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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ10 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ10 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/
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138: 132人目の素数さん [sage] 2024/07/31(水) 06:34:03.10 ID:VmV60VoT >アベルはカール・フリードリヒ・ガウスの文体について >「彼は砂に残った足跡を尻尾で消すキツネのようだ」と >有名な言葉を残している。ガウスは「自尊心のある建築家は、 >建物を完成させた後に足場をそのまま残したりしない」と答えた。 これをもってガウスが「わざと分かりにくく書いた。発見の秘密を隠蔽した」 と思っているなら誤解だろう。ガウスは出来うる限り明解に記述 しようとしているはずである。では逆に、計算や帰納の痕跡を そのまま残したら分かりやすいかといえば、そんなことはない だろうことは容易に想像がつく。 当時、ラグランジュを始めとして、フランス学派の数学者には 「べき根解法」の部分が大きく注目され、アーベルやガロアは その原理を抽出・一般化することに努め成功したわけだが ガウスD.A.の意図は十分には理解されてなかったのではないか? ガウスは最初から、「数論への応用」に最大の関心を持って 努力していた。その意図は何十年、百年と経って 「ああ、そういうことだったのか」と理解される。 そういう点にこそ、ガウスの真骨頂がある。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/138
139: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2024/07/31(水) 16:42:57.60 ID:e0XX8e/m >>138 ガウス DA 1801年 その後、アーベルとガロアが ガウスのDAなどをもとに代数方程式の理論を作ったと言われるが(下記高瀬 日々のつれづれ) 結局は、この二人の天才以外に ガウスのDAから 代数方程式の理論を解き明かした人は出なかったのです ガロアの死後、リウヴィルが1846年に自身の雑誌にガロアの論文を掲載して デーデキントが1855年から1857年にガロア理論の最初の講義をおこなったという つづいて、1870年にジョルダンが『置換と代数方程式論』(ガロア理論に関する包括的な解説として最も古いもの)を出版する 1846年から四半世紀 アーベルの理論がいつ世に知られるようになったのかは、私にはわからない(高木「近世数学史談」には、ガウスがゴミ扱いしたと書いてある) 繰り返すが、高瀬氏は ガウスのDAがガロア理論のひな形というが、それを感知したのは天才ガロアのみです しかも、ガウス氏がガロア理論を理解したという形跡もなし。まあ、1855年2月23日没だから、やむをえないとしてもね (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/Disquisitiones_Arithmeticae Disquisitiones Arithmeticae カール・フリードリヒ・ガウス唯一の著書 1801年、ガウス24歳のときに公刊された。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9 カール・フリードリヒ・ガウス 1777年4月30日 - 1855年2月23日 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%A2 エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois, 1811年10月25日 - 1832年5月31日) 死後の動き ガロアの死後、シュヴァリエは遺書に従って1832年に『百科評論雑誌』(Revue encyclopédique)に「死者小伝」(Nécrologie)と題したガロアの論文等を掲載した。また、ガロアの弟アルフレッドと共に、複数の著名な数学者へ論文の写しを送ったものの、当初は誰も理解できるものはいなかったようである。しかし、何らかのきっかけで、その写しがジョゼフ・リウヴィルの手元に渡った。リウヴィルはこの論文を理解しようと努め、ついに1846年に自身が編集する『純粋・応用数学雑誌』(Journal de mathématique pures et appliquées)に掲載された。 リヒャルト・デーデキントは1855年から1857年にかけてゲッティンゲン大学でガロア理論に関する最初の講義をおこなった[13]。カミーユ・ジョルダンによって1870年に発表された667ページに及ぶ著書『置換と代数方程式論』 (Traité des substitutions et des équations algebraique) はガロア理論に関する包括的な解説として最も古いものである。ジョルダンはその序文において、「本書はガロアの諸論文の注釈に過ぎない」と述べている。 杉浦光夫 リーとキリング・カルタンの構造概念 (URLのリンクが切れているようだ) Tsuda University https://www2.tsuda.ac.jp › math › suugakushi › sympo01 ガロアの仕事は、1846年リューヴィルによって発表さ. れ、ベッチ、デーデキント、セレ等ガロア理論を理解す. る人も増えて行った。ジョルダンの『置論』は、この. 動きを ... つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/139
820: 132人目の素数さん [] 2024/08/29(木) 21:26:54.41 ID:kPs9suM9 >>138 自動車総崩れだな 確かに言ってなかったみたいな無能は覆らねえよな まあ最近ジャニもKポもブスばっかりだし 疑問に結果で答えてるのを見た。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1721183883/820
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