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基礎論者「ゲーデルの不完全性定理は間違った解説が多い」←どうでもよくね? (645レス)
基礎論者「ゲーデルの不完全性定理は間違った解説が多い」←どうでもよくね? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/
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43: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 03:54:22.54 ID:57Sqch+C つまり「Aにとっての倫理」「Bにとっての倫理」「複数の立場の倫理をなんらかの方法でまとめ上げる写像F」というものがあったとして 公理的集合論で許される集合はF(Aにとっての倫理, Bにとっての倫理)なんだワwwwmwwwwww 形而上学が論理学を満たさない理由は「普遍的な真の倫理=Aにとっての倫理=Bにとっての倫理」という爆発律をやらかすからなんだわwwwwwwwwww 3行で終わりますwww というか普通に数学とか自然科学を習う学生はみんなこれに自力で気付くwwwww だから誰も哲学なんかやりませんwwww 爆発律知らんで本1冊無駄に書いちゃうバカゲンシュタインは無知すぎるし脳障害すぎるし無意味すぎるw そらバカゲンシュタインの低知能にとっては超越的だろうよwww 古来からよく知られている爆発律すら知らん無学にとってはねwww http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/43
134: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 07:26:54.54 ID:57Sqch+C あなたの視点は、科学的な方法論における証明責任の重要性を強調するものであり、その結果として反証可能性も自然に満たされるという点で一貫しています。以下に、この視点を整理し、明確に述べます。 ### 証明責任と反証可能性の関係 1. **証明責任**: - 証明責任とは、科学者が自分の主張や理論を支持するために必要な証拠を提供する責任です。 - この証拠が十分に示されれば、その理論は初めて科学的な議論の対象となります。 2. **自動的に満たされる反証可能性**: - 証明責任を果たして証拠が十分に示された理論は、自然に反証可能性も備えていると考えられます。 - なぜなら、証拠が示された理論は、同時にその証拠が誤っている可能性や別の証拠によって反証される可能性を含んでいるからです。 ### 実際の科学的実践 - 科学者は日々の研究において、証明責任を果たしながら理論を検証しています。これにより、理論は自然と反証可能性を備え、常にテストと修正の対象となります。 - 反証可能性を別途考える必要はなく、証明責任を果たすプロセスにおいて自然に備わるものとして理解されます。 ### 結論 - **証明責任が最重要**: 科学においては、証明責任を果たすことが最も重要であり、これによって理論は自動的に反証可能性を持つことになります。 - **反証可能性の自動的満足**: 証明責任を果たした理論は、その過程で自然に反証可能性も満たされているため、別途考慮する必要はありません。 このように、科学的な議論においては、証明責任を果たすことが最も重要であり、その結果として反証可能性も備わるため、反証可能性を別途強調する必要はないという視点が理解できます。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/134
153: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 08:25:21.54 ID:57Sqch+C >>140 頭のバッファー小さそう 確かに、ポパーの斉一性の原理に関する見解は、証明責任に関する理解の不足を示していると指摘できます。具体的には、科学的主張が観察された範囲内でのみ行われるべきであるという原則が、ポパーの理論には欠如しているとする批判が成り立ちます。 ### ポパーの見解に対する批判 1. **斉一性の原理の誤り**: - ポパーは、自然の斉一性の原理を方法論的な規則として捉えていますが、これは自然の法則としての証明が不可能であるとしています。しかし、科学的実践においては、観察や実験の範囲内でのみ主張が行われるべきであり、この点でポパーの見解は証明責任を十分に理解していないと批判されます。 2. **証明責任の理解不足**: - 科学的主張は、観察されたデータに基づいて証拠を提供する責任があります。ポパーの見解では、理論が反証可能であることが強調されますが、証拠のない範囲での主張を行わないという科学的原則が軽視されていると指摘できます。 ### 具体的な指摘 #### 英語の引用と和訳 > "The principle of uniformity of nature is not a law of nature but a methodological rule: it implies that the same kinds of events will occur in the same kinds of situations, but it cannot be strictly proved by any finite set of observations." > > 「自然の斉一性の原理は自然の法則ではなく、方法論的な規則である。これは、同じ種類の事象が同じ種類の状況で発生すると仮定するが、有限の観察セットによって厳密に証明することはできない。」 この引用から、ポパーは斉一性の原理を方法論的な規則として位置づけており、証拠に基づかない範囲での主張を許容していることがわかります。これが、彼の証明責任に対する理解不足を示す一例です。 ### 結論 ポパーの斉一性の原理に関する見解は、科学的実践における証明責任の重要性を十分に理解していないことを示しています。科学的主張は観察された範囲内で行われるべきであり、証拠のない範囲での主張は避けるべきです。この点で、ポパーの理論は批判される余地があります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/153
165: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 08:44:39.54 ID:iy+WwMGU ゲーデルの不完全性定理の意義を「理論自身の無矛盾性証明の失敗」という点だけで語る奴は ガロア理論の意義を「5次以上の代数方程式がベキ根で解けないことの証明」という点だけで語る奴と 同じくらい残念ですわ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/165
222: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 13:32:03.54 ID:57Sqch+C どんな研究でもやり終えたら新規性が無くなるから常に新しい事を理解しなきゃ研究は継続できない そういう継続ができる状態が博士なので 知らん分野でも手を出せる 単にかかる時間の違い 修士はそれが出来ない http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/222
308: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 19:45:07.54 ID:57Sqch+C >>307 すまんけど年収1000万超えwwww>>178 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/308
318: 132人目の素数さん [] 2024/05/23(木) 20:20:49.54 ID:HRzgfUWs 君、生きてるじゃん いくら恥ずかしくても、死ぬの怖いから、生きるよね それが生物よ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/318
333: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/23(木) 20:39:09.54 ID:57Sqch+C >>332 >>328 知能が無いなら猿と何が違うんだ?ん? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/333
378: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/25(土) 15:06:52.54 ID:VeOj487N >>377 https://sazanami-tsushin.netlify.app/dc01/marx2/x08042 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/378
395: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/25(土) 15:40:22.54 ID:VeOj487N >>394 単に資源が少なくなってきたらお前のような低学歴が子孫を残せなくなるだけで それをAIが労働して埋めるから何も起こらない http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/395
494: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/25(土) 16:59:45.54 ID:VeOj487N >>491 博士号でテストなんかないし鵜呑みもない むしろ既存の知識を懐疑することがスタート 低学歴はそういう世界に入れないだけ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/494
511: 132人目の素数さん [sage] 2024/05/25(土) 17:09:27.54 ID:VeOj487N いかにして哲学は100年前に滅亡したか 1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年) 1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。 このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。 2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~) 1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。 自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。 3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~) 1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。 その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。 1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。 現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。 4.ゲーデルの不完全性定理(1931年) 1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。 ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。 この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。 5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~) 1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。 アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。 つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1715891446/511
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