[過去ログ] 天皇陛下、平成最後の誕生日 涙声で「天皇としての旅を終えようとしている」「支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」★4 (458レス)
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(1): 名無しさん@1周年 2018/12/24(月) 16:38:25.44 ID:miNpWXFe0(1/3)調 AAS
>>85

ナチスと同盟組んだ国は日本以外にもある。ソ連も一度は同盟している

外部リンク:ja.wikipedia.org日独伊三国同盟

同盟拡大の動き
1940年11月にハンガリー、ルーマニア、スロバキア独立国が、1941年(昭和16年)3月にはブルガリア、
6月にはクロアチア独立国が軍事同盟に加盟した。またユーゴスラビアも1941年3月末に同盟に加盟しているが、
加盟に反対する国軍がクーデターを起こし、親独政権が崩壊した結果、加盟は取り消されている。さらに1941年11月にはデンマークも加盟した。

また枢軸国の一員となったフィンランドは1940年8月にドイツと密約を、やはり枢軸国として名を連ねたタイも1941年12月日本と
日泰攻守同盟条約をそれぞれ結んだが三国同盟には加盟しなかった。満州国は三国同盟に加盟しなかったものの、軍事上は事実上日本
と一体化していた。また防共協定に加盟したスペイン(フランコ政権)も三国同盟には加わらなかったが、戦争の前半期においては
協力的な関係を持った(第二次世界大戦下のスペイン)。

ドイツとソ連の間では重大な動きがあった。1940年11月15日、ソ連のモロトフ外相はフリードリヒ・ヴェルナー・フォン・デア・シューレンブルク(ドイツ語版)
駐ソ・ドイツ大使をクレムリンに招き、ソ連は「日独伊ソ四国同盟」を締結する準備があると告げた[16]。条件は、ドイツ軍のフィンランドからの撤退、
ソ連ブルガリア協定の締結、ボスポラスとダーダネルス両海峡における海軍基地建設のための長期借地権、北サハリンにおける日本の石炭・石油採掘権の
放棄だった[16]。スターリンは四国同盟の調印を了承していたが、ソ連侵攻を考えていたヒトラーは返答しなかった。スターリンは最後まで四国同盟締結の
希望を失わず[17]、ドイツ軍の奇襲を許してしまった。

松岡外相は三国同盟にソ連も参加させた四国によるユーラシア枢軸構想(四国連合構想)によってアメリカに対抗しようと考えていた。松岡はそのため1941年3月
から独・ソ・伊三国を歴訪し、それぞれの指導者を歴訪した。この結果日ソ間で結ばれたのが日ソ中立条約である。リッベントロップも同じような構想を抱いていた。
しかし日伊に通告なく始められた独ソ戦によってその構想は消えてしまった。近衛は、独ソ戦によって三国同盟の意味が無くなったとして同盟を破棄することも考
えたが、陸軍の反発を恐れて結局この考えを公に提起することは無かった[18]。松岡は直ちに対ソ攻撃するよう主張したが、陸軍内部ではソ連の敗北が明らかになっ
てから参戦する「熟柿論」が台頭したため、結局参戦を見合わせた。
109: 名無しさん@1周年 2018/12/24(月) 16:45:28.10 ID:miNpWXFe0(2/3)調 AAS
>>106

独ソ不可侵条約は単なる平和条約ではない
独ソで侵略後の勢力圏までを決めていた、さらに「日独伊ソ四国同盟」はヒトラーが破断にしなければソ連側が了承した可能性が高い

外部リンク:ja.wikipedia.org独ソ不可侵条約
公表された条文は相互不可侵および中立義務のみであったが、この条約と同時に秘密議定書が締結されていた。
これは東ヨーロッパとフィンランドをドイツとソビエトの勢力範囲に分け、相互の権益を尊重しつつ、相手国の
進出を承認するという性格を持っていた。独ソ両国によるポーランドへの侵攻、ソ連によるバルト諸国併合と
フィンランドに対する冬戦争、ソ連によるルーマニア領ベッサラビアの割譲要求はこの秘密議定書による黙認の
元行われ、これに伴いイギリスとフランスによるドイツへの宣戦布告を招いて第二次世界大戦を引き起こした。
この条約に基づいて独ソは占領地で独ソ共同軍事パレード(英語版)を行って独ソ通商協定(英語版)で武器の
供与[1][2][3]も行うなど暫く準同盟関係を持ったが、1941年6月22日にナチス・ドイツがソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)
して条約は破棄された。
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