【HOn3-1/2 HOm】1/87 12mmスレ【HOj HO1067】 -13- [無断転載禁止]©2ch.net (886レス)
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457: (ササクッテロリ Spbb-Fpcp) 2018/03/23(金) 17:45:34.80 ID:EjL5dd9Cp(1/3)調 AAS
仮想鉄道を色々考えていて、つくづく、存在しない鉄道は合理的な理由があって存在できないんだなぁと痛感。
全く話を聞かないルートにも伏兵が眠っている。
過去の人間は膨大に居る訳だから、どんな荒唐無稽なルートであろうと「思いついた先人がいて当たり前」なのだろう。
それは儲けるネタ探しでもあり、村の希望でもあっただろう。
国による建設を願っても、建設線にさえ残れなかった合理的理由があるから話も聞かない。
現在の養老鉄道線って、揖斐川に沿って更に奥地を目指していたんじゃないだろうか?
状況証拠その1
客用としては揖斐駅の立地が酷い。揖斐市街地まで1キロ以上。間に橋が二つ。
しかも9年後に名鉄揖斐線が開通しており、揖斐町民には全く受け入れ難い立地であった事も伺える。
状況証拠その2
揖斐駅構内がやたらと広い。養老線に多い二面三線の中間駅とするに充分な幅を持つと共に、北側にある粕川堤防まで駅構内に含まれる。
状況証拠その3
揖斐川の発電用水利権を持つ揖斐川電力と、初代養老鉄道は創業社長が同一人物。社長死亡後に揖斐電は養老鉄道を手放している。
458: (ササクッテロリ Spbb-Fpcp) 2018/03/23(金) 17:47:56.39 ID:EjL5dd9Cp(2/3)調 AAS
IFです。
もし私が初代養老鉄道企画者であり旅客営業を真剣に考えるならば、神戸集落から揖斐川を渡り揖斐集落をかすめて谷汲山門前町へ向かうと思うんですよね。
揖斐川に架橋する必要はあるけど、それがこの時代この地域で一番儲かる路線でしょう?
谷汲まで免許は無くても将来を踏まえればそうする筈。谷汲鉄道も、美濃電気鉄道翼下に収まるまでは類似のルートを検討していた。
当時の養老鉄道社長は、鉄道は頼まれてやっているだけで、意識の上の本業は電力会社なんですよね。
「近未来の電力事業のための布石」として、地元民の利便性が眼中にない鉄道を敷いてしまったんじゃないでしょうか?
最初は蒸気鉄道でしたが本業が上手く行かないので電化し、立ち直る前に創業社長が亡くなってしまい、リストラされ伊勢電気鉄道へ経営権が移った。
その時点で建設の経緯が忘れられ、近鉄時代には誰も知る者が居ない。
揖斐川にダム建設が早々に決まっていたら、あるいは話は違っていたでしょう。
459: (ササクッテロリ Spbb-Fpcp) 2018/03/23(金) 17:51:17.56 ID:EjL5dd9Cp(3/3)調 AAS
検証
おそらく揖斐駅以北への延伸構想は曖昧なものしか無い。
しかし創業者が電源開発資材輸送以上のものを、この鉄道に求めていなかった事は確かなようだ。
横山にある二つの発電所の資材輸送は川船に拠った。現養老鉄道揖斐駅の北にある河岸で、貨車から降ろされた発電機などの資材は筏に乗せられた。
ここから川を遡る訳だが、おそらく両岸から人夫が牽いたものであろう。急流にはウィンチなど動力を併用したものと思われる。大変な作業だが常にある訳ではない。
横山から上流部へは工事用作業軌道が確認される。おそらく筏を用いた流送が難しかったのであろう。
もし大規模な工事、すなわちダム建設が企画された場合、高価なコンクリートを大量に運ぶ必要から鉄道線延伸も検討されたであろう。
しかし揖斐川電力は早々に可能性が無い事を理解した筈である。
揖斐川上流部は谷間が広く、農耕を営む定住者が数多く居住していた。
所々で谷が狭くなるダム建設適地は見つかるが、どこに建設しようが広範囲な水没地が出てくる事は逃れられない。
揖斐谷上流部は戦後の公共事業化まで、本格的なダム建設はなかった。
それは発電水利権を電力統制により揖斐電が手放したせいでもあり、ダムの主目的が洪水調整へと移ったせいでもある。
逆説的に言えば、揖斐川は、手厚い補償を伴う公共事業の時代に徳山ダムの様な巨大な適地を提供した訳だ。
堤建設地の谷幅は狭いくせに、その上流で谷幅は広がるのだから貯水量では日本有数の規模となる。
つまり、どこをどう押しても揖斐線北伸の可能性は無い。
横山以北に工事用軌道があったことが発見だった。
林鉄化の可能性もあったそうで、こちらの架空鉄道にネタを提供する事だろう。
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