[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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30: 2017/11/15(水)12:25 ID:xTt7t/Psg(30/33) AAS
(廻向総説)
懺悔随喜勧請福  懺悔し随喜し勧請したてまつる福をもって
願我不失菩提心  願わくはわれ菩提を失わず

まず、この偈文は金剛界礼讃という金剛界曼荼羅を拝む礼讃文の中の五悔(ごかい)の最後の文にあたる。
だから冒頭の懺悔と随喜と勧請というのはその前の三つの偈文を意味している。
懺悔(さんげ)とは、罪を悔いて告白することではあるが単に今生のことだけではなく、無始よりずっと
私たちは三界六道という迷いの世界で何回も輪廻して来たる間に様々な身と口と心に作ってきた無量無数の罪過がある
のだということにまで思いを馳せ、そのすべてを、仏菩薩がさとりを求めてなされたように、自分も今こうして懺悔いたしますということを意味している。

次に随喜(ずいき)とは、心からありがたく思うことではあるが、何にありがたく思うかということが大切なことで、
仏道に精進する者にとって、すべての衆生、さとりに向かって精進努力する人々、それに
すべての仏菩薩が行った良き功徳、他者に対してなされた善行、救済の善根功徳を心から喜び、自らもそうあらんと願うこと。

そして勧請(かんじょう)とは、神仏の来臨を願うことをいうが、ここでは十方のあらゆる世間の迷暗を照らす灯りであり、
一切衆生の生と死と中有にわたる迷界をも照破する諸仏をお招きいたします、どうか、一切衆生のために無上の妙法をお説き下さいと願うこと。
これら懺悔・随喜・勧請という三つの功徳の福、つまり福業による功徳を、さとりと衆生と一切に廻向す。願わくばこの功徳力によって、
われ菩提心、つまりさとりを求める心を失うことのないことをと申し述べるのがはじめの二句、廻向総説である。
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