[過去ログ] 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む14 [転載禁止]©2ch.net (562レス)
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196(3): 2015/07/18(土)07:49 ID:utoKth6A(1/4) AAS
>>179
>4.対して、ワイエルシュトラスの原論文(デルタイプシロン)を読めという人を、寡聞にして知らない
ε−δをはじめて考え出したのは、ワイエルシュトラスというより、むしろボルツァーノやコーシー。
ワイエルシュトラスより前から、関数をフーリエ級数として展開出来るかやその収束性が問題になっていて、
ε−δを考え出す必要に迫られていたから、コーシーとかがε−δを考え出していた。
ボルツァーノは目立たないところにε−δ関係の論文を出したりしていたから、或る意味で必然の成り行きかと。
抽象代数の原点は、ガロア理論ではなく、ルジャンドルやアーベルとかガウスじゃないか。
198: 2015/07/18(土)09:25 ID:Dy2WdOHw(15/41) AAS
>>195
どうも。スレ主です。>>185の解答ですね
>>196
おっちゃん、どうも
数学史ありがとう
ε−δ = ワイエルシュトラスと耳たこだったので、そう思っていた
>抽象代数の原点は、ガロア理論ではなく、ルジャンドルやアーベルとかガウスじゃないか。
省2
199: 2015/07/18(土)09:38 ID:Dy2WdOHw(16/41) AAS
>>196
どうも。スレ主です。
外部リンク:ja.wikipedia.org
ε-δ 論法
歴史的背景
アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツが創設した微分積分学は、その根底に無限小(どんな正の数よりも小さな正の数)や無限大(どんな数よりも大きな数)といった実数の範囲では定義できない概念を用いたものであり、
このような状況はレオンハルト・オイラーによって微分積分学が大幅な発展を遂げる18世紀まで継続された。
省10
205(1): 2015/07/18(土)10:38 ID:Dy2WdOHw(22/41) AAS
>>196 ボルツァーノ
外部リンク:ja.wikipedia.org
ベルナルト・ボルツァーノ(Bernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano,1781年10月5日 - 1848年12月18日)は、チェコの哲学者、数学者、論理学者、宗教学者。ライプニッツの哲学に影響を受け、反カント哲学の立場から、客観主義的な論理学や哲学を打ち立てた。
その成果は、フランツ・ブレンターノやエトムント・フッサールらに影響を与えた。
彼の名前は、ベルナルド・ボルツァーノやドイツ語圏ではベルンハルト・ボルツァーノとも呼ばれている[1]。
最晩年の1848年の暮れにはそれまで哲学的な概念で捉えられていた無限の概念を数学にも取り入れた『無限の逆説 Pradoxien des Unendlichen』を著した。
これも、重要な著作である。『無限の逆説』を執筆し終えた数日後、風邪をこじらせ体調が急速に悪化し、そのまま死去。67歳だった。
省7
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