Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 74 (954レス)
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(4): 08/26(火)12:53 ID:nzEtO0b1(4/14) AAS
>>146
>無限回の行為が行えるならゼノンのパラドックスはそもそもパラドックスたりえない

下記 『小亀淳,”「ゼノンの逆理」は逆理か?“ 2010年3月10日』 NAIS Journal
が面白い

(参考)
外部リンク:nais.or.jp
NAIS
Nippon Applied Informatics Society
Journal
NAIS Journal vol. 5 2010年3月10日
外部リンク[pdf]:nais.or.jp
小亀淳,”「ゼノンの逆理」は逆理か?“ 2010年3月10日
1.はじめに
結論を言えば,ゼノンの議論は,それ自身の中に自己矛盾を内蔵する,誤った命題の表明にすぎないことが判明する。ゼノンが批判の対象とする「通常説(事象の観測のままのわれわれの理解)」に立ち向かえるような論理ではない。つまり,正常な意味での「逆説・逆理」の主張ではあり得ない。 2000年以上の長きにわたって,「逆説」でないものを「逆説」としてしか捉えず,それを真っ向から解こうとしたところで,不毛に終わるのは,むしろ当然というか,自然な結果である。

ゼノンの逆説を,文字通り逆説・逆理として捉え,あれこれ考えられたこと・考えられ続けてきたことが無意味だというのではない。その逆である。それらの思索の中から,有益な多くの成果が生みだされた。何より,共通のテーマとして,各分野の立場から論じ合う場を提供すること自体,大変有益である。ただ,「逆説」として問題自体が正しく解決されることはないと言うだけのことである。事実,解決されないからこそ,さらに考察が深められ,あまたの考えが模索され続けている。先に,「逆説」の解明が「束ねた葦で西瓜をたたくようなもの」と評価したが,それは,ありもしない逆説を「逆説」として解こうとする道具にするからで,束ねられた一本一本の葦は,「逆説」を解こうとする努力によって,はじめて生み出された価値ある成果であることも,大いにあり得る。もしかすると,ゼノンは,一見逆理のように見えるかもしれない表現を考案し,運動や時間,無限や連続などの不確かな概念の,さらなる熟考と掘り下げの必要性に目覚めさせることを目論んだのではないか,とさえ思えるほどである。

2.概念のイメージ化 

外部リンク[html]:www.accumu.jp
小亀 淳
Jun Kokame
東京大学名誉教授
理学博士
1947年京都大学理学部物理学科卒業
京都大学科学研究所研究員,京都大学助手(化学研究所),東京大学助教授(原子核研究所),東京大学教授(同),国士舘大学教授(情報科学センター)を歴任
元・京都コンピュータ学院情報システム開発研究所所長
上記の肩書・経歴等はアキューム18号発刊当時のものです。
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