[過去ログ] 天理教社会学研究所 カインを 糾す。 (442レス)
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171: 神之打分場所M 2018/12/15(土)12:23 ID:v/hTbs/Cx(1) AAS
昭和六十年八月十日午前十時九分      おさしづ
さあ/\この道の理と言うは、何をほって置いても運ばにゃならん
こういう日の有る事も刻限話で聞かせても有る。
皆々何を楽しんでの道か。
神が人間姿で以ってなむ天理王を名乗り甘ろ台と言う位を身に受けこの世に現れて
来る事は その日有るのも説いて聞かせて その日の為に成る証拠も残して有る。
まさか知らぬなぞとは言われよまい。
ふでさき さしづ みかぐらうたと三つの証拠 この時の為となる物これ書いて残した道の為宝と成るのや教え置く。
その中に伏せ込んだるの天の理や。
知らぬなぞとは神は言わさん。
省7
172: 神之打分場所M 2018/12/16(日)06:36 ID:GeVxrbw8p(1/2) AAS
 前に続く
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
しっかり筆取って置け。どういう者引き出すやら分からん。
余儀無きいんねん、ほのかのいんねん、
分からん時から何でもと尽した、心の理、いんねん三ついんねんどう成る。先ず/\の道、真実二つ三つの理、余儀無くいんねんは放って置いても成るやろう。
放って置いても退くに退かれん。ほのかのいんねんは良う成ったら行こうか、
楽しみ成ったら行こうか。何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、
人ともいう、一人の理という。これをよう聞き分け。
古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
省1
173: 神之打分場所M 2018/12/16(日)12:27 ID:GeVxrbw8p(2/2) AAS
昭和五十三年四月八日      おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで
神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる
この理何程のものや分からせんで
神思惑の元の理、神が長い年限の間 伏せ込んだる種、天理の根である、深き理、みろくぼさつと言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う この深き魂の者 世に出す為には、もんかたなき処より
神が教祖 中山みきに天降り、だんだん道付けてひながた見せて一列のめどうにと、
しな型なるもすえしも何故にこのよな事をなしたるか、みな一列に分かり無くば知らそう。しっかりと神の言う事聞くが良い。
神が教祖中山みきに天降りたる時、世界一列助ける為に天降りたる事いうてある。
みな知っている。
省13
174: 神之打分場所M 2018/12/22(土)09:31 ID:vZNdJDifd(1/4) AAS
AA省
175: 神之打分場所M 2018/12/22(土)09:42 ID:vZNdJDifd(2/4) AAS
昭和五十三年四月三十日          おさしづ
さあ/\たいぎ/\心に思うなれどそうやないで。
尽くした理は神が見ている。何も心に止めるやない。
今までも神が言うたる事みな聞いている/\心に治めてくれ、人の為やないで、
みな我がの為や、心のつなぎやしかと分かるか。
人間は何時でも功能/\と思う。功能の理は神が与えるのやで、
この先なるというものは、心に止めるやないで、思うやないで、
心かなえば神が授ける。しっかりさとし置こう。
176: 神之打分場所M 2018/12/22(土)09:52 ID:vZNdJDifd(3/4) AAS
昭和五十三年五月三日         おさしづ
さあ/\何事も人の事いうのやないで。
我が心から磨いてゆけば良いで。
人が良い人やなあというてくれてこそ、我が身も光が出る程に、
日々をしっかり成人する事や。
神の願いやしかと磨いて人の為にとなるのやで、
神からしっかりたのみ置く。
177: 神之打分場所M 2018/12/22(土)14:28 ID:vZNdJDifd(4/4) AAS
AA省
178: 神之打分場所M 2018/12/23(日)12:56 ID:1qRUHvg+k(1/2) AAS
AA省
179: 神之打分場所M 2018/12/23(日)14:09 ID:1qRUHvg+k(2/2) AAS
前より続きます

神がこのよに説いて聞かせたなら、神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これ分からぬようでは みな一列がいずんでしまわなならん日がある。
その時になって今まで神の道というてつくした理、水の泡にと消える日があり。
神が言うのや嘘でない。なって来るから神がとき置く。
目に見えん神の言う事聞き分けよ。
まだ見えぬ先の先から説き置いて諭し置くぞや心せよ。
これ筆先の花 月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事諭し置いても分からぬというようならば、又神の元にと尋ね出よ。
しかと諭する嘘でないぞや。
省12
180: 18です 2019/01/02(水)03:34 ID:WY93Ofugv(1/5) AAS
久しぶりに投稿します。

>>113
>勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?
やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?

果たして教祖は御在世中、信者を増やしお道が盛んになる方法を取ったでしょうか。むしろ、大和神社事件、大和神社のふしと
足を引っ張る行為を高弟達にさせたでしょう。それは、広義には「ふしが栄える一つの理」といった理がある為であり、
狭義には信仰していく人々が見極め見極められる証拠とためしの過程があります。つまり、正味とかすを分ける。

それは、普請をするには道具がなければ造れないように神であっても道具がなければどうする事も出来ないので、その道具を選別する為です。
周りにどうしようもない人がいる環境こそ澄んだ心を以って神についてきて、我が事を思う事なくたすけ一条で口と心と行いが同じ人が誠の人になり、
それがたすけの実績に繋がり人が寄って来て盛んになる。その誠の人に出すお供えは誠になる。
省5
181
(1): 18です 2019/01/02(水)03:45 ID:WY93Ofugv(2/5) AAS
ここから人によって見解が分かれると思いますが、

私が思うに、教団は誠真実の人々が居れる規模の大きさが妥当であり、必然的に小さくなる。
そして、中で発生的な兄弟があっても身分の上下(123の序列)をつけるべきではない。
それから、八町四方神のやかたなのでぢばに寄り来る人々が多い状況が一番良い。しかし、すべての人が天理教信者になるのではなく、
来た者に対しては、ぢばから喜んで家に帰る人達がいればそれでいいのではないでしょうか。

それと天理教を信仰していれば幸せになるという勘違い、教祖はそんなことをさせないとか優しいとかメルヘンチックに捉えて信仰している方も
いらっしゃるが、刃を差し向けるのも神であり、教祖自身も現身を隠される前まで艱難辛苦の道だった。
教組が認めた本席もなる前苦労をして、なってからは刻限や本部の者の心違いで身上になり、苦労を一緒に通り抜けた妻を先に亡くし、
子供達も悶々と過ごした。秀司さんも教祖に神が天降る過程で足が悪くなり、教祖の言う通りにしないだけで亡くなり、
こかんさんも普通の人生を求めただけで亡くなった。そして、先人達は信仰しなければ命がない中で家族の不幸や貧しさ等の中を通った人が多い。
省5
182: 18です 2019/01/02(水)03:52 ID:WY93Ofugv(3/5) AAS
その上、何時まで信心したとても 陽気づくめであり、
教祖と本席の守り役で「末はたのもし、打ち分け場所」、針の芯、息のさづけ、肥のさづけ、
誠の人の増井りん曰く「この教えは楽しみ勇んで、陽気づくめで通る道でござります。」と言い、
その増井りんさんに教祖は「さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と仰り、

そして、教組が山中忠七さんに永代の物種を授け下されたように不自由しない(心配ない((案じない=陽気)))
一つに必要な物があるかどうかですが、それも「贅沢して居ては道付けられん」ように、
本席は物を大事にして始末した暮らしをしていましたが、ある時、すぐに帰るのに家の部屋の火(行灯)を消して出かけたので、
供の者が火を消さなくてもいいのにと言うと「私はこの世での徳を来生まで持ってゆきたいから、こうして火を消しておくのや」
と来生まで目した行いに徹していた。

そして、教団擁護や教団批判者、異端者、他が出るのもその人達がいるからであり、いなければその声もあがってこない。
省4
183: 18です 2019/01/02(水)22:34 ID:WY93Ofugv(4/5) AAS
ハンドルネームを天理教Hに変えます。

久しぶりに覗いてみたら、天理教の事ではなく神之内分場所になっていて、放っておいたらしつこいほど投稿し続けている。
〔天理教社会学研究所 カインを糾す〕でなく〔天理教を糾す〕の内容になっている。
そして、以下の投稿を教理を知り尽くした基本さんが覗く掲示板に投稿することを迷っていましたが、
しかし、去年皆の前で話をする夢を見て、何を話すか迷っていた所、三下り目の解釈が書いているメモを手に入れ、
話の順番を聞いている所で目が覚めた。起きてから3下り目を改めて見ると

三下り目
一ッ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや
 日の本の庄屋敷(正味のある屋敷、生屋敷)のつとめ場所は世の元や

そして、解釈を「みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎」で確認すると
省3
184: 天理教H 2019/01/02(水)22:38 ID:WY93Ofugv(5/5) AAS
人間甘露台を説く方に共通していることは、天理教の教会長や信者に、膨大なおさしづを主に論戦を挑んで、
教理が不勉強な人やおさしづに余り目を通してない人を論破して我の信者に取り込もうとすること。
だから、天理教の信者が集まる所でないといけないので、天理教や教団に対して批判をしている方が集まっている
天理教社会学研究所は絶好の布教場と思っていた。しかし、ブロックされたのでこちらに流れたということでしょう。

でも普通に考えれば、ここの掲示板は、カイン信奉者が多い天理教社会学研究所の読者は不愉快だと思うので僅かしか訪れない上に、
神之内分場所Mさんが難解なおさしづを並べているので、良くても斜め読みで読んでいる人はいないでしょう。
他に訪れる人は教理研究で基本さんから学びたい人、その様な人は三原典の基本を学んでいるので信じない。
後は偶々訪れたという人でしょう。でも全部合わせてもこの提示板の訪問総数は知れているのではないでしょうか。

他からの書き込みがほとんどないので人気のない掲示板です。ここでの教義・教理展開は無意味でしょう。
とんちんかんな投稿や感情的な投稿がないだけましですが。
省3
185: 天理教H 2019/01/03(木)00:08 ID:8udh8Z7a2(1/15) AAS
神之内分場所Mさんは、本席のおさしづと渡邉秀子氏の啓示から一、二、三の印は、天理教本部→政子甘露台→神之内分場所と言われますが、
自分が甘露台と言っている天啓者は調べた範囲の中で以下の人達がいました。

〇ほんみち    (大正2年)  大西愛治郎→大西泰彦
〇天理三輪講 (昭和6年)  勝ひさの
〇政子甘露台  (昭和9年)  渡邉よそ
〇天理神之打明場所 (昭和12年) 山田梅次郎
〇天理甘露台  (昭和17年) 上野のぶ子
〇神一条打明場所(神一条教) (昭和17年)  米谷クニ
〇おうかんみち (昭和21年) 江上寿胤
〇ほんぶしん  (昭和37年) 大西玉→武田宗真
省7
186: 天理教H 2019/01/03(木)00:12 ID:8udh8Z7a2(2/15) AAS
そして、渡邉秀子氏は、政子甘露台の渡邉よそ氏とは叔母 姪の関係らしいですが、
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司と天啓で出てますと言いますが、
おまささんは、教祖の前半のひながたを伝える貴重な存在意義はあり、嫌味を言って正味とかすを分ける「箕の役」でしたが、
酒ぐせが悪くて、その頃の人々から持て余し者で「ほこりの屋形」と言われていた人ですね。

秀司さんの生まれかわりは2代真柱です。2代真柱が生まれた時の本席の言動が証明しています。
それと誰々の生まれかわりで価値を見出そうとするおぞましさ、おふでさきの中に屋敷内の人に前生が道具、雛形であったとは述べてますが、
つとめ人衆は多くの用木の心を見てその中から親神様の思召しに叶う者を役割にすると述べてます。
教祖でさえ40年間、月日が心を見澄まされた上で天降ってます。そして、本席は前生が道具、雛形ではありませんでした。

つまり、それは前生のいんねんはあるが親神様は今生の心の在り方に重きを得ているのではないでしょうか。
天理教の教祖と関係なく人が助かっていく手段の一つ各宗教の教主が教える教義ならいいですが、
省2
187: 天理教H 2019/01/03(木)00:15 ID:8udh8Z7a2(3/15) AAS
>>44-45

元治元年のつとめ場所棟上と115歳定命をかけていますが、教祖は「この普請は、三十年の見込み。」と仰せになり、
史実では其れに関わった本席が元治元年から数えで30年後明治26年に竣工した本席御用場に移っています。
これの意味するところは、「つとめ」と「さづけ」に関する事。だから、つとめ場所棟上と115歳定命の事柄は関係ありません。
188: 天理教H 2019/01/03(木)00:18 ID:8udh8Z7a2(4/15) AAS
>>91
>教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひな
>がたとなられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
>それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。

教祖は「わしはひながたやで」と仰られたのも、自ら歩んで助かる道を示され「どんな道も親が通りた道である」と仰っています。
親が子供たちが道を通るのに迷わない様に先に道を通ったのです。それは、山の中で道をつける事と同じであり、
その道がなければ遭難します。教祖は人間の親です。その親が子に解りやすいように自ら通る事によって見せたのです。
それがひながたと言うのです。

「をや一つの道、どういう道を通りたなあ」M22.8.12
「どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。」M20.陰5
189
(1): 天理教H 2019/01/03(木)00:24 ID:8udh8Z7a2(5/15) AAS
教祖は神の社になってから親神様であり、我が子である人間をたすけたい、成人させたいとばかり思う教祖しか存在しません。

にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (14-35)

その教祖は今も”ぢば”に居て皆が知ろうか信じまいか関係なく日々働いているのです。
だから、教祖は弥勒菩薩のひながたではありません。教祖は多くの人々を救済する仏教で言ったら弥勒菩薩でもあります。

ひながた”かんろだい”も石造りにたいして木製であるからであり、もし人間が”かんろだい”であるなら、
ひながた”かんろだい”も人間の形をしていなければならないでしょう。教祖直々に”かんろだい”の寸法を指導され、
そして、「このよふハりいでせめたるせかいなり」とかんろだい寸法の理もあります。

かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ (10-79)
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
省10
190: 天理教H 2019/01/03(木)00:29 ID:8udh8Z7a2(6/15) AAS
>>91
>昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
>五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
>大きさで金文字がゆっくりと
>「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
>コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました

教祖に月日が天降った時は、我が嬉しいとか日の当たるとか今幸せになるとか教祖の思いは、何一つ出てこないし、
月日も教祖自身に了承を取ったわけではないのです。そして、教祖の心には我を思う心なく子をたすけたい心しかありません。
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