鬼和尚に聞いてみるスレ part10 (1007レス)
鬼和尚に聞いてみるスレ part10 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/
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3: 蓮恵 [] 鬼和尚さま 仏教においては、以下の仏陀の九徳を念ずる瞑想があるようです 1阿羅漢 2正自覚者 3明行具足者 4善逝 5世間解 6無上の調御丈夫 7天人師 8覚者 9世尊 鬼和尚さまならこれらの仏の九徳を どう理解して、念じますでしょうか http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/3
98: 蓮恵 [] >>94 ありがとうございます。 恐れを超えるために教えてください。 1.一般論でいうと我々が死んだ時に心が滅ぶと考えられますが、 実のところ、刹那の内に心が滅する体験を、我々は気づくことなく何度も繰り返しているのではないでしょうか。 2.1が正しいなら我々が無意識に常に繰り返している心の滅を、我々は最も恐れているという滑稽な構図になるのではないでしょうか。 3.また、心が刹那に生じて滅する体験は肉体に依存せず、心は肉体がなくとも生滅するのでしょうか。 4.また、自我がなくとも、心は生滅しますでしょうか。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/98
370: 蓮恵 [] 鬼和尚さま明けましておめでとうございます。 以下のバーヒヤ経はようは縁起空を説明しているのでしょうか 「それならば、バーヒヤよ、この世において、次のようなことが学ばれねばならない。見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。 実に、バーヒヤよ。おまえはこのように学ばなければならない。見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。 バーヒヤよ、それ故に、おまえはそこにいない、なぜなら、バーヒヤよ、おまえは、まさにここにいないのだから。 それだから、バーヒヤよ、おまえは、この世にも、他の世にも、両者の中間にもいないのだから、これこそ、苦の終わりである」 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/370
510: 蓮恵 [] 鬼和尚さま 日常で物を見たときに、意識的に空観をしなくとも見た物体が、見えるけど存在しないもしくは消えてしまうと見えることがありました この物の見方(見え方?)は空観の一つとして捉えて良いのでしょうか この見方で自我や認識が見えるけど存在しないもしくは消えてしまうと見えれば、よろしいでしょうか。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/510
845: 蓮恵 [] 鬼和尚様 「それでは、この取著は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、取は愛から生まれ、渇愛から生じる。」 「それでは、この渇愛は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、愛は受から生まれ、感受から生じる。」 「それでは、この感受は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、受は触から生まれ、接触から生じる。」 「それでは、この接触は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、触は処から生まれ、六処から生じる。」 「それでは、この六処は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、処は蘊から生まれ、名色から生じる。」 「それでは、この名色は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、蘊は識から生まれ、識別から生じる。」 「それでは、この識別は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、識は行から生まれ、意志から生じる。」 「それでは、この意志は、何を因縁として、 何から生まれ、何から生じているのだろうか。 比丘達よ、行は痴から生まれ、無明から生じる。」 獅子吼小経には、識別は行から生まれ意思から生じるとありますが、 この行とは何物なのでしょうか? 意思とは何物でしょうか? ご説明お願いします。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/845
958: 蓮恵 [] >>954 鬼和尚様 申し訳ございません。 私の説明が言葉足らずで、誤解を招いたかも知れません。 アーチャン・チャー大長老の教えの和訳は引用いたします。 再度、真贋をお聞かせいただきたいです。 よろしくお願いします。 ー以下引用 ブッダは私たちに、心の動きを直視することを教えました。心の動きを観察することによって、終わりのない流れ、苦、空(くう)といった、現象の基本的な性質を知ることができます。これらの現象の基本的な性質に気づき、観察するようにしてください。 ブッダは、私たちが心(チッタ)と心所(チェータシカ)の名前を学ぶ時、言葉にとらわれることのないようにと説きました。ブッダは私たちに、ただこれらすべてが無常(アニッチャ)、苦、無我(アナッター)であると理解することを望んだのです。 良いことも、悪いことも、ただあるがままにしてください。ブッダはシンプルに「諦めなさい」と説きます。しかし私たちにとっては、どのようにしたら諦めることが可能になるかを知るために、自分自身の心の働きを学ぶことが必要なのです。 もし、私たちが心所の構造を観察するのなら、心に対応する心所が生じては消えていくということを、そこに見て取ることができるでしょう。 実践を通じて、私たちに正見と気づきが伴うとき、そこから正思惟、正語、正業、正命が自動的に整います。気づきのある人には、普通とは異なった心所が生まれます http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/958
959: 蓮恵 [] 心を平安にし、集中して、その集中力を心と身体を観察するために活用しなさい。心が平安でないときも、観察しなさい。そうすれば、おまえさんは真の平安をしることになるじゃろう。なぜかというと、おまえさんは無常(アニッチャ)を理解することになるからじゃ。 長時間座る瞑想をおこないたいと思うことは、訓練として考えた場合は、良いことだ。しかし、修行とは、これらの姿勢とは、まったくの別物だ。心を観察することが智慧である。おまえさんが心を観察し、それを理解するとき、経典を読むことや、サマーディ(定)の力の限界を知るだろう。 あなたの心から執着がなくなったとき、それが自然な状態にとどまっているということが分かるでしょう。私たちが、さまざまな思念や感覚によってその自然な状態から離れるとき、思考の構築作用が発生し、幻想がつくり出されます。このプロセスを見抜くことを学んでください。 打ち勝つべき他の煩悩をまだ持つ人であっても、自分自身の内を明瞭に観察するならば、疑いを終わりへと追いやり、実践を通じて、この揺ぎのない確信を得ることができます。 すべての執着と、判断を捨てるんじゃ。何ものかになろうとしてはならん。 ーー引用ここまで 長々と失礼しました。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/959
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