大学入試のM検、身体検査が全裸だったころ、 (57レス)
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1: 2019/05/19(日)11:27 AAS
昭和20年まで、日本男児と生まれたからにはM検といって性器・肛門検査を受けた。日本男児とM検は切っても切れない関係で、徴兵検査から解放された戦後も、大学入試ではM検が課されていた。

M検は12~20歳の一番恥ずかしい年頃にM検が集中していた。最年少は逓信省航空乗員養成所の12歳である。陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、予科練、陸軍少年兵、海軍特年兵、満蒙開拓少年義勇兵、国民徴用令、徴兵検査、さらに軍需工場の少年工採用まで、実にさまざまなところで行なわれていた。
 
パンツ一枚なんて小学校、中学校では当たり前、大学。専門学校、軍関係学校の入試ではパンツ一枚すらも許されず、全部脱いでしまわねばならないのが当たり前だった頃、中学生ともなればどの進路をとるにしてもM検の関門があった。旧制中学校’(五年制)には軍人が派遣され時々、校庭の隅でパンツもつけない素っ裸で整列させられḾ検が行われていた。
2: 2019/05/19(日)11:28 AAS
軍関係の学校だけでなく、高校・大学入試もそうだし、上級生になると国民体力検査があった。
結局たいていの者が少なくとも年1回はM検を受けざるをえなかった。

 軍関係の学校は将来のエリートを約束されていたものだが、身体検査は少年といえども手ごころを加えることなかった。陸士、海兵などはすべての検査で初めからフリチンのブラブラにさせられ、「日本男児だ、堂々と歩け」とやられ、手で隠すことも禁じられたそうである。
 当時は人権など顧みられなかった時代である。褌であれパンツであれ、脱げと言われれば脱がなければならなかったのである。

 少年兵は高等小学校を出た14歳の少年が志願するのだが、彼らには羞恥拷問とも思える厳しい運命が待ち受けていたのである

戦後、日本は兵役がなくなって、「徴兵検査」から解放された後も、男子大学受験生には性器・肛門検査・M検の羞恥が課されていた。
3: 2019/05/19(日)11:32 AAS
戦後、高橋鉄著「人性記」(林書店1968)という投稿をあつめた本があった。この中に、旧制高校(今の大学)入試の後、その時の「M検」の夢を見て漏らしてしまったと(夢精)いうのがあった。国会図書館等にある。

M検とは、なまやさしいものではなく、夢に出て漏らしてしまうほどのものであったのだ。

京都府立医科大学、松山商大などでは昭和40年代でもM検が課されていた。
40年代の「平凡パンチ」によると、京都府立医科大学では入学時と卒業時にM検を行う。
受験生だか一年生だかのM検では、包茎を捲り挙げると亀頭に恥垢がいっぱいで、しかも黴が生えていたそうだ。

まだ中学生とかわらぬ包茎が殆ど、包茎は環状溝が露出するまで剥きあげられる。 環状溝が露出するまでとは、捲れてるものも、もう一段剥きあげられるということだ。

一度も捲れたことが無い、しかも孤独な慰めに慰めの結果溜まったものが露わになる瞬間。
昭和30年代半ば位前までは、たとえどんなにいい成績をとっても、どんなに恥ずかしくとも、男子は総てこの検査を受けないと合格できなかった。
4: 2019/05/19(日)13:08 AAS
検査のやり方はそれぞれ異なり、東大は今武道館になっている七徳堂にて、集百人もがパンツを取り最初から素っ裸で7列に並んで検査の順番を待つ。

慶應は、20人くらいがパンツ一枚で一室に入れられ、最初に手足を動かし運動して、関節などの検査を行う。
それが終わると最初のものがパンツ一枚で前に出さされて、性器・肛門検査の見本となる。一通り説明が終わると
パンツはすぐ脱いでしまいすっ裸になって、検査官の前に立ち、性器やワンワンスタイルでの肛門検査。それが済むと次のものが
前に出されてパンツを脱いで。

後ろのものは、前のものが素っ裸にされて恥ずかしい検査をされるのを見ながら順番を待つ。
5: 2019/05/21(火)11:15 AAS
剥かれるたびにツンとする恥垢の匂いや男の匂い・・人前でワンワンスタイルで肛門検査を待つ姿、それはまもなくくる次の自分の羞恥の姿だ、自分ももうすぐあのように・・ なんて思うとたまらなくなってくるはず・・
でも、 一人二人と減ってだんだん自分の順番が近ずく・・
6: 2019/05/21(火)11:18 AAS
慶応といえば個室を与えられ・・良家のお坊ちゃん育ち、可哀そうに人前でパンツを脱ぐなんて、人前で剥き出しのお尻を、ちんぽこ出すなんて死ぬほど恥ずかしいおぼっちゃんでも、たとえ耐えられず膨らんでしまっても順番が来たら容赦なく一人の例外なしにパンツに手をかけ脱いでしまい検査官の前に進むことに。
どの大学でもだいたいおなじだろう。
「蛍雪時代」などの受験雑誌には毎号かならずM検の相談があったのだ。
「めくれていないと合格しないのでしょうか」とか「僕は3分の一くらいしか捲れていません。受験してもいいでしょうか」とか
7: 2019/05/21(火)11:24 AAS
大学入試身体検査で、昭和30年代くらいまでは、パンツまで脱ぐのが、あたりまえだった。
高校進学率は昭和34年が55.4%,38年が66.8%,42年が74.7%だった。
ちなみに、大学進学率は、34年が16.9%、38年が20.9%,42年が 23.7%だそうです。大雑把に言って、昭和30年代の大学進学率は20% ぐらい、進学者数は約20万人ぐらいのようです。全部の大学ではないにしても大多数の大学が入試でM検をやっていた、8割としても18才の高卒の15~6万人が全裸にされ、剥かれて、しごかれていたことになりますね。
現在、売春防止法というのがあって、売春は犯罪です。
しかし昔は売春は犯罪では無かったのです。そして若い男たちは売春宿にかよった。
昭和24年まで、義務教育は小学校までで、向学心のあるものは高等小学校と言って、小学校を卒業後2年間(12,3)過ごして、丁稚奉公とか就職とかいくしかなかった。そのころ就職したりした先輩は後輩が14,5になると、「筆おろし」と称して、売春宿に連れて行かれ初体験をさせられるのだるなど、若者は自由に女とやった。

若者の花柳病(性病)というのも無視できなかった一方、売春が人身売買であることも問題になった。

そのころ、日本は国連加盟が悲願となっていた、しかしソ連は何度も拒否権を使っていた。
昭和31年日ソ共同宣言ができて、自本は国連に加盟することになるが、売春を廃止することが約束された。

そして昭和33年4月1日、午前零時を持って売春防止法ができた。売春防止法が成立したことで、M検は殆んどの大学で廃止となった。
省2
8: 2019/05/21(火)11:36 AAS
昭和30年代ずっと高校生の体格は低く、今の中学生くらいだった。身長も160センチ位だった。
でも、高校生で、一クラスには大学生のような逞しい生徒がいる一方、小柄で中学生みたいに可愛い生徒もいた。

受験生には三浪とかの20歳を超える受験生もいる。浪人の中には女を知っているものもいただろうが、女も知らない、勉強とオナニーしか知らないまじめな現役の受験生がほとんどだったろう。

東大のM検場では、20歳を越えた髭もじゃの受験生がいる一方、まだ中学生みたいな肌も綺麗な現役受験生もいたことだろう。

すでに女を知っている、毛深い赤剥れの男のもの、まだ毛も薄くまだ下腹はすべすべ、中学生のような汚れない朝顔の蕾・・そんな様々な受験生が、周り総て丸裸の中、人糸も纏うことを許されない霰もない総てを晒して、検査の順番を待つ、それはザンコクなものだったろう。

旺文社「蛍雪時代」昭和33年4月号には、今年昭和33年度から変わったこととして東大のM検が廃止されたとある。勿論33年度とは33年4月からで、その原稿を書いた33年3月にはまだ32年度で、容赦無く素っ裸にしてM検は実施されたと思われる。
省2
9: 2019/05/21(火)11:45 AAS
「M検では亀頭部が露出してないと合格しないのでしょうか?、僕は絶対性病ではないと思いますが」「包皮が三分の一程度めくれてますが大丈夫でしょうか?」
「包皮に粟粒ができ巻いたが、進行する様子もありません。入試に影響しますか?」「無毛といってよいほどである上に、局部が
非常に小さいのです、来年入試を受けてよいのでしょうか?」・・
今ならパンツの中のことは関係ないが、当時の受験生はそうは言っていられなかった。

まだ、中学生みたいに朝顔の蕾もいれば、ずる剥け、先っちょがちょっと見えるものなどさまざまなその秘密の部分を
検査ではすっかり露になる。

身体検査のM検場で゙、パンツ一枚で、そのパンツを脱ぐ順番を一人二人と近ずく中どういう心境だろう。

東京大学に限らず、大学入学では学科試験に合格したあと身体検査がある。
東京大学では通称「M検」を行うことは受験雑誌「蛍雪時代」などの受験情報で知っていた。3月になって暖かくなった頃、本郷の七徳堂 (武道場) で受検した。受検者は一人づつテントの中に入って医師の検査を受け、衆人環視ということはなかった。
10: 2019/05/21(火)11:53 AAS
東大入試にM検が課されていた頃・・
平成5年(1993年)5月1日読売新聞夕刊1面下段《よみうり寸評》
「昭和31年まで,全国の国公私立大では,入試合格者に対して,”エム検”が 実施された。エムとは往年の俗語で,
男性自身のこと。たとえば,東大では広大な七徳堂(旧武道場)がエム検会場だった。横に並んだ7,8組の医師・
看護婦チームの前に,一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった。」
(注)昭和31年は、昭和33年、つまり昭和32年度の間違い記事。

毎年繰り広げられるM検場の羞恥、素っ裸の順番を待つ男子受験生が数百人。検査を待つ受験生の数百本の剥き出しのペニス。なんともすごい光景である。

こういう時にかぎって意志とは裏腹に勃ってしまう男の器官、焦れば焦るほど反りかえるが検査は刻一刻と近ずく。・・まさに夜毎納品受験勉強につかれて、勉強部屋にカギをかけていけないことに耽る、そんな閻魔大王の前に引き出される罪人のような受験生はまだ女を知らない。硬く包まれていて捲ればその証拠がいっぱい、それももうすぐ露わにされるのだ。
昭和33年以降も、一部大学では行われていて、包皮をめくると黴がいっぱいだったとか、された人ありませんか?。

昔は、大学入試でも行われていた。どんなにいい成績をとっても、この検査を受けなければ合格は無かった。経験者教えて!?。
省3
11: 2019/05/21(火)11:58 AAS
M検
東京大学に限らず、大学入学では学科試験に合格したあと身体検査がある。東京大学では通称「M検」を行うことは受験雑誌「蛍雪時代」 などの受験情報で知っていた。3月になって暖かくなった頃、本郷の七徳堂 (武道場) で受検した。
「蛍雪時代」に「東大ではM検があるそうですが、女子も対象でしょうか」と心配する投書があり、大学当局から「女子にはM検は行いません」 との回答が掲載されていた。

数年前、約20年後輩の男性に尋ねたら、そんな検査はありません、との返事でこの間に廃止されたらしい。

どういう目的で検査していたのか不明であるが、第ニ次大戦前に若者が受ける徴兵検査ではM検があり、
その残存であろう。陸海軍の学校はもちろん、
大学や高校 (旧制高校) への入学時には必ず行われたそうである。当時他の大学でやっていたかどうか
尋ねてないが、慶應大学漕艇部のページを見ると、大先輩の回顧談の中にM検が定番として出て来るそうである

医学部の強い大学などでは、検査の周りに女子などの医学生が何人も見学していたと言う話もある。

 身体検査科目に「性病等の伝染性疾患・・・についての医師による検査」とあれば M検,すなわち全裸になっての金玉検査があります。自衛隊とか防衛大等も数年前までは,身体検査科目に「伝染性疾患」と書いてあったので,当然やっているはず
省4
12: 2019/05/21(火)12:02 AAS
慶応では,学科試験の後,「明日は身体検査を行います。全てを検査します、清潔にしてきてください。」といわれる。当日,20人一組としパンツ一つで並ぶ,。
まず最初の者がモデルになって型を説明,。終わるとすぐ恥ずかしいから穿いているもの、パンツを取り去り本当の検査を受ける。人前でパンツを脱ぐなど死ぬ ほど恥ずかしいおぼっちゃんでも順番が来たら直ちに脱ぎ去って、ありのまま、男の子であることを晒して 前に立つ。
浪人のオスじみたものと違って、現役生のまだ綺麗な一糸纏わずの少年の肌、少年の裸身、露わになった、これから起こることに、羞恥に震える、露わになったそのきれいな下腹の平原にはまだ中学生と変わらぬ少年のすんなりしたアクセントが羞恥に震えている、これから残酷な検査を受ける性器が突き出ていて確かに少年であることを示す、そこだけ黒いものが。
まだ女を知らない、勉強とオナニーしか知らない、穢れを知らない朝顔のつぼみのような剥き出しになった少年のそれは初めて他人の指で剥きあげられる・・あっ!と身を引く
生まれて初めて男になったピンク色のそこにはいけない行為にふけった証拠の白い恥垢がいっぱい
終わると、すぐ全裸のまま肛門検査のため手脚を拡げて、四つん這いの姿勢をとる、ひざは曲げないで伸ばしたままである。
シミ一つない綺麗なピチピチした少年のお尻、肢体、そのぴちぴちの尻タブを両方の掌でもってぐいと拡げ菊門を拡げて中を検査を行う。

M検で不合格になった者として,痔婁(千葉大),副睾丸炎(神戸大)その他がある。徴兵検査の型を踏襲し、包皮は環状溝が出るまでばっちり剥き上げられる。

当時18歳の平均身長は160センチ,今の中学生位。当時大学に進学するのは,今よりずっと少ない。
中には例外もいたことだろうが、勉強(とオナニー)しか知らない受験生を素っ裸にして性器から肛門まで男の全てを検査したのだ。受験が迫り,孤独な深夜の受験勉強に疲れすることは皆同じ、嫌な事で進まないと手は内股に向かうだろう。
省9
13: 2019/05/21(火)12:06 AAS
慶応では,学科試験の後,「明日は身体検査を行います。全てを検査します、清潔にしてきてください。」といわれる。当日,20人一組としパンツ一つで並ぶ,。
まず最初の者がモデルになって型を説明,。終わるとすぐ恥ずかしいから穿いているもの、パンツを取り去り本当の検査を受ける。人前でパンツを脱ぐなど死ぬ ほど恥ずかしいおぼっちゃんでも順番が来たら直ちに脱ぎ去って、ありのまま、男の子であることを晒して 前に立つ。
浪人のオスじみたものと違って、現役生のまだ綺麗な一糸纏わずの少年の肌、少年の裸身、露わになった、これから起こることに、羞恥に震える、露わになったそのきれいな下腹の平原にはまだ中学生と変わらぬ少年のすんなりしたアクセントが羞恥に震えている、これから残酷な検査を受ける性器が突き出ていて確かに少年であることを示す、そこだけ黒いものが。
まだ女を知らない、勉強とオナニーしか知らない、穢れを知らない朝顔のつぼみのような剥き出しになった少年のそれは初めて他人の指で剥きあげられる・・あっ!と身を引く
生まれて初めて男になったピンク色のそこにはいけない行為にふけった証拠の白い恥垢がいっぱい
終わると、すぐ全裸のまま肛門検査のため手脚を拡げて、四つん這いの姿勢をとる、ひざは曲げないで伸ばしたままである。
シミ一つない綺麗なピチピチした少年のお尻、肢体、そのぴちぴちの尻タブを両方の掌でもってぐいと拡げ菊門を拡げて中を検査を行う。

M検で不合格になった者として,痔婁(千葉大),副睾丸炎(神戸大)その他がある。徴兵検査の型を踏襲し、包皮は環状溝が出るまでばっちり剥き上げられる。

当時18歳の平均身長は160センチ,今の中学生位。当時大学に進学するのは,今よりずっと少ない。
中には例外もいたことだろうが、勉強(とオナニー)しか知らない受験生を素っ裸にして性器から肛門まで男の全てを検査したのだ。受験が迫り,孤独な深夜の受験勉強に疲れすることは皆同じ、嫌な事で進まないと手は内股に向かうだろう。
省9
14: 2019/05/21(火)12:10 AAS
以前、毎年、一般総合病院の内科のほか、泌尿器科、外科があって,M検のある普通の一泊二日の人間ドッグにかかっていた。一日目は一般内科検査、二日目は男女に別れ、男子は泌尿器科、女子は婦人科検査。膝上位の短い検査着、下はパンツ一枚だけで、泌尿器科前の廊下で待つ、隣は『膀胱鏡検査室』と表示の部屋がある。
精密検査は、ここの検査台にパンツもつけず股を拡げられて固定されて、膀胱鏡というのを挿入されて行う。

三人だけがドアの中に入り、ドアを開けるとカーテンがあって、前の椅子に腰かけて順番を待つ、呼ばれたら一人ずつカーテンの中に入り検査を受ける。中の声が丸聞こえ、ああ自分ももうすぐ、次にはと思うとたまらなくなる、M検に臨んで順番を待つ受験生の気持ちがわかる・・。

いよいよ、名前が呼ばれてカーテンの中に入る。
まずベッドでパンツを膝までおろして自分で膝を抱える体位で肛門内触診、看護師が傍で介助する、肛門が上を向くくらいになり、もちろんお稲荷さんやチンポも丸出し。
終わると、性器検査。医師の前で立ち、短い検査着をはだけ、パンツを下ろして下腹部から性器・陰部を丸出しにして触診を待つ。まず立ったままチンポをつままれ、捲りあげられて亀頭を検査し、見られ、陰嚢睾丸をグリグリ触診される。僕の場合、中学生のような包皮に包まれてたが、完全に捲りあげられた・・。

こんなことをされたのかと思いながら指の感触を思い出しながら後で自慰をした。なお、泌尿器科にかかると、尿検査や問診とともに、まず最初にこれをされるのだそうだよ。

入院して、け画や手術でベッドで寝たきり状態が続くと、陰部の洗浄というのをされる、たとえ中学生でも環状溝ガ剥き出しになるまで捲られて恥垢を綺麗にされる。
省1
15: 2019/05/22(水)08:36 AAS
「蛍雪時代」の記事から
[M検とは、陰茎、睾丸、肛門、等について、結核や性病があるかを調べるのが主な目的です。
性病とは、梅毒、淋病、軟性下疳、鼠頚りんぱ肉芽腫のことで、そういう状態すらわからない人なら性病の経験がないに違いありません。
したがってM検で不合格になりはしないかなどは杞憂というものです。」・・これは、
「M検とは何の目的で行われるのでしょうか。また性病とはどういう状態を言うのでしょうか。
以上のことが全然わからず不安でなりません」(長崎UK生)という「蛍雪時代」(昭和32年5月号)

読者相談室の相談に対する回答です。実際このようなことが行われていたのです。陰茎、睾丸、肛門といった一番恥ずかしく
人に晒せない部分だけ、パンツの中だけの部分を集中的に、検査それも集団で容赦なく行う検査があって、男子受験生は
必ず受けなければならなかったのです。それも戦後も10年以上たっても、そして受験生は、たとえ、女を知らない、性病なんて
縁もない、勉強とアレしか知らなくとも、まだ12,3の中学生みたいな朝顔の蕾でも、半剥けでも、大きくとも小さくても、毛深くとも、パイパンでも、閻魔大王の前に引き出される犯罪人のようにこともあろうに陰茎、睾丸、肛門といった一人の男子として一番恥ずかしく人に晒せないヒミツの部分・男子たる象徴・性の象徴・肉欲の象徴をその肉欲行為の結果とともに晒し自由にされる、その順番を待ったのです。・・
省1
16: 2019/05/22(水)08:39 AAS
大学入試の「M検」は、明治の初期の旧制高校(現、大学)の時代からM検としてあったものである。
それは殆ど徴兵検査のM検と同じものだった。戦後、日本男児から「徴兵検査」の羞恥が解放された後も、
昭和30年代半ば頃まで、旧制高校や徴兵検査のM検の伝統と形式が継承され同じ形式で行われていたのだった。

包皮は環状溝が露出するまで捲りあげられる。たとえ捲れていても、もう一段剥き上げる。朝顔の蕾でもだ。
肛門検査は四つん這いで行う。こういうことが戦後もあちこちで行われていたのだ。
徴兵検査もそうだが、大学入試は多数で集団検査だ。東大のように千人を超える受験生、てきぱきとこなすには、
その検査のやりかた、番の待ち方、パンツを取るタイミングなどは、大学に依りそれぞれいろいろあったようだ。

①M検場では多数が最初から素っ裸で待つもの。
  東大では現在武道場になっている「七徳堂」がM検場になっていて、ここでは全部すっかり脱いでしまう。文字通り一糸纏わずで7列になって並び検査を受ける。
千人近くの受験生の性器を検査するわけだから、もじもじしていたら検査が進まない、最初からパンツまですっかり脱いでしまって、、すぐ検査できなければならない。
省14
17: 2019/05/22(水)23:00 AAS
農上輝樹著『続・薔薇の告白』第二書房1971  100~102頁には、1970年代に入っても、
松山大学でM検があったことが書かれています。

海老坂武、『〈戦後〉が若かった頃』岩波書店2002、77頁には、
1954年東大で入学後の身体検査でもM検があったことが書いかれています。

やっぱ,大学入試で大抵の大学でM検やっていたっていうの本当なんだね。
は読売新聞の記事なんだから,そのとおりなんだろうけど, 武道場がどの位広いか分からないけど,数百人の受験生が一糸まとわぬ全裸で7,8列に並んで検査されたなんて想像すらできない。広いといったって、7,8列ともなれば列と列の間隔は3mかせいぜい5m位か。

どこか別室で来ているものをソックスまで取ってしまって、検査票だけもって広いM検場に入ってゆくことに。
前の奴のケツをみるより隣の列の先頭が剥かれてしごかれるの丸見えだったんだろうなー。 詰めてと言われるんだおが、あまり詰めると、自分の性器が前の受験生の裸の尻タブにあたってしまう。立ってしまったらどうするんだろう。
行列していれば,前の奴との間隔は50センチもないだろう。そいつが目の前でパンツを脱いで検査されるんだから,
前の奴の体温や匂いまで肌で感じるし,直近で医者の手つきを見ていれば,今井社が何をしているか,逐一わかるだろうな。 お
省2
18: 2019/05/22(水)23:04 AAS
昭和30年には,九州大学では受験の際予め提出する身体検査票に新たに性器・肛門も追加された事が蛍雪時代に乗っている。願書に添付する身体検査票に普通 の身体検査が従来からあったのだが,新たに大学病院で性器・肛門についても泌尿器科で検査を受け提出とある。つまり二重に厳重に検査されるとるのか、実習台にされるのだ。

大学病院の検査となると普通 、普通の病院の外来のようなところではないのが普通。学問研究や医学生やインターンの修習・実習のためで、インターンや看護婦が何人も見学し,受験生一人に対し,教授が検査のあと、何人ものインターンが一人ずつ交替で触って検査し、検査実習をするのかも。

受験生となれば,拒否すれば願書提出できないのだ。
パンツをとらせ、Mケンのついでに、学生による性器、肛門の講義生見本や、学生によるM検の実習、拒否出来ない受験生にインターンの目の前での普段取れないデータ採り、自慰行為をさせ、平常時と勃起時のサイズや角度、硬さ、採取した精液の量 、…・睾丸のサイズなど、ついでになかとれないどんな検査実習や、「受験生」という名の病人ではない青春盛りの貴重なデータでも取ることでもできる。1000人いれば貴重なデータとなる!?。

徴兵検査の場合は、日本国籍を有する20歳以上のすべての男子だが、当時の受験生はごく一部で、受験勉強に励む。それこそ一人性欲と闘うだけで、性病にかかる暇もないまじめな受験生で、まだ女も知らず朝顔の蕾まで開いて・・
19: 2019/05/22(水)23:06 AAS
K大  入試にM検があった頃・・
  h 外部リンク[htm]:www.choshinet.or.jp

  私は国立大学も受けたのですが,学科試験で落ちたので,国立大のM検は受けていません。身体検査は学科試験で合格した人だけ受けました。国立大(といっても商船大学)に受かった友人の話によると、かなり丁寧に(!)やられたようです。
 私は,私立のそれもミッション系なので,ソフトというか,上品と いうか,身体検査をする人も受ける人も,流れ作業のように表面的 には皆淡々としていました。でも,私は田舎育ちで高校を出るまで医者にも誰にも全裸を見せたり,いわんや金玉を握られた経験などないのですから,私は内心は不安と羞恥心で一杯でした。

 当日は,受験生は定刻に受験生は体育館に隣接する体育会の部室棟の集会室に集合ました。2回に分けましたけれど,それでも200人くらいはいたでしょうか。ここで,検査の用紙を配られ,一通りの説明を聞きました。身体検査は上半身は裸,下はパンツ一枚の格好で受けること,身長,体重,胸囲から矢印に従って時計周りと反対方向に グルッと一周すると身体検査は終わること,検査は全部体育館の中でやるので,終わったらこの集会室に戻って服を着て待つようになど。募集要項に出ていたM検の話は全くありませんでした。また, 誰も質問もしませんでした。

 それから、検査用紙に,氏名,生年月日,志望学部,学科などを記入した後,受験生はパンツ1枚の裸になり,受験番号順に体育館に向かいました。
 言われたとおり,身長体重から順に眼科やレントゲン検査を受け,血液を取られたりして,内科に行きました。内科では医者の前の椅子に坐って聴診器で胸の検査を受けるのですが,驚きました。検査を受ける受験生の後ろに立ったまま並んで,見るともなく廻りを見ると,医者の背中の後ろが白地の薄いカーテンで仕切ってあって,「皮膚科」 と張り紙がしてあります。そこまでいっても,鈍感な私は,「何故, 皮膚科だけカーテンが張ってあるのかな。」としか思いませんでした。
 ところが,並んでカーテンをみていると,カーテンの向こう側にも  受験生が列を作って並び,その行列の向こう側が大きな窓で,そこから明るい日が差し込んで,受験生がパンツを脱いでM検をやられている様子が,顔こそ分かりませんが,シルエットではっきり見えるのです。皮膚科が,先輩に聞いていたM検の場所と分かり,私の心臓はここでバクバクになりました。私の番になり,医者の前の椅子に腰をかけ,内科の医者に聴診器をあて検査されましたが,医者には私が動揺していることははっきり分かったはずです。
 私は内科が終わって,いよいよ」最後の皮膚科でカーテンの向こう側  にはいって皮膚科の行列の最後尾につきました。

 前を見ると,白衣を着た若い医者が1人と隣にもう少し若い男性の助手が1人。このひとも白衣を着て,医者が何か言うたびにペンで書き込みをしています。順番がきた先頭の受験生は,検査用紙を助手に渡し,両手を真横に上げ,胸,腹,脇の下を見られ,それから廻れ右をして背中,腿,足の皮膚を見られ,また回れ右をして医者の方を向いてパンツを脱いで,医者の前に立ちます。医者は股間に手をやって急所をまさぐっています(なお,当然のことでしょうが,女子受験生の身体検査は別の日でした。)。
省3
20: 2019/05/22(水)23:12 AAS
昔話1 船の学校の二次試験   ・・東京商船大学
  h 外部リンク[html]:wine.air-nifty.com

随分、昔のこと
ここは、女子禁制の学校
一次試験の合格者が、体育館に集められた。
募集要項に、「健康な日本国男子に限る」と書かれているため、体力検査などがあるのだ。 反復飛び、背筋力、肺活量などは普通の検査。
面白い検査が一つ、上から直径5cmほどのロープが下がっている。
これに、何秒掴まっていられるか?
本当は、片手で10秒掴まってられなければならないのだが、受験勉強でなまった体には非常にキツイ。
せいぜい5秒ですが、1秒と保たないヤツがいる。
省8
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ぬこの手 ぬこTOP 2.897s*