[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ13 (1002レス)
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908(1): 02/14(金)13:58 ID:PWoDQ15e(5/9) AAS
つづき
彼こそ後に数学の天才として世界の数論の世界に革新をもたらした新谷卓郎君である。そして、吉田君と新谷君(吉村太彦君も後に加わったが)と3人で神田の神保町の古書店に行き、四方堂、明倫館などで数学や物理の洋書、とくに黄表紙と呼ばれたシュプリンガー社の本、場合によっては上海版と言われた洋書のコピー本を買い求めた
吉田君の思いで 2
私は、千葉市内の公立中学である緑中に通っていた。そこで、Nさんという大変活発な女子学生がいた。マドンナというより、ガラッパチであったが成績はよく、3年の終わり頃になると、越境して東京の入学試験を受け、都立日比谷高校に受かったそうだ。昔の日比谷高校は半分近くが東大に入るという空前絶後の進学校であった。私は大学の1年生になってから真面目に1限から出るべく早起きして、7時前には西千葉駅についた。そして国電に乗って秋葉原、渋谷を経由して東大教養学部前駅まで1時間40 分かけて通っていた。ある朝、プラットホームで電車を待っていると「イイちゃんじゃない」と言って、中学生の頃ガラッパチの女子学生だったNさんが声をかけてくれた。日比谷でもまれたせいであろう、すっかり垢抜けしていて、私は田舎の高校を出た大学生にすぎないことを自覚させられた。彼女は東大の理科2類に入っていたのだ。これにはびっくりした。昔の知り合いなので、彼女は饒舌に語りかけてきた。「理1の○○君は、どこどこ教授のおぼっちゃまなのよ、そう言えば、君のいる理1の組には、吉田茂のお孫さんがいるじゃない」
こうしてごく自然に、吉田健介君が吉田茂のお孫さんということが分かった。これにはびっくりしたが、なるほどそうだろう、と納得させらることも多かった。大学生になっている私たちにとって、親がどうの、祖父がどうの、など関係のないことではあったが、新谷君があるとき、「そういえば、吉田君の計算用紙は原稿用紙の裏紙を使っていますよ」と言ったことがあり、状況証拠があがったのだ。新谷君の父上も東大の工学部卒の技術者で、たしか四日市の工場長を務めていたと思う。あるとき、新谷君は父の書棚に『解析概論』があった、と言って古い『解析概論』をもって来た。そのときは、少しうらやましかった。当時は、吉田茂は超有名人で、吉田健一も有名な存在だった。健介さんはそれが重荷に思ったこともあったのだろうと思う。しかし、私たちの間で話題になったのは、原稿用紙の裏紙の件だけだった。
吉田君の思いで3
私は2006年12月に「いいたかないけど数学者なのだ」という本をNHKから出した。
省6
910: 02/14(金)14:18 ID:05nZnIh7(1) AAS
>>907-909
🐎🦌HN&トリップ
(参考)&リンク&🐎🦌コピペ
は、やめような
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