[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ10 (1002レス)
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222
(19): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP 2024/08/16(金)17:49 ID:nk4D3XmG(1/3) AAS
>>220-221
「可換環と微分」
書店にあったような、なかったような

>中井喜和

中井喜和先生か
不勉強で初見ですが、下記ですね
海洋出版社 月刊“マセマティクス”ありましたね
省10
223
(21): 2024/08/16(金)17:50 ID:nk4D3XmG(2/3) AAS
 つづき

 さてわたくしが24年に卒業してから秋月先生にいわれたのは,まず,H.WeylのDie Idee der Riemannschen Fl¨ache より始めよということであった.わたくしとしては同意しかねる点もあったけれど,そういう古典的素養も必要ということも理解されたので,同じ年に大学院に残ることになった西村孟君と2人でDieIdeeをよんだのであった.一方セミナーでは,井草,松阪,中野,河合氏らが代数幾何学関係の論文を紹介したり,自分のoriginalな研究を発表したりするのであるが,きいていても一向にわからない.当時井草,松阪氏はFoundationを早くも自家薬籠中のものとして,その言葉で話をするので,1日も早くこちらもFoundationをよみ終えねばならないという必要にせまられることになった.こんなことなら初めから,WeylよりWeilをよめといってくれればよさそうなものと思ったが,とにかく自分1人でよみ始め,24年の夏季休暇中によみ終えたと記憶する.それ以来何とか先輩たちの話についてゆけるようになったのであった.
 Foundation というのは,なかなか興味のある本で,E. Artinのうまい批評をかりると,あれは硬貨ばかりのつまっているコイン入れのような本だということである.正しくその通りで,Lemma,Proposition,Theorem がぎっしりつまっているが,金貨らしいものは見当らないようである.証明をよむと,“a章のProposition b とc章のTheorem d によってこうなって,……,e章のLemmafによって云々”とやたらに引用が多くてまことに煩雑である.いちいち本の頁をもとへ戻してめくり直すのは大変なので,Lemma,Proposition,Theorem だけをぬき書きしたノートをつくり,それを座右においてよんだものだった.何度もよく使用されるものは自然に暗記されて,何章のProporition x というだけであのことかとわかるようになったものである.わたくしはとくにどうということはなかったが,こういうスタイルの書き方に性の合わない人も少なからずいるようで,そういう人にとってはこの本の評判はあまりよくなかった.
 かつてこのFoundation を大学院のセミナーに使用したことがあった.その中にN君という人がいたが,どうもその人にとってはFoundationは全然面白くなかったらしく,セミナーでの出来は大変悪かった.しかしその後N君は,岡先生のところで多変数函数論を勉強することになり,それが性に合ったらしく,今ではその方面で立派な業績をあげている.このN君の例でもわかるし,またわたくし自身のことを振り返ってみてもはっきりいえるのであるが,感覚的に好きになれないものは,労多くして功少ないという結果におわるもののようである. これは学問でも,職業の撰択においてでも,その他諸々のことについても正しいようである.好悪の感情というのは,人為的な倫理や道徳などというものより,もっと深いところで人間の存在とかかわりあっているように思うが,どんなものであろうか.わたくしにとってはFoundation は親しみのもてる本であった.面白いという意味では,これにつづく,”Sur les courbes alg´ebriques……” や“vari´et´ e abelienne” の方がはるかに面白いのであるが,わたくしにとってのFoundationはもっと深い意味をもっていた.あれくらい熱心に繰り返してよみ,いろいろな恩恵を得た数学の本はほかにない.

 つづく
224
(5): 2024/08/16(金)17:51 ID:nk4D3XmG(3/3) AAS
 つづき

 昭和25年という年は,永田,森川両君が名古屋大学を卒業した年であり,25年秋から26年にかけてその当時名大の助手であった小泉氏が湯川奨学生として阪大に来ていたのであるが,大変多くの時間を京都で過したように記憶する.27年には西君が京大を卒業している.このように,24年ころから30年ころにかけて,京都大学の数学教室には代数幾何学を専攻する人が,入れかわり立ちかわり出入りして誠に賑やかなものであった.上にすでに名前がでた人の外には,玉河,佐竹,志村,小野,谷山氏らも何度か京都を訪れたことがある.そのような雰閉気の中で,井草氏がPicard 多様体の解析的な構成に,松阪氏が同じくPicard多様体の代数的な構成に成功し,大いに気をはいたものである.その他中野,永田,森川,西,西村の諸氏も活発な研究を行なっていた.及ばずながらわたくしもある程度の成果をあげ,いくばくかの貢献をしたと自負している.しかしこのような状況を演出されたのは何といっても,秋月先生の功績であった.
以下略す
以上

追伸
”Foundation を大学院のセミナーに使用したことがあった.その中にN君という人がいたが,どうもその人にとってはFoundationは全然面白くなかったらしく,セミナーでの出来は大変悪かった.しかしその後N君は,岡先生のところで多変数函数論を勉強することになり,それが性に合ったらしく,今ではその方面で立派な業績をあげている.”

省1
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