Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 74 (973レス)
Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 74 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/
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157: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 11:15:18.22 ID:NbOUr+U1 >>150-154 ご苦労様です ID:+KvL50n5 >>153 「ともかぎらない」 は、御大か 巡回ご苦労様です 1)「数学者に哲学がわかるものか」by 死狂幻調教大師S.A.D.@月と六ベンツさん については、バートランドラッセル が 哲学者謙数学者だったかも https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB Alfred Tarski も、数理哲学者だったかも(彼は 文法でも有名) (参考) https://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Tarski Alfred Tarski he also contributed to abstract algebra, topology, geometry, measure theory, mathematical logic, set theory, type theory, and analytic philosophy. Logical consequence In 1936, Tarski published Polish and German versions of a lecture, “On the Concept of Following Logically",[41] he had given the preceding year at the International Congress of Scientific Philosophy in Paris. https://en.wikipedia.org/wiki/Tarski%E2%80%93Grothendieck_set_theory Tarski–Grothendieck set theory 2)「無限回の行為の実行」は、 21世紀数学では これを否定しない方が 理解が進むだろう 一例は、ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス:1号室の客を2号室に、2号室の客を3号室に、n号室の客を(n + 1)号室に(同時に)移動させる。すると1号室は空室になり、1人の客を泊めることができる。この手順を繰り返すことで、任意の有限人の新たな客の部屋を作れる 別に、バナッハ=タルスキーのパラドックス 小澤登高(おざわなるたか)”寄り道. 地獄に囚人が(可算)無限人いる状況を考える” https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E7%84%A1%E9%99%90%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス パラドックスの内容 無限個の客室があり、「満室」である仮想的なホテルを考える。客室数が有限の場合、「満室であること」と「新たに来た客を泊められないこと」は同値だが(鳩の巣原理)、無限ホテルではそうはならない。 有限人の新たな客 1人の客が来てホテルに宿泊を希望したとする。そこで1号室の客を2号室に、2号室の客を3号室に、n号室の客を(n + 1)号室に(同時に)移動させる。すると1号室は空室になり、1人の客を泊めることができる。この手順を繰り返すことで、任意の有限人の新たな客の部屋を作れる。 https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kenkyubu/kokai-koza/H27-ozawa.pdf 平成27年度(第37回)数学入門公開講座テキスト(京都大学数理解析研 バナッハ=タルスキーのパラドックス 小澤登高(おざわなるたか) P11 寄り道. 地獄に囚人が(可算)無限人いる状況を考える http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/157
158: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 11:18:50.26 ID:NbOUr+U1 >>157 タルスキと哲学の補足 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 論理学の歴史 数理論理学の発展は20世紀の最初の数十年に、特にゲーデルおよびタルスキの著作によって起こり、分析哲学や哲学的論理学に、特に1950年代以降に様相論理や時相論理、義務論理、適切さの論理といった分野に影響を与えた。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/158
164: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 13:23:05.18 ID:NbOUr+U1 >>160-162 ご苦労様です それ 面白いね http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/164
165: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 13:58:23.24 ID:NbOUr+U1 >>163 >数学的に有限(多くは1)ステップを勝手に無限ステップと妄想してるだけ >そんな妄想してりゃ大学一年四月に授業についていけず落ちこぼれるのも無理は無い ふっふ、ほっほ 下記 「有限主義者」類似かな? (^^ 無限集合は認めるが、操作は有限に限るとねww ”多くの数学者は厳密な有限主義は制限しすぎていると見なしたが、その相対的な一貫性は認めていた。すなわち、遺伝的(hereditarily)有限集合の領域は、無限公理をその否定と置換したツェルメロ=フレンケルの公理的集合論のモデルを構成する” ね。まあ、それでも ”その相対的な一貫性は認められる”かな? ところで、”<特別寄稿>スコーレムの有限主義 出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002”がヒットしたので貼るね ;p) さて、いつもお世話になっている 渕野先生 「数学の中の無限—無限の中の数学」百回音読してね 「数学の本質はその自由にある」! 余談ですが、愛媛大学の藤田 博司先生のPDFにはお世話になりました。お礼をば (^^ (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%99%90%E9%9B%86%E5%90%88 有限集合 基礎付け問題 有限主義者は無限集合の存在を認めず、有限集合にのみ基づいた数学を提唱した。多くの数学者は厳密な有限主義は制限しすぎていると見なしたが、その相対的な一貫性は認めていた。すなわち、遺伝的(hereditarily)有限集合の領域は、無限公理をその否定と置換したツェルメロ=フレンケルの公理的集合論のモデルを構成する。 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/dbd723b2-e40f-4649-bce6-e1467e10cd64/content <特別寄稿>スコーレムの有限主義 出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002, 29: 81-104. https://fuchino.ddo.jp/chubu/infinity-LN.pdf 数学の中の無限—無限の中の数学*1 渕野昌(Saka´e Fuchino) (2021 年10 月29 日 版) 自分としては中学生でも十分フォローできるような内容になるよう十分吟味して準備していたつもりだったので 本稿でも,前半は「中学生でもわかる」というスタンスは保持していますが,後半では高校程度の知識が必要になると感じられるところが二三ヶ所出あるかもしれません. P8 2 数学の本質はその自由にある P11 ちなみに,ヒルベルトが集合論擁護派の数学者だったのに対しポワンカレは集合論に対し,懐疑的な立場をとっており,彼の残した言葉には,「Mengenlehre(集合論)は後の世代の人々にとっては,一度かかったがもう治ってしまった病気のようなものと見えるようになるだろう」というものがあるそうです*7. 日本では数学を勉強する学生が現代的な集合論を全く習わない,ということもあり,かなりの数の数学者が,集合論はポアンカレの言ったような意味で「もう治ってしまった病気」になっていると思いこんでいる節があります.集合論はこれらの数学者の考えているように「病気」と言えないこともないのかもしれませんが,もし「病気」という言い方をするなら,その病状は,現在,20世紀の初頭とは比較できないほど複雑怪奇なものに悪化している,と言わざるを得ず,とても「治ってしまった」と言ってすましていられるはずはないのですが... つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/165
166: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 13:58:56.14 ID:NbOUr+U1 つづき P18 4 無限の彼方へ P22 カントルの「数学の本質はその自由にある」という立場は「存在する可能性のあるものは数学的存在として(つまり集合として)存在する」というふうにも解釈でき,そのような立場からは,様々な巨大基数は,それらが集合論と抵触しないかぎりにおいてすべて存在する,と考えるべきで,その意味では巨大基数公理は「正しい」公理と考られます. P23 最後に,ここでお話ししたことに関連する文献について触れておくことにします.集合論をじっくり勉強するための標準的な教科書としては,[13] や[10] があげられます.[13]は愛媛大学の藤田 博司氏が翻訳中のようですが*21,[13] や [10]のレベルの日本語の教科書は今のところ存在しないのではないかと思います.ただし,古典的な集合論を中心に述べた日本語の教科書で最近出版されたものには[15], [18] などがあり,これらよりもう少し本格的なものとしては,少し古い本ですが,[16] があります. (引用終り) 以上 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/166
189: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 17:14:37.74 ID:NbOUr+U1 >>188 死狂幻調教大師S.A.D.@月と六ベンツ さん いつもありがとうございます スレ主です 今後ともよろしくお願いいたします。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/189
191: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 17:30:19.46 ID:NbOUr+U1 >>168 >>無限集合は認めるが、操作は有限に限るとね >カントールは、無限集合を「要素を空集合から1つずつ加える操作を無限回実行したもの」と定義していない ふっふ、ほっほ 下記の 「<特別寄稿>スコーレムの有限主義 出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002」 で、有限 or 無限操作に関する記述があったので、少し引用しよう 君たち二人の主張は、哲学的には 構成主義?w だが、21世紀数学は 実無限を認める人多数だろうさ ;p) >>165より再録 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/dbd723b2-e40f-4649-bce6-e1467e10cd64/content <特別寄稿>スコーレムの有限主義 出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002, 29: 81-104. P83 2.2 「構成」とは何か 古典主義と構成主義の違いを理解するための第二の準備作業として、次に構成主義の名の由来ともなっている「構成(construction)」とは何かを大まかに見ておこう。 現代数学おいて、構成とは、一般的に言って、アルゴリズムに従った一連の操作であると理解されている。(9) 「アルゴリズムに従った操作」については、それを帰納性(recursiveness)と同一視する「チャーチのテーゼ」による数学的な定義が今日広く受け入れられている。しかし、ここでは以下の非形式的な特徴づけで十分であろう。 即ち、それは、離散的なステップを一つ一つ踏み、予め決められていた規則に従って、つまり決定論的に遂行される、有限回の一連の操作である。(10) 例えば超越数 ? n = 1〜∞ 10^− n !は、 このような意味で、リューヴィルによって「構成」された対象であると言えるが、それには若干の解説を要する。 というのも、この超越数の代数的表現に無限和という無限回操作が含まれている以上、その数を有限回の操作で構成することが一見して不可能であるように思えるからである。 しかし、その超越数を求める操作は、n「各々のnに対して? n =1〜n 10^ − n !を求めよ」という有限個のステップからなる計算規則を、無限回適用したものである。 このことは、この有限回ステップとしての規則を定めるだけで、それを無限回繰り返したら得られる極限値として、上の超越数を一意的に特定することが可能であることを意味する。ここで、極限値としての超越数と、それを特定する有限回の操作規則を同一視するという概念操作が施される。このような概念操作によって始めて、超越数の有限回操作による構成可能性が確保されるのである。(11) 有限回操作の規則と、その無限回繰り返しによって得られる極限値とを同一視するという構成主義の方針を踏まえれば、それが実無限としての可算無限や、非可算無限の導入に反対する理由も明らかとなる。 構成主義が受け入れる「無限」とは、結局、「無限回繰り返し可能な有限回操作」に他ならない。 他方、実無限は「その無限回繰り返しが完了した」ことまでも意味する。 また非可算無限に対しては、無限回の繰り返しによってそれを生み出す有限回操作自体が設定できないのである。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/191
199: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 18:13:34.43 ID:NbOUr+U1 メモ貼る https://ahgt.math.cnrs.fr/activities/ Arithmetic & Homotopic Galois Theory IRN Activities - Conferences & Seminars Conferences, workshops, and seminars organized by the members of the AHGT network. The AHGT Seminar Next coming talks… Sep 8, 2025 Anabelian properties of tame fundamental groups of singular curves by Murotani Takahiro, Kyoto Institute of Technology, Japan. https://researchmap.jp/takahiro_murotani 室谷 岳寛 ムロタニ タカヒロ (Takahiro Murotani) MISC 9 https://arxiv.org/abs/2508.01588 Symmetries of spaces and numbers -- anabelian geometry Benjamin Collas, Takahiro Murotani, Naganori Yamaguchi arXiv preprint 2025年8月3日 https://en.wikipedia.org/wiki/Anabelian_geometry Anabelian geometry is a theory in arithmetic geometry which describes the way in which the algebraic fundamental group of a certain arithmetic variety X, or some related geometric object, can help to recover X. The first results for number fields and their absolute Galois groups were obtained by Jürgen Neukirch, Masatoshi Gündüz Ikeda, Kenkichi Iwasawa, and Kôji Uchida (Neukirch–Uchida theorem, 1969), prior to conjectures made about hyperbolic curves over number fields by Alexander Grothendieck. As introduced in Letter to Faltings (1983; see also Esquisse d'un Programme in 1984) the latter were about how topological homomorphisms between two arithmetic fundamental groups of two hyperbolic curves over number fields correspond to maps between the curves. A first version of Grothendieck's anabelian conjecture was solved by Hiroaki Nakamura and Akio Tamagawa (for affine curves), then completed by Shinichi Mochizuki.[1] The theory has since grown in varieties (absolute, mono-anabelian, and combinatorial versions) and with multiple interactions with number theory, algebraic geometry, and low-dimensional topology[2][3]. http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/199
201: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 18:31:40.61 ID:NbOUr+U1 >>192-198 ふっふ、ほっほ >>191の「<特別寄稿>スコーレムの有限主義 出⼝, 康夫. 哲学論叢. 2002」 日本の1980年代の大学数学教育は 有限主義的な教え方が主だったろう だが、その後 ”超準解析”が広まっていった 21世紀では、スコーレム流の有限主義は 古いと思うねw ;p) 加藤文元氏 メンタルピクチャーや Terence Taoの“big picture”としても イマイチだろう(時代おくれ) (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%BA%96%E8%A7%A3%E6%9E%90 超準解析 微分積分学の歴史(英語版)は、流率法(英語版)あるいは無限小数の意味および論理的妥当性に関する哲学的論争を孕んでいる。これらの論争の標準的な解決策は、微分積分学における操作を無限小ではなくイプシロン-デルタ論法によって定義することである。超準解析(英: nonstandard analysis)[1][2][3]は代わりに論理的に厳格な無限小数の概念を用いて微分積分学を定式化する。Nonstandard Analysisは直訳すれば非標準解析学となるが、齋藤正彦が超準解析という訳語を使い始めたため、そのように呼ばれるようになった[4][5]。無限小解析(infinitesimal analysis)という言葉で超準解析を意味することもある。 教育的 ハワード・ジェローム・キースラー、デイビット・トールやその他の教育者らは、無限小の使用は学生達にとって"イプシロン-デルタ"アプローチよりもより直感的かつ容易に解析学的概念を把握することができるものである、と主張する[12]。 (>>8-9より再録) 加藤文元氏 メンタルピクチャー、形式化図式と数学の「理解」 IUTに欠落しているのは、メンタルピクチャー&形式化図式か https://note.com/katobungen/n/nccba3ef014f6 note.com なぜ微分積分学は不完全なのか? 加藤文元 2025年2月23日 メンタルピクチャー 私は数学や数学の理解に関するいくつかの概念とその用語を導入したいと思う。そのうちのひとつは「メンタルピクチャー(MP)」というものだ。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/201
202: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/08/25(月) 18:32:10.64 ID:NbOUr+U1 つづき 形式化された理論 メンタルピクチャーの対極にあるのは、形式化(formalize)されコード化された理論(FT)だ。 数学の研究論文における形式的●●●議論は、例えばLean4やCoqなどのコンピューター言語による形式化からすれば、まだまだ「非形式的(informal)」なものだろう。人間のやる数学はまだまだインフォーマルであり、行間が広く、とてもとても形式的議論とは言えない。 とはいえ、ここで「メンタルピクチャー(MP)」の対極にある概念としての「形式化された理論(FT)」は、人間の書いた論文の議論のようなものも含む、広い概念である。そして、数学の厳密化とか精密化とは、このような緩い意味での形式化 (*) MP ーーーー形式化ー> FT のことである。 形式化図式と数学の「理解」 形式化図式は数学を「理解する」という行為の内実とも、深く関係している。人間による数学の理論とは、単なるコードの連なりとして理解することではない。それは理論のメンタルピクチャー(MP)と、それと形式的理論との関連付け、すなわち形式化図式を構築することである。メンタルピクチャーだけによる理解は危険であるが、メンタルピクチャーによる裏付け・接地のない理解は不健康である。それは健康でないだけでなく、理解の深さがないという意味でも、完全な理解とは言えない。 <“big picture”> https://terrytao.wordpress.com/career-advice/theres-more-to-mathematics-than-rigour-and-proofs/comment-page-1/ There’s more to mathematics than rigour and proofs Terence Tao 3. The “post-rigorous” stage, in which one has grown comfortable with all the rigorous foundations of one’s chosen field, and is now ready to revisit and refine one’s pre-rigorous intuition on the subject, but this time with the intuition solidly buttressed by rigorous theory. (For instance, in this stage one would be able to quickly and accurately perform computations in vector calculus by using analogies with scalar calculus, or informal and semi-rigorous use of infinitesimals, big-O notation, and so forth, and be able to convert all such calculations into a rigorous argument whenever required.) The emphasis is now on applications, intuition, and the “big picture”. This stage usually occupies the late graduate years and beyond. https://terrytao.wordpress.com/career-advice/ Career advice Terence Tao (引用終り) 以上 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1755784703/202
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