TK師との会話 (373レス)
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(1): TK 2013/07/06(土)10:47 AAS
こんにちは。

君の次元は音は聞こえている、景色は見えている、言葉は発せられている、ただし、自分のもの
では無い、このようではないだろうか。

ここでは、「自分」と言う捉え方は消滅したが、視覚情報、聴覚情報、言葉との微妙な距離感が
発生しているのだが、あまりにもそれが微妙すぎるがゆえに中々気づけないものだ。

そして、微妙だが確実に存在して立ちはだかっているこの「距離感」が「現象」との壁だ。

もちろん今のままでも「自分」と言うものが無いのだから、一般的に言う「(エゴの)苦悩」と
言うものが発生することも無いし、ここはここで快適なところであり、それは決して間違いと言
うものでは無く、巷で賢者と呼ばれる人たちの言いまわす状態に君がいる事に間違いも無いがた
だしこの先もあるのだ。
省9
2: ラピ。 2013/07/06(土)10:48 AAS
T師匠!

ご訪問、ありがとうございます。

師匠の言葉は私の今の状況を完璧に表しています。

私はかつて がむしゃらに道を歩いていましたが
師匠に出会うちょっと前頃は実はその道からそれていました。

そして師匠と出会うことによって
再び道を歩き始め
至ることができました。
省19
3: TK 2013/08/10(土)09:51 AAS
なかなか新装オープンのこの掲示板も関心を引いているようなので、
この場を借りて私からも一言述べようと思います。

私はラピ。さんには縁があって悟りに至るための「激流」の教えを開きましたが、
実際は私にとって教える対象となる人の幅はもっと広いと思います。

その人から苦が少しでも減って、楽が増えればそれで良いと言う観点から、
それなりの教え方が主になるのだと思います。

精神世界とは一体なんでしょうか、人はなぜ今の時代に宗教を求める人がいるのでしょうか。

恐らく、苦しいからですよね。
省24
4: TK 2013/08/10(土)09:53 AAS
(前の続きです)
釈迦のこの世を去る最後に私たちに残した言葉にも、その根幹の部分のみが適格に言葉短く述べられているように思います。

大般涅槃経 - Wikipedia(2013年8月8日 (木) 07:40  UTC)より
外部リンク:ja.wikipedia.org

>原始仏教経典の涅槃経

中 略

>「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」
省37
5: TK 2013/08/10(土)09:58 AAS
(前の続きです)

私は釈迦の我々に残した最後の言葉の「怠らず努めなさい」を成就した者です。

努力に努力を重ねて努力し尽したのでもう逆立ちしても努力ができません、努力不要(不能)の者となりました、
そして、ラピ。さんも私の教えを受けてこれを成就しました。

もしかしたら、私たちのこの「私達は逆立ちしても努力などしません」の成就した後の表現を、
至る前の人が勝手に「努力」するのは駄目なんです不要ですと取った人もいるのかもしれません。

ですが、釈迦が最後に我々に残した言葉は「怠らず努めなさい」の言葉なのです。
省55
6: TK 2013/08/10(土)10:03 AAS
(前の続きです)

「人の為」「世界の為」「人類の為」「神への奉仕の為」「愛と感謝の思いを込めて」大いにやってください、
私もラピ。さんもその実践をして成就したのですからこの件についても胸を張って述べる事が出来ますが、
最終的には実践不能の状態でこの実践は成就を迎えます。私もできるものならまだこれらの実践をするのですが、
逆立ちしても不可能なのです、つまり、意識の状態がこの実践の成就を迎え根幹から変容したと言う意味です。
「清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような〜」スッタニパータと言う
経典に出てくる表現ですが、この状態が完成形ですから。

「人の為」「世界の為」「人類の為」「神への奉仕の為」「愛と感謝の思いを込めて」が出来るうちは大いにやって下さい、
ただし、その実践が出来るうちは私の居る所まではまだまだ全然至っておりませんので、
そのような状態で人に何かを説くなどの行為はくれぐれもしないようにして下さい、
省22
7: TK 2013/08/10(土)10:04 AAS
(前の続きです)

私は今まで多くの超える手前で、超えたと自らの誤認により教えを説いたりしている人を何人も目にしてきました。

実は私に出会った時のラピ。さんもそのようだったのですが、私にはそのような経験がありませんので、
今までもそのような人たちを目にしても中々力添えが出来ずにおりましたが、ラピ。さんは
そのような人たちに暗闇の中で灯火をかかげる人となれると私は考えています。

言葉に表現するとあと一歩なのですが、この一歩が全く至ると至っていないのとでは違うのです。
その違いを一番よくわかっているのが今のラピ。さんですから。

至った後のラピ。さんのコメントです。
省32
8: ラピ。 2013/08/10(土)23:13 AAS
T師匠、ありがとうございます。

師匠は私を師匠のいるところまで完璧に導いてくださいました。

それまでももちろん、実践を頑張ってました。
でもスピリチュアルな教えによって停滞してしてました。

この停滞。
実はその頃、私にとっては実感のないものでした。
師からビンタをもらい、目が覚めたのですが
それまでは自分が停滞してることすらわかっていませんでした。

師の教えはそんな私を確実に導きました。
省10
9: あーみん。 2013/08/10(土)23:55 AAS
ラピ。さんに巡り合えただけでもラッキーだと思っていたのですが、
ラぴ。さんのお師匠様のお言葉まで聞けるなんて、
なんてお得な・・(いや違う!)なんて貴重な掲示板なのでしょうか!!^^
(↑この空気で冗談を言おうとする自分が恐ろしいです)

レベルが高すぎて、私には何を質問してよいかも分かりませんが、
ひとつ、どうしても気になったことがあります。。

(現在、エゴに押し負け続けており、実践の方が遅々として進まない私が
お二人に質問する資格があるのかどうか分かりませんが^^;)

エピ。さんとお師匠様は全てメール(ネット上?)でのやりとりだけだったのでしょうか?
直接お会いになったりすることはなかったのですか?
省10
10: ラピ。 2013/08/11(日)07:44 AAS
あーみん。たん、おはよう!

うん、このチャンスを逃すのはもったいないですよ。
これが最後の最高のチャンスです。
エゴが何を言おうが実践です。ここが分かれ道になります。

残念ながら私たちは 実践をしない人たちの力になることはできません。
自分自身が進むしかないのです。
私たちはきっかけをお伝えすることはできますが、ただそれだけです。

私と師匠のやり取りはメールだけです。
確かにマスターの存在なしで至るのは困難だと思います。

私は師匠に出会う前に ある実践をとことんやっていまして
省35
11: ラピ。 2013/08/11(日)07:45 AAS
10の書き込みの続きです。

>直接そのマスターの「在る」の意識に影響され、弟子が「悟りの一瞥」のようなものを体験し、
その体験により、一気に「目覚め」が深まることがあるとか。。

これについてですが、少なくとも私にそれはありませんでした。

悟りの一瞥は実は私自身の実践で体験しており
確かにその一瞥があったからこそ師の言葉によって導かれ
至ることができたのかもしれません。
(ただ、この一瞥もまれなことらしいです。)

ちなみにこの相対的世界にいる時は
いろんな思考や思いに支配されているので
省35
12: TK 2013/08/11(日)09:44 AAS
一言述べますが、書店に行けば、あるいはネット上で、スピ系の本、又はサイト、セッション、
死ぬまで酔わせてもらえるような手段は沢山ありますので、
そのような方には今の時代は願望が手ごろに叶ってとてもラッキーな時代だと思いますよ。

ただし、これはこのサイトを見ている人の中にいないかもしれませんが、
本当に切羽詰まったような人、このような人たちにはかなり厄介な時代です。

何かの高次元の手掛かりがなければアセンションは無理です。

ただし、私自身は僅かながらの聖典を師にしましたので、生きている師はおりませんから、
一般的には無師独悟に分類される事になると思います。

メールと言う手段であろうとも、生きた師なら聖典よりなおいいわけです。
省28
13: ラピ。 2013/08/11(日)22:31 AAS
☆ TK師匠  あーみん。たん

はい!
あーみん。たんにお返事した内容は
師が本物であること前提で書いてしまいました。

今のこの世界、本物はほとんどいないみたいです。
偽物に師事してしまうと逆効果ですね。

私が運がいいというのは
TK師という本物に出会えたからです。

もし、偽物に師事したのなら、まったく至ることはできなかったと思います。
省6
14: あーみん。 2013/08/13(火)01:02 AAS
ラピ。さん、たくさんのお返事ありがとうございます。
ラピ。さんが辿って来られた道がよく分かりました。。
きっと壮絶な体験も色々あったんでしょうね。。
でも実践が始まったきっかけが、特に出来事があったわけではなく、
ふと自分のわがまま気づいた、それだけです、というところに少し驚きました。
そして、ラピ。さんが実践されて来た長い年月を思うと、
これからの自分の行く道を考えて、つい気が遠くなってしまいますが^^;
もう多分、嫌でもこの道しか残されていないというか、失敗しながらでも進むしかないですね。
実践方法は、皆さんがされているように、そのうち私も私のオリジナルを見つけたいなと思います。
それまで、ラピ。さんのおすすめ「自分を捨てて、喜んで何でもしよう」を
省24
15: あーみん。 2013/08/13(火)01:04 AAS
↑ごめんなさい!板を間違えて投稿しました!
「悟りを目指している方」への投稿のつもりでした!
16: ラピ。 2013/08/13(火)03:29 AAS
あーみん。たん、了解です。

この書き込みを移動させますね!
(*・ω・*)ポッ
17: TK 2013/08/14(水)11:13 AAS
さて、この掲示板にもスピ系にかぶれている人がいますが、私もラピ。さんも
ぶっちゃけスピ系をけちょんけちょんにコケにする者の立場をとっているわけですが、
ぜひスピ系で至りましたと言う自称覚者さんがもしいたらここに出てきてもらいたいものだと
思いませんか。

我々にとって悟りとは、何かを理解したり知ったりする事ではなく、
メンタルそのものの機能が変わってしまう事だったわけですが、
当然我は本物ですと言う方が居れば、その方がもし偽物か自らの誤認によるものであれば、
我々と対話を少しすると本当に意識の機能が変容していない方は見事にそれが明らかになってしまう事になります。

我等はスピ系では無い方法で至りましたと言う立場ですから、そのスピ系で至ったと言う自称覚者さんたち、
色々な人のために我等と少しここで話をしてみようではありませんか。
省28
18: TK 2013/08/14(水)11:14 AAS
(前の続きです)

ただ言える事は、マインドだエゴだといかにも駄目なもののように言いますが、現実には、
正しい方向でマインドにエゴに、これらを強める事でかなりの幸せを作り出すことが可能なのですから、
むしろ真逆に位置する悟りにはこだわらず、正しい方向でマインド、エゴを大いに強めて、
まず、幸せになれます、これをやってみて下さい。
強める限界まで来たら次に進めばいいわけで、まずは、マインド、エゴを正しい方向で強める事、
私はこれが、スピ系で出てくる「ワクワク」と言う教えに値するものだろうとして、
その「ワクワク」と言う教えを詳しく調べたわけではありませんが、
評価出来るものではないかとの位置づけをしています。

ただ、「ワクワク」で気を付けるのは「正しいと判断できる行為でワクワク」ここがポイントだと思います。
省44
19: ラピ。 2013/08/14(水)12:55 AAS
師匠、書き込みありがとうございます。

私もスピ系を全否定してるわけではありません。
スピ系もとことんすれば得るものがあると思います。
(ちなみに私はとことんして、幻想に気づきました)

ただ、スピ系の知識(それが真実であるかは別として)があるだけで
すべてを知っていると思い、
その読んだだけの言葉をまるで自分の真実のように語る人に
違和感を感じています。

私もかつてスピ系どっぷりだったんですけどね、、、。

私もスピ系で覚醒したという人と対話してみたいものです。
省5
20: TK 2013/08/17(土)11:08 AAS
ニューエイジ - Wikipedia (2013年4月13日 (土) 03:03 UTC)より
外部リンク:ja.wikipedia.org

>すべてでひとつである。
>偶然というものはない。
>弟子の準備が整ったとき、師匠は現れる。
>しなければならないことというものはない。
>善悪というものはない。
>信じる必要はない。
>努力はしなくてもよい。
>与えたものが返ってくる。
省28
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