[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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663: 2020/07/04(土)05:09 ID:FXfYnslLn(2/9) AAS
道元『普勧坐禅儀』
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており、我々が修行したり、悟り証したりすることもないはずである
。真理や教えも自在に手に入れることができるので、何も修行をこらしたりする必要もないはずである。
まして物事の本然の姿は全て塵や汚れから離れたものであり、誰が塵を払う手立てなど信じるだろうか。
遠くまで修行に出かけずとも、その身そのままでよいはずである。
しかしながらほんの僅かでも方向性を誤れば天と地ほども悟りから隔たってしまうのであり、僅かでも分別心が生ずれば
たちまちに本心を失ってしまうものである。
たとえ、自らの仏法の理解を誇ったり、悟りを多く重ねたと自負し、僅かな智慧と通力をもって仏道を得た、心を明らめたといって
有頂天になって騒いでみても、それはほとんど自らの解脱の道をふさいでしまっているのに等しいのだ。
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空海も考えてみれば人は如来蔵を有しまた本来は仏(大日如来)であり
三密加持(合一)によって即疾に成仏する
>合一する仏(悟り)の呼び名が、空海は大日如来であり、道元は諸仏や証や悟であり、一遍(や親鸞)は阿弥陀仏
ある意味では梵我一如、浄土門はそれにバクティも加わります
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