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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ10 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ10 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/
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675: 132人目の素数さん [] 2024/08/25(日) 23:02:15.42 ID:Kx0EAA+S >>674 補足 (参考) https://intweb.co.jp/miura/myhaiku/saigyou/shigitatsu1.htm 西行と鴫立沢(しぎたちざわ) 鴫立沢 とは何か 秋、ものへまかりける道にて 心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮 (西行 山家集 470) 1143年、 西行26歳、最初の奥州の旅。この句はこの時の歌だと思われる。26歳の西行の歌としては枯れ過ぎている。1186年西行69歳の奥州の旅の時ではないかという説もある。歌の内容からすればどちらでもよいので、とりあえず奥州への旅の途中、湘南の大磯から藤沢・江の島のあたりの間で詠んだ歌、ということにしておこう。 鴫立庵は、神奈川県大磯町大磯1289にある。JR大磯駅から、国道1号線沿いに二宮駅方向に歩いて10分程のところにある。 鴫立庵は国道1号線沿いに、海側のやや沢になった場所にある。国道には車がビュンビュン行きかっているが、一歩園内に入ると往時の静寂に包まれ、沢の水も流れており、鴫立の沢の雰囲気をいくらか味わうことができる。 鴫立庵は、寛文4年に、西行のこの歌にちなみ昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの大磯の場所に、鴫立沢の標石を建てたのが始まりだという。その後、元禄8年(1695年)5月、紀行家と知られ、俳諧師としても有名だった大淀三千風(おおよどみちかぜ)が入庵し、円位堂・法虎堂・秋暮亭など今日に残っているお堂の大部分を建立した。 鴫立庵と沢は、大磯町の有形文化財や史跡名勝天然記念物に指定されている。 左は、大磯町教育委員会の案内板。写真をクリックすると拡大する。 鴫立沢は、西行法師がこの地で鴫立沢を詠んだという言い伝えが室町時代よりあったと書いてある。 「西行物語」には、この歌が詠まれたのは、文治2年(1186年)奥州平泉に向かう途中であったという。その地は相模の国大庭の砥上原(とがみがはら)を過ぎたあたりで、夕方のことであるとしている。大庭は、今の藤沢市大庭であり、鎌倉武将である大庭氏が領していた場所である。 鴨長明の歌に「浦近き砥上原に駒とめて片瀬の川の潮干(しほひ)をぞ待つ」がある。この歌によると砥上原は片瀬の川の西ということになり、それを過ぎたところの鴫立沢は現在の藤沢市片瀬海岸のあたりということになる。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/675
676: 132人目の素数さん [] 2024/08/25(日) 23:09:19.37 ID:Kx0EAA+S >>675 補足の補足 (参考) https://intweb.co.jp/miura/miura.shtml 私の芭蕉紀行 更新 2024.8.11 (1999.8〜) 制作者プロフィール Copyright (C) 2009-k.miura 私の西行 西行と崇徳院 西行出家の動機 西行と吉野山 西行と高野山 西行と鴫立沢 西行の小夜中山と奥州行 西行伝説 西行の略歴と歌 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/676
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