[過去ログ] 【ダライラマの】チベットの歴史【聖地】 (930レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
371
(2): 04/05/29 08:12 AAS
>>356
いい加減にしとけ。痛すぎる。
372: ジュゼッペ・ツェザーレ 04/05/29 08:30 AAS
イタリア西北から、フランス東南隅にまたがる地域を領有していたサルディー
ニャ王国は、それまでいちどたりとも実効支配したことのなかったイタリア東
北部・イタリア中央部、イタリア南部を併合してイタリアを統一しました。

20世紀前半のチベットには、ダライラマ領のほか、デルゲ王国、チャクラ王
国、チョネ王国をはじめとする四十数カ国が存在し、その大部分はチベット人
が大多数を占めた国でした。

ダライラマ領の実効支配領域 + デルゲ王国の実効支配領域 + チャクラ王
国の実効支配領域 + チョネ王国の実効支配領域・・・・

の総和がチベットだ、とするのが妥当だとおもいます。
373: ジュゼッペ・ツェザーレ 04/05/29 08:31 AAS
>>371 君のほうが痛いよ。
374
(2): 356 04/05/29 11:51 AAS
>>371氏もあげているデルゲ王国ですが、カム地方の東部、中国の行政区分
でいうと、四川省の石渠県・徳格県・白玉県などを領土としていました。
1956年に勃発した抗中戦争の際に中国軍に制圧され、最後の女王が政権を
放棄させられ、県の政治協商会議の委員(=何の実権もない名誉職)に祭り
上げられて滅亡しました。

清朝から授かっていた称号は「宣慰使」だかなんだかですが、自分自身で
名乗っていた称号は、チベットで「王様」を意味する「ギャルポ」で、
ゆえに、史家の間ではデルゲ王国と呼ばれます。

ちなみに、モンゴルのハンも、朝鮮の「国王」も、清朝の天子も、「ギャル
ポ」号。

で、【チベットの領域を「西蔵」のみに限定したい小チベット主義者】の
方に質問なんですが、デルゲ王国の実効支配領域を、チベットに含めたら
いけないのはなぜですか?
ちなみにこの国の国民の大多数はチベット人でした。
現在も漢人の植民はすすんでいなくて、旧領土上の住民の大多数はチベット
系です。

>>371 史実を捏造している「痛い」方は、小チベット主義者さんの方なんですが。、
375
(3): 小チベット主義者の悪質なデマの実例 04/05/29 12:15 AAS
いまこのスレに出没しているプロパガンダ屋は実にタチがわるい。
以下、中国で出版された『当代中国的西蔵』上巻の記述に基づき訂正します。
 ただし固有名詞はJ.F.アベドン『雪の国からの亡命』による。
放棄から鎮圧に至るプロセスそのものについては、中国側、亡命政府の文献で
一致しているので、関心のある方は、ご自分の手元のもので確認して見てくだ
さい。

※捏造のデマ(>>338
 >中華人民共和国成立→欧米見放す
 >→17箇条条約で外交以外は軍事も含めた独立した行政を認められ
 >中国に参加(現在のチベット自治区の領域)
 >
 >1956年以降、アムド・カム方面で共産党統治に反発する僧侶を中心とし
 >た放棄
 >
 >→チベット自治政府出兵して同地方を占領。
 >
 >→共産軍、2年の高地訓練の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中
 >央部に侵攻し自治政府解体。
 >
 >→ダライラマ亡命政府政府樹立、一方チベット自治区発足。
 >で現在に至るだね。
376
(5): 356 04/05/29 12:27 AAS
まず下記が全文まるごと捏造。

  >→チベット自治政府出兵して同地方を占領。

アムド・カム地方において「民主改革」「社会主義改造」が始まったのが1955年、
抗中蜂起が始まったのが1956年、中国の軍事・警察機構は一時的にアムド、カ
ムから除去されましたが、この状態は一瞬で、【ただちに】中国軍の反撃が開
始され、各個撃破された蜂起軍は、大量の難民とともに、算を乱して南方へ逃
れ、チベット政府のもとまだ平穏を保っていた「西蔵」に逃げ込みます。

当時の「西蔵」では、「改革を強要しない」という十七カ条協定により、チベッ
ト社会に「改造」が押しつけられることもなく、アムド・カムにくらべて平穏
がまだ保たれておりました。

当時のチベット政府は、中国側の挑発に応じて彼らを暴発させることがないよ
う、必死の舵取りを行っていた時期であり、なにより、ラサをはじめとする中
国の駐屯軍が睨みをきかせている状態でした。

チベット政府がアムド・カムの動乱に介入した、などと、いったいどんな
オツムが思いついた妄想なのやら。

ええと、最近ここに出没している小チベット主義者さんへ。
ここは学問板であり、創作・文芸板ではありませんので、史実にもとづいて
ものを語ってください。
377
(3): 356 04/05/29 12:38 AAS
これ↓も全文捏造。
 >>→共産軍、2年の高地訓練の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中
 >央部に侵攻し自治政府解体。
>>376でも述べましたが、アムド・カムは蜂起が始まったその年に鎮圧。また
西蔵に逃れたアムド・カムのゲリラたちの、西蔵を舞台とした抗中活動は、
1951年以来西蔵に駐屯していた中国軍部隊がターゲットで、この部隊により
敗退させられていますから、

 【2年の高地訓練の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中央部に
  侵攻し自治政府を解体】

したという【共産軍】なるものは、これもまったく小チベット主義者くんの
妄想の産物です。
378
(3): 356 04/05/29 12:54 AAS
「西蔵」に逃れたアムド・カムのゲリラたちは、1956年に、西蔵ではじめて
統一抗中組織「チュシ・ガンドゥク」を結成し、故郷へ進撃する力はないので、
西蔵を舞台として、西蔵に駐屯する中国軍をターゲットとしたゲリラ活動を
展開しました。

彼らの回想禄には、「十七条協定」体制の維持にヒッシなチベット政府の役人
たちが、政府保有の武器・弾薬・食糧等をゲリラに供給することを拒否し、
戦機を逸したこと度々あったと、苦々しげに記録されています。

チベット政府軍自体は、1951年以降、ロクに中国軍と戦わないまま、1959年中
に全面的に解体させられます。

ツァン地方の師団など、無線により情報交換しあう中国軍部隊の奸計にひっ
かかり、偽り開催された宴会によりへべれけとなった幹部が一網打尽にされ、
なすすべもなく無力化されています。

そういうチベット政府軍が、「アムド・カムへ出兵」などとは、妄想も甚だしい。

*******************

どのような立場から発言するのも自由ですが、
捏造のデマを平気でたれながすのは、恥ずかしいことですな。
379
(3): 356 04/05/29 13:07 AAS
抗中ゲリラの活動については、

阿部治平「カムパ「反乱」の記録について―『甘孜蔵族自治州民主改革史』の検討―」、愛知大学現代中国学会編『中国21』Vol.16、2003年5月

が最新の研究。コンパクトで、文章もよみやすい。
380
(1): 04/05/29 15:25 AAS
清朝スレに東トルキスタン、それにここか。政治的主張と政治的事実は
きちんと分けろよ。一方で

> 「ダライラマの権威が実効的に及ぶ範囲」もまた、
> まぎれもなく「ダライラマの実効支配圏」の一種。

と主張し、他方で

> 「東チベットに野心を抱」き、チベットの国土を現に分割支配しているのは、
> 中国政府♪♪♪

と「支配」の意味を使い分けてるのは、自分でも意図してやってるんだろ?
381: 04/05/29 20:08 AAS
>政治的主張と政治的事実はきちんと分けろよ。

「政治的事実」←意味不明。

歴史的事実、といいたかったのかね(プゲラ
382: 04/05/29 20:25 AAS
>>380
 それで、デルゲ王国の実効支配領域を、チベットに含めたら
 いけないのはなぜですか?
383: デマ屋の捏造デマ・その2 04/05/29 22:37 AAS
>>338 に続く捏造のデマ(>>339

> あ、ちなみに上(→ >>338)のチベット自治政府出兵時に17箇条条約破棄
> と独立を宣言していますね。

>>376でも明記したとおり、チベット政府による「アムド・カム出兵」など、
行われておりません。

実際の、チベット政府による「十七ヶ条協定」の破棄宣言は、1959年に展開された
 ・中国国務院による「西藏地方政府」の「廃止」宣言
 ・中国の「西蔵」駐屯軍によるチベット軍・チベット行政機構の解体・接収
に対応したもので、インドにむかって脱出する途上、国境越えを行う直前に
行われています。
384: 04/05/30 15:06 AAS
高原ならコカイン栽培できる?
385
(2): 04/05/30 21:07 AAS
デマだとか捏造だと痛い言葉を使いたがる陰謀論者が湧いて出てきているな
386: 04/05/30 21:30 AAS
>>385
うっせえ工作員!
387: ワラププ 04/05/30 22:58 AAS
>>385
 学問板で捏造のデマを投稿するほうがもっと痛いとおもいますが。

1.1956-59年のチベット動乱で、チベット政府軍がアムド・カムに出兵
 した事実はありません。
2.「アムド・カムに出兵した」のを期に「十七カ条協定の廃止」「チ
 ベットの徳立」を宣言したような「チベット自治府」など、実在しません。
3.「二年間の高地地訓練」ののち、アムド・カムを「奪回」し、中央チベット
 に「侵攻」したような「共産軍」部隊など、実在しません。
388: 04/05/31 19:16 AAS
>>276
ニトゥリのあたりはコンポなんじゃあ・・・
389
(1): 04/05/31 19:34 AAS
>>374
清朝の天子は「ゴンマ(gong ma)」という言い方もする。
「ギャルポ(rgyal po)」の呼称はデルゲだけでなく、ギャロンの小領主達も自称している。
ちなみにアムド・カムに割拠していたチベット系の小領主の中でも、
清朝との関係が深かった連中は自分達のことを「プン(dpon)=原義は官僚や集団の長」と自称している。
390
(1): 04/05/31 19:53 AAS
>>389
つまり、カム・アムドのチベット人には、清朝の統治を認めた奴らはいても、ダライラマの統治下に入ろうとしていたやつはいなかったわけだな。
391
(8): 04/05/31 23:32 AAS
>清朝との関係が深かった連中は自分達のことを「プン(dpon)=原義は官僚や集団の長」

この「プン」は、「清朝との関係が深かった連中」だけでなく、
チベット政府に奉職する役人、チベット政府の宗主権下で所領を施主する
土着領主、チンギスハンの子孫であるモンゴル人貴族(ノヤン)たちなど、
ようするに、チベット語圏で政治的な地位を持つ者の自称・多少として、
広く用いられている。

>>390
 年羮堯に引きいられて1723-24年にアムド・カムに侵攻した清朝軍は、
 清朝への服属を拒否した諸侯や村々を殺戮し、焼き払いながら、制圧していった。
 台湾の故宮博物院から影印出版された年の報告書には、自分と部下達が
 民族浄化する模様を、嬉しそうに記されているぜ。

>清朝の統治を認めた奴らはいても、

「認めた」のではないな。
暴力と殺戮の恐怖によって強要したのだ。

それと、清朝は「統治」などしていないな。
従来からいる諸侯を冊封しただけ。

アムド・カムの諸侯の実効支配圏は
お前のオツムでは、どーしてチベットに含まれないのかね。
392
(5): 04/05/31 23:55 AAS
チベットは藩部であり冊封体制とはまったく違うが?
自ら捏造開始ですか?>>391
しかもアムド・カムははっきりとダライラマ領からは分離されて
清朝の直轄下にあったが??
それにこの工作員の捏造で一番ひどいのがグシハン一族をダライラマ
の家臣扱いしていること。
ダライラマに寄進された領地はグシハン一族の本拠アムド地方は含まず
チベット中央部に限定され、グシハン没後は一族とダライラマが衝突し
ていたことはどこを調べてもすぐに出てくる。
393
(1): 391 04/06/01 07:19 AAS
>チベットは藩部であり冊封体制とはまったく違うが?
>自ら捏造開始ですか?>>391

チベットの史実に無知で、かつ創作・文芸と史実を混同する小チベット
主義者さんからの難癖にひとつづつコメントします。

1.初代グシハンと、第五代ラサンハンは、「○○汗」号を清朝からうけ、
また青海にいる分家一族は、1997年ごろゾロゾロと北京詣でを行い、親王、
郡王、公、台吉の称号をウレシソウにもらっています。完全な内政自治を
おこなっていますから、この時期のチベットは、朝鮮、ベトナム、琉球と
同様の「朝貢国」と分類されます。

2.「藩部」と「朝貢国」、世襲(転生する坊さんは別)でなにがしかの称号
 を清朝からうける君主が自身の領地を「実効支配」する点では同一。ひと
 つあたりの規模がちいさく、「監督機構」がくっついてる点などが相違点。

3.
>しかもアムド・カムははっきりとダライラマ領からは分離されて
>清朝の直轄下にあったが??

ダライラマ領にはふくまれていないだけで、デルゲ王国、チャクラ、王
国、チョネ王国、ムリ仏教首長国etc.の実効支配下にあり、「清朝の直
轄下」になど、ありませんね。

たとえば、デルゲ王国の場合、デルゲ王は、四川総督・兵部を介して「宣慰使」号
の冊封をうけるだけで、王国政府の文武百官は自身で決め、内政自治を行い、自国
の領土を「実効支配」していた。詳しくは>>374を参照。
394
(1): 391 04/06/01 07:38 AAS
4.
>それにこの工作員の捏造で一番ひどいのがグシハン一族をダライラマ
>の家臣扱いしていること。

グシハンは、現に、みずからを「ダライラマの家臣扱い」してますが?
「原西蔵地方政府」制定の「十三条法典」の序文をみてごらん。
中央民族大学の喜堯尼瑪という人の中国語訳もあるでよ。

5.
 >ダライラマに寄進された領地はグシハン一族の本拠アムド地方は含まず
「ダライラマに寄進された領地」の外側にひろがるアムド・カムにおいても、
寺院の人事、活仏の認定などの分野で、ダライラマやラサ政府は「実効支配
権」を行使していた。
395: 391 04/06/01 07:40 AAS
6.
>グシハン没後は一族とダライラマが衝突し
>ていたことはどこを調べてもすぐに出てくる。

グシハンの没後に、グシハンの「一族」とダライラマが「衝突」した事実
など、いかなる史料をしらべても全くでてこない。

ダライラマが「一族」の内紛を調停したりとか、分裂した「一族」が、それ
ぞれ別のダライラマを擁立して抗争したとかの類の「事実」はあるが。

「グシハン没後は一族とダライラマが衝突していた」などというタワゴトは、
>>375-379でやらかしているのと同様、小チベット主義者氏の妄想もしくは
捏造のデマである。

*************

どのような立場から発言するのも自由ですが、
捏造のデマを平気でたれながすのは、恥ずかしいことですな。

>>338-339のデタラメ投稿、撤回するんですか?
あくまでも真実だと言い張るんですか?

ここは学問板であり、創作・文芸板ではありませんので、史実にもとづいて
ものを語ってください。
396: 391 04/06/01 07:43 AAS
訂正
小チベット主義者氏がデタラメをやらかしたのは、>>338-339

>>375-379は、氏の文章がどこがどうデタラメかの解説。
397: 391 04/06/01 07:45 AAS
訂正2
>>393

 誤:また青海にいる分家一族は、1997年ごろ

 正:また青海にいる分家一族は、1697年ごろ
398: 04/06/01 15:07 AAS
チベット仏教同志が殺戮しあったことってアリなんですか?不殺生
399
(2): 04/06/01 19:03 AAS
> 「ダライラマに寄進された領地」の外側にひろがるアムド・カムにおいても、
> 寺院の人事、活仏の認定などの分野で、ダライラマやラサ政府は「実効支配
> 権」を行使していた。

391の主張する「実効支配」とやらは、お寺の人事に口出しできる
だけか。ずいぶんショボイ「実効支配」なんだねw。
400
(10): 400 04/06/01 23:22 AAS
>>399
で、ボクチャンのオツムでは、

 アムド・カムに分布する、デルゲ王国、チャクラ王国、チョネ王国、ムリ
 仏教首長国etc.の実効支配領域が、

 チベットに含まれないのはどーしてかな?
401: 04/06/02 02:35 AAS
ホシュトのラサ=ハンはダライラマ6世の摂政を殺害し、6世自身も追放
していますがこれは衝突ではない訳ですか?
チベット諸侯の封土を王国呼ばわりですか。
では当然、モンゴル諸侯の封土も王国と認めるのですね?
402
(1): 400 04/06/02 03:22 AAS
  >これは衝突ではない訳ですか?
おやおや、私は「衝突」がなかったとは述べていないぞ。
君の文面は、たしか「一族とダライラマが衝突」だったはずだが?
確認してみようか?

デマ屋の原文(>>392
 >グシハン没後は一族とダライラマが衝突していたことはどこを調べてもすぐに出てくる

さて、史実をみてみよう。

 1.史書『パクサムジョンサン』によれば、デシー・サンギャムは第四代テン
  ワンを毒殺、弟の第五代ラサンの報復をうけて死亡。

 ラサンとサンギャムの衝突は、ラサンと「摂政」の衝突。
 サンギャムは「ダライラマ」ではない。

 
403: 400 04/06/02 03:22 AAS
2.ラサンは1697年にダライラマ六世として即位していたツァンヤンギャム
  ツォの不行跡を理由に1703年に廃位、イェシェギャムツォをダライラマ六
  世として即位させた。

 その際、ツァンヤンギャムツォはラサンに抵抗しようとして集結したデプン
 寺の僧侶に解散を指示、一切 ラサンと「衝突」することなく、おとなしく流
 刑に従っている。また、ラサンが立てた新六世は、チベット内外の諸侯に対
 する称号・印章の授与、宗教組織の叙任権の行使など、先代同様の権限を行
 使している。

 ラサンは、ダライラマ位にふさわしくない行動をとった人物を交代させただ
 けで、ダライラマ位そのものを尊崇する姿勢は、従前と同様である。

 すなわち、ラサンと「ダライラマ」との「衝突」など、生じていない。 
      ?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B  

3.グシハンの分家一族の主立った面々は、ラサンが廃位したツァンヤンギャム
 ツォが青海湖のほとりで死亡したのち、その生まれ変わりを探し、ケサン
 ギャムツォを第七世ダライラマとして擁立し、ラサンと抗争する姿勢をとっ
 た。

 かれらの行為はダライラマを奉戴するものであり、のち、彼等はこの七世を
 擁してラサに乗り込むが、ラサンが六世として擁立したイェシェギャムツオ
 は抵抗することなく位をしりぞいており、ここでも「一族とダライラマの衝
 突」は生じていない。              ?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B
 ?B?B?B?B?B?B?B  
404: 400 04/06/02 03:28 AAS
 >チベット諸侯の封土を王国呼ばわりですか。

雍正の青海征服により、グシハン一族の支配から切り離された後、君主の称号
を世襲で「ギャルポ」と自称する諸国については、「王国呼ばわり」です。

 >では当然、モンゴル諸侯の封土も王国と認めるのですね?
外藩蒙古のジャサクたちのなかで、「世襲罔替」で「親王」号か「郡王」号を
承けているものがありましたっけ? 
405: 400 04/06/02 03:31 AAS
>>399 
「活仏の認定権」を「中央政府が行使することは歴史の定制」と必死に主張
する中国政府は、モンゴル、カルムイキア、トゥバ、ブリヤート等の諸国の
どこからも相手にされないようで、残念でしたね。
406: 400 04/06/02 03:35 AAS
それで、>>338-339のデタラメ投稿、撤回するんですか?

 読者のみなさまは >>375-379で↑のデタラメぶりをご鑑賞ください。

あくまでも真実だと言い張りますか?
あるいは、訂正も撤回も補足もしないまま、スルー?

どうでもいいですけど。
407
(1): 04/06/02 07:50 AAS
400さん割り込んですいませんが『パクサムジョンサン』は非常に偏ったもので、
その記述を史実どころか参考にするのも危険だと思うんだけど、違いますか。
408
(1): 400 04/06/02 12:06 AAS
>>407
 『パクサムジョンサン』は、1748年ごろ脱稿したもので、
 ダライラマ政権やグシハン王朝に関する記述は、ほぼ「同時代史料」
 といえます。

 別の同時代の一級史料と矛盾しない記述については、おおいに利用し、
 参考にしてもよいと思います。
 
 
 >『パクサムジョンサン』は非常に偏ったもので、その記述を史実どころか
 >参考にするのも危険だと思う

のは407さんのご自由です。

別の一級史料と対比して上記のごとき確信をお持ちになったのでしたら、
こんなところでのネタ披露はもったいなさすぎるので、ぜひ、どこか、
オフラインでそのご知見をご披露くださいませ。
409: 400 [age] 04/06/03 11:39 AAS
>>402>>408 への自己レスです。

『パクサムジョンサン』とは別の同時代史料には、「王子テンワン」が中風に
かかり、ある活仏にみとられて死んだとか、サンギャムから毒をもられたのは
ラサン本人だと述べるものもありますが、

・ラサンと衝突したのはデシー・サンギャムであること、
・ツァンヤンギャムツォはラサンと衝突することなく退位し、おとなしく流刑にされたこと、
・ラサンはツァンヤンギャムツォを退けたが、別の人物をダライラマとして擁立したこと、

等の項目については、史料間に食い違いがないので、史実とみて間違いないか
と思われます。
410
(1): 04/06/03 13:20 AAS
活仏て世界に何人居るのですか?
チベット・モンゴルに本願寺みたく世襲僧正はいるのですか?

日本仏教に「転生する」活仏にあたる存在はあるのですか?
411
(1): 04/06/03 14:59 AAS
サキャ派の管長なんか、血統による世襲ですね。
412: 04/06/03 16:55 AAS
>>391
>台湾の故宮博物院から影印出版された年の報告書には、自分と部下達が
 民族浄化する模様を、嬉しそうに記されているぜ。

ちょっと大げさな表現だな。
この時に清朝が武力制圧した地域は、アムドの中でも西寧や松潘周辺の限られた地域だ。
また清朝が「殺戮」したチベット人は清軍の交通路をゲリラ戦を行って妨害した連中だ。
清朝に投降したチベット人はそのまま許しているし、抵抗して捕虜になった連中も後で解放している。
413
(1): 04/06/03 18:16 AAS
>アムドの中でも西寧や松潘周辺

アムドの主要部じゃん。
414: 04/06/03 19:26 AAS
>>413
より詳しくいうと、西寧周辺の地域というのは、おおよそ現在の互助土族自治県
にあたる地域、松潘周辺はおおよそ現在の九寨溝県にあたる地域だ。これらの地域はアムドの中でも土族や羌族が多くチベット圏の中でも周縁地帯といえるのではないだろうか
確かに西寧や松潘周辺にはクンブム、ラブランといったゲルク派の名刹があり、アムドの宗教的中心地といえるが、これらの寺院には清朝は大規模な破壊を行っていない。
ゴンルン寺を破壊したことは有名だが、それはこれらの寺院の僧が青海ホショトと結びついて清朝に抵抗したからだ。
よって清朝のこの時の作戦目的はあくまでアムド地域の交通路の確保であり、チベット民族の根絶やチベット文化の破壊を意図していたかのごとき表現は言い過ぎであろう。
415: 04/06/03 20:22 AAS
>>391
>それと、清朝は「統治」などしていないな。
従来からいる諸侯を冊封しただけ。

「統治」の概念を定義するのは難しいが、少なくとも近代以後の国際秩序の中では土司制度は、実効支配とは認められなかったことは確かだ。
19世紀ではビルマ国境付近の土司が、清朝の実効支配圏とは認められずにイギリスに併合されているし、そうした状況に対する清朝の恐怖感がカムに対する改土帰流と西康建省へとつながっていく。
しかし、清朝がカム・アムドのチベット人王国をほったらかしにしていたかというとそうとも限らない。
王国内で内紛が起きた時、当事者達は必ず清朝に自己の正当性を訴えている。そして清朝もそれに対して採決を下している。
また、ただ統治権を認めるだけではなく、時には内紛の原因を調査し、王の方に非があると判断した場合には役所に拘留して取り調べを行う実力行使もしている。
しかし、ダライ・ラマ政府がそのような事をカム・アムドの王に行っていたかというとそういう記録は無いな。
歴代のダライラマ伝を見ても、カムにあったダライラマの荘園の内紛には関わっているが、その他の王とのつながりは布施を受け取ったり、宗教的儀式を行ったりしたことだけだ。
だから、カム・アムドの諸王に対してはダライラマより清朝の方が相対的な「統治」を行っていたのではないかな?
416
(2): ジュゼッペ・チェザーレ 04/06/03 21:40 AAS
>しかし、清朝がカム・アムドのチベット人王国をほったらかしにしてい
>たかというとそうとも限らない。
>王国内で内紛が起きた時、当事者達は必ず清朝に自己の正当性を訴えて
>いる。そして清朝もそれに対して採決を下している。

これは冊封を行う「天子」として当然の義務。
「土司」諸国だけでなく、朝貢国の諸国にたいしても↑こうだったじゃん。

つまり、カム・アムドの諸国は、漢字表記の漢人むけ官制では、六部所管
の「内地」に帰属していたが、その実質は、「藩部」はおろか、「朝貢国」
にも匹敵する高度の自立性を有しており、>>392が主張するような、「清朝
の直轄下」になどなかったことは明らか。

イタリアの場合、サルディニア+ロンバルト=ヴェネト+パルマ+モデ
ナ+マッサ+ルッカ+トスカナ+教皇領+両シチリアetcの総和でイタリアの
国土なわけだが、

ラサ政府の実効支配領域 + デルゲ王国の実効支配領域 + チャクラ
王国の実効支配領域 + チョネ王国の実効支配領域・・・・
の総和がチベットだ、としたら、なんでいけないのかね。
417
(1): 04/06/03 22:39 AAS
>>416
カム・アムドが朝貢国は無理があり過ぎでしょう。
清朝は朝貢国の王をどうこうする権限など有りませんでしたし。
また青海ではモンゴル諸侯の支配する地域が多かったのに、それ
を無視するのは?
また6世を流刑にしちゃってるのにそれを衝突は無かったと強弁
するのはちょっと。
400さんがちょっと無茶を言い過ぎてるのでチベット擁護派?が
最近の書き込みではあなた1人になっちゃってますよ。
もう少し、相手の話にも耳を傾けてみてはと。
418: 417 04/06/03 23:05 AAS
グシハンについてですが、
少なくともグシハンの存命中は彼がほぼ全権を掌握するところであった
事は色々な資料で一致するところだと思います。
ダライラマを支援し、宗教権威の頂点に立たせたのは彼であり、チベッ
トの大部分の統一も彼が一代で成し遂げています。
チベット亡命政府はこの時の最大版図をチベット領としているのですが、
チベットのうちグシハンに征服された地域は結局中国領となり、征服を
免れたチベット人地域であるブータンが独立を守ったのは皮肉では有り
ますね。
彼は功績の一方、ダライラマと清朝を接近させ一族のその後の衰退の遠因
を作ったり、中国によるチベット支配の下地を結果として作る、モンゴル
の分断とハーン位の陳腐化を決定付けたり、功罪とも歴史に大きな影響を
与えた人物ですね。
419
(1): 04/06/03 23:10 AAS
>>411
> サキャ派の管長なんか、血統による世襲ですね。

サキャ派の管長は出家もしてないからな。今の管長が
リンポチェと呼ばれるのは、たまたまトゥルクに認められたから。
サキャ派管長がトゥルクである必要はない。
420: 04/06/03 23:29 AAS
>>419
ちがうんでないの。サキャ・コンマ・リンポチェが管長なのは、
前管長のご長子だからですよ。前管長夫婦は子供が生まれなくて苦労されたそうです。
コンマ・リンポチェ素晴らしい方だと思います。
421: ジュゼッペ・チェザーレ 04/06/04 01:04 AAS
>>416
>カム・アムドが朝貢国は無理があり過ぎでしょう。

捏造しない!
土司が「朝貢国である」などとはのべていません。

「朝貢国に匹敵する自立性の高さ」と述べたのですよ。

>>392が主張するような、「清朝の直轄下」になどなかったことは明らか。
422: ?W???[?b?y?E?`?F?U?[?? 04/06/04 01:04 AAS
>また青海ではモンゴル諸侯の支配する地域が多かったのに、それを無視す
>るのは?

青海三十旗のうち、ラマ旗1以外はすべて、グシハンの子孫か部下の末裔でしょ?

>また6世を流刑にしちゃってるのにそれを衝突は無かったと強弁
>するのはちょっと。

400がない、といっているのは、「衝突」一般ではなく、
「グシハン一族とダライラマの衝突」と読めるのだが。

実際、ふたりのダライラマ六世は、グシハン一族に迫られるといずれもおと
なしく位を退いてなんの「衝突」してないし、この二人に退位を強いた時、
それを行ったグシハン一族の側は、いずれも別のダライラマを擁立し、ダラ
イラマ位そのものを尊崇する態度はしっかりと保持していた。

つまり、史実で生じた衝突は、分裂したグシハン一族が、それぞれ別のダライ
ラマを擁立して抗争した、という「衝突」であり、>>392の主張するような、
「グシハン一族」と「ダライラマ」との「衝突」などでは、まったくない。

それに、もともとの>>392の文面をみると、ダライラマ五世の、ではなく、
グシハンの没後から、「一族とダライラマが衝突」している、とある。

グシハンの没後といえば、ときあたかもダライラマ五世の全盛期。

捏造もできずに遁走した>>392は、ダライラマ五世と「一族」との間の「衝突」
を、一例も示すことができないでいる。
423: 400 04/06/04 01:40 AAS
>グシハンの存命中は彼がほぼ全権を掌握するところであった
>事は色々な資料で一致するところだと思います。

>>394でも示しましたが、グシハンの存命時に編纂された「原西蔵地方政府」
の「十三条法典」という史料では、「ダライラマの家臣扱い」で、グシハンと
デシーとが併置されています。

>モンゴルの分断とハーン位の陳腐化を決定付けたり、

「モンゴルの分断」が意味不明。

1. グシハンと麾下のホショト族は、モンゴルではなく、オイラトに属します。
 オイラトが「蒙古」の範疇にくくられるのは、乾隆による1755-60のオイラト
 征服以後。

 モンゴルの「外蒙」と「内蒙」との分断に、グシハンはかかわっていません。

 元朝衰退後、モンゴルからオイラトが自立したのも、グシハンが登場する何
 世紀も前の話であって、グシハンに責任ありません。

 1623年に、アルタン=ハーンに征服されてモンゴルに服属していたオイラトが
 モンゴルから独立した時には、まだグシハンの兄が健在で、部族の指導権を
 握っていました。

いったい、あなたのいう、グシハンが決定づけたという「モンゴルの分断」
って、何ですか?

2.北アジアで、大ハーン以外の有力諸侯たちがハーンを名乗り出すきっかけを
つくったのは、アルタン=ハーンであって、グシハンの責任は非常に小さい
とおもいますが。「」
424: 400 04/06/04 01:52 AAS
>ちょっと無茶を言い過ぎてるのでチベット擁護派?が最近の書き込
>みではあなた1人になっちゃってますよ。

べつに「チベット擁護」などしていません。
チベット問題にはさまざまな立場があり、そのいずれを採用するかは、
それぞれの判断ですから。

私の「立場」は、このスレで捏造を繰り返すデマ屋のデタラメを訂正
することだけです。

 >もう少し、相手の話にも耳を傾けてみてはと。
「史実」と、「史料にもとづく記述」がしっかりしているなら、「史実
に対する解釈、価値判断」が私と違ってもむろん容認できますが、たと
えば>>338のごときデタラメにたいしては、「耳を傾ける価値」をまった
く認められません。
425: 04/06/04 19:43 AAS
イシハマセンセイの本って吐蕃に全然触れないね
そんなに山口瑞鳳のツッコミが怖いのかね?
426: 04/06/10 19:40 AAS
彼女はチベット仏教教団のエージェントかプロパガンダになってしまってるな。
427: 04/06/10 23:24 AAS
チベット人の女性に避妊手術してるって本当なの?
428
(2): 04/06/13 21:09 AAS
インドに亡命したインド人はインドに気化してるの?
チベット併合以前にもチベット系インド人って存在したの?
429: 04/06/13 21:15 AAS
>428
帰化してる人もいるが、大半はインドでのステイタスは難民。
難民用のパスポートで世界中行ける。

チベット併合前にインドに定着して帰化しているチベット人も
たくさんいて、ギャカル・カムパと呼ばれている。インドでは
少数民族として公式に認定もされてる。ラダックあたりの人は
これとは別にチベット系少数民族として認定。
430: 04/06/13 21:31 AAS
インドに亡命したチベット人だった

>)429
とんくす

あれから半世紀。高地、寒冷地に強いチベット難民の青年は今やインド軍の一翼を担う重要な戦力だ。
 「昨夏、チベット族の兵士は皆、(インドとパキスタンの領有権争いが続く国境地帯の)カシミール地方に配備され、
砲撃で5人が死んだ」。入隊4年のNさん(23)は特別国境部隊所属だ。「部隊のチベット族兵士は約2万人。良い経験になると思った。給料も悪くない」と入隊動機を語る。月給は5000ルピー(約1万3000円)。亡命政府職員の倍以上だ。
 14世の身辺警護も、かつては対中武力闘争を経験した元ゲリラがあたったが、今はインド軍OBだ。
「訓練は楽しい。カラテも習っている」。表情に自信がみなぎる。

インド軍にはチベット人外人部隊が存在するみたいですね。
431: よろずこ 04/06/13 21:41 AAS
>>428
気化するのは死んだとき。
432: 04/06/13 21:47 AAS
ああっ(恥
433: 04/06/13 21:53 AAS
> インド軍にはチベット人外人部隊が存在するみたいですね。

正式な軍隊ではなく「義勇軍」という扱い。直接前線で
戦闘に参加することはないらしいよ。
434: 04/06/13 21:53 AAS
帰化しないのが恥?
435: 04/06/13 21:54 AAS
いや、誤字が
436
(1): 04/06/13 22:04 AAS
ともあれ、インドでチベット民族語は存続しそうですな。

インドもパキスタン相手にチベット人利用できる。
437: 04/06/14 02:35 AAS
>>436 チベット系は、それ以前に、ブータンという国連加盟国を保有しているわけだが。
438
(1): 04/06/14 02:49 AAS
ブータンとチベットの文化的、言語的距離ってどんなもんなの?
ブータンには国王いるがチベットにはいないね。
439: 04/06/14 02:58 AAS
>>438
ブータン並の王国は、20世紀半ばまでチベット各地に存在したよ。

デルゲ王国、チャクラ王国、ムリ仏教首長国、チョネ王国、シッキム王国etc.
440
(1): 04/06/14 03:05 AAS
その王様らはみんなダライラマに帰依してたの?
ブータンは別の教派みたいだけど。
441: 04/06/14 03:07 AAS
>>440 国によって違う。
 たとえば、デルゲ王国の国教はサキャ派。
442
(1): 04/06/14 03:08 AAS
逆にブータンは20世紀になってはじめて王様が出てきた。
443: 04/06/14 03:38 AAS
>>442 今の王様で第四代だったっけ?
444: 04/06/15 00:06 AAS
何か鶴太郎の番組やってた。見た人いる?
445
(3): 04/06/15 01:04 AAS
デルゲ王国、チャクラ王国、ムリ仏教首長国、チョネ王国

どこにあったかどなたか詳しく教えて。
446: 04/06/15 01:13 AAS
>>410
むしろ中世の天皇ってそんな感じでは。
447
(1): 04/06/15 01:22 AAS
>>445  ガイシュツ。 過去ログ嫁。
448
(3): 04/06/15 01:54 AAS
>>445
アムド・カムのどのあたりかがわかりません。
現在の具体的な地名が知りたいのですが。
449: 448 04/06/15 01:56 AAS
>>445×

>>447
450
(1): 448 04/06/15 02:30 AAS
デルゲ王国、ムリ仏教首長国、チョネ王国はわかりましたが、
チャクラ王国だけわかりません。
具体的にどこにあるのかどなたかお教えください。
451: 04/06/15 09:27 AAS
>>450 首都はタルツェド(打箭炉)。民国以降の中国名は康定。
452: 448 04/06/15 20:58 AAS
ありがとうございます。
453: 04/06/15 21:05 AAS
独立チベットの国号は単に「Tibet」?
「チベット教国」なんかにしたらカコイイのに。
454: 04/06/23 21:37 AAS
 
 「チベット法王国」 ちゅーのは?
455
(1): 04/06/23 21:41 AAS
こらこら、勝手に他人の国の国号を議論しないように。

「ラサ市国」にして、「バチカン市国」と同盟を組む。
「ラサに攻め込んだら、全世界のカトリックを敵に回すよ〜」と北京政府に脅迫する……

そんなの、無意味か(sigh
456: 04/06/24 11:00 AAS
>>455
 アムドやカムを「ラサ市国」と呼ぶのは、いちじるしい無理があるな。
457: よろずこ 04/06/24 21:11 AAS
鉄道を引くというのは、なんか、
19世紀の帝国主義という感じがしますね。
458: 04/06/24 21:14 AAS
中共のチベット統治は成功してるの?
チベット人のノーメンクラトゥーラも存在するの?
459
(1): 04/06/24 21:20 AAS
ダライ・ラマが称号なんだから
チベット・ダライ・ラマ国でいいじゃん。Dalai Lamete of Tibet
460
(2): 04/06/24 21:41 AAS
> 中共のチベット統治は成功してるの?
「武力による抑圧」は成功している

> チベット人のノーメンクラトゥーラも存在するの?
もちろんいるが漢族のいいなり。中国の「自治区」「自治県」など
名目だけ。共産党幹部は中央に内緒で私腹を肥やして好き勝手
できるという意味では「党幹部自治区」「党幹部自治県」だが。
461: 04/06/24 21:47 AAS
>459
現在の亡命政府は、「ダライラマの主権国家」を目指してはいない
んだから、そんな名前つけるわけないでしょ。

民主主義と天皇制が併存していても矛盾しない「日本国」と
同じ扱いで、余計な文字がつかない単に「チベット国 TIBET」で
充分だと思うよ。
462: 04/06/24 21:54 AAS
>>460
民心の掌握には成功しているの?
463: 04/06/24 21:58 AAS
中央の投資による経済開発が進んだため独立を望む声は小さくなってると
ニューズウィークに出てたけど。
464: 04/06/24 22:03 AAS
何処まで信じていいかわからん。
第一民主党寄りだろ?
465
(1): 04/06/24 22:08 AAS
>>460
ソ連の構成共和国とほぼ似たようなものと考えていいの?
漢族との差別はそんなに根強いの?
ソ連みたいに差別是正政策、チベット人官僚の中央進出はないの?

教えてクンでスマソ
466: 04/06/24 22:12 AAS
>>465
大学入試などで優遇措置が有る。
蒙古人やウイグル人同様、官僚への進出は普通に有ると考えられる。
最近もパンチェンラマが北京で戒壇するなど、
チベット仏教そのものも表面上は清国並に復興しつつあるように見える。
467: 04/06/24 22:16 AAS
チベットも一枚岩ではなく、
パンチェン、ダライの両ラマが対立したり、
それに宣統帝時代の清朝が介入したりしていた。
漢人のチベット人を無視した大規模入植、
核廃棄物の投棄については分からない。
468
(1): 04/06/24 22:21 AAS
ウイグル族もチベット族も閣僚を出してるけど
これって差別がありませんよという対外的ポーズ?
それとも本当に差別がない(パブックなレベルでは)と考えていいのかな。
469
(1): 04/06/24 22:37 AAS
まあ、大日本帝国における朝鮮人の地位ぐらいじゃない。
470: 04/06/24 22:40 AAS
朝鮮人は将官にもなれたけど
人民解放軍には少数民族の将軍はいるのだろうか。
471
(2): 04/06/25 00:56 AAS
>ソ連みたいに差別是正政策、チベット人官僚の中央進出はないの?

ソ連では、グルジア人が書記長(スターリン)、外務大臣(シェワルナゼ)
やったり、チェチェン人がモスクワ方面空軍司令官(ドゥダーエフ)とか、
最高幹権力の一角を少数民族が担った例がよくあるが、

中国で、少数民族の「中央進出」は例がないな。

せいぜい、最高でも、自治区レベルの地方役人。
しかもその場合、上で指摘されているとおり、その地方の実験を握るのは、漢人。

>ウイグル族もチベット族も閣僚を出してるけど

「閣僚」?
いつ、誰が、どのポストに?
ウソツキめ。
472: 04/06/25 01:05 AAS
>>469
 それほどよくない。
 満洲国における「満人」(=日本国籍をもたない満州土着の諸民族)
 の役人と同レベルと理解したほうがよい。

 中央政府から地方機関まで、各ポストの長には名目上「満人」が
 据えられたが、そのすぐ下に「内面指導」を任務とする日本人の
 「部下」がつけられ、実権はソイツが保有していた。

 中国支配下におけるチベット人官僚の地位は、満州国における
 「満人」レベル。

 朝鮮人は、満州では、日本国籍があるということで、それなりのポ
 ジションを獲得できた。
473
(2): 04/06/25 01:44 AAS
>>471
ソースドゾー( ´∀`)つ
外部リンク[htm]:www1.china.org.cn
イスマイル・アイマット(ウイグル)さんとドジェ・ツェリンさんね。
ドジェさんは現在中共中央委員のようです。
あと全人大常務委員会副委員長ペバラ・ゲレナムジェさんという方もいますね。
474: 04/06/25 01:59 AAS
現チベット自治区政府主席はシャンパピンツォさん、どう見てもチベット族ですね。
北京いいなりであることは間違いないでしょうが、自治区政府内の漢族官僚から掣肘を受けるということはあるのかな。
475
(1): 04/06/25 02:16 AAS
上の表は1998年03月からの朱鎔基内閣の閣員リストですね。
外部リンク[htm]:www2.big.or.jp

現内閣では少数民族閣僚は
国家民族事務委員会主任の李徳洙さん@朝鮮族だけのようです。
外部リンク[htm]:www.china.org.cn

過去の内閣で少数民族入閣の例があるのかご存知の方おられませんかー。
476: 04/06/25 02:42 AAS
確かにわざわざチベット、ウィグルから任命するあたりなんか恣意的だな。
人口ではもっと多い少数民族いるのに。
477
(6): 04/06/26 06:47 AAS
>イスマイル・アイマット(ウイグル)さんとドジェ・ツェリンさんね。
>ドジェさんは現在中共中央委員のようです。

これのドコ↑が「閣僚」なのかな?

 >あと全人大常務委員会副委員長ペバラ・ゲレナムジェさんという方もいますね。

これも↑「閣僚」じゃないね。国会のポストではあるが。
それに、「委員長」ならそれなりにすごいが、中国の「副委員長」は、ひとつ
の委員長職に対して十数人いるのがふつうだから、ハッキリいってカスポスト。
アリバイにもなりゃしない。

 >現チベット自治区政府主席はシャンパピンツォさん、どう見てもチベット族ですね。
   ↑
「せいぜい、最高でも、自治区レベルの地方役人」に該当。

 >現内閣では少数民族閣僚は国家民族事務委員会主任の李徳洙さん@朝鮮
 >族だけのようです。

国防部とか外交部とか、中央軍事委員会とか、真に国家を動かすポストを
「少数民族」が獲得した例は、まだない、ということですな。

ソ連にはとおくはるかに及ばない、と。
478
(1): 04/06/26 07:58 AAS
>>477
アイヌ人民を収奪しつづけ、沖縄出身の首相を未出の日本帝国主義の走狗が
共和国の不可分の領土に対し分裂工作を行うのは許されない。
君は日本号邦の暁には再教育を施す必要があると確信する。
479
(1): 04/06/26 08:01 AAS
>>477
国務委員=無任所相
民政部長=民政相
閣僚ではない、というのは苦しすぎないですか。

「真に国家を動かすポスト」が何であるかは置いておいてね。
たといソ連に及ばないとしても
あなたが言うように中共で少数民族の「中央進出」がない、とは言えないと思うけど。
480: 04/06/26 08:12 AAS
何しろ自治区を形成しているわけです。日本は自治区をつくっていないのです。
つまり抑圧しているのです。
日本は人民中国に口をはさむべきではない。海底油田は人民中国のものです。
481
(1): 04/06/26 09:14 AAS
海底油田は、国際法にのっとって決められるべきものです。
チベットとは別問題です。
482
(1): 04/06/26 09:15 AAS
>>478
中国も少数民族出身の首相や国家主席は未出だが。
483
(2): 04/06/26 09:18 AAS
>>482
中華人民共和国は人民の指導者に相応しい人物が選ばれている。
世界の中心たる中国人は世界人民を指導するのに優れた特質を
持っている。したがって問題無い。

>>481
国際法は関係ない。もともと中国は尖閣諸島は自国領土と主張しており
日本は尊重せねばならない。
484: 04/06/26 09:22 AAS
>>483
尖閣列島は日本国の領土である以上、日本は中国の主権侵害に対抗して、
試掘を大々的に行わなくてはならない。
485
(1): 04/06/26 09:29 AAS
ダライラマ政権は順治帝との会見以来明らかに中国の冊封下にあったからなあ。
486: 04/06/26 09:30 AAS
歴史捏造にご協力下さい。
中国共産党政府による南京大虐殺の犠牲者数の捏造に対抗し、
我々人類も天安門大虐殺事件の犠牲者数を捏造して後世に伝えましょう。

中国人が中国人に生まれてきた事を恥に感じる位の数字。
天安門大虐殺事件の犠牲者数=86万7000人
なお、その際サリンガスが使用された。
これで後世に語り継ぎましょう。
487
(1): 04/06/26 09:34 AAS
>>483
21世紀にいたっても未だに軍事力での領土拡張を主張する国家が存在する
以上、米国が世界の盟主であり続けることが必要だ。

加えて、日本は軍事力の増強に努めなくてはならない。
488: 04/06/26 09:36 AAS
>>485
もともとチベットは独立の歴史が短いしたがって母なる国にかえるのは
当然だし、断種や子宮除去手術も人口抑止政策として問題ないと思う。
日本は10億を超える民が餓死しても良いと思うのか?
俺は中華の民が幸福に暮らせるためにどうすればよいか最善の道を
みつけたいと思う。
自衛隊が海底油田発掘を妨害しようとするなら人間の盾として身を投げ出す。
それが礼節を授けてくれた国への恩返しだ。
489: 04/06/26 09:38 AAS
>>487
まずイラク侵略を図る国であり民主朝鮮を攻撃しようとする国を打倒すべきだ。
自衛隊は覇権国を援助しようとしている。有事の際には自衛隊や米軍に
協力しないように運動していく。
アジアの平和の為に頑張るぞ。
490
(1): 04/06/26 09:39 AAS
外部リンク:flash24.kyodo.co.jp

中越国境の川挟み投石合戦 兵士や住民、多数負傷
 【ハノイ15日共同】ベトナム北部クアンニン省モンカイと中国広西チワン族自治区東興を隔てる
国境の川の両岸で、3月末から4月初旬にかけての約10日間、国境をめぐり双方の兵士や
住民約400人が断続的に投石し合い、多数のけが人が出ていたことが15日分かった。
 両国間の懸案となっていた国境画定交渉は2000年に一応終結したが、海上や河川に
関しては未画定の部分もあり、不安定要因となっている。
 ベトナム当局によると、中国側が3月27日ごろに堤防工事を始め、ベトナムが自国領と
主張する中州の近くまで土砂を敷き詰めたことが発端。ベトナム側は「中国領を拡張し
ようとしている」と抗議、数十人で積まれた土砂を崩した。
 このため中国側は私服の兵士や作業員ら約500人を堤防に配置。うち200人が
ベトナム側に投石を始めた。
 ベトナム側も約200人が応戦。幅25メートルほどの川を挟み、双方が朝から晩
まで投石し合った
491: 04/06/26 09:42 AAS
>>490
ベトナムは元々安南都督府を置いていた地域です。
田中芳樹もベトナムは歴史的に中国の一部と発言していますよ。
492: 04/06/26 10:36 AAS
>ベトナムは元々安南都督府を置いていた地域です。
>田中芳樹もベトナムは歴史的に中国の一部と発言していますよ

国際法を踏みにじることを「歴史」を持ち出して、領土拡張を主張する
国家がある限り、白人の世界支配のがマシという証拠です。
493: 04/06/26 10:37 AAS
ベトナムは、国際法により主権国家と認められています。
494: 04/06/26 10:38 AAS
934 名前:世界@名無史さん :04/06/12 09:04
中国でも、ほうれん草に禁止農薬を使って
「輸出用だからかまわないと思った。
 食べてみろ?冗談じゃない、誰がこんなの食えるか!」
495: 04/06/26 10:39 AAS
チベットは、国際法により主権国家と認められていません。
したがってこのスレは中国への内政干渉であり、日本帝国主義者の
中国への野心を示すものとして弾劾されるべきだ。
496
(1): 04/06/26 10:41 AAS
吐蕃は、唐に攻めたことさえある独立勢力。
497
(1): 04/06/26 10:44 AAS
131 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :04/06/24 22:18
>最近長城が高速道路建築のため各所で壊されてるらしい、

違う。もう世界遺産に登録されてからは国レベルで破壊をすることは少なくなった。
しかし、とてつもなく長い距離なので所々で崩れている部分や近所の住民がレンガを
持ち帰って丸裸の土壁になっているところも結構ある。もともと、400年以上前の構築
物だから風化して崩れていてもおかしくは無いし、修復するにしても並大抵のものではない。
黄砂は長城以南でも発生している。北京などの黄砂被害については長城ではなく、革命
時期に封建制の象徴として城壁を破壊したために都市及びその周辺の乾燥が急速に進んだせい
とも言われている。さらに、工業化で深刻な水不足になり黄河下流域で「断流」と言う現象
が起こり、川底に溜まりに溜まった黄砂が黄砂被害に拍車をかけているとも言われている。

一番の愚行はウイグルやチベットへの道路建設の際に砂漠地帯にわずかに残った木々を伐採して
レンガを焼く燃料にしたため、砂漠化が進み、砂の移動に歯止めが利かなくなっていると言うものだ。

今残る長城の多くが明代の洪武帝から万暦帝の時代に修復されたもので、元の残党の南下を防ぐ
意味合いが濃かった。実際、北へ逃れたモンゴルは北元を建てるが中原に戻ることはなかったし、
明の永楽帝に至っては長城を越えてモンゴル討伐の親征までしている。
1-
あと 433 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ

ぬこの手 ぬこTOP 0.027s