[過去ログ] ▲色即是空の誤り2▲ (1002レス)
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881: 2020/06/20(土)06:11 ID:erL593T2(1/15) AAS
>>870
こりゃダメだ
883
(1): 2020/06/20(土)07:48 ID:erL593T2(2/15) AAS
>>873
『南海寄帰内法伝』

諸部流派。生起不同。西國相承。大綱唯四(一阿離耶莫訶僧祇尼迦耶。唐云聖大衆部。分出七部。
三藏各有十萬頌。唐譯可成千卷。二阿離耶悉他陛攞尼迦耶。唐云聖上座部。分出三部。三藏多少同前。
三阿離耶慕攞薩婆悉底婆拖尼迦耶。唐云聖根本説一切有部。分出四部。三藏多少同前。四阿離耶三蜜栗
底尼迦耶。唐云聖正量部。分出四部。三藏三十萬頌。然而部執所傳。多有同異。且依現事言其十八。
分爲五部。不聞於西國耳)其間離分出沒。部別名字。事非一致如餘所論。此不繁述。故五天之地。及南海諸洲。皆云四種尼迦耶。

諸部派の発生は多種であるが、西国〔インド〕の〔仏法の〕伝承は大別すればただ四つのみである。
(一、アーリヤ・マハーサンギーティ・ニカーヤ。漢訳すれば「聖なる大衆部」である。七部に分派している。三蔵は各々十万頌あり、漢訳すれば千巻になるであろう。
二、アーリヤ・スタヴィラ・ニカーヤ。漢訳すれば「聖なる上座部」である。三部に分派している。三蔵の規模は先と同様である。
省6
884: 2020/06/20(土)08:40 ID:erL593T2(3/15) AAS
”こう考えますと私たちは大乗をあまりにも過大評価することによってインド仏教初期、中期におけるもっとも有力な存在を見過ごしてきたことになります。

たかだか部派内の戦闘的な少数派が前掲した「二元的区別」と「仏伝の永遠反復」思想を掲げ
「この経は法と律をよくする比丘にも理解されない」という批判的挑戦(*22)や
罵詈雑言を国王や商人・長者などの在俗の有力者に読ませ聴かせることを前提に記述し、
彼らは伝統的な生活を送り主流派であった比丘を小乗と蔑んだのです(*23)。

その経典の数があまりに多く(とは言っても今となっては論理性、構築された世界観、経・律・論の豊富なバランスにおいて質量ともに「小乗」文献の足下にも及ばないが)、
しかもそれが中国の上流階級に支持されたばかりに中国→朝鮮・日本の歴史的な仏教の印可の中に身を置いたわたしたちは主流が何であったのかを見失っていたのです。”

初期大乗と小乗僧院の社会的活動との関係について - くまりんが見てた!Part III
外部リンク:web.archive.org
906
(1): 2020/06/20(土)10:07 ID:erL593T2(4/15) AAS
>>895
>記録者の主観
義浄は大乗者なのにどうして大乗に有利な記述をしないのかな
913
(1): 2020/06/20(土)10:12 ID:erL593T2(5/15) AAS
>>901
義浄「そもそもインドには独立した大乗教団はなかった」
ベンガルの密教者アティーシャですら大衆部所属だし
917
(1): 2020/06/20(土)10:18 ID:erL593T2(6/15) AAS
>>908
そもそもインドにおいて歴史的に純大乗の寺が存在したかどうかすら怪しい

大乗仏教の起源に関する最近の説
1. 佐々木閑のカルマベーダ起源説

『インド仏教変移論 なぜ仏教は多用化したのか』(2000)

”アショーカ王の分裂法勅 (Schism Edict) と漢訳『摩訶僧祇律』とを比較して、破僧定義に二種類があることを発見した。
一つはデーヴァダッタの釈尊の教団に対する教義的な分裂チャクラベーダ(破輪) であり、
他は教団の布薩 その他の儀式には他の比丘たちと共に出席するという点で教団の成員として認められながら
、教義の上では自由に異義を唱え得るというカルマベーダ(破羯磨) である。

この後者のカルマベーダは『摩訶僧祇律』から始まってやがてパーリ律、『四分律』、『五分律』のも採用された。
省7
929
(1): 2020/06/20(土)10:40 ID:erL593T2(7/15) AAS
>>914
パーラ王朝の有力寺院にして密教の根本道場ヴィクラマシーラ寺院は大衆部所属
外部リンク:kotobank.jp

”アティシャが二十九歳になられた時に,ナーランダーの住人(Na len dra na gnas po)で優れて法に詳しい者に向かって,
「私は何れの部派で出家しようか」と言うと,その者が,「汝は秘密真言の行を捨てるのか捨てないのか」と訊ねた.
〔アティシャが〕「捨てない」と答えると,「それならば,大衆部僧伽の阿閣梨ジュニャーナパーダ(buddhazrIjJAna)の法統で出家〔すればよい〕」と言った.
そこで,吉祥なる金剛座の〔釈尊が〕大菩提を獲得した場所にあるmatibhihara僧院において,
大衆部僧伽の内の出世間部('jig rten las 'das par smra ba'i sde pa)の阿闍梨でジュニャーナパーダの法統にある長老で持律者であり,
修道の真実の一分に住し三摩地を獲得したzIlarakSitaというお方に親教師をお願いして,僧名はdIpaMkarazrIjJAnaと名づけられたのである.”

『アティシャと金剛乗の行』(静 春樹2013)
省4
942
(1): 2020/06/20(土)10:55 ID:erL593T2(8/15) AAS
>>936
勘違いしてるようだけど日本において戒壇があったのは(菩薩戒であれ具足戒であれ)純大乗の寺院であって
パーラ朝ですら密教の根本道場が小乗寺院であったということとは比較にならない
943: 2020/06/20(土)10:59 ID:erL593T2(9/15) AAS
”ショペン教授は次のように言います。『私たちは小乗仏教僧院の宗教的、社会的重要性をはなはだ過小評価してきました。
主流が何であったかを完全に見失い部派仏教の僧院の宗教的、社会的な重要性を過小評価して「小乗の僧院」と呼び習わして来たのは皮肉なことです。
明らかになりつつあるのはこれら部派仏教の僧院は、相互に連動し合う宗教的、経済的。社会的な責務を通じて、
それらの地域社会によく呼応して、非常によく成功した組織として発展していたのです。

実際、彼らが成功していた状況下では、大乗が提供しようと考えていたものに在俗の人々はなんの必要性も感じなかったのでしょう』
民衆の集合的無意識に根ざしている宗教活動に応えていたのはあくまでも「小乗の僧院」だったのです。”

外部リンク:web.archive.org
951
(1): 2020/06/20(土)11:08 ID:erL593T2(10/15) AAS
>>944
>出家戒という入り口は部派に限定されていたという事ですよ。

??
その小乗戒を授けていたのはチベットであれ日本であれ純大乗の寺院だったんだけど?
ショペンの指摘を考慮するならば民衆が欲するものは小乗がすでに提供していたのであって、
もしも本当に大乗が隆盛していたのであればインド周縁部のように純大乗の寺院で小乗戒が受けられたはずだけど
953
(1): 2020/06/20(土)11:12 ID:erL593T2(11/15) AAS
>>952
生活の基盤を小乗寺院に依存しながら?
955: 2020/06/20(土)11:14 ID:erL593T2(12/15) AAS
>>954
インド周縁部でできたことがどうしてインドではできなかったのか
民衆は純大乗の寺院を支援しなかったからじゃないの?
962
(1): 2020/06/20(土)11:28 ID:erL593T2(13/15) AAS
>>959
>大乗という思想が展開する一方で、出家戒は従来の小乗のそれが用いられて来ました。

「大乗が隆盛した」パーラ朝において純大乗寺院があったとしたらどうしてアティーシャは小乗寺院で受戒しなければいけなかったの?
968
(1): 2020/06/20(土)12:39 ID:erL593T2(14/15) AAS
>>963
どうして純大乗寺院で受戒できないの?
973
(1): 2020/06/20(土)13:36 ID:erL593T2(15/15) AAS
>>969
これで答えが出たね
純大乗寺院で出家できるのにしなかった理由
それは純粋な大乗専門の寺院が存在しなかったから
だからアティーシャは大衆部系の寺院で出家しないといけなかった

大乗者は小乗僧院に依存していたということ
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