[過去ログ] 聖母マリアについて語りましょう。 (979レス)
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814(3): 名無しさん@3周年 04/12/15 23:26:19 ID:sOgEHwRI(2/3)調 AAS
>>810
マタイ13:55-56 と マルコ6:3 の文脈は、
主イエスの受胎告知を受けたマリヤ(マリア)に4人の息子ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダと
娘たちがいた、と主張している。このことは聖書の他の記述とも整合する。
[抜粋]
イエスの母と兄弟たちが、(マタイ12:46)
あなたのお母さんと兄弟たちが、(マタイ12:47)
イエスは母や兄弟たちや弟子たちと一緒に、(ヨハネ2:12)
イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。(ヨハネ7:3)
兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。(ヨハネ7:5)
しかし、兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、(ヨハネ7:10)
婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、(使徒1:14)
主の兄弟ヤコブ(ガラテヤ1:19)
柱として重んじられているヤコブと・・(ガラテヤ2:9)
神と主イエス・キリストのしもべヤコブ(ヤコブ1:1)
イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟であるユダ(ユダ1)
主の兄弟たちはイエスが存命中には彼が預言されたキリストであることを理解していなかった
様子が福音書から伺えるが、十字架の死後三日目に復活したイエスに出会い、40日経過し
オリーブ山で主イエスが昇天されるのを目の当たりにし、聖霊を受けた、と書いてある。
特に主の兄弟ヤコブはエルサレムに住むイエスを信じる者たちの指導者として重要な責を担うこととなった。
(Tコリント15:7、ルカ24:33-36、使徒1:3-14、使徒12:17、使徒15:13)
218: 名無しさん@3周年 03/08/25 22:37 AAS
>>216
>>814
救いはイエズスですよ。決まってるじゃない。
しかし、その救いに導く聖徒は地上だけではないっての。
天上にも無数にいるの。彼らは祈りと行動を持って未信者を導くでしょ。
あなたがただって、未信者のために祈ったりするでしょ。
何で、天国におられるマリあさまがそれをしたら、悪霊やイシスになるのさ。
論理破綻してるのはそっち。w
818(1): 名無しさん@3周年 04/12/16 11:10:50 ID:gDkGAXx7(2/5)調 AAS
>>814 に追加
私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、
信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。
(Tコリント9:5)
822: 名無しさん@3周年 04/12/16 13:17:19 ID:gDkGAXx7(4/5)調 AAS
>>820-821
証明にはなっていない。
解釈のひとつに過ぎない。しかもかなり無理のある強引な。
『永遠の処女マリア』という思想ありきの上での聖書の恣意的な読み込みに過ぎない。
新約聖書で「兄弟」と記述されるギリシア語の他に「従兄弟」の意味を持つギリシア語は存在する。
しかし、新約聖書は「従兄弟」としか理解しようのない単語を用いてはいない。
従兄弟を兄弟と呼ぶことがある、だから、彼らは従兄弟だ。
こんな貧弱な推論は証明とは呼ばない。
論理的でない。
誠実に聖書に向き合ったとしても、下記のような解釈が成立する。
>>813 >>814 >>815 >>817 >>818 >>819
私は聖霊により身ごもったキリストの母マリヤ(マリア)には、イエス出産後に
夫ヨセフとの間に子どもたちを授かったと理解している。
この理解は、キリストの救いへの信仰の核心とは直接関係ないが、
聖書観、神観、人間観、キリスト理解と深いところで密接に関係している、と私は考えます。
キリストは聖霊により、マリアに受胎したのであって、人の欲求や意欲によってではなく、
ただ、神の計画と恵みにより、神の言葉が処女マリアの体を経由して人となられたのだ、と
私は信じています。
聖書から 『永遠の』処女マリア という概念を導きだすのは知的不誠実さの現われだと
私は考えます。聖書の語ることを超えて、聖書を用いて自らの考えを主張しているに過ぎない、と
私には見えます。
人が何を正しいと考え、何に信頼するか、その心の奥深くの決定を握るのはその人自身だけです。
誰かが強制して変えることはできないし、その人の自由な択びの責任はその人自身に帰します。
私は聖書と使徒たちと聖霊は『永遠の処女マリア』という概念を語っていない、と信じます。
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