[過去ログ] 天理教社会学研究所 カインを 糾す。 (442レス)
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238: 天理教H 2019/02/03(日)23:13 ID:eKigWemnH(1/4) AAS
>>236
月日のやしろ
「やしろ」は社で、一般的に神が鎮まりいます所を意味する。したがって、「月日のやしろ」とは、
何よりもまず、親神の所在を表現したものと言える。親神が直接この人間世界に顕現され、
人間救済の意志と、それを実現する道を啓示された事実は、「教祖を通して」、ないしは「教祖において」であった。
                                                   (改訂 天理教辞典)
この事によって、誠に、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知ることが出来る。
にんけんをはじめだしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや (8-37)
教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親です。

それが解らない人に以下のおふでさきがあるのです。
省2
239
(1): 天理教H 2019/02/03(日)23:18 ID:eKigWemnH(2/4) AAS
同じ質問を繰り返されてますが、その時の背景を述べておきます。
明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)のおさしづは、多少学問の素養などもあった頭の良い松村吉太郎先生に
対するおさしづです。だから、その信仰の道すがらを自分の理知によって判断しようとした事に対して
「何にも知らん女一人」「何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし」のお言葉があり、「元五十年前より始まった。」
その道が「この道は、智恵学問の道やない」と仰せになっているのです。
つまり、このお言葉で教祖は人間だと強調された訳ではないのです。

明治二十年十二月六日「女一人十三才の年より入り込み」のおさしづは、文化七年九月十五日、
振袖姿で駕籠に乗り、五荷の荷を持って、庄屋敷村の中山家の人となられた。時に、教祖十三歳であった。
この事を仰っているのです。

そして、イエス・キリストと中山みきが同じだと言われますが、
省11
240: 天理教H 2019/02/03(日)23:27 ID:eKigWemnH(3/4) AAS
>>237
>かんろだいを据えるのは石ですか。花崗岩の切石で造るのが本来の目的ですか?
>世界一列の心澄ませてから据えますか?
>天理の中でさえも澄んで無いのに、世界一列澄ますのは何時になることでしょう。

明治三十一年七月十四日 夜昨朝本席御身上御願い申し上げば、夜深に尋ね出よとの仰せに付願
「かんろうだいも、世界分からんから取り払われた。あれでもう仕舞やと言うた日もあった。
世界どんな事あっても、付け掛けた道は、付けずに置かん。かんろだいはいつの事と思う。
つとめ一条の台にも勤めて居るやろ。皆、話して居るやろ。なれど、何やら彼やら分からん。
どうでもこうでも、かんろだい積み建てる/\。」
親神様がかんろだいをどうでもこうでも積み建てると宣言してらっしゃるではないですか。
省14
241: 天理教H 2019/02/03(日)23:28 ID:eKigWemnH(4/4) AAS
>真柱と天啓者の一体です。

大工は飯降伊蔵本人を指す場合が多いが大工=天啓者でなく、大工は、心の普請、世界の普請をする者です。
十二下り目 三ッ みなせかいからだん/\と きたるだいくににほいかけ
と大工は一人だけでなく複数の人間を必要としています。
真柱様が一人だけ居ても普請は出来ない。そこで大工や棟梁や用木が必要となって来るわけです。
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