[過去ログ] 長野峻也と游心流−第6章− (452レス)
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55: 長野コラム3 02/04/27 21:48 ID:Npu0iIFK(2/8)調 AAS
限定状況の中で一見不思議そうなパフォーマンスを演じて見せるだけで説得できると考える
無邪気さ(考えの甘さと言い換えた方が良いかも知れない)自体が武術文化を危機に追い込んで
しまうのである。“現代武道や格闘技のように条件を同等にして互角の手合わせをすれば結局は
組手や乱取り、試合に慣れている人間には勝てない”という現実的な勝負の構造が観えていない
から、そんな馬鹿げた真似をやっていられるのだろう。
それでも、最低限、現代武道や格闘技、スポーツにケチをつけないなら未だしも許せるが、
よせばいいのに、TVでボクシングやK−1の試合を見て、「あれは武術的になっていない」等
の論評をし始めるのだから困ったものだ。
そんな事は現実に自分がそれをやってみてから言わねば失礼の度が過ぎるというものである。
そんな子供でも判るような礼節すら判らない武術人がいかに多い事だろうか?
そういう人に限って“礼節”がどうのとか言ったりするのだから、そんな人達の偽善ぶりに
呆れ果ててしまうし、そんな偽善者から「長野は礼儀知らずだ」と言われる度に、「少なくとも
お前みたいな偽善者の百万倍は礼儀知ってるよ」と心の中で思っている。
物事の上っ面しか見ないのは現代日本人が洞察力を失っている証明かも知れない。
武術の極意と称するパフォーマンスを演じての喧伝は何人もの武道理論家が繰り返してきて
いる常套手段と言えば言えるだろうし、今や、マスコミに先導されている日本武道界の常識と
なっている印象もある。
そのような日本の武道界の現状を時津先生は「海外では考えられない惚けた体質です」と
苦言を呈する。海外では、実証してみせられない限り、認められないのだと言われる時津先生
の表情には日本人の武道家としてのプライドがあるが故に、日本の武道界の綺麗事でごまかす
現状に対して絶望的なまでの幻滅の感情が沸き上がってしまうものらしい。
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