源義経=チンギス・ハン説を議論しよう (583レス)
前次1-
抽出解除 レス栞

1
(3): 2007/02/12(月)17:31 AAS
高木アキミツの成吉思汗の秘密を読んだのだが、義経がチンギスになった可能性はあったのだろうか?
俺は衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。
297
(3): 2014/04/11(金)00:03 AAS
歴史的速報@2ch 義経がチンギス・ハンになれる可能性はいかに?
外部リンク[html]:blog.livedoor.jp
310
(3): 2014/04/28(月)04:03 AAS
以下、高木彬光『成吉思汗の秘密』から清国総録の部分
小説が手元に無いから正確そうな引用をネットで探してみた

イギリス公使デビス著の『清国総録』という本に、「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
・・・彼らは(以下略)、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝(愛新覺羅)を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」という文面が見受けられた
外部リンク:d.hatena.ne.jp
イギリス公使デビスの「清国総録」の中に「成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と婚して諸公子を産んだ。
彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。清帝は成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである」の文章がある
外部リンク[cgi]:kilkhor.cc.iwate-u.ac.jp
314
(3): 2014/04/29(火)02:11 AAS
>>310-311続き
昭和に書かれた高木『成吉思汗』から更に遡ると
大正期の小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義経也』
これは>>305のサイト内で検索できた

清朝時代の駐清英国公使デビス著清國総録に記して曰く、成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は明朝の為に放逐されて満洲の故地及び蒙古に逃れ、酋長の女と結婚して諸公子を生んだ。
彼等は朔北に割拠して勢威を振ひ、後に大拳して明朝を亡ぽし、國を清と號した。清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の裔なりとするのは、けだし是れが為である云々と。
苛くも時の駐清大英国公使たる責任の地位にある人が、清朝時代に清帝を成吉思汗の裔なりとその著書に発表するには確乎たる論證に拠ったものであろう。斯のように清朝は成吉思汗の裔苗であること外書に明記している
外部リンク[htm]:www13.ocn.ne.jp
318
(4): 2014/05/01(木)03:58 AAS
義経再興記の中の該当箇所やっと見つけた、ふう
原著の百六頁にあった

支那二駐在シタル英國(国)全權(権)公使「フランシスダビス」氏著支那帝國總(総)録中二曰ク
成吉思汗ノ孫、忽必烈ノ子孫、明朝ノ爲(為)メ二放逐セラレ東韃靼中二隱(隠)レ土人ト婚シ乃チ滿(満)洲諸公子ヲ生メリ
是レ天命ヲ受テ明朝ヲ亡ボセシ人ナリ?C(清)帝ヲ忽必烈ノ裔ナリトハ乃チ之ガ爲(為)メナリ云々
若シ此記事果シテ事實(実)ナラバ成吉思汗ハ?C(清)朝ノ遠○(祖)タラザルベカラズ
325
(3): 2014/05/03(土)10:46 AAS
>清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。

ヌルハチがホントにジンギスカンの子孫なら
最初の国号が「金」なんてことはないだろうに。
ホンタイジがモンゴル帝国(北元)併合して皇位に就いたのが、
300年経つと曲解されて、そんなことなったんだな。
341
(4): 2014/05/17(土)22:04 AAS
名著とされるドーソンの『モンゴル人の歴史』は、殺戮と破壊についてはかなり誇張して記述されたことが、今日では知られている。
名著であるが故にその後多くの論文や小説等に引用された。
同様なことは他の著者によっても行われ、結果として成吉思汗は殺人鬼にされた。
そして、その固定化されたイメージが我々に伝えられた。
外部リンク[htm]:www011.upp.so-net.ne.jp
344
(3): 2014/05/20(火)02:11 AAS
そうそう、金といえば
金史別本は出版されたことは無い、何度も繰り返すけど

昨日ちょっと気になって宝島文庫「陰謀大全」を立ち読み確認したけど
長山靖生の小谷部批判の項、やっぱり金史別本が出版され云々と書いてあった
長山は影響力あるから金史別本出版という間違いは当分続くんだろうね

初出の別冊宝島「陰謀がいっぱい」は画像が幾つか載ってたと思うけど
文庫版の大全の方は載ってなかったな
370
(3): 2014/05/27(火)23:58 AAS
>>364
>ど田舎の東北地方には大陸に渡る航路とかもまだ開発されてない

まずウィキペディアくらいは読んで勉強しようか
マルコポーロの言う黄金の都ジパングは
中世の奥州平泉だという説は結構有名だよ

義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
5 中世の藤原氏北方貿易
外部リンク[93]:ja.wikipedia.org
449
(3): 2017/05/30(火)05:32 AAS
「義経=成吉思汗」本・基本必読書一覧

1.高木彬光『成吉思汗の秘密』1958、光文社
(1960〜、カッパノベルス/角川文庫/ハルキ文庫/光文社文庫)
2.佐々木勝三/三大町北造/横田正二『成吉思汗は源義経 義経は生きていた』1977、勁文社
(『義経伝説の謎 成吉思汗は源義経か』1986、勁文社)
(『義経伝説の謎 成吉思汗は源義経か』1991、ケイブンシャブックス)
(『源義経と成吉思汗の謎 衣川偽戦!義経は生きて北へ』2000、勁文社)
3.『歴史への招待 9』1980/復刻版1994、日本放送出版協会 ー「義経は生きていた?」
(『NHK歴史への招待 第5巻 無敵義経軍団』1990、新コンパクトシリーズ/日本放送出版協会)
4.NHK歴史発見取材班『NHK歴史発見 5』1993、角川書店 ー「義経渡海伝説、ここに始まる」
省3
457
(4): 2017/06/01(木)06:31 AAS
義経=成吉思汗説のwikiは何かアレな感じの人が居座ってるみたいだし、編集合戦とかドン引きなことやる気無いから、1(改訂)ではなく2(増補)の方向で考えてたけど、もし俺が一から作り直すとどうなる?と遊びで冒頭だけ作ってみた
意外とよく出来たかな?とも思うし、他に発表する場も無いからここで披露してみる

義経=成吉思汗説(義経=チンギス・ハーン説)
[概説]
義経=成吉思汗(ジンギスカン)説または義経=チンギス・ハーン説とは、日本中世の武将・源義経(1159-1189?)と、モンゴル帝国の創始者チンギス・カン(1162?-1227)を同一人物とみなす歴史上の異説(奇説・珍説)。
主に江戸期を通じ成立した義経生存伝説(北行伝説及び入夷伝説/蝦夷渡海伝説、いわゆる「義経伝説」の一種)の変型・発展型として幕末頃に登場し、
明治から昭和期を通じて広く国内で認知され、現在も一部で根強く主張され続けている一方、モンゴル始め諸外国では基本的に認知されていない。
国内でもアカデミズム(正統史学)の立場からは一貫して否定されてきたが、話のスケールの大きさから一種の大衆向けロマンとして受け入れられやすい傾向があり、
第ニ次大戦での日本敗戦後に大陸(満蒙)への関心が薄れる中で、一人二役トリック・暗号ミステリ的な興味に特化した形でも定着した。
省3
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 1.618s*