[過去ログ]
現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む67 (1002レス)
現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む67 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1559830271/
上
下
前次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
抽出解除
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
リロード規制
です。10分ほどで解除するので、
他のブラウザ
へ避難してください。
643: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [sage] 2019/06/11(火) 10:44:28.23 ID:N8E2AQ1D >>639 >古代ギリシャ人なら、 >実無限という概念を知ったら >理解を示すと思うよ 現代数学では、無限小と無限大とは、双対でね(^^ 少なくとも、シラクサのアルキメデスは、理解するんじゃないですかね(^^; ”無限個の無限小を足し合わせることで積分が与えられる”という話し(下記) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%99%90%E5%B0%8F 無限小 (抜粋) 数学における無限小(むげんしょう、英: infinitesimal)は、測ることができないほど極めて小さい「もの」である。 無限小に関して実証的に観察されることは、それらが定量的にいくら小さかろうと、角度や傾きといったある種の性質はそのまま有効であることである[1]。 術語 "infinitesimal" は、17世紀の造語 拉: infinitesimus(もともとは列の「無限番目」の項を意味する言葉)に由来し、 これを導入したのは恐らく1670年ごろ、メルカトルかライプニッツである[2]。 無限小はライプニッツが連続の法則(英語版)や同質性の超限法則(英語版)などをもとに展開した無限小解析における基本的な材料である。 よくある言い方では、無限小対象とは「可能な如何なる測度よりも小さいが零でない対象である」とか「如何なる適当な意味においても零と区別することができないほど極めて小さい」などと説明される。 故に形容(動)詞的に「無限小」を用いるときには、それは「極めて小さい」という意味である。 このような量が意味を持たせるために、通常は同じ文脈における他の無限小対象と比較をすること(例えば微分商)が求められる。 無限個の無限小を足し合わせることで積分が与えられる。 シラクサのアルキメデスは、自身の著書 The Method of Mechanical Theorems(英語版)(『方法』)において不可分の方法と呼ばれる手法を応分に用いて領域の面積や立体の体積を求めた[3]。 正式に出版された論文では、アルキメデスは同じ問題を取り尽くし法を用いて証明している。 (引用終わり) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1559830271/643
647: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [sage] 2019/06/11(火) 11:06:52.19 ID:N8E2AQ1D >>642 >可算無限と可能無限はどう違うのか、説明してくれ(笑 まず、シラクサのアルキメデス >>643をご参照 あと、可算無限を理解するには、下記の藤田博司 「運動の数学的記述に連続体が必要不可欠」 で、これと対(連続体と)になる概念です 可能無限は、哲学用語ですね 21世紀の数学では使いません(^^ 下記数学屋のメガネご参照 (>>350より) https://bookmeter.com/books/150687 読書メーター 魅了する無限――アキレスは本当にカメに追いついたのか 藤田博司 著 技術評論社 2009年2月 無限の不思議を数学好きの一般読者に語ります。アキレスとカメのパラドックスを題材として、運動の数学的記述に連続体が必要不可欠であることを説明しています。 ネタバレ数学の無限の見方、考え方を教えてくれる本。全部理解できたとは言えないのだけど、無限を説明しようとしてきた過去の数学者の思考の一端に触れられて面白かった。そしてゼノンのパラドックス。アキレスはカメに追いつけるはずなんだけどなあ。 (引用終わり) http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50464188.html 数学屋のメガネ 数理論理学を勉強してきました。そのメガネで世界を眺めてみたいと思います。 2006年03月03日 実無限と可能無限 (抜粋) 野矢茂樹さんの『無限論の教室』(講談社現代新書)では、実無限と可能無限が中心的な話題となっている。野矢さんの分身のようなタジマ先生は、実無限に懐疑的で、無限の概念としては可能無限だけを認めるべきだと主張している。 実無限というのは、無限の対象の全体性を把握して、無限が実際に存在しているとする立場だ。可能無限というのは、無限を把握出来るのは、限りがないということを確認する操作が存在していることだけで、無限全体というのは認識出来ないとする立場だ。 実無限を認めないという立場は、それなりに納得出来るものだ。無限という言葉で呼んではいても、その細部にわたってそれが分かっていないとき、それを果たして「無限」という言葉で呼んでいいものかどうかに疑問を持つというのは正当な疑問のように思える。 よく分かっていないものに対して「無限」という判断をするのは、単に名前を付けているだけのような気もする。 (引用終わり) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1559830271/647
メモ帳
(0/65535文字)
上
下
前次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.059s