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純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)20 (1002レス)
純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)20 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1745503590/
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627: 132人目の素数さん [] 2025/06/18(水) 12:05:46.37 ID:Qh/3AgjL >>625 >次に、2)について >>571から再録すると >”簡単に例示すると、5つの集合A,B,C,D,Eにおいて >∩{A,B,C} 3つだけの積集合と >∩{A,B,C,D,E} 5つ全部の積集合とでは >当然 積集合の大きさが異なる” >繰り返すが、100個の集合の積∩に 新たに一つ集合が増えると >∩{100個} ≠∩{101個}となる可能性が高い というか そう考えるべきなのだ >記号∩を使う問題点は、そこにある 君が言ってるのは集合の内包的表記の否定そのものだよ。そりゃ落ちこぼれるわ。 https://wiis.info/math/set/set/set/#elementor-toc__heading-anchor-1 の「集合と内包的表記」のところ読んでみ? >つまり、冒頭の∩の式で無限の集合全て "∀"が きちんと尽くされたという保証がないと >最小であるべき無限集合たる自然数Nの定義に曖昧さが残ることになる 君が集合の内包的表記を分かってないことから来る誤解。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1745503590/627
629: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/06/18(水) 17:02:57.74 ID:1ZjEJMOG >>626-628 素人が、グダグダ言い訳している さて 1)なぜ無限公理が必要なのか? その答えが 下記 渕野”Dedekind の数学の基礎付けと集合論の公理化” P173-174 "3 無限の存在証明"に記されている通り 「無限の存在が集合論の他の公理から独立である」ってこと 2)集合論の公理は”スッキリ”していることが求められる なので、>>625に示したように 単に 自然数の集合Nの存在だけを公理とするのではなく Nを含む(Nより大きな)集合の存在を公理として認めて、それ以外の公理系から もし”Extracting the natural numbers from the infinite set”(下記)が可能なら その方がスッキリだってこと(我々が求めているのは そのさらに先で N→Q→Rと 順序数*)の構築なのだから) *)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%BA%8F%E6%95%B0 3)下記に ”Extracting the natural numbers from the infinite set”を 全文引用しておいたから、百回音読してね 文中で、axiom schema of specification 、axiom of extensionality、 axiom of induction など 使う公理が明示されているでしょ? そして 最後”I=ω”が結論ですよ! 素人が、グダグダ書いても なんの格好付けにもなってないよw (参考) https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1739-16.pdf RIMS講究録 Dedekind の数学の基礎付けと集合論の公理化 渕野昌(神大)2011 P170 無い物ねだり的な指摘をすることはたやすい.彼の時代には,現代の我々が識るような形式論理はまだ生れてすらいなかった(彼とほぼ同時代のFrege の研究には形式論理学の萌芽のようなものが見られるが,[3] の第2版の前書き(1893)では,Dedekind は,Frege の仕事を後になってからはじめて知ることになったと書いている).いわんや,形式的推論の体系や,その体系の完全性,そして不完全性定理に基づく知見は,どう頑張ったとしてもDedekindの行なった考察の背景にはなり得なかったはずのものである P173 3 無限の存在証明 単純無限的体系によって自然数の全体の体系の基礎付けがなされうるためには, そもそも無限集合の存在が大前提となる.しかも,これが,「数の理論を扱かう論理学の部分の基礎付け」としてなされるためには,無限集合の存在が無条件に証明できなくてはならない. P174 晩年のDedekind が,無限の存在証明([3] の66.) の残ったままのテキストをこの再版に回してしまったことの背景だったのではないだろうか. ただし,Dedekind の名誉のために付け加えておくと,1911 年の時点では,無限の存在が集合論の他の公理から独立であることは,当時の若い集合論の研究者たちすら,まだ完全には把握しきれていなかった可能性がある P176 集合論の基礎に関してDedekind の越えられなかった壁は,Zermelo やFraenkelが易々と越えることができたが,このZermelo も後にG"odel の不完全性定理を全く理解できず,不完全性定理以降の数学の発展に取り残されることになっ た. 1960 年代に強制法の理論が確立されたときにも,この手法を理解できなかったことで,多くの集合論の研究者が脱落していった つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1745503590/629
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