「λ より小さい順序数が存在して、順序数 β が λ より小さい限り別の順序数 γ が存在して β < γ < λ とできることである」と言ってもよい。任意の順序数は、0 または後続順序数、さもなくば極限順序数である。
例えば、任意の自然数よりも大きい最小の超限順序数 ω は、それよりも小さい任意の順序数(つまり自然数)n が常にそれよりも大きい別の自然数(なかんずく n + 1)を持つから、極限順序数である
順序数に関するフォンノイマンの定義(英語版)を用いれば、任意の順序数はそれより小さい順序数全体の成す整列集合として与えられる。このとき、空でない順序数の集合が最大元を持たないならば、その和集合は常に極限順序数になる。フォンノイマン基数割り当て(英語版)を用いれば、任意の無限基数もまた極限順序数となる

外部リンク:ja.wikipedia.org
順序数
すべての順序数は自分自身より小さな順序数全体の集合と等しいと言うことができる
ω より小さな順序数(すなわち自然数)を有限順序数と呼び・・
0, 1, 2, 3, ...., ω, S(ω), S(S(ω)), S(S(S(ω))), .., ω + ω・・
650: 06/20(金)22:36 ID:5VJHkbCl(3/5) AAS
>>649
>・独立 vs 従属? ああ、線形代数と勘違いの条件反射かよ、おまえ。お里が知れるな、オチコボレさんよw
なんで線形代数が出てくるんだよw アタオカかこいつ
651: 06/20(金)22:40 ID:5VJHkbCl(4/5) AAS
>>649
>・”無限の存在”は、渕野先生の表現から借用したんだよ
借用すればいいってもんじゃない だからおまえは落ちこぼれる
「無限の存在」って意味通じねーの分からんの? バカなの?
652: 06/20(金)22:49 ID:5VJHkbCl(5/5) AAS
>>649
>(おっと "∩"は使わない方がいいぞ!www ;p)
うむ、∩を分かってない君は使わない方がいいね
つーか∩も分からないんじゃ数学やめた方がよいのでは?
653
(3): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 06/20(金)23:30 ID:LS/4Ckc6(4/5) AAS
>>649 補足

無限公理で、仏版 (fr.wikipedia)が、分かり易い
下記の通りで、やろうとしているのは
”ω を 0 を含み、かつ後続集合によって閉じられたすべての集合の共通集合(したがって包含の意味で最小)として定義することにより実現される(Aは ω を集合として定義できるようにするためにのみ介入するが、ω はAに依存しない)”なの
だが
これを、公理のみを使って実現するのです(>>630 で en.wikipedia ”Axiom of infinity”も 紹介ずみ)
うかつに”∩”は使わないのです!w ;p)
(和訳と英訳と仏原文を並べておいたので百回音読してねw)

(参考)
外部リンク:fr.wikipedia.org
Axiome de l'infini
以下google和訳
無限公理

自然数の集合
確かに :
・A をCl( A )を検証する集合とし、その存在は無限公理によって保証される。すると、集合 ω の存在は内包公理スキームによって保証され、その一意性は外延性公理によって保証される。これは、ω を 0 を含み、かつ後続集合によって閉じられたすべての集合の共通集合(したがって包含の意味で最小)として定義することにより実現される(Aは ω を集合として定義できるようにするためにのみ介入するが、ω はAに依存しない)。
ω = { x ∈ A | Ent( x ) } ; (注)
・逆に、ωを自然数を要素とする集合とすると、ωはCl(ω)を証明します。
(注):Ent( x ) の定義は、この直前にあるので、原文ご参照

google英訳
ndeed :
・let A be a set verifying Cl( A ) whose existence is ensured by the axiom of infinity. Then, the existence of the set ω is ensured by the axiom scheme of comprehension and its uniqueness by the axiom of extensionality , by defining ω as the intersection (therefore the smallest in the sense of inclusion) of all sets containing 0 and closed by successor ( A only intervenes to be able to define ω as a set, but ω does not depend on A ):
ω = { x ∈ A | Ent( x ) } ;
・conversely, let ω be a set whose elements are the natural numbers. Then, ω verifies Cl(ω).

仏原文
En effet :
・soit A un ensemble vérifiant Cl(A) dont l'existence est assurée par l'axiome de l'infini. Alors, l'existence de l'ensemble ω est assurée par le schéma d'axiomes de compréhension et son unicité par l'axiome d'extensionnalité, en définissant ω comme l'intersection (donc le plus petit au sens de l'inclusion) de tous les ensembles contenant 0 et clos par successeur (A n'intervient que pour pouvoir définir ω en tant qu'ensemble, mais ω ne dépend pas de A) :
ω = { x ∈ A | Ent(x) } ;
・réciproquement, soit ω un ensemble dont les éléments sont les entiers naturels. Alors, ω vérifie Cl(ω).
665
(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 06/21(土)10:42 ID:sEkgudR9(3/7) AAS
>>649 戻る
>無限の存在が集合論の他の公理から独立である

これ >>629の "P173 3 無限の存在証明" RIMS講究録
Dedekind の数学の基礎付けと集合論の公理化 渕野昌 2011 外部リンク[pdf]:www.kurims.kyoto-u.ac.jp

さて、アリストテレスの昔から 「無限」は、いろいろ論じられてきた
上記 Dedekind の数学の基礎付けと集合論の公理化 によれば、Dedekindが 無限集合で 無限公理は必要ないと考えていたらしい
一方で、カントールや Dedekind以前では、「無限」は集合論の外で 論じられていた
”ポンスレの射影幾何無限遠点や、リーマンの複素平面を球面としたときの北極点など”>>649

カントールは、フーリエ級数の収束を考察する必要から
無限集合論を構築したという。現代数学の視点では
”ポンスレの射影幾何無限遠点や、リーマンの複素平面を球面としたときの北極点など”
すべてを、無限集合論で論じることができるようになったのです

なので、そういう大きな枠組みとして、渕野"3 無限の存在証明"は これで 十分分るのです(^^

(参考)
外部リンク:www.medieviste.org
アリストテレスと「無限」20160823 sxolastikos
(抜粋)
A.W.ムーア『無限 その哲学と数学 (講談社学術文庫)』(石村多門訳、講談社、2012)
原著は1990刊。古代ギリシアから現代にいたるまでの「無限」にまつわる思想の展開を追ったもので、哲学史と数学史が交差する興味深い一冊
前半は思想的な通史のまとめ、後半は現代数学での無限の解釈についての概観になっている
前半部分の前半、つまり全体の4分の1で主役となっているのは、なんといってもアリストテレス。プラトンとそれ以前の古代ギリシアの無限論では、無限はつまるところ事物の構造の基礎をなしているという考え方がある程度「共有」されていたというが、それらに対して、そもそも現象と実在の区別を否定するアリストテレスの場合、もしその共有された考え方を保持するなら、無限を時空間の場面において理解する必要に迫られることになる。つまり自然の中に無限なものが存在するかどうかが重要な問題となった、という
では自然界にそのような無限なものは存在するのか。アリストテレスは自然界には「何も無限なものは存在しない」との立場を取るのだが、そこにはジレンマもあって、時間の無限の分割可能性、物質の無限の分割可能性、自然数の連続や空間が無限であるという数学的真理などが立ちふさがった。で、それらへのアリストテレスの対応策として出てきたのが、有名な「無限は可能的には存在するが現実的には存在しない」という考え方だという。これは、「すべてが同時にそこに存在できはしないという意味での無限」の言い換えでもある。この可能的/現実的の区別はなかなか秀逸で、時間や空間が分割において無限であることはこれで一応認めることができ、数学で仮定される空間は、現実の空間がどんなものかとはおよそ関係がないとすることもできる

外部リンク:www.jstage.jst.go.jp
哲学/1968巻(1968)
アリストテレスの無限 和泉良久
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