[過去ログ] 【表現の不自由展】津田大介氏「政治介入だ」 トリエンナーレ補助金不交付に関し公開ヒアリングで批判 (600レス)
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64(1): 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:20:22.09 ID:WEpAEC8h0(1/12)調 AAS
>>1
検閲指針
?連合国最高司令官司令部(SCAP)に対する批判、
?極東軍事裁判批判、
?SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判、
?検閲制度への言及、
? 合衆国に対する批判、?ロシアに対する批判、?英国に対する批判、?朝鮮人に対する批判、?中国人に対する批判
?他の連合国に対する批判、?連合国一般 に対する批判、?満州における日本人の取り扱いに付いての批判
?連合国の戦前の政策に対する批判、?第三次世界大戦への言及
?ソ連対西側諸国の冷戦に 関する言及、?戦争擁護の宣伝、?神国日本の宣伝、?軍国主義の宣伝、?ナショナリズムの宣伝
?大東亜共栄圏の宣伝、21その他の宣伝、22戦争犯罪人 の正当性及び擁護、23占領軍兵士と日本女性の交際
24闇市の状況、25占領軍軍隊に対する批判、26飢餓の誇張、27暴力と不穏の行動の扇動、28虚 偽の報道
29SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及、30解禁されていない報道の公表
67: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:20:44.68 ID:WEpAEC8h0(2/12)調 AAS
>>64
◆司令官の資質に欠ける
1941年12月8日、フィリピンの指揮官となっていた
ダクラス・マッカーサーは真珠湾攻撃の報を受ける。
側近は先制攻撃を具申するも反応が無く、
爆撃機を安全地帯に避難させるとの意見にも答えず、
「彼は9時間、ただうろつくだけだった」
クラークフィールドの戦闘機や爆撃機は空中で待機することとなったが、
燃料が尽きて飛行場に降りたところで200機の日本機がやってきて、地上にて壊滅した。
◆十余万人の兵を残して脱出
1942年3月11日、
コレヒドールを攻めあぐねる日本軍は攻撃を中断していたが、
その最中、マッカーサーは腹心の部下と妻子を伴ってオーストラリアに脱出。
4月9日、日本軍がバターン半島を制圧すると、米比の将兵7万人が降伏。
68: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:21:00.40 ID:WEpAEC8h0(3/12)調 AAS
◆「死の行進」への疑問
マッカーサーは卑怯者と呼ばれ、
「ダグアウト ダグ」(ベンチに籠もったまま出てこないダグラス)とあだ名されていた
「彼は・・・バターン降伏後の出来事を日本軍の虐殺行為に仕立て、
誇大に騒ぎ立て・・・、
自身への非難を矮小化しようとし、それは成功した。」
この”死の行進”のルートを歩いた、ジャーナリストの笹幸恵氏は、
「全行程はたった約120キロ。うち半分は貨車輸送で、
米兵はそれを4,5日掛かりで歩かせられたことにしている。
笹氏は貨車輸送の区間も含めて
その道を4日間でちゃんと歩き通して見せた。」
69: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:21:18.70 ID:WEpAEC8h0(4/12)調 AAS
マッカーサーが、日本に来て為そうとしたことは、
「復讐を実行しつつアメリカは正義で日本は不義だと世界と日本人に刷り込むこと」である。
その為に、彼が実施したのが東京裁判と他の多くの戦犯裁判だ
そこで、これらの裁判では、起訴状は連合国側つまりマッカーサー側が提出するのであるが、
日本側からもその起訴状を補強し裏付ける文書が必要だと彼とその幕僚(コミンテルンのフロント達)は考えた。
そして、その為の文書として日本国憲法がつくられた。
彼は自分が屈辱を受けたフィリピンの二人の将軍に対して、襲いかかるように復讐する。
かつて緒戦でシンガポールを陥落させたマレーの虎といわれた猛将の山下奉文大将は、フィリピンで投降したが
この山下大将に対して、マッカーサーは
日本 に来た翌月の昭和二十年十月二十九日に裁判を開始し、
同十二月七日判決で翌昭和二十一年二月二十三日に軍服も着せずに絞首して殺している。
71: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:21:46.77 ID:WEpAEC8h0(5/12)調 AAS
マッカーサーをコレヒドール島から追い出した昭和十七年の第十四軍司令官本間雅晴中将に対して、
昭和二十年十二月十九日に裁判を開始し、
翌二十一年二月十一日判決、
同四月三日午前0時五十三分死刑執行。
この本間中将に対する判決日は紀元節二月十一日である。
そして、死刑執行の日と時間は何か。
四年前のその日、その時間、即ち、本間雅晴第十四軍司令官は
バターン半島に立て籠もって頑強に抵抗するマッカーサーを司令官とするアメリカ軍にたいし
昭和十七年四月三日午前0時五十三分、総攻撃を下命した。
マッカーサーは、その日のその時刻に、本間雅晴中将を殺害したのだ。つまり、私怨を晴らした。
私が、冒頭に、マッカーサーは実に嫌な奴だと書いた理由がお分かりいただけたと思う。
それともう一つ、マッカーサーの癖が既に顕れている。
それは、日付けにこだわる、ということだ。本間裁判の判決日、死刑執行日がそれだ。
外部リンク:blog.goo.ne.jp
73: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:22:06.60 ID:WEpAEC8h0(6/12)調 AAS
この山下、本間両将軍が死刑になるなら、日本軍と戦ったアメリカ軍の全ての将軍も死刑でなければならない。
アメリカ軍は日本の民間人を殺す目的で軍事行動をしていたからである(サイパン、沖縄はおろか東京、大阪、広島、長崎を見られよ)
更に、ベトナム戦争におけるウェストモーランド統合幕僚長も間違いなく絞首刑だ。
にもかかわらず、マッカーサーが後に書いた「回顧録」には、自分が行った裁判は完全に正義に基づくものだったと強弁している。
特に、本間中将の妻が、東京 でマッカーサーに
「夫の助命嘆願をしているのではない、裁判記録に自ら目を通してほしい、そうすれば何を為すべきかお分かりいただけると信じている」と
願い出たことに関しても、よくもまあぬけぬけと嘘がつけるなあ、と思うほど誤魔化している。
以上の通り、マッカーサーの、恨みのフィリピンにおける二人の日本軍の将軍に対する措置とその時の癖を述べた。
このことを念頭に置いて、次の日付けを見ていただきたい。
東京裁判に関して
起訴、昭和二十一年四月二十九日(天皇誕生日)
審理開始、同五月三日
判決、同二十三年十一月十二日
死刑執行、同十二月二十三日(皇太子誕生日)
日本国憲法に関して
公布、昭和二十一年十一月三日(明治節、明治天皇誕生日)
施行、同二十二年五月三日(東京裁判審理開始日)
フィリピンの本間中将裁判であれ、東京裁判であれ、終戦後に
日本国民が初めて迎える紀元節と天長節(天皇誕生日)にそれぞれ判決をなし審理を開始している。
74: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:22:19.82 ID:WEpAEC8h0(7/12)調 AAS
そして、連合国最高司令官司令部(SCAP)において
東京裁判と日本国憲法制定が、ばらばらに進行していたのではなく
両者は不可分のものとして同時並行させていたことは、日付けから見ても明らかである。
東京裁判の審理開始の日から一周年の同じ日が、日本国憲法施行日とされている。
さらに、その内容は、先に述べたように、東京裁判の起訴状を日本国憲法が補強し裏付ける関係に立つ。
日本国憲法の特に「前文」を読まれたし。
前文は、日本を戦前と戦後に分断し、戦前は「人類普遍の原理に反する」と宣言している。
このことを更に裏付ける文書がある。
それは、GHQの30項目にわたる検閲指針である。
この検閲の根拠は、GHQの発した放送遵則と新聞遵則であるが、驚くべきはその遵則の内容だ。
それは、冒頭、「連合国最高司令官(マッカーサー)は、日本に言論の自由を確立せんが為に・・・」と
その目的を掲げ、第一として「報道は厳に真実に即する旨とすべし」と定めていることである。
連合国最高司令官は、日本に言論の自由を確立するためと厳かに宣言しながら、日本の言論の自由を根絶やしにする完璧な検閲を密かに実施していたのだ。
何度でも言うが、マッカーサーほど嫌な奴はいない。そして、彼に率いられた幕僚達、彼等の本国に帰ってからの「生き方」を知る必要がある。
如何なる人間であったのかが分かるからである。鼻持ちならん奴であったことは推測できる。
76(1): 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:23:00.18 ID:WEpAEC8h0(8/12)調 AAS
>>1
ユダヤ系アメリカ人のリリアンソール
「東ヨーロッパ及び西ヨーロッパのユダヤ人たちの正統な先祖は、
8世紀に改宗したハザール人たちであり、このことは
シオニストたちのイスラエルへの執着を支える一番肝心な柱を損ねかねないため
全力を挙げて暗い秘密として隠され続けて来たのである。」
社会主義者H・G・ウェルズは『歴史の輪郭』の中で次のように述べている。
「ハザール人は今日ユダヤ人として偽装している」
「ユダヤ人の大部分はユダヤ地方(パレスチナ)に決していなかったし、またユダヤ地方から来たのでは決してない」
ユダヤ人学者のN・M・ポロックは、1966年8月、
イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、
西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、
何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、
血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。
イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、
後にはその重要な証言をもみ消そうと画策
77(1): 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:23:16.38 ID:WEpAEC8h0(9/12)調 AAS
>>76
ナイム・ギラディというユダヤ人はかつてイスラエルで活躍していたジャーナリストである。
彼は典型的なスファラディム(スファラディ系ユダヤ人)で、
建国と同時にアラブ世界からイスラエルに移住した。
しかし彼が目にしたものは、思いもつかない想像を絶するイスラエルの現状であったという。
彼は見たこともないユダヤ人と称する人々(東欧系白人/アシュケナジーム)を見て大変とまどったという。
イスラエル国内ではスファラディムは二級市民に落とされているが、
彼はその二級市民の代表として、イスラエルであらゆる運動を展開した。
幾度も刑務所につながれたこともあったという。
しかし一貫して彼は本当のユダヤ人とは何かを主張し続けた。
80(1): 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:23:55.27 ID:WEpAEC8h0(10/12)調 AAS
『凶暴で扇動され易く、自制と倫理観が欠如しているアメリカン』
日本軍に逮捕された爆撃機搭乗員8人は
都市の無差別爆撃と非戦闘員に対する機銃掃射を実施した戦時国際法違反であるとして
捕虜ではなく戦争犯罪人として扱われた
【アメリカは爆撃機搭乗員が捕虜になったことを知ると、「彼らは軍事目標のみを攻撃した」と事実とは異なる主張を展開した。】
1943年(昭和18年)4月23日、アメリカはドーリットル隊員が処刑されたことをはじめて報道する。
また、日本政府に対して抗議を行う
同時に日本側の行為を『野蛮人の蛮行』として非難し、大々的にプロパガンダに利用した。
また日本の指導者であった東條英機を「血に飢えた独裁者」であると宣伝し、現在もアメリカ国内ではそのように認識されている。
1944年(昭和19年)にこれら捕虜を描いた映画『パープル・ハート』が20世紀フォックスによって製作された。
ガダルカナル島の戦いやアッツ島の戦いを経た同時期に至ると、連合国の間では日本人絶滅政策を検討するようになった。
米軍の調査によれば、約半数の米兵が「平和が回復されるまで日本人(軍人・民間人関係なく)は一人残さず殺すべきだ」と考えていたという。
1944年(昭和19年)12月の世論調査(戦争終了後、日本人に対する処置について)では
アメリカ国民の13%が日本人の全員殺害を希望するようになった。
ルーズベルト大統領首席補佐官ウィリアム・リーヒ提督は「日本は我々のカルタゴ」と表現している
83: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:24:17.22 ID:WEpAEC8h0(11/12)調 AAS
>>80
何の変化も見れないアメリカンの異常言動
※分かり易いキリスト教徒=自称ユダヤ=コリアンの例
偽証からの逆切れ・拉致拷問殺害は正義であり、大量強姦は常識・無罪
恥も贖罪意識も持たず「慰安婦は甚だしい人権侵害」と被害国日本に対し喚く事からも
カルト教徒は何千年経とうがその非人道的考えから脱する事は無い
>
1931年9月、トーマス・マッシー中尉の夫人タリア・マッシーが
ハワイの地元の若者集団「カリヒ・ギャング」に暴行を受けたとして訴え、5人の若者が容疑者として逮捕された
タリア・マッシーはこの5人に間違いないと証言したが
【弁護側が5人のマッシー夫人の証言とは矛盾する材料を証拠として提示】したため、「陪審不一致」として5人の若者は無罪となった
この事件はアメリカ本土でセンセーショナルに報道がなされ
「ハワイの警察制度は古臭く、治安を維持する能力に欠ける」といった世論が形成された
マッシー中尉はこの結果を不服として
【仲間と共に容疑者の一人ジョセフ・カハハワイを誘拐、拷問の末、殺害】した
陪審は加害者マッシーらを懲役10年の有罪としたが
世論はこの行為を「正当防衛」「名誉ある殺人」としハワイの裁判過程に不満を評した
87: 名無しさん@1周年 2019/12/06(金) 21:25:18.79 ID:WEpAEC8h0(12/12)調 AAS
>>77
・元イスラエル首相レヴィ・エシュコルは、1969年、ダヴァールの会見で以下のような見解を述べていた。
「パレスチナ人とは何か? 私がここへ来たとき、わずか25万人の非ユダヤ人、それも主にアラブ人とベドウィンしかいなかった。
この地は、十分開発されていないというより、砂漠といったほうがよかった。何もなかった。
連中が我々からこの地を取り上げることに興味を持ち出したのは、ただ、
我々がこの砂漠に花を開かせ、植民するようになってからだ」
・つい最近まで、世界の大部分の人は、少しも疑問を抱かず、ゴルダ・メイア首相の次のような発言を受け入れてきた。
「どうして我々は、自分たちの占領した土地を返還できようか?
それを返還するにも、受け取る人間がいないではないか。
パレスチナ人などというものはいなかった。
パレスチナにあたかも自らをパレスチナ国民とみなす人間がいて、
我々がやってきて彼らを放り出し、彼らから国を取り上げた、ということではなかった。
そもそも、『パレスチナ人』などというものは存在しなかったのだ」
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・寄生虫ロシア「日本人が築き上げ発展させた満州は全てロシアの報酬。」
・寄生虫ロシア「日本人を大量に強制連行して労働力として酷使する。」
・寄生虫ロシア「日本人が発展させ緑化もした樺太もロシアのもの。」
・寄生虫ロシア「千島列島や北方領土には誰もいなかった。空白の地。」
↑
・寄生虫ロシア「北方領土にある墓掃除シタ。オレラ良イニンゲンダロ?」
日本人「何言ってんだこの+チガイ・・」
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