鬼和尚に聞いてみるスレ part10 (1007レス)
鬼和尚に聞いてみるスレ part10 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/
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482: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>476 どちらも認識されるのじゃ。 認識は全ての心身の活動の根源であるからのう。 認識されなければそれは無かったと思うのじゃ。 >>477 おぬしがそう気づいたならばそれでよいのじゃ。 違うと思えばそれも良いのじゃ。 囚われずに進み続けるのじゃ。 >>480 そのような理解でもよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>481 そういえるじゃろう。 その瞬間を見るのじゃ。 自分の部屋とか自分の持ち物とかが分別されるときに自我も起こるのじゃ。 実践あるのみなのし゛ゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/482
488: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>483 無我になるのじゃ。 もはや自我はなくなるのじゃ。 創ることは出来るがのう。 >>485 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>486 そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。 またおいでなさい。 >>487 全部創作なのじゃ。 幻想なのじゃ。 初期経典にも創作はあるのじゃ。 大乗の経さえも入っているのじゃ。 昔はあまり考えないで分類したからじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/488
494: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>489 すこしはしたのじゃ。 ダンマパダでもわしは何度もうまれかわって苦を受けたとか言っているのじゃ。 動物とかもみえるのじゃ。 幻想ではないのじゃ。 おぬしも思い出して見るとよいのじゃ。 >>490 そうじゃ、心構えが大事なのじゃ。 なにものにも囚われないようにする心構えがあれば妄想にも囚われないのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>492 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>493 わしはありのままに観察しているのじゃ。 なにがあろうと本心を受け入れ、そのまま認めるのじゃ。 全ての原因も反応もただありのままに観るだけなのじゃ。 おぬしも実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/494
498: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>495 そうじゃ、いろいろ試してみると良いのじゃ。 またおいでなさい。 >>496 止観を極めたならばもはや悟りを得て止観も必要なくなるのじゃ。 そのような境地ではもはや止める心も無く、観る心も無いのじゃ。 止観もまた彼岸へと渡る筏である故に、悟りを得ればもはや要らないものとして捨てるべきなのじゃ。 そのような境地なのじゃ。 >>497 そうじゃ、やったらよいのじゃ。 やりたくないことはやれないじゃろう。 ストレスがたまってやめてしまうのじゃ。 好きな道を行くとよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/498
506: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>499 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>500 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>501 そうじゃ、両方やるとよいのじゃ。 やり易い方を多くしても良いのじゃ。 姿勢が正しければ集中とは関係なく起こるじゃろう。 人によるのじゃ。 姿勢が本当に正しく下腹に力が入っていれば五分でも起こるのじゃ。 姿勢が正しくなれば起こらないのじゃ。 何時間も座っていられるのじゃ。 体には悪いがのう。 >>502 骨盤を垂直にして下腹に力を入れるのじゃ。 それによって力を入れずに座っていられるのじゃ。 ヨーガなどもするとよいのじゃ。 http://photohito.com/photo/375335/ このような姿勢が良いのじゃ。 胸を張って肩を落とすのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/506
507: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>503 意識が有ることなのじゃ。 自我が忘れられていても意識は有るのじゃ。 それが睡眠との違いなのじゃ。 そのようになるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>504 普通の死と変わらないのじゃ。 死体も腐るのじゃ。 もはや悟っていれば苦はないのじゃ。 >>505 その原因はおぬしの心の中にあるものじゃ。 自ら追求しなくてはわからないのじゃ。 昔、そのように期待通りに人が動かないために痛い目にあったからかもしれん。 人に対して恐れが有るからかもしれん。 自らの本心を受け容れて観察有るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/507
512: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>508 そうじゃ、何時間もサマーディに入っていて死んだりする者もいるのじゃ。 ほどほどにするのじゃ。 首や背中の力はほんの少し入れるのじゃ。 バランスをたもって真っ直ぐにするのじゃ。 背骨を真っ直ぐにするためにいろいろなポーズをするとよいのじゃ。 >>509 そうじゃ、またおいでなさい。 >>510 それでよいのじゃ。 実践してみるのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>511 悟っていないのじゃ。 純粋な者であるがのう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/512
518: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>513 つかないのじゃ。 百度ぐらいじゃな。 >>515 そうじゃ、その原因で今ここで期待通りに動かないものへの苦が有ると観察するのじゃ。 それができれば消えていくのじゃ。 知識によってその自分が重荷でしかない観念であると繰り返し念じることでも恐れもなくなるのじゃ。 それが観念であり、失いたくないという思いも謬見として空と観想することでもなくなるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>516 正しい姿勢によって集中力が増すからなのじゃ。 気が上昇すれば自然にサマーディにも入れるのじゃ。 そうすれば忘我に成り、無我にも近づけるのじゃ。 >>517 そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。 下腹に集中しても良いのじゃ。 背中を壁に当てても良いのじゃ。 自分のやり易いようにして続けるとよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/518
525: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>519 他の者はおぬしほどの智慧も知識も無いからわからないのじゃ。 それがわかっているだけでも福楽への道を知っている知者なのじゃ。 実践によって http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/525
526: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>519>>520 他の者はおぬしほどの智慧も知識も無いからわからないのじゃ。 それがわかっているだけでも福楽への道を知っている知者なのじゃ。 実践によって福楽も付き従えるのじゃ。 >>523 かなり進んでいるのじゃ。 6から7に移行する無念無想から快が生じている状態なのじゃ。 これからその快はもっと強くなっていくじゃろう。 人が味わえる快の何倍にもなるのじゃ。 それから自分も忘れる忘我に入るじゃろう。 座っていることも時間も忘れるじゃろう。 恐れず囚われずに精進あるのみなのじゃ。 >>524 よかったのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/526
530: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>528 本当に無我になったならばもはや戻らないのじゃ。 自我が自分でも主体でもなく観念であると知ってしまったのであるからのう。 仮に主体の観念を作って人と話すことは出来るのじゃ。 それでもそれがただの観念と知っているのじゃ。 >>529 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/530
534: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>531 そうじゃ、悟っていない者には苦なのじゃ。 悟れば一切が永遠に安楽なのじゃ。 それは言わば悟りを推奨するための宣伝文句なのじゃ。 この世は全て苦で有るが、悟れば永遠に安楽なると教えているのじゃ。 >>532 真我などはないのじゃ。 ただ自らの心の苦を滅すればよいだけなのじゃ。 苦の根本原因である自我まで滅すれば永遠に安楽なのじゃ。 >>533 そのようなことはないのじゃ。 自我は観念であるからのう。 自我も原因から起こされた認識対象なのじゃ。 それは主体ではなく客体であるから何かを起こさせようとする力はないのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/534
538: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>535 そのような理解でよいのじゃ。 苦から逃れるために精進あるのみなのじゃ。 >>536 それは観念なのじゃ。 しかしおぬしがそれを観念と思えば間違いなのじゃ。 それは自分が観念と思う観念になってしまうからのう。 自ら観察して気付く以外にないのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>537 おぬしがそう気づいたならばそうなのじゃ。 推測しているだけならばそうではないのじゃ。 それもまた観念になるからのう。 実践によって気づくのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/538
541: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>539 ならないでよいのじゃ。 ただひたすらに観察をするとよいのじゃ。 そうすれば自然になる時が来るのじゃ。 それまで精進あるのみなのじゃ。 >>540 それも間違いではないのじゃ。 実践によって確めるのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/541
546: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>543 麻酔とか鎮痛剤も使ってよいのじゃ。 無理に痛むことも無いのじゃ。 腹や腰を横にさすると良いのじゃ。 西式健康法もできるものをやるとよいのじゃ。 >>544 観察ではないようじゃ。 観察とは今心に思っていることをありのままに受け入れ、認めるものじゃ。 それがどんなに自分の美意識や常識に照らし合わせて受け容れがたいものでもありのままに観るのじゃ。 例えば本当は夫よりも相手の女子に怒りを感じてるのかもしれん。 嫉妬することは悪いと思うから観ないようにしているのかもしれん。 そのような思いも全てありのままに観なければ観察とは言えないのじゃ。 今の自分の本心をありのままに観るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/546
547: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>542 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>545 どういたしまして、またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/547
550: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>548 それは悟りとは関係ないのじゃ。 囚われれば苦になるじゃろう。 本当は全て自分の知識から語っているだけであるからのう。 遠回りに見えてもただひたすらに自分の本心を観ていくしかないのじゃ。 いずれはそれが本当の近道であったと気づくのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>549 そのような自問自答もしてよいのじゃ。 自虐や傲慢にならない程度にやるとよいのじゃ。 自分の本心を明らかにする役に立つじゃろう。 精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/550
556: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>551 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>552 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。 またおいでなさい。 >>553 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>554>>555 浮かばせようとすれば浮かぶのじゃ。 浮かばせないようにしようとすれば浮かばないのじゃ。 自在なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/556
559: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>557 そうじゃ、悟った後、何が出来るのかわかるのじゃ。 知識も必要なのじゃ。 いきなり自在にはならないのじゃ。 >>558 そうじゃ、その実践をやるとよいのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/559
563: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>560 それは悟りというものの確かさを求めていたからなのじゃ。 僧房の中だけでなく世間でも衆生の頼みとなる確かな悟りを求めていたのじゃ。 還俗して妻帯もして酒を飲んだり騒いだりしても破壊できない悟りがあればそれこそ衆生の頼みになる悟りと思ったのじゃ。 破壊しても悟りは残ったのじゃ。 >>561 良い事じゃ。 またおいでなさい。 >>562 そうじゃ、死を確かに自覚すれば一切は虚しいものとして捨てられるじゃろう。 いずれ捨てられるものであるからのう。 何も残らないのじゃ。 今自分から捨てれば全てが残るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/563
568: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>564 そうじゃ、後はひたすら実践あるのみなのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>565 観察するのみなのじゃ。 いずれも完全に観察する事で捨てられるのじゃ。 観察できなければ捨てられないのじゃ。 >>566 よかったのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>567 いないようじゃ。 集中力が不足しているのじゃ。 観察も記憶して繰り返すだけになってしまっているのじゃ。 それは観察ではないのじゃ。 止観の両方が滅しているのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/568
575: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>569 そうじゃ、観察あるのみなのじゃ。 そのような感覚もよくあることじゃ。 囚われなければ何の害も無いのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>570 観察されたものは自分ではないという認識が働くからなのじゃ。 自分のものではない苦が厭離していくのじゃ。 苦との自己同一化がなくなるから苦の反応がなくなるのじゃ。 そのように理解するのじゃ。 >>571 そうじゃ、捨ててよいのじゃ。 思考は自分ではなく、自分のものでもないのじゃ。 全てを捨てて進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/575
576: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>572 そうじゃ、それは観察ではないのじゃ。 自分の本心を観察するのにどのようなシステムもメソッドも無意味なのじゃ。 それらをすることでむしろ自分の本心を観ないようにしているのじゃ。 クリシュナムルティの言う通りなのじゃ。 全てを捨ててありのままの自分の本心を観る以外に観察の道は無いのじゃ。 >>572 死んでいく自分をひたすらに観察してみるのじゃ。 マハリシもそのようにして死なない意識に到達したのじゃ。 死が有るとわかればそれも出来るのじゃ。 >>574 1 幸せになっていくとか、幸せになる途中とか言うとよいのじゃ。 2 瞑想的などないのじゃ。 瞑想をするかしないかどちらかなのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/576
584: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>577 厭離できても考えすぎれば疲れるのじゃ。 肉体を厭離してもマラソンをすれば疲れるようにのう。 糖分を摂取するとよいというのじゃ。 いろいろ試してみるのじゃ。 >>578 紙に書いたりするとよいのじゃ。 より客観的に観られるのじゃ。 苦が起こる状況とかきっかけとか考えとか記憶とかなんでも書いてみるのじゃ。 書いたら暫く置いてから眺めるのじゃ。 実践あるのみなのじや。 >>579 そうじゃ、死なない意識を探すのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>580 悟っていないのじゃ。 老子は実在したかどうかすらもわからんのじゃ。 仏教から盗用してつくられた話なのじゃ。 >>581 その不安を観察するのじゃ。 その不安の原因を探して、原因から不安が起こる事を観察するのじゃ。 原因が無ければ不安も無いことを観察するのじゃ。 正しく観察できれば滅するのじゃ。 >>582 おぬしが非二元をといて実践するならば非二元を説いたじゃろう。 他の教えで実践するならば他の教えを説いたじゃろう。 洗濯屋には心を洗濯するように実践することを教え、音楽家には楽器を調整するように実践することを教えたのじゃ。 妄想する者には妄想から離れて実践するようにと教えたのじゃ。 それだけなのじゃ。 >>583 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/584
587: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>585 よほど酷い環境でない限り、わずらいは心から起こるものじゃ。 心を整えれば環境は自ずから整うのじゃ。 心が整わなければ自ら環境を悪化させることもあるのじゃ。 自らの本心を観て、今の環境が自ら招いたものではないか観察してみるのじゃ。 そうであれば心を整えることを優先するとよいのじゃ。 >>586 そうじゃ、お釈迦様の言葉は全て実践のための教えなのじゃ。 自ら実践して知る以外にないのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/587
591: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>588 自らの本心を観察し、認め受け容れるのじゃ。 そのようにして自分を苦しめている心の働きを観察するのじゃ。 完全に観察できれば苦は消えるのじゃ。 そうすれば心は整えられるのじゃ。 苦がなくなれば自然に自分に利益のある環境を選択することもできるのじゃ。 >>589 良い気づきなのじゃ。 過去の快から執着も起こるものじゃ。 自分もまた人との関わりから起こる観念なのじゃ。 それにも囚われずに進むのじゃ。 >>590 自己同一化している観念は観察しなくて良いのじゃ。 ただひたすらに自らの本心を観察するのじゃ。 心が何かに自己同一化していると気づいたならばそれが観察による気づきなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/591
596: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>592 どういたしまして、またおいでなさい。 >>593 悟らなくとも治るのじゃ。 その原因から完全に観察できれば消えるじゃろう。 それは汚くして病に掛かったからかも知れん。 親などから不潔にしていると死ぬとか教えられたからかもしれん。 その原因から恐れがあり、原因が無ければ恐れも無いと観察できれば消えるのじゃ。 >>594 そうじゃ、まだ小悟なのじゃ。 自己の観念が無いだけであるからのう。 認識があればまた自己の観念も起こり、輪廻することになるのじゃ。 認識をも厭離して輪廻も尽きるのじゃ。 >>595 本心とは自分自身の嘘偽りの無い心なのじゃ。 それは本人がそれを受け入れ、認める心構えがあれば直ぐにでもみえるものじゃ。 方法などは役に立たないのじゃ。 自分の本当の心を受け入れ、認める決意だけが必要なのじゃ。 怒ったならば怒ったという心を認め受け容れればそれが本心なのじゃ。 悲しいならば悲しいという心を認め受け容れれば゜それが本心なのじゃ。 怒っているのに怒っていないと偽れば本心ではないのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/596
601: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>597 そうじゃ、死を超えたら悟りなのじゃ。 死を知り尽くし、滅して大悟徹底なのじゃ。 死がわからなければまだ悟りではないのじゃ。 >>598 強い決意があれば難しくは無いのじゃ。 死を超える決意が必要なのじゃ。 意志によって人は目覚めた者にもなれるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>599 日常でも行えるのじゃ。 ただ自分に嘘をつかないだけであるからのう。 そのように実践してみるとよいのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/601
602: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>600 1 覚えなくて良いのじゃ。 2 数えなくて良いのじゃ。 3 うまくなれば覚えていられるのじゃ。 4 少し数えてれば直ぐに深い瞑想に入れるようになるのじゃ。 5 可能なのじゃ。 6 観察すれば反応も起こらないようになるのじゃ。 7 自己催眠とかでもできるじゃろう。 作業していれば気にならなくなるじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/602
606: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>603 どういたしまして、またおいでなさい。 >>604 集中力も必要なのじゃ。 気づくことも必要なのじゃ。 夢見の状態なることがわかるならばそれを観ている意識が有るのじゃ。 そのただ観ている意識に集中するのじゃ。 そうすれば雑念は消えていくのじゃ。 雑念の無い意識だけになるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>605 苦を滅するために観察するならばそれも必要じゃろう。 特にそのような目的も無いならば何もしなくて良いのじゃ。 ただありのままに心を観察すると良いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/606
611: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>608 自我と自己同一化していることには気づけないのじゃ。 それはただ創られた観念であるからのう。 ただありのままに観察し続けるのじゃ。 それだけを心がけて実践するのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>609 何も作ろうとしないでよいのじゃ。 何も作ろうとも、試そうともしないでただありのままに観るのじゃ。 ありのままの状態を受け入れ、観察すれば観ている意識に気付くのじゃ。 それはもはや個人の計らいを超えている故に、何かしようとすれば見えないのじゃ。 個人という観念も恐れも超えてただありのままに観るのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>610 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/611
615: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>612 それは腰や膝がこっているのじゃ。 マッサージをしたりストレッチやヨーガをしてほぐすとよいのじゃ。 正しく座れたならば腰と腹が磐石のように感じるものじゃ。 或いは車輪を横たえたように感じるのじゃ。 腰と腹の力が合一してバランスよく前後左右に広がるからなのじゃ。 腰の力と同じぐらいに腹に力を入れると良いのじゃ。 >>613 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 おぬしも気をつけて実践有るのみなのじゃ。 >>614 わからなくてよいのじゃ。 本当は観ていないのじゃ。 主体が観ているという観念があるだけなのじゃ。 実際は主体など無く、それが観ているのでもないのじゃ。 主体は無く、それが観ているのではないからその働きが見えるのじゃ。 そのような謬見がありのままに観察されて看破された時、観ているものを観たというだけなのじゃ。 言葉の意味に囚われてはいかんのじゃ。 ただありのままに観察すれば全ては明らかになるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/615
619: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>616 そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。 またおいでなさい。 >>617 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>618 信じると良いのじゃ。 信じることで奇跡も起こるのじゃ。 自分を信じて進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/619
623: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>620 お釈迦様は信仰をもつのはよいことじゃ、とも言って居るのじゃ。 全ての者が同じ道をいくのではないからのう。 疑うことによって真実を明らかにする者は疑うとよいのじゃ。 自分を信じられる者は信じるとよいのじゃ。 自らの道を歩むのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>621 曼荼羅は集中するための道具なのじゃ。 サマーディにまでは到達できるのじゃ。 それから自分の意志によって自我を観察できれば悟りの門は開かれるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>622 悟っては居なかったのじゃ。 肉体の鍛錬によってサマーディにまで到達したのじゃ。 サマーディに到達することはできるのじゃ。 健康にもなるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/623
627: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>624 それは人によって違うのじゃ。 そうじゃろう。 何か執着があれば自らを縛ることになるのじゃ。 >>625 できるだけ多くのものと何千万と買えば当たるのじゃ。 普通に働いて貯金するのが一番の近道なのじゃ。 地方自治体の役所にいって自宅でDVがあるから避難所とかに住みたいと申請すればよいのじゃ。 助けてくれるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>626 そのように観れないと思っているものを観るのじゃ。 それが自我なのじゃ。 ちゃんと観察していれば観えるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/627
633: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>628 どこにもはっきり捉えられる私とは何であるか観るのじゃ。 そもそも何を以って私としているのか観察してみるのじゃ。 観る者としての私が私であるのか。 或いは継続して観る者である私が私であるのか。 捉えられない私というものが日常で常に働いているのはどういうことなのか。 どこまでも突き詰めて観察するのじゃ。 >>629 お釈迦様は法を拠り所にするようにと言っているのじゃ。 そうすれば間違いは無いのじゃ。 善事を重ね、自らを追及していくのじゃ。 >>630 別の視点の私は捉えなくて良いのじゃ。 私像とはどのようなものかよくみてみるのじゃ。 それが捉えられると言う事はどのようなことか観察してみるのじゃ。 主体で有る筈の私が捉えられるのならば、何が捉えているのか追求するのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/633
634: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>631 良い気づきなのじゃ。 それにも囚われずにどんどん進むと良いのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>632 そうじゃ、観られたものとは観られただのものと気づけば無我になるのじゃ。 そのように捉えてよいのじゃ。 言葉通りではないがのう。 言葉に囚われずに進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/634
644: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>635>>639 それを観察して気づくのじゃ。 捉えられなければ捉えられないと観察するのじゃ。 捉えられたならば捉えられたと観察するのじゃ。 度重なる探求の末にそれは観られるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>637 どういたしまして、またおいでなさい。 >>638 瞑想とは眼を瞑って想を観ることなのじゃ。 日常でも眼を瞑って想を見ていれば瞑想的であるといえるじゃろう。 必要ないのじゃ。 車に轢かれたりするじゃろう。 >>640 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>641 それを知識として記憶するのではなく実際に自らの心の働きとして観察するのじゃ。 無い筈の自分をあるとして働いている心を観察するのじゃ。 無い筈の自分から好悪とか執着や囚われが起こる事を観察するのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>642 そうじゃ、ありのままを観るのじゃ。 そうすれば観念でしかないものと気づくのじゃ。 観なければ気づくこともないのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/644
653: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>645 どういたしまして、またおいでなさい。 >>846 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>647 それは人によって違うのじゃ。 語る言葉も人によって違うのじゃ。 わしには静寂と安らぎがあったのじゃ。 必ずわかるのじゃ。 主体が無いので有るからのう。 >>648 そうじゃ、実践が全てなのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/653
654: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>649 独りということもないのじゃ。 全てなのじゃ。 全てであったと感得するのじゃ。 >>650 そうじゃ、本心を全部観てしまえばよいのじゃ。 全ての飾りや逃避を捨てて自分の心を観察し尽くすのじゃ。 そうすれば腹も空になるのじゃ。 >>651 良かったのじゃ。 更に精進有るのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>652 そのような者も居るかもしれん。 もはや何も無いのじゃ。 無為なのじゃ。 動くことも感じることも無いのじゃ。 全てが全てなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/654
661: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>655 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>656 悟りは近くなったり遠くなったりするじゃろう。 しかし、真摯に実践すれば向こうからくるものじゃ。 あるのじゃ。 不安や恐れがある限り執着も起こるものじゃ。 観察して確めるのじゃ。 >>657 そうであるものもいるじゃろう。 違うものも居るじゃろう。 肉体とか感情とかが自我と認識するものも居るじゃろう。 おぬし自身はどのようであるのか自ら観察して気付くのじゃ。 >>658 悟りではないのじゃ。 何も起こってないからのう。 なぜそれに気づくと苦しいのか観察してみるのじゃ。 その苦に自我の最後のあがきがあるのかもしれんのじゃ。 一番抵抗が大きい処に最も大事なものごとが隠されているのじゃ。 苦を乗り越えて進むのじゃ。 >>659 もう大丈夫なんじゃろう。 おぬしは褒める言葉が無ければ口を開いてはいかんという格言を守ることが大事なのじゃ。 少しでも良い所を探してほめることが大事なのじゃ。 子供にも良い影響があるじゃろう。 自分は今までそのようなことをしたことがないと思っても日々続ければ出来るようになるのじゃ。 ただの習慣になるからのう。 それにょって家庭もうまくいくようになるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/661
662: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>660 それは自分のイメージが小さくなったとか、否定されたとかが原因かもしれん。 他人からの評価で自分のイメージが小さくなったかから苦が起こるのか観察してみるのじゃ。 自分と言う観念が全ての苦の根本原因なのじゃ。 それを観察すれば苦の正体も気づくのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/662
673: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>663 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>665>>670 自分の本心を観察して正しい原因を探すのじゃ。 知識ではなく自ら観察して探すのじゃ。 数息観もやるとよいのじゃ。 >>666 よい気付きなのじゃ。 どんどん実践するとよいのじゃ。 なんでも相談するとよいのじゃ。 またおいでなさい。 >>667 そのように自ら決めたからなのじゃ。 なくそうと思えばなくせるのじゃ。 おぬしの世界を創ったのはおぬしの心なのじゃ。 >>668 そうじゃ、お釈迦様の説かれた法は全て死を超えるためにあるのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 >>669 無意味なのじゃ。 ただ観ればよいのじゃ。 観察できれば滅するのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/673
674: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>671 本心をどこまでも深く観察すればそれはなくなるじゃろう。 なくそうとか思わなくて良いのじゃ。 ただひたすらに観察すればたまねぎの皮のように全てなくなって芯も残らないのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>672 名前とイメージなのじゃ。 それが自分の観念なのじゃ。 それがただの観念であり、主体ではないことに気付いたのじゃ。 実践によって確めるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/674
678: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>675 それは幻想であるから創られたものではないのじゃ。 謬見であり、迷いなのじゃ。 ただ記憶によりあると思われているだけであるから、その迷いの主体などもある訳ではないのじゃ。 夏の道に見られる陽炎に主体が無いようにのう。 それは太陽と水分が作り上げる現象なのじゃ。 そのように自我も観念も主体も幻想であるからそれを創る主体も又ないのじゃ。 >>676 悟ればもはや産まれないのじゃ。 生まれる意味が無いからのう。 悟り易く産まれることはできるじゃろう。 修業していればそれも可能なのじゃ。 >>677 自我というのも他人との関係によって妄想されるものじゃ。 親がこのように語ったから自分はこのような人間であるとか、妄想するのじゃ。 実際は違う性質であることが多いのじゃ。 親などから条件付けされたイメージや反応と、本当の自分の反応が違うために苦に感じる者もいるじゃろう。 そのような自らの本当の反応を観察して確めていくのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/678
685: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>679 それらが実在していても今のおぬしには幻想なのじゃ。 実際に感得できないものであるからのう。 知識として言葉を記憶し、イメージを作っているだけなのじゃ。 幻想では無いものを気づくために実践するしかないのじゃ。 >>680 悟っていないのじゃ。 マハラジの言葉を繰り返しているだけなのじゃ。 >>681 腸を掃除するのじゃ。 下剤を使ってもよいから通じを良くするのじゃ。 ヨーグルトとか納豆とか味噌汁を飲食するのじゃ。 肉は鶏肉にするのじゃ。 野菜も食べるのじゃ。 そのようにすれば腸がよくなり、頭も良くなるのじゃ。 >>682 そうじゃ、観察するのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 >>683 そうじゃ、囚われないようにするのじゃ。 囚われずに実践あるのみなのじや。 >>684 ヨーガとか西式健康法を実践するとよいのじゃ。 背骨の運動をしてゆがみを直すのじゃ。 うまくいけば直ぐに治るのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/685
693: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>686 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>687 そうじゃ、善事を積むとよいのじゃ。 どんどん幸せになっていくとか、人生が幸せで良い方向に向かうとか唱えるのじゃ。 そうすれば嘘ではなくなるのじゃ。 >>688 それでもよいのじゃ。 実践によって確めるのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>689 良かったのじゃ。 またおいでなさい。 >>690 どういたしまして、またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/693
694: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>691 そうじゃ、心が全てを作り出すのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>692 そうじゃ、やってみるのじゃ。 無理に手術などをしなくともなおせるのじゃ。 いろいろ試してみるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/694
702: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>695 人格と精神なのじゃ。 善事をすることでそれも養われるじゃろう。 知性があっても善事をするとは限らないからのう。 実践あるのみなのじゃ。 >>696 それでもよいのじゃ。 試行錯誤を繰り返して真の気づきに至るのじゃ。 それで混乱するのはまだ主体がどこかに有るという観念があるからじゃろう。 観念に囚われず、ありのままに観察し続けるのじゃ。 精進あるのみなのじや。 >>697 それはおぬしがやり易い方を選ぶのじゃ。 自分に合った方法でなければ続かないからのう。 自ら道を選ぶのじゃ。 >>698 夫を看病して今までよくがんばったえらいえらいとほめてやるとよいのじゃ。 先のことは考えずに今数息観などをするとよいのじゃ。 体が弱っても心が不動ならば影響も少ないのじゃ。 心配事の九割は起こらないというのじゃ。 まだ何も起きていないのに子供の学校をどうするとか思うのは不要な苦なのじゃ。 心を鎮めてよいことを思うのじゃ。 善い事をイメージして善い事をすれば福楽も付き従うのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/702
703: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>699 そうじゃ、それはあるものであるが、悟っていない者には観念であるのじゃ。 観念であるから悟れば超えることもできるのじゃ。 悟ればもはや死は無く、真の生とは永遠であり喜びであり、全てに有るものと気づくのじゃ。 それが大悟徹底による真の世界なのじゃ。 >>700 良い事じゃ。 どんどんやるとよいのじゃ。 旦那も子供もおぬしの曲で癒すと良いのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/703
710: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>704 そのようなところにも感覚はあるじゃろう。 それを観察するのじゃ。 重量感や温感冷感等、感じることをありのままに観察するのじゃ。 >>706 それができればよいのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 >>707 そうじゃ、それは呼吸への集中と観察を一緒にするものなのじゃ。 かなり習熟しないと難しいのじゃ。 自分が何をしているのかわからなくなるからのう。 長く息を見るのは呼吸への集中なのじゃ。 時間が節約できるじゃろう。 集中しながら観察するからのう。 数息観は集中でよいのじゃ。 >>708 経験とか感覚が違うからなのじゃ。 自分の好む者に執着するのじゃ。 美人とかいけめんは幻想なのじゃ。 相対的に誰は誰より美人とかいけめんとか思うからのう。 ありのままに心を観察するのじゃ。 美人やイケメンのどこに惹かれているとか、何がよいと感じるのかとか好く観察するのじゃ。 そうすれば囚われることもないのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/710
711: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>709 旦那も迷っているのじゃろう。 何をしたらよいのか自分でもわからないのじゃ。 おぬしも混乱しているようじゃ。 自分で行うと書いたことを行っていないのじゃ。 自分で納得して書いたとおりに心配より褒めてあげるのじゃ。 先ずは自分の混乱を鎮めるのじゃ。 数息観などをして自らの心を整えるのじゃ。 そうすれば他人も落ち着くのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/711
718: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>712 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>713>>715 そうじゃ、刺激は言葉とイメージになって観念を創るのじゃ。 観念によってさまざまな反応も起こるのじゃ。 それを起こらないようにすることは出来ないのじゃ。 観察によって反応を滅することは出来るのじゃ。 それにも囚われずに進むのじゃ。 >>714 どういたしまして、またおいでなさい。 >>716 それでよいのじゃ。 出来ることからやっていくのじゃ。 そうすれば出来ることも増えていくのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>717 ないのじゃ。 見る者の心にそれはあるのじゃ。 自らの心を見るほうが大いに功徳はあるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/718
723: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>719 そうじゃ、好きに生きてよいのじゃ。 自由なのじゃ。 >>720 カルトのようじゃ。 子供にかなりの負担をかけているのじゃ。 弱いものに負担をかける組織はいかんのじゃ。 >>721 見るものと見られるものが一つである世界なのじゃ。 やすらぎと喜びの世界なのじゃ。 サマーディにまで達すれば垣間見られるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>722 良かったのじゃ。 トラブルも起こるじゃろう。 善事を行い悪事を断つ決意なのじゃ。 人のいない処ならば起きないのじゃ。 そうじゃ、怒りは抑えたほうが良いのじゃ。 自他を傷つけるのじゃ。 他人だけでなく自分が最も傷付くのじゃ。 そのようなことを知って怒りは抑えたらよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/723
730: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>725 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>726 自我をそのように見たならば何も起こることは無いじゃろう。 自我に見るということが出来るのか観察によって確めてみるのじゃ。 なにものにも囚われることなくただありのままの心の働きを観察するのじゃ。 それによって自我の謬見からも離れられるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>727 自ら善に向かう意識によって起こるのじゃ。 自らの虚偽に立ち向かおうとする決意がそれを起こさせるのじゃ。 自らもはや十分とわかれば止まるのじゃ。 恐れずに進むのじゃ。 >>728 自分が馬鹿であるという想いを満たすのじゃ。 そのような想いが無ければ他人を馬鹿にする事も無いのじゃ。 そして他人に向けた悪意によって自らがそうであると表すのじゃ。 >>729 それにも恐れや不安が有るからなのじゃ。 不安や恐れから他人を攻撃するのじゃ。 その苦は自分が自分に向けたものであることを気づけばよいのじゃ。 他人に馬鹿にされたことにより、自分が自分の評価を下げているのじゃ。 他人を馬鹿にする者は不安や恐れから自らの愚かさを表している愚弱者なのじゃ。 それに囚われない者は自ら賢者と知るがよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/730
733: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>731 ひたすらに念じれば見えるのじゃ。 わしはもっと深いところにいるのじゃ。 恐れずに見に来るのじゃ。 >>732 ヨーガスートラとかウパニシャッドは読むとよいのじゃ。 クリシュナムルティとかマハリシとかマハラジの本も良いのじゃ。 西式健康法は無料で読めるのじゃ。 映画は知らんのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/733
739: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>734 それはわからなくてよいのじゃ。 理解とか知識が必要なのではないからのう。 ただクリシュナムルティの語るように全てを注意深く、丁寧に観察するのじゃ。 変容はそれによって起こるのじゃ。 何もわからなくとも、理解しなくとも、観察されたことによってそれは起こるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>735 それを観察によって確めるのじゃ。 自分とは何なのか、何を自分と思っているのか。 何が無ければ自分が無いのか、何があれば自分が有ると思うのか。 全てありのままに観察すれば全て明らかになるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>736 そうじゃ、観念なのじゃ。 それは有る現象てあるが、人が観念として捉えているものなのじゃ。 観念が無い時、死も無いと知れるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/739
740: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>737 瞑想は朝晩の五分でもよいのじゃ。 心を観察する心構えが有るならば日常でも見られるじゃろう。 修業の妨げが多いと感じるならば、それは心にあるものじゃ。 どのような想いが妨げになっているのか心に原因を探すのじゃ。 >>738 間違っていないのじゃ。 自分の信じる道を行くとよいのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/740
750: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>741 認識が自我を作り出しているのか、それともそれはただの謬見であるのか観察して確めるのじゃ。 無いはずのものをあると思い、作られたと思っているのかもしれん。 それを自ら観察して確めるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>742 無認識とは状態なのじゃ。 あるものではないのじゃ。 本来の認識に回帰した時にそのような状態になるのじゃ。 >>743 そのような実践でよいのじゃ。 今ここで起きていることに気づくことが大事なのじゃ。 それにも囚われずに精進あるのみなのじゃ。 >>744 逃避でよいのじゃ。 どんどん逃避すると良いのじゃ。 逃避でなくとも良いのじゃ。 社会が有るという観念遊戯が個人の死という過酷な現実に無力であることを見るのじゃ。 社会という幻想に対して何も行わず、実践することだけが真の現実に対応することなのじゃ。 >>745 そのようなこともないのじゃ。 全ては一つであり、数えることも無いから無なのじゃ。 主体と対象があるという観念からそれも感じるのじゃ。 観念が無ければ妄想も無いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/750
752: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>746 そうじゃ、そのような観念があれば輪廻も又あり続けるじゃろう。 個我が生まれかわるという観念が輪廻であるからのう。 個我を離れない限り輪廻も続くのじゃ。 >>746 良かったのじゃ。 またおいでなさい。 >>748 それは最小でも最大でもないのじゃ。 ただそれのみがあるのじゃ。 大小の観念は幻想なのじゃ。 >>749 逃避してよいのじゃ。 逃避していることを観察するのじゃ。 それもまた幻想とわかるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/752
764: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>751 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>753 状態といえるじゃろう。 記憶への依存から離れた状態であり、本来の認識に回帰した状態なのじゃ。 言葉通りではないがのう。 >>754 あるのじゃ。 覚めることも有るのじゃ。 また夢を見るので有るがのう。 >>755 問題が有るならば詳細に観察して原因を探すのじゃ。 原因がわかれば改善することも出来るのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>756 治るのもあり、治らないのもあるのじゃ。 思い込みなどが原因ならば治ることもあるのじゃ。 腸がわるいのは腸を直さなくてはいかんのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/764
765: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>757 全ておぬしの心の中にあったのじゃ。 宇宙に居れば全て宇宙人なのじゃ。 おぬしの心が有るところに全て有るのじゃ。 世界は全ておぬしの心が作り出しているのじゃ。 >>759 合っていないのじゃ。 他人から得た知識は何の役にもたたないのじゃ。 自らの本心を観察して気付く以外にないのじゃ。 >>760 あっているのじゃ。 必要な力は入っていてよいのじゃ。 自然に動かすと良いのじゃ。 他の療法もどんどんやってみるとよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/765
766: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>761 それはおぬしを恐れているからかもしれん。 恐れる者があれば人は内緒にしたり嘘をついたりするものじゃ。 おぬしの言動に怯えていないかよく観察してみるのじゃ。 嘘や内緒でなぜ不安や恐怖が有るのか自分の心に原因を観察してみるのじゃ。 それがわかれば観察によって消すことも出来るのじゃ。 >>762 それは人によって違うものじゃ。 怒りが無いとか、貪欲が無いとかなのじゃ。 人によって定義が違う故に正しい解答もないのじゃ。 >>763 感じるじゃろう。 人と同じなのじゃ。 恐れから必死に逃げるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/766
772: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>767 悟れば恐れることも恐れないこともできるのじゃ。 本能などは無いのじゃ。 それも観念によるものなのじゃ。 >>768 それも役に立つならばよいのじゃ。 肉体で出来る技と同じなのじゃ。 自転車に乗るとか料理が出来るとかのう。 役に立つならばどんどんやるとよいのじゃ。 >>769 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>770 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>771 肉体の器官や思考の意識から、本来の意識へと戻るのじゃ。 悟らない者が死んだら認識できないのじゃ。 悟ったものならば戻ったとわかるのじゃ。 海の波が元の海水に戻るようなものじゃ。 波で居ることが自分だと思えば海水に戻ったこともわからないのじゃ。 意識が無くなったと思うのじゃ。 しかし、それが本来の意識と気づけば永遠に戻ったと感じるだけなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/772
778: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>773 トニーはぜんぜん悟っていないのじゃ。 思想を語っているだけなのじゃ。 ジャンは無我に到達したようじゃ。 自分が無いと気づいたのじゃ。 偽者には儲けに走って適当なことを言うものが多いのじゃ。 それでも役には立つのじゃ。 神の奴隷ではなく、人が悟り智慧を身に付けて神を超越する道が有るということを普及するので有るからのう。 >>774 感じるじゃろう。 悟りによって克服できるじゃろう。 無畏の境地に至れるのじゃ。 >>775 それでよいのじゃ。 ただありのままに観察し続けるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>777 それは人が死を超越できるという真実なのじゃ。 自らの本心を観察することで明らかに出来るのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/778
786: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>779 実際に無我に達した者も居るのじゃ。 悟りとは何か知らない者も居るのじゃ。 ただの思索の結果を悟りと想う者も居るじゃろう。 >>780 そうかもしれん。 認識をも滅すればもはや自分と言う観念も起こらないのじゃ。 それを自分自身の死と語っているのかもしれん。 >>781 そうじゃろう。 社会的に認められるために死を選ぶ者が多いのじゃ。 それは名誉を求めるものと同じなのじゃ。 一生をかけて名誉を求めるのも命を賭けているといえるのじゃ。 >>783 そうじゃ、何も隠さずありのままに観察するのじゃ。 それでこそ厭離もできるのじゃ。 ありのままに観察できなければ観念遊戯となるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/786
787: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>784 どういたしまして、またおいでなさい。 >>785 観念を超越するために産まれたといえるのじゃ。 観念は苦を生むだけと知れるのじゃ。 観念が無くなれば悟りなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/787
790: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>788 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>789 認めては居ないのじゃ。 常に精進するようにと言っていたのであるから自殺も認めないのじゃ。 死んだら精進できないからのう。 わしは死ぬ気ならばその意志を修業に向けるようにいうのじゃ。 死ぬ気で修業すれば悟りも近いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/790
794: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>791 そのような時も自分の心に他人を見てこのような感情が浮かんだと観察するのじゃ。 他人をも観察してみるのじゃ。 自分の心を観察するのとどのように違うのか確めるのじゃ。 ただ自らの心を観察して接するのがベストなのじゃ。 >>792 おぬしがそれを望んだからなのじゃ。 自らの心が作り出したのじゃ。 観察すれば無とわかるじゃろう。 >>793 なれないのじゃ。 考えることも難しいからのう。 観察も難しいのじゃ。 人に生まれた幸運を生かして仏になるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/794
801: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>795 そのようなものじゃ。 動物にも自我は有るのじゃ。 よく観察してみるとよいのじゃ。 >>796 そうじゃ、修業も捗るじゃろう。 世間とはあまり関わらなくて良いのじゃ。 お釈迦様も犀の角のように独りで歩めといっているのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 >>797 真実を明らかにしようとしなくてよいのじゃ。 ただありのままを観るだけでよいのじゃ。 それだけなのじゃ。 >>798 生きている限り悟りへの道は有るものじゃ。 心を見ることはできるじゃろう。 生きられるだけ生きたらよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/801
808: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>799 そのような状態でもできることがあると知るためなのじゃ。 自分の心を見るとよいのじゃ。 それが出来ることなのじゃ。 >>800 迷信なのじゃ。 体を大事にするとよいのじゃ。 >>802 すきなようによぶとよいのじゃ。 自分のしたこととしなかったことを見て進むのじゃ。 >>803 しないじゃろう。 無なのじゃ。 >>804 慈悲には執着してよいのじゃ。 それがなければ涅槃に入ってしまうからのう。 慈悲は残しておくのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/808
809: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>805 そのようなこともあったのじゃ。 しかし全ての者が助かるようなことを考えるのが真の慈悲なのじゃ。 それを見出すのが智慧なのじゃ。 >>806 そうじゃ、進むと良いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>807 あるかもしれん。ないかもしれん。 それを自ら確めてみるのじゃ。 おぬしが気づいたことが全てなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/809
814: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>810 ストレスがたまる様ならば抑えないようにするのじゃ。 苦になるならば抑えると良いのじゃ。 抑えても抑えなくてもただひたすらに観察してみるのじゃ。 そのようにしてこそおぬしにとっての最適解もわかるようになるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>811>>812 よい気付きなのじゃ。 それにも囚われずに更に精進あるのみなのじゃ。 ありがとうなのじゃ。 >>813 動物にも心は有るのじゃ。 思考とかが少ないのじゃ。 感情が多いのじゃ。 記憶も少ないのじゃ。 感覚が優れているのじゃ。 そのような違いが有るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/814
820: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>815 ありのままなる心をありのままに観るがよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>816 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>817 あるようにすればあるじゃろう。 慈悲の心をもってすればそれも善になるのじゃ。 害しようとする心をもってすれば悪にもなるのじゃ。 全ておぬし次第なのじゃ。 >>818 悟りを得るのは自分のためなのじゃ。 悟った後に実践するのは衆生のためなのじゃ。 そのように違いが有るのじゃ。 悟った後にも衆生の為に実践するとよいのじゃ。 >>819 しているのじゃ。 悟れば妙観察智により自然に観察ができるものじゃ。 むしろ涅槃に行かないように抑えている程なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/820
831: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>821>>822 悟りを得ればもはや繰り返さないのじゃ。 自我を滅し、認識をも滅すれば至るのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>823 善い事をするように洗脳するのがよい洗脳じゃろう。 悪いことをするようになるのが悪い洗脳なのじゃ。 行いによって違うのじゃ。 >>824 死んでいるのじゃ。 紙に人の情報をいくらかいても紙にならないのじゃ。 それは記憶の内容でしかないからのう。 >>826 何を自分として認識しているのか観察してみるのじゃ。 感覚器官とか、感情とか、思考を観察して観るのじゃ。 実践有るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/831
840: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>832 意思だけではそうじゃろう。 実践しなければ何も変らないのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>834 人によるのじゃ。 自分で決めなければ苦が有るじゃろう。 楽ではないのじゃ。 何も無いのじゃ。 自らの意志で実践すれば楽になるのじゃ。 >>835 ないのじゃ。 それも観念なのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>836 そうじゃ、言葉に囚われず実践するのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 実践しなければ何も変わらないのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/840
841: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>837 使えるじゃろう。 自分の今の有様を観察してコントロールするのじゃ。 太る原因も追求すればよいのじゃ。 寒天の食品などを多く食べるとよいのじゃ。 腹筋も鍛えると良いのじゃ。 >>838 そのほうがよいじゃろう。 言葉を使えば言葉の起こる瞬間が観られないからのう。 言葉も観察して厭離するのじゃ。 >>839 そうじゃ、それを観察すると良いのじゃ。 それが錯覚であるかどうか自分で気づくまで観察するのじゃ。 はたして空間のようなものが自分といえるのかどうか詳しく観察してみるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/841
846: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>842 観念が無い状態なのじゃ。 死ななくとも体験できるのじゃ。 無とは観念が無いことなのじゃ。 一切の観念が無い状態を想像してみるのじゃ。 自分も周りのものも一切無いのじゃ。 それを説明する言葉さえないのじゃ。 >>843 悟れるものも居るじゃろう。 悟れ無い者も居るじゃろう。 本人次第なのじゃ。 >>844 無いのじゃ。 そのような者達はあたまがおかしく弱い者達であるからのう。 健全な者にはかなわないのじゃ。 いずれ逮捕されて終わりなのじゃ。 できるじゃろう。 説教してまともにすることもできるじゃろう。 幼稚な概念に囚われたものたちなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/846
847: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>845 なにやら混乱しているようじゃ。 行とはなにものかを志向する心の働きなのじゃ。 右へ行こうとか左に行こうとか決めるのじゃ。 意思とはものごとを分類する心の働きなのじゃ。 これはみかんとか、これはりんごとか分けるのじゃ。 そうであるから分別と言われるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/847
855: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>848 そうじゃ、強化されるじゃろう。 捨てたらよいのじゃ。 心の中にその原因を観るのじゃ。 もしかしたらまたよりが戻るかもとか考えているのかもしれん。 その原因から未練が起こる事を観られれば変るのじゃ。 自らの意志によって決めるのじゃ。 >>849 心は見ているものではなく見られているものであるからなのじゃ。 心も実は見られているものであるから観察も出来るのじゃ。 心は見る主体ではなく見られる対象なのじゃ。 >>850 それらも観察の一例に過ぎないものであるから囚われずに自らの心を観るのじゃ。 経とは違っていても自分の心に観られたことをありのままに受け容れるのじゃ。 無明とは自分が有るという認識なのじゃ。 無いものをあると認識するから痴であり、明らかではないのじゃ。 >>851 よい気付きなのじゃ。 無明が離れていっているのじゃ。 恐れずに進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/855
856: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>852 逃避じゃろう。 極端な行動は大抵逃避なのじゃ。 逃避と観察すべきではないのじゃ。 ただありのままに観察して逃避と気づくこともあるだけなのじゃ。 今ここにある心の働きをありのままにみるのじゃ。 原因がある限り続くじゃろう。 原因が無くなればとまるのじゃ。 >>853 それも心の中の原因を観ればとまるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>854 どういたしまして、またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1510665527/856
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