[過去ログ] 主イエス・キリストは父なる神 2014.8.24 (537レス)
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144
(1): 2014/08/27(水) 05:00:04.08 ID:8cY9a93Z(1/9)調 AAS
「ヴァッスーラ・ライデン」 1.
「ヴァッスーラ・ライデン」について。 全部「否定」されているわけではありません。
『「神のうちの真のいのち」グループの集い』について、言われていること、とは、
別にしないといけないとおもいます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
教皇庁教理省通達(1995年10月6日)より抜粋

「ギリシャ正教会の信徒でスイスに在住するヴァッスーラ・ライデン女史の著書および講演の内容には、
カトリック教会の教義から見て幾つかの重要な誤謬が存在する。
すなわち三位一体のペルソナの特定の名前と働きとを混乱させている、
彼女の前期と後期の著書にはその認識に違いが見られること、
カトリックの教義に反してその思想に一種の「汎神論的教会の到来」があること、
反キリストが教会内に君臨するなどである。
同女史のいう「天からのメッセージ」なるものは単なる個人的な黙想の結果であり、
その思想には肯定的な側面も見られはするが、
結果的に著作と講演などの活動に対して教会は否定的であり、
各教区においてこうした思想や活動が普及しないよう司教たちの適切な介入を望む」
「教理省としてはすべての信者がヴァッスーラ・ライデン女史の著作や講演を超自然からのものと考えないように、
そして主キリストが教会に託しておられる信仰の純粋さを保つよう招きます」

【全文】 【 Vatican のサイト / 英語 】
Congregation for the Doctrine of the Faith / NOTIFICATION*
Vatican City, 6 October 1995
外部リンク[html]:www.vatican.va
145
(1): 2014/08/27(水) 05:04:20.66 ID:8cY9a93Z(2/9)調 AAS
「ヴァッスーラ・ライデン」 2
全ての司教に宛てたウィリアム・レヴァダ枢機卿(教皇庁教理省長官)の書簡 (2007年1月25日)全文

「ヴァッスーラ・ライデン夫人の創作と活動の説明に対するリクエストで、信者の教義に対し、
聖なる会衆に来たり続ける事を依頼する有効性に関し、
特に1995年10月6日の通知と、ヴァッスーラ・ライデン夫人の創作を普及する事の適否に関し、
地元教会の提供を定める際に従うべき基準。
この尊重にて、会衆は以下の如くに明記するを望む。

1) 調査された著作の教義上の見解に関する事は1995年の通知は有効なままである。

2)信仰の教義に対する会衆との対話は続けられ、ヴァッスーラ・ライデン夫人はしかしながら、
彼女の著作に書かれている特定の問題を含む点で説明を提供し、その上で啓示の性質に関して、
「神のうちの真のいのち」の第10巻の、2002年4月4日の書簡で、
これは個人の黙想録として、天主の啓示として提供しないようにとしている。
規範的な見解から、それより上述の説明に従った慎重な評価のケースバイケースで、
そうした説明のフレームワークの範囲内でそれらの著作を読む事に対し、
信者の具体的な可能性を考慮するようにする事が望ましい。

3) 最後に、それはヴァッスーラ・ライデン夫人によって組織される祈祷会の
公教会信徒の参加が望ましくない事を思い出させるのである。
信仰者は教会法によって与えられる教会の条項、そして教区の聖職者に従わねばならない。

あなたにこの情報を送る中で、私は主への信心において敬意を表します。」
William Cardinal Levada
Prefect
(ウィリアム・レヴァダ枢機卿(教皇庁教理省長官 2005.5.13 −2012.7.2)
【Vatican のサイト(英語)】 
CONGREGATION FOR THE DOCTRINE OF THE FAITH (教皇庁教理省)
CIRCULAR LETTER TO THE PRESIDENTS / OF THE EPISCOPAL CONFERENCES /
REGARDING THE WRITINGS AND ACTIVITIES / OF MRS VASSULA RYDEN
外部リンク[html]:www.vatican.va
146
(1): 2014/08/27(水) 05:09:39.95 ID:8cY9a93Z(3/9)調 AAS
「ヴァッスーラ・ライデン」 3
・「ヴァッスーラ・ライデンの伝達に関して 」
(ヴァッスーラ・ライデンは、「教会一致へのよびかけ」を言っているので、保守的なサイトでは、当然、否定的です。)

・日本での当該グループの活動、「神のうちの真のいのち」の集いは、東京教区司教ニュースに何年にもわたって案内が載っている。
外部リンク[htm]:www.tokyo.catholic.jp
禁止されているようなグループの集いを、これだけ長期間、司教区ニュースが載せるものでしょうか。
・「神のうちの真のいのち」のサイトを見る限りでは、過去に、あちこちのカトリック教会の聖堂で沢山イベントを行ってきているようです。
関東では、イエズス会の神父が指導しているだけあって、イエズス会関連の施設での集いも多いようです。
・「神のうちの真のいのち」、ネット上の資料も、肯定的なものから、否定的なものまで、確かめようがないようなものばかり。

・「神のうちの真のいのち」は、2005年、カトリック教会の司教二人より、
Nihil Obstat(無害証明)とImprimatur(印刷許可)という文書に対する教会の権威ある認可が出されています。
参照 外部リンク[htm]:www.vassula.org 
この意味するところは、当該図書は禁書にはあたらないものであり印刷出版を許可する。
またカトリック教会の教えと道徳に反した内容を含んでいないことを保証するというものです。

推薦している枢機卿、司教などのも世界中に多数います。
参照:外部リンク:www.tlig.org 
教皇ベネディクト十六世が何度も好意的な発言を残していることが知られています。
・2004年7月10日付けで信仰教理省長官H.E.ヨセフ・ラッツィンガー長官が・・・否定的だった5つの司教会議に対して手紙を書き・・・との記載。
外部リンク[html]:tomasmaria.mo-blog.jp

「ラッツィンガー枢機卿(教皇庁教理省長官)からの手紙」
外部リンク[htm]:tenshikan.jp
Letter by Cardinal Joseph Ratzinger
to the Presidents of the Episcopal Conferences of France, Switzerland, Uruguay, Philippines & Canada  (英語)
外部リンク:www.defending-vassula.org
147
(1): 2014/08/27(水) 08:21:04.09 ID:8cY9a93Z(4/9)調 AAS
>>134
ヨハネさま。
昨日は、私のために、わざわざ別メニューをご用意くださいまして、ありがとうございました。
とても、いいです。・・・+゚*。:゚:。*゚+.:。゚.+:・

それで、マリア・ヴァルトルタの文章のなかの、二人称が、
「あなた」「おまえ」「貴女」の場合があって、これは「貴女」なのですが、
元はどうだったんだろう? と思い始めて、それで、英語で書かれたものを
探していたのですが、見つかりませんでした。

イタリア語は見つかったのですが、わからないだろうと思ったのですが、
原文は、イタリア語だと思うので、見てみました。でも、
英語が見つからなくて、かえってよかったです。(「貴女」は、原文は、ふつうに「あなた」でしたw)

「わたしの小さなヨハネのことを思うと、わたしの胸も痛む。」
Me ne duole per il mio piccolo Giovanni.  

 「わたしの小さなヨハネ」、のイタリア語は、

「  il mio piccolo Giovanni  」 (イル ミオ ピッコロ ジョヴァンニ ) 
148
(1): 2014/08/27(水) 08:24:53.28 ID:8cY9a93Z(5/9)調 AAS
>>134
昨日、ヨハネさまがくださった「マリア・ヴァルトルタ」全文です。

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P52
‘44年9月12日 
12 settembre.  

Dice Gesu:
イエズスは言われる。
Un dettato severo.
厳しい書取りだ。
Me ne duole per il mio piccolo Giovanni.
わたしの小さなヨハネのことを思うと、わたしの胸も痛む。
Ma lo conforto con una carezza.
しかしわたしは愛撫で勇気づける。
Questa: Quand’anche tutti ti abbandonassero io ti restero.
その愛撫とは、すべての人が貴女を見捨てたとしても、わたしは貴女のそばにとどまるということだ。
Quand’anche tutti ti dimenticassero io ti ricordero.
すべての人が貴女を忘れ去っても、わたしは貴女を憶えている。
Quand’anche tutti ti odiassero io ti amero.
すべての人が貴女を憎むとしても、わたしは貴女を愛してやまないだろう。
Lo vedi come ti sovvengo anche materialmente con forze fisiche quando ne e il momento?
必要とあれば精神的にはもちろん物質的にも、体力を与えることによって、どれほどわたしが貴女を助けるかを見ただろう? 
Tu sei nelle mie mani, strumento amato e prezioso.
貴女はわたしの手のなかの、愛すべき道具なのだ。
Non aver paura.
恐れてはならない。
177
(1): 2014/08/27(水) 19:52:08.89 ID:8cY9a93Z(6/9)調 AAS
>>153
ヨハネさま。 ありがとうございました。
書きたいことは、たくさんありますが、いまは、とりあえず、感謝だけ。

マグダラのマリア
外部リンク[htm]:www5b.biglobe.ne.jp
3.見失った羊の譬え(ルカ15・1)

ここは、文章が長いのですが、最後の部分だけ、勝手に、コピペさせていただきました。
(イタリア語は、マリア・ヴァルトルタの書いた原文のイタリア語かどうかは、わかりません。すみません。
 でも、原文の雰囲気には近くなるとおもいます。)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3.見失った羊の譬え(ルカ15・1)
マリア・ヴァルトルタ/天使館/霊のパン/2008.10/3号/P11
1944年8月12日。
(最後の部分)

O povera piccola anima illusa!
「おお、かわいそうな迷える霊魂よ!
Ma dimmi: se Io ti perdono, tu mi ami ancora?
 だが、言って欲しい。もし私がお前を赦したら、まだ私を愛してくれるだろうか? 
Ma dimmi: se Io ti tendo le braccia, tu vi accorri?
言って欲しい。わたしが両腕を差しのべたら、私のもとに駆けて来るだろうか?
Ma dimmi: hai sete dell'amore buono?
私に言って欲しい。お前は善き愛に渇いているか?
E allora vieni e rinasci.
 それなら来なさい、そしてもう一度生まれなさい。
Torna nei pascoli santi.
神聖な牧草地に戻って来なさい。
178
(1): 2014/08/27(水) 19:53:40.67 ID:8cY9a93Z(7/9)調 AAS
>>153
Piangi.
泣きなさい。
Il tuo col mio pianto lavano le tracce del tuo peccato,
お前と私の涙でお前の罪の痕跡を洗い流し、
ed Io per nutrirti, poiche sei consumata dal male che ti ha arsa,
お前を燃えさせた悪ですっかり弱っているお前に栄養をつけるために、
mi apro il petto, le vene mi apro,
私は私の胸と血管を開き、
e ti dico:
お前に言う。
"Pasciti, ma vivi!".
『食べなさい。そして生きなさい』。
Vieni, che ti prendo sulle braccia.
さあ、お前を私の腕に抱けるように来なさい。
Andremo piu solleciti ai pascoli santi e sicuri.
急いで行こう、神聖で安全な牧草地へ。
Tutto dimenticherai di quest'ora disperata.
お前は絶望していたこの時間の全てを忘れるだろう。
E le novantanove sorelle, le buone, giubileranno per il tuo ritorno perche,
そして、お前の九九匹の善き姉妹たちは、お前の帰還をどんなにか喜ぶだろう。
Io te lo dico,
私はお前に言う、
mia pecorella smarrita
私の迷った子羊よ、
che ho cercato venendo da tanto lontano, che ho raggiunto, che ho salvato,
お前の姉妹たちが喜ぶのは、私が遠くまでお前を探し求め、追いつき、そして救ったからであり、
si fa piu festa fra i buoni per uno smarrito che torna,
che non per novantanove giusti che mai si sono allontanati dall'ovile≫.
善き人々の間では、囲いから一度も遠ざからなかった九九匹の正しい羊より、
失われて見つかった一匹の羊のための喜びの方が大きいからだ。
179
(1): 2014/08/27(水) 19:55:21.44 ID:8cY9a93Z(8/9)調 AAS
>>153
Gesu non si e mai voltato a guardare
イエズスは背後の道を一度も振り返って見ようとしなかったが、
sulla via che ha alle spalle e sulla quale e sopraggiunta, fra le penombre della sera,
その道を通ってマグダラのマリアが夕暮の薄明かりの中、不意にやって来ていたのだ。
Maria di Magdala, ancora elegantissima, ma vestita almeno,
彼女は今なお大変優雅で、少なくともきちんと服を着て、
e ricoperta da un velo oscuro che ne confonde i tratti e le forme.
顔と体の線をあいまいにする暗い感じで暗い感じのヴェールで全身を覆っている。
Ma quando Gesu parla dal punto: ≪Io ti ho trovata, diletta≫,
イエズスが「愛する者よ、お前を見つけた」と言う箇所からずっと、
Maria porta le mani sotto al velo e piange, piano e continuamente.
マリアはヴェールの下に手を入れ、静かにとめどなく泣く。
La gente non la vede perche ella e al di qua dell'argine che borda la via.
彼女は道沿いの土手のこちら側にいるので、群集からは彼女を見ることができない。
La vede solo la luna ormai alta e lo spirito di Gesu...
今や中天にかかる月とイエズスの霊だけが彼女を見ている・・・

il quale mi dice:
 ・・・その御方はわたしに言われる。
≪Il commento e nella visione.
「コメントは、ヴィジョンのなかにあります。
Ma te ne parlero ancora.
でもそれについては、改めてあなたに話そう。
Ora riposa perche e ora.
今はお休み、もう時間です。
Ti benedico, Maria fedele≫.
忠実なマリア、あなたを祝福しよう」。
204
(2): 2014/08/27(水) 23:01:06.17 ID:8cY9a93Z(9/9)調 AAS
>>191
ヨハネさま。こちらこそ、ありがとうございます。
私は「マリア・ヴァルトルタ」は、知りませんでした。ヨハネさまに教えていただきました。そして、
昨日、>>134 をくださらなかったら、「マリア・ヴァルトルタ」のイタリア語のページのことも知らなかったでしょう。
私は、イタリア語は、簡単な会話程度しか学習していませんし、もう十年以上やっていませんでした。
ほぼ、イタリア語のとおりの日本語訳なので、パズルのようにはめ込んでいるだけですw
(イタリア語も英語と同じく、主語・動詞の語順なので、動詞が最後にくる日本語とは、
ずれがでてしまうので、必ずしも正確にあてはまるわけではありませんが。)
いつか、ヨハネさまにはお伺いしたかったのですが、個人情報になってしまうので。
でも、偶然というか、ヨハネさまは、私の父と私の両方の洗礼名をお持ちなんですね。
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