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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ16 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ16 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/
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121: 132人目の素数さん [] 2025/04/24(木) 11:27:21.14 ID:bHw680Jn 他人もいろいろ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/121
216: 死狂幻調教大師S.A.D.@月と六ベンツ [] 2025/04/25(金) 20:51:28.14 ID:V2R7/jm0 わがなカタカナ(ローマ)漢字少ない文字で高度で難解な余情ある情報を伝える日本語作成はアルファベットや漢文その他より有利、策略勝ち。日本勝ったぞ。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/216
262: 死狂幻調教大師S.A.D.@月と六ベンツ [] 2025/04/26(土) 21:49:26.14 ID:X6Gu7oaA 部落民は正式でない戦争まで嫉妬で起こすさ。何が目的なのか。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/262
315: 132人目の素数さん [] 2025/04/28(月) 13:03:58.14 ID:heJunuWl >>303 (引用開始) 無限集合の定義は 「自身と対等な真部分集合を持つもの」 とすればよいが 「自然数全体の集合と対等な部分集合をもつもの」 としてもかまわない (引用終り) ありがとうございます。 下記の「デデキント無限」ですね (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%99%90 無限 無限(むげん、infinity、∞)とは、限りの無いことである。 デデキント無限 →詳細は「デデキント無限」を参照 ある集合が自身と対等な(すなわち同じ濃度を持つ)真部分集合が存在するとき、その集合はデデキント無限であるという。デデキント無限でない集合はデデキント有限であるという。デデキント無限集合は常に無限集合であるが、その逆を証明するには弱い形の選択公理が必要である。無限集合が、デデキント無限集合であるということと、可算無限部分集合を持つことは同値である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%87%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88%E7%84%A1%E9%99%90 デデキント無限 集合A がデデキント無限(Dedekind-infinite)である、またはデデキント無限集合であるとは、A と同数(equinumerous)であるようなA の真部分集合B が存在することである。つまり、A とA の真部分集合B の間に全単射が存在するということである。集合 A がデデキント無限でないとき、デデキント有限であるいう。 デデキント無限は、自然数を用いないような最初の無限の定義である。選択公理を除いたツェルメロ・フレンケルの公理系は、任意のデデキント有限集合は有限個の元を持つという意味での有限である、ということを証明するだけの強さを持たない[1]。デデキント無限以外にも、選択公理を用いない有限集合や無限集合の定義が存在する。 通常の無限集合の定義との比較 デデキントの意味での“無限集合”は、普通の意味での無限集合と比較されるべきであろう: 集合A が無限であるとは、どのような自然数 n に対しても、{0,1,2,..., n -1}(有限順序数)と A との間に全単射が存在しないことである。 無限とは、全単射が存在しないという意味で文字通り有限でないという集合である。 19世紀後半、多くの数学者はデデキント無限であることと通常の意味の無限は同値であると単純に考えていた。しかし実際は、選択公理(“AC”)を除いたツェルメロ・フレンケルの公理系(通常、“ZF”と表記される)からは、その同値性は証明されえない。弱いACを使うことで証明でき、フルの強さは要求されない。その同値性は、可算選択公理(“CC”)より真に弱い形で証明できる。 ZFにおけるデデキント無限 次の4条件は、ZF上同値である。特に、これらの同値性はACを用いないで証明できることに注意せよ。 ・A はデデキント無限である。 ・全射ではないが単射であるようなA からA への関数が存在する。 ・自然数の集合N からA への単射が存在する。 ・A は可算無限な部分集合を持つ。 以下略す 選択公理との関係 略す 可算選択公理を仮定した無限との同値性の証明 デデキント無限集合が無限であることはZFで容易に証明される。実際、任意の有限集合はある有限順序数と等濃であって、有限順序数がデデキント有限であることは帰納法により証明できる。 略す http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/315
397: 132人目の素数さん [] 2025/04/29(火) 16:15:58.14 ID:1aHDdtT3 >>395 >つまり、正則性公理は 表では ZFC公理で生成される集合を規定しているのだが >裏の意味として、”記号∈は等号を含まない つまり 不等号 <であって ≦ではない”ということ はい、またまた初歩的間違いです。 ∈が等号を含まないのは∈の定義であって正則性公理とは関係ありません。 口を開けば初歩的間違いを犯すおサルさん、もう口閉じればいいのになぜか口開いてバカ自慢。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/397
677: トイレのうんち [] 2025/05/03(土) 07:08:44.14 ID:57mRMeiU >>658 >>有理数からなるコーシー列が収束するのはどの集合上で? > 収束するのは有理コーシー列の同値類としての実数の集合内で >「有理数をそれで代表される同値類と同一視した時に」と断ってあるので、 > この状況では有理コーシー列の収束先は実数である さすが、キョージュ 肝心なポイントを外さないね どこぞのオチコボレ素人とは大違い 肝心なポイント 「有理数をそれで代表される同値類と同一視した時に」 キョージュの説明に補足するのは烏滸がましいが(本心から言ってないけどw) 上記の「それ」は正しくは 「すべての項がその有理数になっているコーシー列」 実数が有理数の場合は、同値類の中にそのような列が存在する 実数が無理数の場合は、同値類の中にそのような列は存在しない つまり、どのような列のどの項にも「収束先」は存在しない 厳密段階を経た玄人にとっては、上記は当たり前なのだが 前厳密段階に留まってる素人にとっては、何もかも新鮮なはずである (とくに既にある数を使って新しい数を定義した場合 既にある数もその定義に合わせて変形する必要があることなど こんなことは自然数から整数や有理数を作るときにも行うし 実数を使って複素数を定義する場合も同様であるが) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/677
799: トイレのうんち [] 2025/05/04(日) 08:35:22.14 ID:GcC1BGT2 >>795 > 教授も ペコペコばかりじゃ、 > 手応えがなく 面白くないだろうしね 実数=無限小数、でいいじゃん、とほざく🐎🦌は大学にはウジャウジャいる そういう🐎🦌は、数学は具体的な計算技法にすぎない、と思い込んでる 数も具体的な表現としてしか理解したがらない それ以外の理解ができない 「有理コーシー列の同値類」というのは、証明に関して融通を利かせる意図がある しかし計算🐎🦌は証明なんて読みもしないし、計算できればOKと思ってる 彼らにとって「理論」とは、哲学のような全く無駄なおしゃべりらしい 縁なき衆生は度し難し http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1744899342/799
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