[過去ログ] 【負けの大地】北海道新幹線300【バカ道民】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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(18): 2016/10/27(木) 01:29:20.22 ID:FGokhIjB(1/57)調 AAS
立てろ立てろ!とうるさい奴がいるので仕方なく立てました。
220: 2016/10/27(木) 10:16:06.23 ID:6hDM4E8K(172/256)調 AAS
歴史[>>編集]
1926年(大正15年)9月25日 - 鉄道省天塩線の駅として開業[>>1]。一般駅。
1930年(昭和5年)4月1日 - 天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1940年(昭和15年)2月13日 - 日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道 豊富 - 一坑間16.7km開通。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1966年(昭和41年) - 駅舎改築。
1972年(昭和47年)7月29日 - 日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道全線廃止。
1984年(昭和59年)
2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止[>>1]。
11月10日 - 出改札業務廃止(連査閉塞運転要員はそのまま配置)、簡易委託化。
1986年(昭和61年)11月1日 - 電子閉塞化に伴い連査閉塞運転要員無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[>>1]。
236: 2016/10/27(木) 10:29:14.31 ID:6hDM4E8K(188/256)調 AAS
歴史[>>編集]
1925年(大正14年)7月20日 - 鉄道省天塩南線問寒別駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い開業[>>1][>>2]。一般駅。
1926年(大正15年)9月25日 - 天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1930年(昭和5年)4月1日 - 天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1977年(昭和52年)5月25日 - 貨物扱い廃止。
1984年(昭和59年)
2月1日 - 荷物扱い廃止。
11月10日 - 出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)11月1日 - CTC導入に伴う合理化により交換設備廃止。同時に完全無人化[>>3]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴いJR北海道の駅となる。
1980年代後半 - 1990年代前半 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。
243: 2016/10/27(木) 10:33:14.45 ID:6hDM4E8K(195/256)調 AAS
歴史[>>ソースを編集]
1925年(大正14年)7月20日 - 鉄道省天塩南線問寒別駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い開業[>>1][>>2]。一般駅。
1926年(大正15年)9月25日 - 天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1930年(昭和5年)4月1日 - 天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1977年(昭和52年)5月25日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)
2月1日 - 荷物取扱い廃止。
11月10日 - CTC導入に伴う合理化により無人化[>>3]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1980年代後半 - 1990年代前半 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。
247: 2016/10/27(木) 10:36:16.44 ID:6hDM4E8K(199/256)調 AAS
歴史[>>ソースを編集]
1925年(大正14年)7月20日 - 鉄道省天塩南線問寒別駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い開業[>>1][>>2]。一般駅。
1926年(大正15年)9月25日 - 天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1930年(昭和5年)4月1日 - 天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[>>1]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1953年(昭和28年)11月 - 現在の駅舎に改築[>>3]。
1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物扱い廃止。
1984年(昭和59年)
2月1日 - 荷物扱い廃止。
11月10日 - 出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)11月1日 - 電子閉塞化に伴い完全無人化[>>4]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
450: 2016/10/28(金) 18:48:46.39 ID:CGOBSFG5(13/70)調 AAS
下川駅(しもかわえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町共栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はモハ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
>>1
451: 2016/10/28(金) 18:49:10.16 ID:CGOBSFG5(14/70)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 下川町バスターミナル合同センター
7 駅跡
8 隣の駅
9 接続
10 脚注・出典
10.1 注釈
10.2 出典
11 関連項目
>>1
452: 2016/10/28(金) 18:49:44.28 ID:CGOBSFG5(15/70)調 AAS
歴史[編集]
1919年(大正8年)10月20日 - 鉄道院名寄線名寄駅 - 当駅間開通に伴い開業。一般駅。
1920年(大正9年)10月25日 - 当駅 - 上興部駅間延伸開通に伴い中間駅となる。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1948年(昭和23年)6月 - 営林局専用の側線を新設する。>>1
453: 2016/10/28(金) 18:50:26.31 ID:CGOBSFG5(16/70)調 AAS
1949年(昭和24年)1月1日 - 下川鉱山専用の側線を新設する。
1950年(昭和25年) - 下川鉱山が当駅まで索道設置。
1962年(昭和37年) - 下川鉱山がトラック輸送に切り替え、索道廃止。
1969年(昭和44年)10月20日 - 開駅50周年事業として人道跨線橋を新設する[注 1]。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱いを廃止する[1]。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱いを廃止する[1]。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
1991年(平成3年)1月 - 下川町のバスターミナル合同センターが当駅跡地に完成する。>>1
457: 2016/10/28(金) 18:52:24.41 ID:CGOBSFG5(20/70)調 AAS
下川町バスターミナル合同センター[編集]
名寄本線廃止に伴うバス利用者等の利便を図り、交通資料の保存展示、町民の生活文化向上を目的として1991年(平成3年)1月に開設された。
バス待合室やトイレ等が設置され、エントランスホールには鉄道コーナーがあり駅の写真などが展示されている[5]。1階には下川町商工会、観光協会が入居し、
2階にはコミュニティホール(大ホール)などが設置されている。
名士バス
名寄方面
興部方面
下川町コミュニティバス
班渓線 - 五味温泉 >>1
459: 2016/10/28(金) 18:53:45.44 ID:CGOBSFG5(22/70)調 AAS
二ノ橋駅
二ノ橋駅

にのはし - Ninohashi
◄下川 (4.9km)(3.6km) 幸成►
所在地 北海道上川郡下川町二の橋
北緯44度18分26秒
東経142度41分40秒座標: 北緯44度18分26秒 東経142度41分40秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 21.4km(名寄起点)
電報略号 ニノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1947年(昭和22年)12月25日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示>>1 >>2
461: 2016/10/28(金) 18:56:03.20 ID:CGOBSFG5(24/70)調 AAS
二ノ橋駅(にのはしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町二の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はニノ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で上り1本(快速運転列車)[1])。>>1 >>2
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目 >>1-10
466: 2016/10/28(金) 19:00:39.95 ID:CGOBSFG5(29/70)調 AAS
1977年の幸成仮乗降場と周囲約500m範囲。右が紋別方面。ホーム中程の外側にプレハブの白い待合室が同じ高さに設置されている。
青い屋根の古い待合室が残されている。
幸成駅(こうせいえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り1本上り3本(快速運転列車ほか)[>>1])。
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
7.1 注釈
7.2 出典
>>8 関連項目
472: 2016/10/28(金) 19:06:06.99 ID:CGOBSFG5(35/70)調 AAS
一ノ橋駅(いちのはしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はハシ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 森林鉄道
9 脚注
10 関連項目>>1
474: 2016/10/28(金) 19:07:46.65 ID:CGOBSFG5(37/70)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。
国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。
駅舎側(南側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた[>>1]。そのほか1983年(昭和58年)時点では、上り線名寄方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。
475: 2016/10/28(金) 19:08:11.90 ID:CGOBSFG5(38/70)調 AAS
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた[>>1]。ホームの長さは50mであった[>>1]。

駅名の由来[編集]
当駅の所在する地区名より[2]。地区名は、1903年(明治36年)に開削された仮定県道(現在の国道239号)が名寄川を渡る最上流の橋の名前に由来する。
481: 2016/10/28(金) 19:13:38.13 ID:CGOBSFG5(44/70)調 AAS
上興部駅
上興部鉄道資料館(旧上興部駅舎、2009年11月)
かみおこっぺ - Kami-Okoppe
?一ノ橋 (11.0km)(6.3km) 西興部?
所在地 北海道紋別郡西興部村字上興部
北緯44度20分14秒
東経142度52分21秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 38.9km(名寄起点)
電報略号 カコ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1920年(大正9年)10月25日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示

上興部駅に停車中の列車(1973年)>>1
491: 2016/10/28(金) 19:20:14.52 ID:CGOBSFG5(54/70)調 AAS
西興部駅
西興部駅(1989年3月)
にしおこっぺ - Nishi-Okoppe
?上興部 (6.3km)(3.6km) 六興?
所在地 北海道紋別郡西興部村字西興部
北緯44度19分49秒
東経142度56分46.4秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 45.2km(名寄起点)
電報略号 コツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1921年(大正10年)10月5日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示>>1
494: 2016/10/28(金) 19:22:12.74 ID:CGOBSFG5(57/70)調 AAS
歴史[>>編集]
1921年(大正10年)10月5日 - 鉄道省名寄線上興部駅 - 興部駅間延伸開通(名寄線全通)に伴い瀬戸牛駅(せとうしえき)として開業。一般駅。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1954年(昭和29年) - 駅舎改築[>>1]。
1955年(昭和30年)3月19日 - 木工所専用線敷設[>>1]。
1961年(昭和36年)3月20日 - 西興部駅に改称。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 無人化。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
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