[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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28: 2017/11/15(水)11:45 ID:xTt7t/Psg(28/33) AAS
『涅槃経』の一部には

 大慈大悲を名づけて仏性となす。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言えるなり。
 大慈大悲は名づけて仏性となす。仏性は名づけて如来となす。

 大喜大捨を名づけて仏性となす。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言えるなり。
 大喜大捨は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。

 仏性は大信心と名づく。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。
 大信心は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。

 仏性は一子地と名づく。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。
 一子地は即ち是れ仏性なり。 仏性は即ち是れ如来なり。
省3
29: 2017/11/15(水)12:04 ID:xTt7t/Psg(29/33) AAS
至心廻向
懺悔随喜勧請福 さんがいずいきげんせいふく
願我不失菩提心 げんがふしほていしん
諸仏菩薩妙衆中 しょふほさびょうしゅうちゅう
常為善友不厭捨 しょういせんにゅうふえんしゃ
離於八難生無難 りよはつなんせいぶなん
宿命住智荘厳身 しゅくべいちゅうちそうげんしん
遠離愚迷具悲智 えんりくべいぐひち
悉能満足波羅蜜 しつのうまんぞくはらび
富楽豊饒生勝族 ふらくほうじょうせいししょ
省8
30: 2017/11/15(水)12:25 ID:xTt7t/Psg(30/33) AAS
(廻向総説)
懺悔随喜勧請福  懺悔し随喜し勧請したてまつる福をもって
願我不失菩提心  願わくはわれ菩提を失わず

まず、この偈文は金剛界礼讃という金剛界曼荼羅を拝む礼讃文の中の五悔(ごかい)の最後の文にあたる。
だから冒頭の懺悔と随喜と勧請というのはその前の三つの偈文を意味している。
懺悔(さんげ)とは、罪を悔いて告白することではあるが単に今生のことだけではなく、無始よりずっと
私たちは三界六道という迷いの世界で何回も輪廻して来たる間に様々な身と口と心に作ってきた無量無数の罪過がある
のだということにまで思いを馳せ、そのすべてを、仏菩薩がさとりを求めてなされたように、自分も今こうして懺悔いたしますということを意味している。

次に随喜(ずいき)とは、心からありがたく思うことではあるが、何にありがたく思うかということが大切なことで、
仏道に精進する者にとって、すべての衆生、さとりに向かって精進努力する人々、それに
省5
31: 2017/11/15(水)12:26 ID:xTt7t/Psg(31/33) AAS
(常随仏学)
諸仏菩薩妙衆中  諸仏と菩薩との妙衆中にあって
常為善友不厭捨  常に善友のために厭捨せられず
離於八難生無難  八難を離れて無難に生じ
宿命住智荘厳身  宿命住智あって身を荘厳し

先に述べた菩提心には、自らさとりを求める上求菩提(じょうぐぼだい)と他の衆生を教え導く下化衆生(げけしゅじょう)の二つの意味合いがあると言われる。
上求菩提がここ常随仏学での四句の内容となっている。この上下の分け方については古来このように説かれるのであって、
かつて高野山にいた頃ある先生から、これは内外と分けられたものと考えたらよろしいと教えられた。自らの内にさとりを求め、外にはその教えを説き導くべしと解釈すべきであろう。

諸仏と菩薩との妙なる聖衆の中にあって、さとりへの導き手となる善なる修行者たちによって修行に邁進して厭い捨てられることなく、
心からさとりを求める。そのさとりを求めるために、仏を見ず説法を聞くことのできない境遇、例えば地獄や餓鬼、蓄生、視力や聴力がないなど
省1
32: 2017/11/15(水)12:27 ID:xTt7t/Psg(32/33) AAS
(恒順衆生)
遠離愚迷具悲智  愚迷を遠離して悲智を具し
悉能満足波羅蜜  悉くよく波羅蜜を満足し
富楽豊饒生勝族  富樂豊饒にして勝族に生じ
眷属広多恒熾盛  眷属広多にして恒に熾盛ならん

菩提心のもう一つの願いである下化衆生、つまり他者を教え導くという内容に触れた部分がこの恒順衆生である。常に衆生にしたがって、教化しようとすることであるが、そのためには
自己の修養を積み愚迷を廃して大悲の智慧を具足していなくてはならない。そして、布施(恵み施し分かち合う)・持戒(規律ある生活)
・忍辱(苦難に耐え忍ぶ)・精進(善きことに努力する)・禅定(心の落ち着き)・智慧(世間の知識を越えた智慧)
・方便(人々を救い導く手立て)
・願(人々を救う誓願)・力(修行を実践継続する力)・智(あるがままに知る智)の十波羅蜜行を悉くよく修し、その徳ゆたかに富み栄えて善きところに生まれ、
省12
33: 2017/11/15(水)12:29 ID:xTt7t/Psg(33/33) AAS
(礼仏帰敬)
帰命頂礼大悲  大悲毘盧遮那仏を帰命し、頂礼したてまつる
毘慮遮那仏

最後に、正しく廻向の文を誦持するにあたり、帰依する諸仏の総体である大日如来に帰命頂礼して、願わくばそのご加護をたれたまえと祈り願うのである。

…ごく簡単にこの豊富な内容を一口に述べるならば以下のようになるであろうか。

「自らを省みて、仏の存在に喜びを感じ、そこに至りたいという心を起こしたならば、常に仏に従って一心にさとりを得んがために学び行じ、
そして一切の生きとし生けるものたちと共にそのよくあらんがために精進努力し、それらすべての修行と善行によって様々な段階、過程を経て得た、
あらん限りの功徳を一切衆生に廻向します。そしてここに改めて、すべての仏を生み出す大日如来に帰依礼拝いたします。」

外部リンク:blog.goo.ne.jp
34: 2017/11/16(木)01:59 ID:G0Fm+OyW0(1/4) AAS
ブッダの真理の言葉 第1章〜第26章 通読
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ブッダの言葉・スッタニパータ 第一 蛇の章 1〜12 通読 1時間15分
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ブッダの言葉・スッタニパータ 第二 小なる章 1〜14 通読 1時間3分
動画リンク[YouTube]

ブッダの言葉・スッタニパータ 第三 大なる章
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ブッダの言葉・スッタニパータ 第四 八つの詩句の章 1〜16 通読
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省10
35: 2017/11/16(木)02:01 ID:G0Fm+OyW0(2/4) AAS
1日目 午前 ー『入菩薩行論』
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1日目 午後 ー『入菩薩行論』
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2日目 午前 ー『入菩薩行論』
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2日目 午後 ー『入菩薩行論』
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3日目 午前 ー『入菩薩行論』
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省6
36: 2017/11/16(木)02:13 ID:G0Fm+OyW0(3/4) AAS
ティク・ナット・ハン〜『涅槃(ニルヴァーナ)、自由への道』
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中曲理趣経 初段_十七段
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西室院 「理趣経」 中曲
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般若理趣経 百字偈
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真言聲明高野山悠久の風景
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省3
37: 2017/11/16(木)02:41 ID:G0Fm+OyW0(4/4) AAS
『華厳経』
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延命十句観音経
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大悲心陀羅尼 Daihishindarani
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消災呪
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観音経、般若心経など
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省12
38: 2017/11/17(金)01:31 ID:RHodYhizL(1/21) AAS
波羅蜜(はらみつ)、あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた、はらみった) (パーリ語:パーラミー、サンスクリット語: パーラミター)とは、
パーリ語やサンスクリット語で「完全であること」、「最高であること」、を意味する語で、
仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸(とうひがん)、度(ど)等とも訳す。
『般若経』では般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、あるいは『華厳経』などではこれに4種を加え10種(十波羅蜜)を数える。
『摩訶般若波羅蜜経』は九十一波羅蜜を列挙[1]するが、全体としての徳目は六波羅蜜である。

六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ、梵:?atp?ramit?)とは、ブッダになりうる資質を獲得するために実践する六つの項目のこと。「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれる。
布施波羅蜜 - 檀那(だんな、D?na ダーナ)は、分け与えること。d?naという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、??la シーラ)は、戒律を守ること。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
忍辱波羅蜜 - ?提(せんだい、K??nti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、V?rya ヴィーリヤ)は、努力すること。
省2
39: 2017/11/17(金)01:33 ID:RHodYhizL(2/21) AAS
十波羅蜜(じっぱらみつ)は、六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜(六波羅蜜の般若波羅蜜より派生した4つの波羅蜜)を加えたもの。
唯識論ではこの十波羅蜜を立てて十勝行と称す。華厳教学などでは、菩薩の五十二位の中
の十行のことともいわれる。また菩薩は十地において正しくこの十波羅蜜を順次に習得するという。[要出典]
方便波羅蜜 - 烏波野(Up?ya ウパーヤ、うはや、日本語訳:方便)は、巧みな手段で衆生を教導し、益すること。
六波羅蜜の行によって集めたる善根を有情に廻向せしめて彼と共に無上菩提を求むる廻向方便善巧、一切有情を済度する抜済方便善巧の2種類を修行する。
願波羅蜜 - 波羅尼陀那(Pra?id?na プラニダーナ、はらにだな、日本語訳:願)は、(彼岸すなわち仏の理想世界に到達せんと立願すること。
今日ではこれらすべての修行を完成せんと願う希望をいう。求菩提願・利他楽願の2つを修行する。
力波羅蜜 - 波羅(Bala バラ、はら、日本語訳:力)は、二義あり、一義に一切の異論及び諸魔衆の壊すことなきをいい、また一義に十力の行のうち、思擇力・修習力の2つを修行する。
智波羅蜜 - 智(Jñ?na ジュニャーナ、日本語訳:智)は、万法の実相を如実に了知する智慧は生死の此岸を渡りて、涅槃の彼岸に到る船筏の如く、受用法楽智・成熟有情智の2つを修行する。
40: 2017/11/17(金)01:37 ID:RHodYhizL(3/21) AAS
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさふもんぼんだいにじゅうご)(観音経 全文)
外部リンク[html]:shingon-kyo.sblo.jp

『遺教経』
外部リンク[htm]:www.horakuji.hello-net.info

釈迦牟尼仏[しゃかむにぶつ]は、ブッダとして初めてなされた説法の際にアーンニャータ・コーンダーンニャを悟
りへと導き、その人生の最後にスバッダラを得度された。(釈尊はその生涯において、)教えを説く
べき者、仏道に導き引き入れるべき者は皆全て度し尽くして、サーラ樹の間において、今まさに涅槃に入ろうとされていた。
この時、時間は中夜であり、あたりはひっそりとして音もなかった。そこで(釈尊は入滅される前の最後に)、弟子達のために要略して教えの要をお説きになったのである。
「比丘達よ、私が入滅した後には波羅提木叉[はらだいもくしゃ]を尊いものとして大切にし、
最大の敬意を払わなければならない。
41: 2017/11/17(金)01:50 ID:RHodYhizL(4/21) AAS
大般涅槃経)

第二十四章
アーナンダは、悲しみながら、比丘を集めた。
比丘が集まると、仏陀は、彼らに、こう説いた。

「比丘達よ、七科三十七道品を修めなさい。
すなわち、その三十七とは、四念処、四正断、
五根五力、七覚支、八正道、四如意足、である。」

「比丘達よ、この三十七道品を修めるならば、
多くの神々と人々に、多くの利益があるだろう。」

三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)とは,大般涅槃経、中阿含経などに
省9
42: 2017/11/17(金)01:52 ID:RHodYhizL(5/21) AAS
四念処(しねんじょ、巴: catt?ro satipa??h?n?, チャッターロー・サティ
パッターナー)とは、仏教における悟りのための4種の観想法の総称。四念
処観(しねんじょかん)、四念住(しねんじゅう)[注釈 1]とも言う。三
十七道品の中の1つ。

・四念処
釈迦の初期仏教の時代から、悟りに至るための最も中心的かつ最重要な観想法
であり、仏教の主な瞑想である止観の内、観(ヴィパッサナー)の中核を成す観想法である
四念処の内容は以下の通り[1]。
身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
省2
43: 2017/11/17(金)01:53 ID:RHodYhizL(6/21) AAS
四正勤(ししょうごん、巴: catt?ro sammappadh?n?, チャッターロ・サ
ンマッパダーナー)とは、仏教における修行内容の1つ。「三十七道品」の中
の第2の行法で、4種の正しい努力のこと[1][2]。「四精勤」(ししょうごん)
[3]、「四正断」(ししょうだん)[4][1]、「四意断」(しいだん)[1]とも訳される。

四正勤の内容は以下の通り[1][2][3]。
断断 - 既に生じた悪を除くように勤める
律儀断 - まだ生じない悪を起こさないように勤める
随護断 - まだ生じない善を起こすように勤める
修断 - 既に生じた善を大きくするように勤める

四神足(四如意足)
省7
44: 2017/11/17(金)01:54 ID:RHodYhizL(7/21) AAS
五根 (三十七道品)
悟り・解脱を得るための5種の能力・機根。
五根は、信根、精進根、念根、定根、慧根である[3]。
修行の根本となる5つであり、根の字は能力を指す[1]。念以外は、
その力が強すぎても、修行の妨げとなるため、それぞれの力が均衡にはた
らくことを瞑想修行を通して目指していく[1]。念は強ければ強いほどい
い[1]。 信仰と智慧、努力と禅定などは対であり、その力の発達には
均衡が必要である[2]。これらが、一個人の中で主導的な力となった場合、五力(ごりき)と呼ばれる

外部リンク:ja.wikipedia.org

五力
省8
45: 2017/11/17(金)01:55 ID:RHodYhizL(8/21) AAS
七覚支
(しちかくし、巴: satta bojjha?g?, サッタ・ボッジャンガー)とは、
仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。
念覚支(sati-sambojjha?ga) - 気づき。心で今の瞬間の現象を自覚すること
択法ちゃくほう覚支(dhamma-vicaya--sambojjha?ga) - 法の中から真実のものを選ぶ
精進覚支(viriya-sambojjha?ga) - 努力
喜覚支(p?ti-sambojjha?ga) - 喜びに住する
軽安きょうあん覚支(passaddhi-sambojjha?ga) - 心身に軽やかさ・快適さを感じる
定覚支(sam?dhi-sambojjha?ga) - 心が集中して乱れない
捨覚支(upekkh?-sambojjha?ga) - 対象に囚われない
46: 2017/11/17(金)01:56 ID:RHodYhizL(9/21) AAS
八正道(はっしょうどう、巴: ariya-a??ha?gika-magga,
梵: ?rya-a????gika-m?rga)は、釈迦が最初の説法において説いたとさ
れる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。

正見(しょうけん, 巴: samm??di??hi, 梵: samyag-d???i)とは、
仏道修行によって得られる仏の智慧であり、様々な正見があるが、根本
となるのは四諦の真理などを正しく知ることである。
業自性正見(ごうじしょう-)[6](巴: kammassakat? samm??di??hi)[7] - 業を自己とする正見。
十事正見
四諦正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。
省10
47: 2017/11/17(金)01:58 ID:RHodYhizL(10/21) AAS
正思惟(しょうしゆい, 巴: samm?-sa?kappa, 梵: samyak-sa?kalpa)とは、
正しく考え判断することであり、
出離(離欲)を思惟し
無瞋を思惟し、
無害を思惟することである。
このうち「出離(離欲)」とはパーリの原文では「nekkhamma」で、
世俗的なものから離れることを意味する。財産、名誉、など俗世間で重要
視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗
世間において渇望するものの否定である。これら3つを思惟することが正思惟である。

正語(しょうご, 巴: samm?-v?c?, 梵: samyag-v?c)とは、
省2
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