純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)18 (417レス)
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365: [] 2024/05/21(火) 18:43:12.92 ID:lIT9+VVv メモ https://www.njg.co.jp/post-36669/ フランスのバカロレア試験はなぜ哲学が必修なのか? 哲学を学ぶことは「考える自由」を手にすること 2022.01.28 ※本稿は、『バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く』(坂本尚志)日本実業出版社を一部抜粋のうえ再編集しています 高校生はどんな哲学を学ぶのか? 哲学教育は「哲学者を育てる」ためではない! バカロレア哲学試験は1年間の学習の成果を評価するものであり、問いに対する当意即妙の受け答えや、文才を試すものではありません。解答の仕方も厳密に決められています。それは特にディセルタシオンの解法にはっきり見ることができます。そのディセルタシオンの解法こそが、この本で「思考の型」と呼ぶものなのです この「思考の型」は、学校で教えられるものです。生徒たちはこの「思考の型」をどれほどしっかりと身につけているかを、バカロレア哲学試験で試される、ということです この「思考の型」がどのようなものであるかを知り、それを学べば、フランスの高校生でなくても、バカロレア哲学試験の問題にどう答えればいいかはわかります。それだけでなく、この「思考の型」は哲学試験に役立つだけではない、ということもわかるのです 「フランス人はみんな哲学できる」は本当か? では、なぜフランスの学生たちは哲学を学ぶのでしょうか。それは、生徒たちを哲学の専門家にするためではありません。国民教育総視学官という、教育全体を統括するポストにあったマルク・シェランガムによれば、哲学という「道具」を通じて、生徒たちが「考える自由」を獲得し、「市民」を育てることこそが哲学教育の目的なのです ですから、哲学教育によって、高校生たちは市民として必要な考える力を身につけることを期待されています。 哲学は、市民にとって必要な、思考し、表現する能力を育てるのです。哲学が彼らに与えるのは、いわば社会で生きる「武器」としての論理的思考力・表現力なのです https://book.asahi.com/jinbun/article/14531360 じんぶん堂TOP 哲学・思想 『バカロレアの哲学』フランスの高校生が哲学の授業で学ぶ「思考の型」2022.01.31 『バカロレアの哲学』フランスの高校生が哲学の授業で学ぶ「思考の型」記事:日本実業出版社 バカロレア哲学試験の誤解 よくある誤解は、高校生たちがぶっつけ本番でこの試験を受けるのではないか、というものです。バカロレア試験は高校での学習の成果を見るものですので、これは違います。哲学を一年間学んだ成果が試されるのです 目的は「思考の型」の習得 なぜこれが正しくないのでしょうか。実は、バカロレア哲学試験は「自由な思考」ができるかどうかを見る試験ではありません。単なる「意見」や「感想」を書く試験でもありません。その意味では、日本の小論文や読書感想文とはまったく異なります。日本の文章教育では、形式にとらわれない思考や、書く人の個性や感性が表現されていることが評価されることが多いのかもしれません。そうした先入観でバカロレア哲学試験の問題を見ると、まさに自由で創造的な思考を文章によって表現することが求められているように思えるのかもしれません 実際にバカロレア哲学試験が試すのは、「思考の型」がマスターされているかどうかです http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1705834737/365
メモ フランスのバカロレア試験はなぜ哲学が必修なのか? 哲学を学ぶことは考える自由を手にすること 本稿はバカロレアの哲学 思考の型で自ら考え書く坂本尚志日本実業出版社を一部抜粋のうえ再編集しています 高校生はどんな哲学を学ぶのか? 哲学教育は哲学者を育てるためではない! バカロレア哲学試験は年間の学習の成果を評価するものであり問いに対する当意即妙の受け答えや文才を試すものではありません解答の仕方も厳密に決められていますそれは特にディセルタシオンの解法にはっきり見ることができますそのディセルタシオンの解法こそがこの本で思考の型と呼ぶものなのです この思考の型は学校で教えられるものです生徒たちはこの思考の型をどれほどしっかりと身につけているかをバカロレア哲学試験で試されるということです この思考の型がどのようなものであるかを知りそれを学べばフランスの高校生でなくてもバカロレア哲学試験の問題にどう答えればいいかはわかりますそれだけでなくこの思考の型は哲学試験に役立つだけではないということもわかるのです フランス人はみんな哲学できるは本当か? ではなぜフランスの学生たちは哲学を学ぶのでしょうかそれは生徒たちを哲学の専門家にするためではありません国民教育総視学官という教育全体を統括するポストにあったマルクシェランガムによれば哲学という道具を通じて生徒たちが考える自由を獲得し市民を育てることこそが哲学教育の目的なのです ですから哲学教育によって高校生たちは市民として必要な考える力を身につけることを期待されています 哲学は市民にとって必要な思考し表現する能力を育てるのです哲学が彼らに与えるのはいわば社会で生きる武器としての論理的思考力表現力なのです じんぶん堂 哲学思想 バカロレアの哲学フランスの高校生が哲学の授業で学ぶ思考の型 バカロレアの哲学フランスの高校生が哲学の授業で学ぶ思考の型記事日本実業出版社 バカロレア哲学試験の誤解 よくある誤解は高校生たちがぶっつけ本番でこの試験を受けるのではないかというものですバカロレア試験は高校での学習の成果を見るものですのでこれは違います哲学を一年間学んだ成果が試されるのです 目的は思考の型の習得 なぜこれが正しくないのでしょうか実はバカロレア哲学試験は自由な思考ができるかどうかを見る試験ではありません単なる意見や感想を書く試験でもありませんその意味では日本の小論文や読書感想文とはまったく異なります日本の文章教育では形式にとらわれない思考や書く人の個性や感性が表現されていることが評価されることが多いのかもしれませんそうした先入観でバカロレア哲学試験の問題を見るとまさに自由で創造的な思考を文章によって表現することが求められているように思えるのかもしれません 実際にバカロレア哲学試験が試すのは思考の型がマスターされているかどうかです
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