★ガス工事 ぼったくり 高い (64レス)
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39: 02/09(金)14:37 ID:VDKZrPTaU(7/8) AAS
東京や横浜を中心に甚大な被害をもたらした関東大震災が発生したのは、ちょうど100年前。
ここは、その被害を後世に伝えようと昭和6年に建てられた「東京都復興記念館」です。展示されているおよそ400点の資料からは、
家屋の倒壊や火災、そして混乱した町の人たちの様子などをうかがい知ることができます。
一方、国の報告書によると震災の犠牲者およそ10万5,000人のうち1〜数パーセントに上るとされる朝鮮の人たちなどの殺害についての詳細を伝える内容は展示されていません。
こうした中、2023年、こちらの資料の存在が明らかになりました。
当時都内の小学校に通っていた児童たちが、震災直後の町の様子をつづった作文およそ1,000点。当時、何が起きていたのか独自取材で迫ります。
関東大震災後の作文に…東京・上野の小学6年生が震災時の体験を、よくとし記した作文です。
各地で火の手が上がる中、親類の家に避難した少年。
地震翌日の深夜、ある情報を耳にしていました。
十二時頃 非常の太鼓が鳴り出した青年団の人が『朝鮮人が放火しますからご用心して下さい』と言って歩きました
皆は驚いて青い顔をしていました西町尋常小学校 6年 男子
今回存在が明らかになった作文を書いたのは、現在の墨田区や台東区などの7つの小学校の子どもたち。
震災の被害が甚大な地域です。
その中で80人以上が朝鮮人について記述しており、後に国が事実無根と認めた流言、
デマについてもつづっています。
地震の翌日、荒川の土手に避難していた小学6年生の少女は、行き交う人々がデマを信じ、警戒心を高めていく様子を作文に記していました。
まるで戦地にいるようでした
通る人通る人皆はちまきをして竹やりを持って中には本当に切れる太刀を持って歩くのでした
横川尋常小学校 6年 女子
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