[過去ログ] 石田三成の挙兵 ★7 (1002レス)
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388: 2023/10/21(土)18:14 ID:JVz7AQbM(1/2) AAS
毛利輝元が馬鹿だったと言えばそれまでなんだが
敢えてそこに合理性を見出せるか?美濃方面を軽視してるのは明らかなので西軍は東軍が迅速に攻めてくるとは考えて無かったのは確実(少なくとも数万もやってくるとは思ってない)
まず徳川は動けない、上杉と佐竹が敵だから下手な行軍は出来ないと踏んでいてもおかしくない。ってなると残りは東軍先手衆だけなんだが…
389: 2023/10/21(土)19:54 ID:ERumVkee(1) AAS
生駒利豊(小折城主)の書状によると、福島が清須に帰城する前に秀信と三成で木曽川越えして清須を奪取する予定だったらしい
利豊は秀信や三成から調略されたことを書中で述べてて、結局利豊は普段から福島
と懇意にしているので福島に味方することにしたと東軍についた経緯を説明している

福島がいつ清須に帰城したかは7月末(白峰説)や8月10日頃(本多説)があり不明だけど
三成らの木曽川越えが延引してる内に福島が清須に戻ってきたと利豊はその経緯を述べてる
390: 2023/10/21(土)20:32 ID:JVz7AQbM(2/2) AAS
西軍が何故伊勢に主力振ったのかまるでわからんけど、船で清洲を越えようとでも思ってたのか?
仮に美濃が落ちても大垣や佐和山で受ける計画が毛利が降りて御破算したのか?
391
(1): 2023/10/22(日)00:34 ID:TQV65Kne(1) AAS
松尾山を強奪した小早川を排除しようとして大垣城を出たら東軍に追撃されたってのが今の主流なの?
392: 2023/10/22(日)00:44 ID:MRlEPECC(1) AAS
>>386
状況が不味いってのはたとえわかって何とかしろって言うのは誰でも言える
具体的な方法論と実行力が無かっただけの話
393
(1): 2023/10/22(日)08:27 ID:YD4q7Hxl(1/2) AAS
犬山は押さえた、次は福島を味方にしよう、
尾張北部の寺に石田、秀信が禁制も出した、
もし福島が断れば兵力が集まり次第尾張に
攻め寄せよう、
こんなかんじだったと思われる。
そんな時に市橋、徳永の攻撃、
そして東軍先発隊の木曽川渡河からの岐阜城攻めに繋がる。
394: 2023/10/22(日)08:37 ID:YD4q7Hxl(2/2) AAS
それからいしたは岐阜城の重要性は理解しており、
石田家臣兵1000を岐阜城に派遣している。
瑞龍寺砦に駐屯。
犬山も押さえたし小牧・長久手の再現できる方向には持っていっていた。
誤算は味方の兵が敵より少なかった、これに尽きる。
兵さえ多ければ渡河迎撃も選択肢に入る。
395
(1): 2023/10/22(日)08:55 ID:DtllTmJR(1) AAS
「東軍が戻ってきた」と思うのはその後の歴史を知ってるから
「東軍先鋒の調略が可能と思うはずがない」というのも同じく
福島が戻った時点ではあくまで「福島が領国に戻った」だけ

東軍先鋒がまとまって攻め寄せること自体が想定外だったんよ
短期決戦になると思ってなかったのは西軍だけじゃない
東軍先鋒がまとまったら鎧袖一触できるほどの戦力は西軍には元々ないもの
396
(1): 2023/10/22(日)09:47 ID:SfKXc1TC(1/2) AAS
>>395
そうなると、そもそもなんで挙兵したんだってことになるが?
後ろから脅かして上杉を間接的に救援するためだろ?
それはつまり東軍が戻ってくるという前提がなければ成り立たない。

毛利については輝元が無能だし東国はどうでも良いと言う考えだったかもしれん。
でも、石田や大谷、宇喜多らは違うだろ。
397: 2023/10/22(日)10:04 ID:pzmKZRY8(1/3) AAS
>>391
一次史料から読み解くとそうなるらしい
398
(1): 2023/10/22(日)10:39 ID:xHgb0ZJz(1/2) AAS
>>396
上杉救援が西軍の目的?正気?
399
(1): 2023/10/22(日)12:15 ID:SfKXc1TC(2/2) AAS
>>398
正気だよ。
というか、内府ちかひの条々の初っ端に、まさにそのことが書いてあるじゃん。

まさか、「家康が景勝を討ち果たそうとしてます」って文書を全国にばらまきながら挙兵して、
それはそれとして上杉は勝手に死んで下さいってわけじゃないでしょ。
400: 2023/10/22(日)12:42 ID:LwTtiaqm(1) AAS
毛利と奉行宇喜多らでは思惑も目的も一致しておらずバラバラだったってことか
西軍もあれもこれもと欲張りで贅沢な挙兵したもんだな
401: 2023/10/22(日)13:02 ID:xHgb0ZJz(2/2) AAS
>>399
ネタかと思って失礼した

内府違いのそれは「上杉助けるために挙兵します」という話じゃないよ
複数ある内府の罪の一つとして上がってるだけであくまで徳川の断罪が主

徳川に政権を束ねる正当性がないことを主張してる訳で
歴史上東軍に属した勢力がまとまって行動することを想定してた根拠にはならんよ
「最初から東軍先鋒が敵と想定してたとしたら西軍の行動はおかしい」のなら
「東軍先鋒がまとめて敵に回るとは想定してなかった」というただそれだけの話よ
402
(1): 2023/10/22(日)14:12 ID:V5B3CmZf(1) AAS
東軍が西に戻ってきたということは上杉が東軍と戦わなかったということ
攻められた上杉本人が戦っていないのに
上杉より石高の低い大名や大老に奉行にも関係ない大名が戦う義理はない
奉行に返り咲きたい石田一派を除けば、西軍は東軍と戦う理由がなくなったと言える
石田一派を除く大多数の西軍大名にとって、東軍が戻ってくれば戦わないのは暗黙の了解だった
403: 2023/10/22(日)17:28 ID:pzmKZRY8(2/3) AAS
両方目標としてたんでしょ
西軍の目標は徳川の打倒、ただその為には上杉を救わねばならない。何故なら上杉が徳川に食われたら徳川の背後を脅かす存在は精々佐竹だけで徳川250万石の全力が突っ込んでくる
だから徳川打倒の為にはまず上杉救援が必須でありどっちが重要かといえばどちらも重要
404: 2023/10/22(日)20:04 ID:UcbJROfq(1) AAS
>>393
歴史ではあまり取り上げられないけど関ヶ原の戦いで徳永寿昌と市橋長勝の二人が各地の城落としまくりなんだよな
405
(2): 2023/10/22(日)23:16 ID:pzmKZRY8(3/3) AAS
西軍は上杉との連絡を計算に入れてない。幾ら間抜けでも戦ってから連絡路つくろうとは思わないだろう。上杉が無事ならそれでよくて積極的な攻撃は偶然起これば良いと思ってたのでは
406
(1): 2023/10/23(月)01:31 ID:LlLDbnJF(1) AAS
>>405
大坂で挙兵すれば半分程度は引き返してくるし、少なくとも追加で東国に諸大名が派遣されることはないくらいは考えてたのでは?
実際に大坂でいくつかの大名を足止めして西軍に組み込んでいるし。

そして流石に関東まで兵を派遣は無理だが、連絡路としての計算が、真田との交渉だろう。
407
(3): 2023/10/23(月)08:00 ID:X2ngyI3+(1) AAS
>>406
三成が昌幸に送った書状に会津征伐に向かった諸侯はこちらの挙兵を聞いて
帰国してるとか書いた書状があるらしいからな
これだけだとリップサービスの可能性はあるが、なんか島津義弘の書状にも
関東から誰も戻ってこなくて、西軍首脳部が予想外だと慌てて会議をしてるとかあるらしいんで
全員味方になるは言い過ぎにしても、上杉征伐軍は崩壊してこちら側に組織だって
反抗してくる事はないというのは、西軍首脳部の中では大前提の話だったとみてよさそう
後々の展開知ってると、楽観論が過ぎて頭痛がしてくるレベルだが
408
(1): 2023/10/23(月)08:50 ID:96DfWZY5(1/2) AAS
>>407
家康がもっと嫌われている、その差配に不満を持たれていると思って行動したものの、
蓋を開けてみれば結局半数以上は徳川についたという感じでは?

今、の日本の、前の選挙あたりで考えてみると良い。
自民党がこれだけ忌み嫌われていて、とりあえず対抗戦力っぽい立憲や維新があった。
だから選挙イケると思ったら惨敗したという感じ。
409: 2023/10/23(月)10:23 ID:4LbJwpMs(1/3) AAS
>>405
三成の真田宛書状、上杉の毛利、宇喜多への書状(届いておらず真田文書になぜかある)を知ってたらそんなこと言わん
410: 2023/10/23(月)10:25 ID:4LbJwpMs(2/3) AAS
上杉は残されてる書状からいきのいいことはたくさん言ってるんだけど、何もできてないんだよな
唯一、攻めやすそうと思って攻めた最上も初戦から大失敗だし
411: 2023/10/23(月)10:36 ID:sVpPn9m+(1) AAS
>>408
そういうことだな
終わってから馬鹿とか無能というのは簡単だけど、リアルタイムで考えてたら予測は困難
そもそも、勝敗の読みよりも感情、面目や意地で行動するのが武士だし
412
(1): 2023/10/23(月)11:01 ID:XS52NCp6(1/2) AAS
挙兵してから上杉真田と連絡を取ろうとする泥縄
事前準備が出来てたのは毛利ぐらいで東日本には何の手当もしていないというのが西軍の正体
413: 2023/10/23(月)11:35 ID:2IZ7CSQ4(1) AAS
上杉が無事であればそれでよくて後は成り行きに任せてたんだろう。景勝も同じ目論見で家康に喧嘩売ってたようだし。そんな戦略眼でも通用したのが戦国時代だから

ただしそれが通用する時代は終わってた、ってことに豊臣含めて気付いてなかっただけで
414
(1): 2023/10/23(月)11:39 ID:96DfWZY5(2/2) AAS
>>412
そう考えると、無能無能言われるけど毛利輝元は割としっかりしてるよな。

結果的に失敗に終わってるから有能ではないけど、
きちんと軍勢は整え、速攻で大坂城を奪取し、自軍は殆ど損なわずに旧領回復を餌に九州攻めや四国攻めを行い、
裏では徳川とのパイプも残して和戦両様の構えをとり、結局あれだけの戦でありながら重臣のひとりすら死んでいない。

他のいきあたりばったりな西軍諸将にくらべて、ここまできちんと準備して……全部失敗してるのが輝元クオリティだよなあ。
415: 2023/10/23(月)13:01 ID:XS52NCp6(2/2) AAS
>>414
自分で書いててなんだが実際は輝元も準備不足の見切り発車になってるけどね
挙兵を知ってたのは安国寺恵瓊などの近臣のみ
吉川広家は無論のこと毛利秀元にも挙兵のことは知らせてなかったぽいし
毛利家中が輝元の無茶振りに対してまとまって動けたのは輝元の力量ではなくて小早川隆景などが作り上げた家臣団と家風によるものだろう
ソ連の遺産を食いつぶしてるプーチンみたいなもの
関ケ原後の輝元は家臣たちが言う事を聞かないと愚痴ってるから家臣団に権限を大きく奪われてる
416: 2023/10/23(月)14:04 ID:Aaxk6t8V(1) AAS
ただ野心は凄い。大坂の陣で家臣を大坂城に送ったのは毛利輝元ただ一人ぞ
417: 2023/10/23(月)16:11 ID:NVO9ow9n(1) AAS
そもそも西軍(毛利)は楽観よ
西軍決起は見方によれば家康に上杉討伐軍を集結させて戦力整えた状態で後に引けない状況をお膳立てしたと言える
これで西軍討伐のリングに上がらないとか有り得ないんだよな
418: 2023/10/23(月)18:02 ID:4LbJwpMs(3/3) AAS
小早川隆景が健在なら……
419
(1): 2023/10/23(月)19:14 ID:93lFdUyq(1) AAS
>>407
義弘の書状でそんな内容のものあったっけ?
420
(1): 2023/10/23(月)20:28 ID:ovzAf+Ld(1) AAS
>>419
横からだけど旧記雑録所収の7月29日付忠恒宛義弘書状だと思うよ
その部分だけ抜粋すると
「然者関東へ下着候御人衆者、一人も無上洛候間、彼表之様子兎角相聞不申候」

「兼又石治少事者、追付大垣へ下向候て、秀頼様へ御目見得可在之由候、畢竟諸式はか行不申ニ付而、被召出候と聞申候」

三成がその内に大垣へ下向してとあるけど大坂の誤記だな
そして色々上手くいかないので秀頼に召し出されたとあるが、実際は輝元に呼ばれて相談するということだろう
8月1日付大谷吉継宛毛利輝元書状に「治少夜前被罷越申談候、於様躰者自各可被申候」
とあるように、7月30日の晩に輝元は三成と談合したことが書かれてる
421
(1): 2023/10/24(火)01:09 ID:3ax0HH/d(1) AAS
>>407
結局政権首班だった徳川の正当性を崩せば
諸大名が離反してこちらに取り込めるという
見通しで西軍は動いてるのよね

結果的にはまさに見当はずれな楽観論なんだけど
実際その見通しで動いてて大規模な勢力が
上洛してくるとは想定してない
422: 2023/10/24(火)06:18 ID:DNgc5S+Y(1) AAS
>>421
瀬田に砦作ったのはなんのためか。
423
(1): 2023/10/24(火)08:28 ID:adN+Rxej(1) AAS
毛利はともかく、奉行連中は15年間も豊臣の威光を振りかざして生きてきた
自分が豊臣の威光を背にすれば、誰もが跪いて言うことを聞くのが当たり前という環境に慣れきってしまえば
大軍が上洛して自分たちを攻めてくるなんて奉行連中には想像もできないことだった
424: 2023/10/24(火)09:47 ID:xdzwDLyy(1) AAS
>>402
鍋島とかですか
425
(1): 2023/10/24(火)14:39 ID:ZUca4beM(1) AAS
>>420
ありがとう
輝元と三成の会談なんだな
宇喜多や長束らは伏見攻めしてるからまあそうか
426: 2023/10/24(火)16:35 ID:5CU/8Qio(1/3) AAS
>>425
この会談で西軍は道を間違えた感じだな。
ここで伊勢攻めを選択出来るのは、毛利輝元に他ならないから、
美濃・尾張放置は毛利輝元の意向とみて間違いない。

軍勢がなければ、石田三成としては尾張の勢力に調略をかけるしか打てる手がなく、
無為に2週間以上も出来るわけのない福島正則の説得なんかやってたわけだ。
427
(1): 2023/10/24(火)17:25 ID:4bVcUWbu(1/2) AAS
なんかおかしくない?仮に「一人も上洛してこない」が「西軍に味方する奴がいない」だとすると伊勢に八万送った戦略はそれを受けたのものになる
毛利輝元は何でそんな戦略決定したんだ?諸将が徳川ついてないなら兎も角こちらに同調してないなら美濃を押さえないとマズいのでは?
428: 2023/10/24(火)18:21 ID:5CU/8Qio(2/3) AAS
>>427
個人的には「1人も大坂・伏見を奪回に来ない」の文脈ではないかとは思うけど、
専門家が「(西軍として)上洛してこない」と言ってるのならそうなんだろうな。

前者なら分からなくはないんだよ。
東軍が引き返して来ないなら今のうちに伊勢を抑える、というのも。

尾張を抑えるほうが良いとは思うけど、伊勢を抑えて西側を完全に固めるのも間違いとは思わない。

まあその場合、どれだけ諜報能力低いのよって話でもあるが。
429
(1): 2023/10/24(火)19:27 ID:4bVcUWbu(2/2) AAS
東軍の支持が高いとして伊勢を押さえる理由って
思いつかないけど例えば美濃は半ば捨てて大坂から佐和山を防衛線とするとか?ただだとすると岐阜が落ちてあんな絶望してる説明ができなくなるのよね
430
(1): 2023/10/24(火)20:14 ID:5CU/8Qio(3/3) AAS
>>429
考えてみたんだが、地理の把握、認識の問題では?
西国の毛利輝元は、地図だけ見て不破の関さえ破られなければ良く、破られた場合は近江で止めれば良いと考え、
それより不破の関を迂回して伊勢路から回り込まれるほうが嫌だ、と考えたとか。

しかし近江本拠地のの三成からしてみれば、美濃にはいられたら岐阜城はポンコツなのを知っているし、
そこを取られたら近江に雪崩込まれるのを止めようがないのを理解しているから焦る、と。
431
(1): 2023/10/24(火)20:22 ID:qn4ZnuWW(1/2) AAS
>>430
吉川広家の証言ね

一 伏見之城へ人数差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相働之旨、奉行衆相談被相究候、惣別濃州・北国両国之仕置堅被申付候てこそ尤ニ候、勢州さしむかひたる儀にも非候間出勢無詮候、雖然長(長束正家)大・安国寺被罷向、あの(阿濃)ゝ津近辺椋本と申所両人被陣取候、如何候哉、夜中我等陣所関ノ地蔵へ引取候、それより猶以敵味方覚相替候、其後又(伊勢)津ノ城可相寄之由被相催候、左候へハ大御所様被成御打上候者、大分之一戦可有之、前かとニ不数城乗崩候ても無詮候、万一手負死人罷成候者、一方御をくれニ罷成儀ニ候処、首尾不合行被仕、城被乗崩候へとも、手負死人候而人数半分ニ罷成、味方之覚莫太ニ罷易候事
432
(1): 2023/10/24(火)21:30 ID:Ozhar6XE(1/2) AAS
7月29日時点での輝元と石田の会談は、
どうやって伏見を落とすか、の相談ではないかと思う。
敵が来ない?というのは、瀬田で迎え撃つつもりなのに来る気配がない、
ではないかと思う。
銃撃戦ばかりやって未だ伏見は落ちない。
モタモタしてれば伏見への後詰が来る、

あるいは>>431の吉川の言からだと、
敵の後詰が来ると思って瀬田で待ち構えていたが、
来ないので秀元・吉川は伊勢を制圧せよと言われた、
となるが、
伏見も落ちてないのに瀬田から伊勢に向かわせるとか
正気とは思えない。
伏見攻略後に伊勢制圧を指示された、ならわかるが。
文面からはまだ伏見落としてない時点っぽいんだよなぁ。
433
(1): 2023/10/24(火)21:33 ID:Ozhar6XE(2/2) AAS
石田の備口人数の日付いつだっけ?
8月5日だっけ?
あれのことなら伏見落ちた後のことだと思うけど。
434: 2023/10/24(火)22:25 ID:tOs41KJB(1) AAS
>>432
細かいことだが輝元と三成の会談は7月30日の晩
広家の証言を信じるなら431にある通り、伏見城の攻め口を申し付けられた際に伊勢攻めが決まったとあるから間違いなく落城前だよ
伊勢攻めはかなり早い段階で決定してて既定路線だったんだろう

8月4日付家臣宛広家書状に
「瀬田普請相調候て伊勢へ相越、陣取先々見合候へとの事ニ付而」
とあるから、実際の伊勢侵攻の指示については勿論伏見落城後のことだよ
435
(1): 2023/10/24(火)22:26 ID:qn4ZnuWW(2/2) AAS
>>433
そう8月5日
外部リンク:clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp

同じ日付で真田に宛てた三成書状だと、ざっくりいえば「私は織田秀信と尾張に出張する方針です。福島がこっちにつかなかったら伊勢方面の味方と一緒になって清洲に軍事行動します」
外部リンク:clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp

翌日付けの同書状だと、明後日には三成自身が尾張に進出するとした上で、「尾州表へも輝元人数一万斗(ばかり)、吉川安国寺(が)召連、長大(長束)同道にて」
外部リンク:clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp

東海道が通る伊勢は重要だし、そもそも三成の認識(西軍首脳の総意?)としては伊勢方面に向かった軍勢も伊勢は通過点で、尾張への進軍を目的としていたっぽいね
436: 2023/10/25(水)08:46 ID:/FYTUBWB(1) AAS
>>423
まさかそれが東軍先鋒結束への備えだと?

瀬田は北陸道、東海道の要所で京に政権中枢がある以上外せない要所だよ
だからと言って東軍先鋒がまとまって徳川軍と一緒に上洛したら
防ぎ切ることができないのは歴史の証明通り

所謂武断派とか家康派とか小説で言われる東軍先鋒諸将が
最初から仮想敵だったというのは結果から逆算した想定だよ
437: 2023/10/25(水)09:08 ID:jszBubof(1/2) AAS
四奉行はみんな近江やら丹波やらに拠点がある
それが伊勢注力に賛成したのは戦況有利と誤認していたのか輝元には逆らえなかったのか
後者だとしたら輝元は自分の指揮で負けておきながら奉行を生贄にして延命したことになるわけで戦国大名としては正しいけど人間としてはどうなんだろってことになるが
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