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【地侍】伊賀・甲賀衆を語ろう U【郷士】 (990レス)
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480: 477 [sage] 05/02/20 03:00:06 〜山の生活〜 朽木・葛川の谷筋には、古くから山にヤマノクチと呼ぶ山の神、川にシコブチと呼ぶ筏神の土俗の 信仰が伝えられてきた。新来の地頭朽木氏も、それらを無視することはできず、宮前坊の旧朽木大 宮権現(邇々桙神社)・野尻の旧山神社(山神神社)を朽木谷の総産土神と崇めたり、葛川の地主 神社の祭礼に何かにつけて関与した。 この頃、京都〜小浜間の交通はようやく開けた。寛元元年(1243)曹洞宗の開祖道元が、北陸下 向の途次立ち寄り、上柏指月谷が宇治興聖寺の地形に似たところから、領主の信綱に勧めてここ に禅林を創立させたのが、現在の岩瀬興聖寺の起源であるとされている。これが近江最初の禅林 で、代々朽木氏の菩提所となった。以後、朽木村の天台系寺院のほとんどが禅宗に改宗すること になった。今日朽木領内53か寺のうち、禅宗が37か寺を数える。また、雲洞谷日吉神社の「大般 若経」奥書には、嘉慶2年(元中5〈1388〉)京都の信光寺にあったものを、応永3年(1396)この 地区がもらい受け、さらに康正3年(1457)になって神社に奉納したことを記している。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/warhis/1094889257/480
山の生活 朽木葛川の谷筋には古くから山にヤマノクチと呼ぶ山の神川にシコブチと呼ぶ筏神の土俗の 信仰が伝えられてきた新来の地頭朽木氏もそれらを無視することはできず宮前坊の旧朽木大 宮権現神社野尻の旧山神社山神神社を朽木谷の総産土神と崇めたり葛川の地主 神社の祭礼に何かにつけて関与した この頃京都小浜間の交通はようやく開けた寛元元年1243曹洞宗の開祖道元が北陸下 向の途次立ち寄り上柏指月谷が宇治興聖寺の地形に似たところから領主の信綱に勧めてここ に禅林を創立させたのが現在の岩瀬興聖寺の起源であるとされているこれが近江最初の禅林 で代朽木氏の菩提所となった以後朽木村の天台系寺院のほとんどが禅宗に改宗すること になった今日朽木領内53か寺のうち禅宗が37か寺を数えるまた雲洞谷日吉神社の大般 若経奥書には嘉慶2年元中51388京都の信光寺にあったものを応永3年1396この 地区がもらい受けさらに康正3年1457になって神社に奉納したことを記している
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