[過去ログ] 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む30 [無断転載禁止]©2ch.net (653レス)
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(2): 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/04/23(日)14:56 ID:cvHfhso/(27/35) AAS
つづき

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転職・求人DODAエンジニア IT/トップ > 転職情報・成功ガイド > 三年予測 > レッドコーダー 秋葉拓哉 氏 2 掲載日:2014.4.21
(抜粋)
思い出に残っているのは、2006年、高校3年の夏に参加した「国際情報オリンピック」だ。日本からは10年ぶりに挑戦者を送り込んだ世界大会だった。場所はメキシコ、ユカタン半島の古都メリダだ。
「その頃は、まだアルゴリズムの知識があまりなく、気合でプログラムを書いていた」と秋葉は振り返る。それでも勝てていた。2006年1月の「日本情報オリンピック」では優勝している。だが、2006年3月に開かれた日本からの参加者を決める選考合宿では、様子が違った。
「自分はプログラミングを愛してきた。ところが、数学が得意でプログラミングはちょっとできる人の方が合宿ではいい成績だった。自分よりプログラミングができないはずなのに、彼が書くプログラムは僕のプログラムより実行速度が速い。その人は『国際数学オリンピック』出身だった。なるほど、アルゴリズムで差が付くのだと思い知った。いい経験だった」
省3
126
(2): 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/04/23(日)14:57 ID:cvHfhso/(28/35) AAS
>>125 つづき

翌年、秋葉は東京大学に進学した。そこで、ACM-ICPC(ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト )のコンテストに出場することを目的とする授業を取った。この授業を取っていた仲間と、秋葉はプログラミングコンテストへ向けた挑戦を始めた。「僕の頃は小さなゼミのような授業だった。コンテストに熱中しているのはごく一部だった」。

思い出に残っているのは、2012年にポーランドのワルシャワで開催されたACM-ICPCの世界大会に出場して、日本からの出場者として10年ぶりに「銅メダル」を獲得したことだ。修士1年のときだった。
実は、この世界大会に出場するまでが長かった。ACM-ICPCは大学対抗のコンテストなので、東京大学からは毎年1チームしか出場できない。「東京大学で1位のチームになることが、実はものすごく大変でした」と秋葉は言う。東京大学は激戦区で、学内4位のチームが、他のどの大学のチームより良い成績を出したこともある。
それでも2位以下のチームは世界大会に出場できないのだ。
この世界大会で、秋葉は渡部正樹、吉里幸太の3人とチームを組んだ。渡部は「情報オリンピック」の時に知り合った「数学の天才」だ。秋葉は渡部のことを「天才なので、練習量が少なくてもパフォーマンスが高い」と評する。一方、書籍『プログラミングコンテストチャレンジブック』の共著者である岩田陽一、北川宜稔は、ライバルのチームにいた。
念願かなってACM-ICPC世界大会に出場でき、10年ぶりの「銅メダル」を獲得できたわけだが、この時の体験は、秋葉にとっては悔しい思い出となって残っている。コードが受理されなかった問題が2問あったからだ。
省2
159
(1): 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/04/24(月)16:58 ID:1RdECzzL(20/25) AAS
関連
まあ、ここらやね、数学の価値は(^^

>>125
「自分はプログラミングを愛してきた。ところが、数学が得意でプログラミングはちょっとできる人の方が合宿ではいい成績だった。自分よりプログラミングができないはずなのに、彼が書くプログラムは僕のプログラムより実行速度が速い。その人は『国際数学オリンピック』出身だった。なるほど、アルゴリズムで差が付くのだと思い知った。いい経験だった」

>>126
この世界大会で、秋葉は渡部正樹、吉里幸太の3人とチームを組んだ。渡部は「情報オリンピック」の時に知り合った「数学の天才」だ。秋葉は渡部のことを「天才なので、練習量が少なくてもパフォーマンスが高い」と評する。

>>128
省2
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