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なぜ、ZFC公理まで遡らなくても数学が出来るの? (1002レス)
なぜ、ZFC公理まで遡らなくても数学が出来るの? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1731415731/
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364: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2024/12/07(土) 20:24:33.47 ID:t45qOUBr >>363 補足 下記が スレタイ:なぜ、ZFC公理まで遡らなくても数学が出来るの? >>1より ”公理まで遡ってすべての定義・命題を厳密に記述・証明しなければ、正しいとは言えないはず もし、公理まで遡る途中の定義・命題を認めても問題なく数学が出来るなら、それを公理とすればいいのでは?” という素朴な疑問に対する、下記が一つの 渕野昌氏流の回答だと思える (引用開始) 公理的集合論による数学の形式化に対する一般的な注意を,もう一言だけ述べておきたい. 「全数学は公理的集合論の形式的体系の中に埋め込める」という主張 つまり,「全数学は公理的集合論の形式的体系の中に埋め込める」という主張が,「全数学は公理的集合論の形式的体系の中での記号操作として行われなくてはいけない」という主張ととり違えられてしまっていることが少なくないのではないかと思うのである. しかし,「全数学は公理的集合論の形式的体系の中に埋め込める」という事実の指摘は, 「出来上がった数学を(必要なら)そのような体系の中に形式的に記述でき,そのことにより,数学理論の整合性(の度合)などを客観的に議論できるようになる」,ということを言っているにすぎず, 数学者がこの体系での記述のように考えなくてはいけないということを意味しているものでは全くないのである. 逆に,形式的体系の厳密性に魅力を感じる読者の中には,以下の議論が厳密な形式的記述によってなされていないことに不満を感じる者もあるかもしれない. 集合論では,形式的体系の記述能力の限界ぎりぎりのアクロバットを行なうことも多いので, 口語的な表現で述べられた議論が実際に体系の中で展開できることを入念に確かめることが是非とも必要となる場合も多い. しかし,数学は機械のためにあるのではなく,我々の「考える脳」のためのものなのであるから, 直観的な把握と形式的記述の間を自由に行き来してファンタジーの飛翔がうながされるような理解の仕方を工夫することは非常に重要である. この点に関して,集合論研究における研究者の思考の生理学は,他の数学の分野におけるそれと全く同様である. (引用終り) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1731415731/364
365: 132人目の素数さん [] 2024/12/07(土) 20:33:23.08 ID:5RVXVvk7 >>361-364 早く制限されている論理式を書いて http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1731415731/365
564: 132人目の素数さん [sage] 2024/12/15(日) 15:47:17.97 ID:XYG9LFGf つづき (参考) >>361-364より再録 fuchino.ddo.jp/books/intro-to-set-theory-and-constructibility.pdf 第I部 構成的集合と公理的集合論入門 以下のテキストは「ゲーデルと20世紀の論理学第4巻」(東京大学出版会,2007)の,渕野 昌の執筆した第I部です. (引用開始) 公理的集合論による数学の形式化に対する一般的な注意を,もう一言だけ述べておきたい. 「全数学は公理的集合論の形式的体系の中に埋め込める」という主張 つまり,「全数学は公理的集合論の形式的体系の中に埋め込める」という主張が,「全数学は公理的集合論の形式的体系の中での記号操作として行われなくてはいけない」という主張ととり違えられてしまっていることが少なくないのではないかと思うのである. しかし,「全数学は公理的集合論の形式的体系の中に埋め込める」という事実の指摘は, 「出来上がった数学を(必要なら)そのような体系の中に形式的に記述でき,そのことにより,数学理論の整合性(の度合)などを客観的に議論できるようになる」,ということを言っているにすぎず, 数学者がこの体系での記述のように考えなくてはいけないということを意味しているものでは全くないのである. 逆に,形式的体系の厳密性に魅力を感じる読者の中には,以下の議論が厳密な形式的記述によってなされていないことに不満を感じる者もあるかもしれない. 集合論では,形式的体系の記述能力の限界ぎりぎりのアクロバットを行なうことも多いので, 口語的な表現で述べられた議論が実際に体系の中で展開できることを入念に確かめることが是非とも必要となる場合も多い. しかし,数学は機械のためにあるのではなく,我々の「考える脳」のためのものなのであるから, 直観的な把握と形式的記述の間を自由に行き来してファンタジーの飛翔がうながされるような理解の仕方を工夫することは非常に重要である. この点に関して,集合論研究における研究者の思考の生理学は,他の数学の分野におけるそれと全く同様である. (引用終り) 以上 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1731415731/564
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