[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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59: 2017/11/18(土)09:13 ID:0DNzmhkPp(1/8) AAS
法光定? 光之瑜伽
動画リンク[YouTube]
60: 2017/11/18(土)09:39 ID:0DNzmhkPp(2/8) AAS
日光三昧というのは法光定とよばれ、ある特殊な禅定に入った状態でチャクラからエネルギーを一挙に放つものです。
(無著菩薩位登初地。證法光定。得大神通。事大慈尊。請説此論『瑜伽師地論釋』)
そのチャクラのエネルギーが第三者に光となって感ずるもので、初期経典にもブッダが同じような現象を顕した、あるいは空海様が清涼殿での八宗論議の際、大日如来に変身し
全身金色の大光明を放ち、帝(嵯峨天皇)を含めその場にいたもの皆平伏した等、仏典・論書にて伝えられていることであります。

たとえば、初期経典においてブッダが次のような神通を示したとあります。
「世尊隨其所應。而示現入禪定正受。陵虚至東方。作四威儀。行住坐臥。入火三昧。出種種火光。青黄赤白紅頗梨色水火倶現。
或身下出火。身上出水。身上出火。身下出水。周圓四方。亦復如是。爾時世尊。作種種神變已。於衆中坐。是名神足示現〜『雑阿含経』」
要するに、釈尊が火界定という三昧に入ってチャクラからエネルギーを発し、七光の色を放ち、上半身は火炎のように下半身は水のようになり、あるいは逆になったということです。
これはチャクラから放たれるエネルギーが凄まじく、全身が炎に包まれたように見えたということです。
水のように見えたというのは、しばしば身体が透明状になる場合があり、それが水として表現されたということです。
61: 2017/11/18(土)09:56 ID:0DNzmhkPp(3/8) AAS
釈尊は、バーラーナシーのイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)で5人の苦行者を教化されたあと、ガヤー(ブッダガヤ)へ、ひとりで戻られます。…
そこで釈尊は神通力によって3500の奇跡を現し、火の行者であったカッサパ3兄弟を帰依させられたと伝わっています。

外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
62: 2017/11/18(土)10:19 ID:0DNzmhkPp(4/8) AAS
後の仏教では、慈無量心を起こして慈心三昧にあれば、このようなことが可能だと言います。慈無量心というのは、あらゆる生き物への慈しみの心を言います。
その心を常に持ち続け、全身が慈しみで満たされるようになった状態が、慈心三昧です。そうなると、動物や虫など全ての生き物から愛されるようになると言います。

仏弟子群像(1)
外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
仏弟子群像(2)
外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
仏弟子群像(6)釈尊の実子ラーフラ(上)
外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
63: 2017/11/18(土)10:46 ID:0DNzmhkPp(5/8) AAS
・智慧の行を完成し三明通を体得すると大法光を放つ(長阿含経・種徳経)
・四聖諦によって眼が生じ智が生じ慧が生じ明が生じ光明が生じた
・八勝処といわれるブッダが示した心理的段階の上位を、青・黄・赤・白と4色で表現しているが、
これはその人の心理的状態によって身心から放たれるエネルギーの色・波長を表している。
・ブッダが火界定に入って瞑想している時、麓から見ると山全体が燃え上がっているように見えた、他

日本では心の「悟り」ばかり強調されるので忘れ去られがちなのですが、心は身体と密接に関係があります。
身体の制御把握なくして心の制御把握はありません。
ですから、本来の(往時の)インド仏教において、クンダリニーヨーガは修行者にとって必修だったのです。
64: 2017/11/18(土)10:58 ID:0DNzmhkPp(6/8) AAS
しかし、ブッダはクンダリニーを上昇させず、そのエネルギーだけを前面のプラーナルートにのせ、さらに頭の中のルートを開発した、とされています。
つまり、釈尊はアートマン思想を否定する新思想だけでなく、クンダリニーヨーガでも革新的な技法を開発したと言われる所以です。

なぜそれが判るかというと、後期大乗に至り、修定比丘らによって、中観・唯識理論とともに行法という形でクンダリニーヨーガが秘密仏教(密教)として組み込まれたため、その痕跡が理解されるからです。

日光三昧とは唯識理論に基づいたクンダリニーヨーガを修し、全身のチャクラから凄まじいエネルギーを発して、人々の煩悩を断ずるために修されたものだった、ということ
65: 2017/11/18(土)19:28 ID:0DNzmhkPp(7/8) AAS
付法の八祖
真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。
大日如来(だいにちにょらい)
金剛薩?(こんごうさった)
龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
不空三蔵(ふくうさんぞう)
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
弘法大師
省5
66: 2017/11/18(土)19:32 ID:0DNzmhkPp(8/8) AAS
大正時代の河口慧海や寺本婉雅は、『八十四成就者伝』の龍樹伝が特異である
ことから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。
この説では、本来の龍樹を「古龍樹 (N?g?rjuna I)」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 (N?g?rjuna II)」と呼び分ける。
河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。
一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である
外部リンク:ja.wikipedia.org

北伝仏教の系譜を汲む日本の仏教は、チベット仏教と直接の繋がりは無いものの、同じく大乗仏教であり、特に中国などでは廃絶した密教を保持するという点で共通する。
また、中国での受容を介さないインド直伝の大乗仏教であり、前述の通りサンスクリット原典に近いチベット大蔵経は、仏教学の上で貴重な資料となる。
このことが明治時代には能海寛ら仏教学者に注目され、日本人初のチベット探検者河口慧海に続いて、1900年代から大正時代にかけて多田等観、青木文教、
寺本婉雅ら日本の僧侶、仏教学者がチベットへ赴き、チベット仏教を研究した。
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