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874: 2005/10/08(土) 04:24:02 AAS
>>870-871
>タガメの飛行能力は意外に高く
まで読んだ。
875: 2005/10/08(土) 07:05:09 AAS
朝起きたらメッチャ犯されてました
876(1): 2005/10/08(土) 12:08:11 AAS
>>870-871
ちなみに村上春樹と個人名出したけど、
これは、人生敗者個人にとっての偶像ってことだったら誰でもいいから。
哀れなヤングエリート論が噛み付いてたから、補足です。
877: 2005/10/08(土) 12:12:44 AAS
>>876
論は論でよくがんばったと思う。
もうこれは、本人の努力うんぬんの問題ではなく、名もなく消えていく雑魚DNAが骨の髄までプログラムされた
生体機能としての問題だと思う。本当にご苦労さま。
878: 2005/10/08(土) 14:14:29 AAS
もう病気だね。
879: 2005/10/08(土) 14:26:15 AAS
手遅れだろ、完全にw
880: 2005/10/08(土) 14:38:01 AAS
泣きが入ってますwww
881: 2005/10/08(土) 15:15:42 AAS
コンフリクトwwwwwwwwwww
882: 2005/10/09(日) 01:30:28 AAS
w
883(1): 美香 ◆dBX8lkRU/E 2005/10/09(日) 01:33:31 AAS
新しいトリップ、決定しました。
よろしく。
今後はこれでいきますので
間違えないでね>紫苑さん
884(1): 美香 ◆FE5qBZxQnw 2005/10/09(日) 01:40:45 AAS
>>883
人生、悟っちゃたようなことを書いているわりには、いつまで最期を引き延ばすんですかね、美香さん!
885: 美香 ◆tbxcZ4oBJw 2005/10/09(日) 01:47:11 AAS
>>884
なにだまされてんのよ!
偽者にあしらわちゃダメ!
私が本物よ、
このトリップを覚えといて。
886: 2005/10/09(日) 01:48:42 AAS
美香はもう長くは生きられまい、可哀想だが。
887(1): 2005/10/09(日) 02:01:20 AAS
トリ漏れした以上、もう「美香」というコテで動くのは無理だろう。
元のトリップで荒らしている奴がいた場合、
そいつが美香本人ではない証拠ってのがなくなるからね。
それがトリ漏れというもの。
美香、君は終わったんだよ。
888: 2005/10/09(日) 02:02:44 AAS
病気だね。これはもう
889: 2005/10/09(日) 02:52:39 AAS
>>887
なるほど、ってことは……
おい、お前ら!美香のフリして色々な板で書き込んで
美香を2ちゃん全体の嫌われ者にしようなんてしちゃ駄目だぞ
駄目だっつったら駄目だからな
絶 対 に 駄 目 だ か ら な !
890(1): 美香 ◆FE5qBZxQnw 2005/10/09(日) 12:01:23 AAS
紫苑というのはあれだな。
いまさら大衆だなんだと安手のスノビズムを気取って息巻いてるが、そのわりに貧相だな。
大学研究者らしいが、まあこの水準じゃ相当雑魚扱いされて、うっぷんが溜まってんだろう。
尾羽打ち枯らして、ネット流浪の末にたどりついたのが、よりによって最低の阿呆が巣食ってる豚小屋か…。
日頃、雑魚扱いされてるうっぷん晴らしするにしても、もうこのレベルでないと太刀打ちできない…(笑)
資質とステージの低さを象徴していて切なくなった。(しかも阿呆相手でもヒス起こしてて笑えた)
で、文学知識も、頭のまわり方、学歴も自分以下で、おまけに心も病んでる美香なら、自分を脅かさないんで、
ディレッタントの女王(笑)のように振舞えることが分かったから、こいつを肉便器奴隷と定めて、
日常満たされない欲望のはけ口にしてるのが今の状態。
自分以下の女を手なずけて、踏み台式に自分のポジションを上げようとする打算は、
構造的にオンナの生態についてまわるものだが、美香は用済みになれば、すぐ捨てられるだろう。
発狂または自殺すんじゃないのか? あの手の境界例は人に見捨てられるのが実にこたえるんだぞ。
紫苑は、そこまで責任とって長いトモダチでいられるのか?
891: ミニスたん ◆pofhvgEbZ. 2005/10/09(日) 13:39:37 AAS
ま、紫苑って人(遭遇したこと無いけど)はそんなに知識ある訳じゃないよね。
最近来たのかな?詳細よろしく。
何はともあれ、ミカもトリップ割れちゃったってことはコテハンじゃなくなったってことだから、名前変えざるをえないんじゃない?
ここで書いてるコテ以外の奴は全員基地外っぽい。人のこと言うより自分を鏡で映し出せって言うか。
ムー大陸もウザイがもっとウザイよねぷぷぷwwwwwww
892: 2005/10/09(日) 13:42:20 AAS
>>890を書いたのは、佐藤亜紀(本人)
、
893: ミニスたん ◆pofhvgEbZ. 2005/10/09(日) 13:43:46 AAS
って、サトアキが2chに来てるっとほんと?wこんな程度の低い文章書く作家のでぷかね。
894(1): 2005/10/09(日) 13:45:13 AAS
平野啓一郎スレで暴かれてる。見にいってみれ。ワロタ
895: 2005/10/09(日) 13:50:44 AAS
>佐藤亜紀おばさんへ
ネット上に巣食う人間を匿名でを叩いて、踏み台式に自分のルサンチマンを
解消しようとする手口は、 構造的にオンナの生態についてまわるものだが、
どれほど狂い回ろうと、自分の下劣さは増すばかり、URLをバラまかれて
注目が集まっていたりする。
匿名でコソコソやってる内に正体見抜かれて、ネット中毒患者佐藤亜紀は
発狂または自殺すんじゃないのか?
この手の境界例は人に見捨てられるのが実にこたえるんだぞ。
佐藤亜紀は、そこまでわかって薄汚いことやり続けてんのか?
896(1): 2005/10/09(日) 14:05:26 AAS
>>894
平野スレが美香に荒らされてるのを、みるにみかねた佐藤亜紀が助太刀か。
いいじゃないか。悪意の匿名の嫉妬から若き文学者を守るために
立ち上がった先輩文学者。
ふたりの友情の始まりだね。
897: 2005/10/10(月) 01:02:52 AAS
>>896
結局のところ元凶は美香なんだな。
898: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/10(月) 20:02:39 AAS
『二葉亭四迷伝』 中村光夫 講談社 1966年
二葉亭四迷は、優しい。
優しい人間は、無理して「全て」を抱え込もうとするので、
結局足が竦んだままだったり、いたずらに右往左往したままで
一生を終えてしまうことがままあるようだ。
中村光夫は、こうした「なり損ねの偉人」の一人である二葉亭の
一生、「理想を嫌悪する理想主義者、文学を否定する文学者」
(原文は旧漢字、以下同)という、当人自身にとって最も
荷やっかいな存在の一生を、明晰な筆致でざっくりと掬い上げる。
中村によれば、「自分の思想を、『堂々と正面から』表白する
のをどこか恥ぢるやうな」彼独特の羞恥心と、「僕には昔から
何だか中心点が二つあって、始終其二点の間を彷徨してゐる
やうな気がしたのです。だから事に当って何時も狐疑逡巡する、
決着した所がない」(『其の面影』の主人公、哲也の告白)という
懐疑精神が始終二葉亭の人生に付きまとっている。
それが彼のもう一つの資質である大きすぎる理想とぶつかった
結果、二葉亭は文学においても政治においても生活においても
流産をくりかえしたので、大抵の作家とは逆に、「二葉亭に
あつては、彼の文学者としての業績は、その生活の『働き』の
色あせた反映」に過ぎず、「したがって二葉亭の作品を論ずる
ことは、彼の生活を描くことなしに不可能であり、また彼の生活の
内面への手がかりはその作品以外にないので、この両者の触れあひ
から彼の精神の『働く』姿を見究めるには伝記といふ形式が一番
適当なのです」と結論付ける。
899: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/10(月) 20:03:32 AAS
(つづき)
これは極めて野心的な試みではないだろうか。人一人の人生は
(特に二葉亭のようにあちらこちらを彷徨いっ放しで終わった
人生などは特に)生のままで差し出されれば、ほとんど無意味に
近い混沌にしか見えないに違いない。そこから「明治という時代
が抱くことを許したかぎりの最も美しいもの」である「彼が
生かさうと試みた理想」を抽出する作業は、そのまま二葉亭が
頓挫した試みを引き継ぐことに他ならない。
二葉亭は「小説総論」の中でこう述べる。
「…実相界にある諸現象には、自然の意なきにあらねど、夫の
偶然の形に蔽はれて判然とは解らぬものなり。小説に模写せし
現象も、勿論偶然のものに相違なけれど、言葉の云ひ廻し、
脚色の模様によりて、此偶然の形の中に明白に自然の意を写し
出さんこと、是れ模写小説の目的とする所なり」
つまり、これは「僕は人生の批評家、日本国民生活の批評家に
なりたいと思ふのだ」(矢崎鎮四郎による伝聞)という態度に
一致する。『浮雲』で果たされようとしたこの試みは、中村に
よれば、当時の作者の若さも手伝って「失敗」に終わっている
のだが、「批評家」中村光夫は、二葉亭が『浮雲』や『平凡』の
主人公において成し得なかったことを、この『二葉亭四迷伝』
という評伝の中で、長谷川辰之助、すなわち二葉亭四迷本人を
描き出すことで完結させるのだ。
結局、批評とは知性による魂の救済ではないだろうか。
900: ムー大陸 ◆FE5qBZxQnw [age] 2005/10/10(月) 23:08:46 AAS
池田先生も何度も毒を吐いてるのですから、俺は悪意そのものを否定するものではありません。
しかし、今や「社会道徳」は、われわれを迫害するために用いられる時のみ説得力を持つ概念となってしまった。
事実無根の憎しみに囚われた週刊新潮の主張が「正直者」だと見なされる時代が、すでに到来している。
しかし、憎しみと軽蔑こそが、唯一虚飾のない感情だというのは、実はこれも薄っぺらいロマンティシズムの一つではないのか。
そこにも実は、多くの欺瞞や臆病さが隠されているのだ。
つまり池田先生の言うことが正しい。
901(2): ムー大陸 ◆FE5qBZxQnw 2005/10/10(月) 23:32:08 AAS
>佐藤亜紀おばさんへ
ネット上に巣食う人間を匿名でを叩いて、踏み台式に自分のルサンチマンを
解消しようとする手口は、 構造的にオンナの生態についてまわるものだが、
どれほど狂い回ろうと、自分の下劣さは増すばかり、URLをバラまかれて
注目が集まっていたりする。
匿名でコソコソやってる内に正体見抜かれて、ネット中毒患者佐藤亜紀は
発狂または自殺すんじゃないのか?
この手の境界例は人に見捨てられるのが実にこたえるんだぞ。
佐藤亜紀は、そこまでわかって薄汚いことやり続けてんのか?
902: 美香 ◆FE5qBZxQnw [age] 2005/10/11(火) 00:09:02 AA×
>>901
903: 2005/10/11(火) 04:57:56 AA×
904: 美香 ◆FE5qBZxQnw [age] 2005/10/11(火) 17:20:22 AA×
>>901
905: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/11(火) 23:24:33 AAS
『風俗小説論』 中村光夫 新潮文庫 昭和33年
「…しかもその『写実』の対象が作者自身に限定された結果、小説は作家のあらゆる
苦行と精進に関わらず、結局彼の『生きた人生』の再現に止まり、彼が『生き得た筈の』
人生の表現に達しなかったのです」
これは、いわゆる「私小説」が批判されている一節だが、同時に中村光夫の批評の
態度を端的に表していると思う。『二葉亭四迷伝』でもそうだったが、中村光夫は
いわく言いがたい、優しい苛立ちのようなものに突き動かされている気がする。
中村は、ある作品を、既に完成された不動のものとは見ずに、常にその潜在的な
可能性の方に眼差しを向ける。つまり「生き得た筈の」作品の姿に照らし合わせて
今ある姿の作品を裁断するのだ。
ごく乱暴に、私なりの言葉で中村の態度を要約すれば、「文学は文学で完結するべき
ではない」ということにでもなるだろうか。中村は、そのために文学に必要なのは
「感覚」ではなく「思考」なのだと主張しているように思われる。感覚は「生きた人生」
を捉えるのみであって、「生きた筈の」人生を描くには、強靭な思考が必要とされる
のだ。中村は、田山花袋の「布団」に始まる私小説の興隆が、日本文学から思考を
奪ってしまったことを強く批判する。この批判が感動的なのは、既に起ってしまった
ことを現在において批判するのではなく、近代リアリズムが発生した当時に日本文学が
持っていた様々な可能性に立ちもどってなされていることにある。つまり、これは
老人ではなく、青春の側からなされている批判なのだ。
そして、青春の特権的な徴は孤独である。中村は、「破戒」を書いた藤村について
こう語る。
906: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/11(火) 23:26:00 AAS
(つづき)
「この『言いがたき秘密』を胸底に抱いていたとき、彼はおそらく自身で意識した
よりもずっと、西欧の近代小説家の秘密に近づいていたので、フローベールも、ゾラも、
バルザックも、己自身を人間の形をとり得ぬ怪物と信じていたからこそ、作品のなかに
つくりだした人間典型を通じて、自我の社会性を恢復することを願ったのです。
彼等の多くは、ただ彼等よりはるかに平凡な作中人物を通じて、ともかく社会に
伍することができたほど孤独な存在であったので、僕等もまたボヴァリー夫人や、
ジュリアンを経て、はじめてフローベールやスタンダールの生きた精神の像に触れ得る
のです。」
何だか無性に胸が熱くなる。
907: 2005/10/12(水) 03:45:22 AAS
ageといてやるよ、喜べ
908: 2005/10/12(水) 15:11:28 AAS
平野盗一郎
909: 2005/10/13(木) 17:39:47 AAS
勝手に転載するなバカ
910: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/14(金) 00:08:47 AAS
『戦争まで』 中村光夫 垂水書房版 昭和35年
著者が大戦直前のフランスに留学した時の体験記である。
私の乏しい読書履歴の中でも、日本人のフランス滞在記がいくつかあるのだけれど、
大好きな阿部良雄の『若いヨーロッパ』、そして一時期座右の書だった山田宏一の
『友よ映画よ』と並んで、この本もこれから何度となくページを捲る本になりそうだ。
『二葉亭四迷論』『風俗小説論』と、壮年期の代表作を読み進めて来たあとに、著者が
二十代後半の時に書かれた本書を読むと、北国からいきなり南国にやってきたというか、
モノクロの風景がいきなり総天然色に変わったような眩暈に襲われる。後期の著作の
強靭な理知は、本書でも隠れなく示されているけれども、大半をトゥーレーヌ地方での
滞在の記録に割かれている本書は、とにかくずっと読みつづけていると、頭の芯が
じんじんしてくる位に官能的で瑞々しい。
この官能性と瑞々しさは、二つの「青春」に由来しているのだと思う。一つは憧れの
異国の地を踏んだ著者自身の青春。もう一つはトゥーレーヌ地方を発祥の地とする
フランスのルネッサンスそのものである。この二つは本書の中で、ほとんど分かちがたい
一つのものとして存在している。中村は、この地に16世紀に花開いた文化を評して
「いわばこの短い過渡期は永続するにはあまりに美しすぎたのです(原文旧漢字)」と
述べているが、これはそのまま1年余の中村のフランス滞在にも言えることではないか。
中村は、1939年の8月、大戦の勃発で、留学の中途で日本に引き揚げざるを得なくなる
のである。
著者は、戦争の開始を決定的なものにした独ソの不可侵条約締結の知らせをトゥール
の下宿で耳にするのだが、その時の下宿屋の家族や、その後著者が行きつけのカフェで
出会った欧州各国の留学生が示す狼狽や絶望の様が生々しく、痛々しい。
ずっと夢を見るような口調でトゥーレーヌ地方の風物と歴史を語ってきた本書は、
最後にこう締めくくられる。
911: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/14(金) 00:10:01 AAS
(つづき)
「…そしてカフェのオーケストラに気のない拍手を送つたりしながらしばらく時間を潰し、
十二時に音楽が終わるのをしほに、そろそろ客の空きかけたテラスを引上げましたが、
帰り途に人影のまばらになつた暗い広場を横切ると、突当たりの市役所の玄関の脇に、
いつの間に貼られたのか、非常の事態に鑑みて国民の財産を政府が臨時収用することが
あらうといふ徴用の布告が、夜目にも白くくつきり壁に浮かんでゐました。(原文旧漢字)」
912: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/14(金) 16:37:43 AAS
「ハムレット」(シェイクスピア/福田恆存訳/新潮文庫)*再読
「マクベス」(シェイクスピア/福田恆存訳/新潮文庫)*再読
「オイディプス王」(ソポクレス/福田恆存訳/新潮文庫)*再読
「アンティゴネ」(ソポクレス/福田恆存訳/新潮文庫)*再読
→落ち込んだときはシェイクスピアを読みます。ギリシア悲劇を読みます。
黙読ではありません。声に出して読みます。大声で、登場人物になりきって。
どれも10回はもう読んでいます。だからせりふはほとんど覚えているのです。
いえ、それは大げさでした。ですが、どれもあたまのどこかに残っているせりふなのです。
知っているせりふをさも知らぬように口からはきだす。
そのときわたしはハムレットになっています。マクベスにもオイディプスにもアンティゴネにも。
その場ごとに迷い葛藤し行動します。結果、わたしは死ぬのです。運命に負けるのです。
ハムレットは復讐を命ずる亡霊についていかなければよかった。
マクベスは王位簒奪をそそのかす魔女たちを無視すればよかった。
オイディプスは真相を突き止めようなどとせずにコリントス国の王にでもなればよかった。
アンティゴネは国王クレオンの命令にすなおに従っていればよかった。
かれらは阿呆なのか。それは違います。かれらとてそんなことは承知していたのです。
けれどもかれらはあえておろかな行為にでる。人間だからです。
ハムレット、マクベス、オイディプス、アンティゴネをわたしは愛する。美しいからです。
落ち込んだときはシェイクスピアやギリシア悲劇を読みます。そのあとにお酒を飲みます。
913(1): 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/14(金) 17:39:12 AAS
「万葉集 ビギナーズクラシックス」(坂口由美子/角川ソフィア文庫)
「古今集・新古今集」(大岡信/学研M文庫)
→万葉集? 古今集? 新古今集? 何を気取りやがって!
そう思われるかたもいるでしょう。賛同します。上品なのはわたしには似合わない。
下品なことが大好きです。毎日、ワイドショーを騒がせる犯罪の数々。大好きです。
ひとの不幸を笑い、ひとの幸福をねたむ、わたしはそんな人間です。
だけど、ときたま、なんかなあと思う。
だから万葉集などの手を出す。99%見栄です。
万葉集、古今集、新古今集といっても原典をそのまま読むわけではない。
注釈書。それも最も平易に書かれているものを入念に選んで。
しかし恥ずかしながらそれでも難しい。万葉集の長歌などはいまだに読めない。
これから書くのは2005年を生きるなんら知識のない人間の感想です。
万葉集か、それとも古今集・新古今集かという問題があるみたいです。
明治時代に正岡子規というえらいひとが、万葉集に軍配を上げたそうですが。
さて、わたくし。万葉集の初期の作品は意味がわからない。だから、つまらない。
大伴旅人、山上憶良の時代になるとなかなか悪くないなと思う。
とくに大伴旅人の酒賛美の歌はよろしい。山上憶良もいい。平明だから。意味がわかるから。
つぎに古今集・新古今集。国語便覧の知識そのまま、たしかにお上品になっている。
うん、きれいなんだけど、胸に迫ってくるかといわれたら、うーむ、下品だからわたし。
けど、新古今集くらいになるとあれがいい。無常観。ほら仏教が浸透したがための。
万葉集・古今集・新古今集に共通していえるのは自然を詠んだものはだめ。
都会育ちだから植物の名前がわからない。それにビルに囲まれた都会っこ。
山に沈む夕日がどうの、朝の霜がどうのといわれても。霜って見たことがないかもしれない。
写真や絵で説明されても、生活実感がともなっていないから……。
気に入った歌をいくつか取り上げてさもわかったようなことを書こうとも思ったけれども、
このほうがわたしらしいと思いまして。
あ、上記の2冊は入門書の入門書という感じでたいへんよかったです。
これから西行、芭蕉とすすみ、大ファンの山頭火へ帰還する予定です。
914: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/14(金) 18:27:00 AAS
>>913
8行目訂正)→だから万葉集などに手を出す。
ムーちゃん、よろしく♪
「それでも飲まずにいられない」(開高健・編/講談社文庫)絶版
→お酒にまつわるエッセイ・短編小説を集めたもの。
だからもちろんお酒を飲みながら読む。悪いか!
それでも飲まずにいられないとはいえ、やっぱりからだにはわるいのかな。
最近、めっきり記憶力が……。万葉集も古今集も新古今集もそう。
実をいうとまえにけっこう勉強していたりする。それも今年の話ですぞ(w
だけど、今回、ほとんど抜け落ちていることに気づいた。これお酒(が原因)だよね?
あとやたら涙もろくなる。お酒。ふだんなら鼻で笑うようなくさい美談にも泣いちゃう。
いいのだ、いいのだ。大伴旅人さんも万葉集で詠じている。
「験(しるし)なき 物を思はず一坏(ひとつき)の 濁れる酒を飲むべくあるらし」
(=くよくとせずに、まあ、飲みましょうよ♪)
「賢(さか)しみと 物いふよりは酒飲みて 酔泣(えひなき)するしまさりたるらし」
(=えらそうなこといわんで、お酒飲んでわんわん泣こう♪)
「あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと酒飲まぬ 人をよく見れば猿にかも似る」
(=お酒を飲めない堅物なんて、ほら猿みたいな顔してやがる♪)
「この世にし 楽しくあらば来む世には 虫に鳥にも我れはなりなむ」
(=お酒を飲んで楽しもう、来世なんて知るもんかい♪)
915: 文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o 2005/10/14(金) 20:17:12 AAS
更新したんだONE!
読了報告スレッド 黄金の亡命王朝
外部リンク:dokuryo.blog25.fc2.com
916: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/18(火) 21:13:39 AAS
『破戒』 島崎藤村 新潮文庫版 昭和62年改版
正直好きな小説とは言えないし、貶そうと思えばいくらでも貶せる気はする。
主人公の小学校教師、丑松を取り巻く人物たちが、悪玉も善玉も男も女も、
皆類型的で影が薄い。
被差別部落の出身者である主人公の葛藤も、島崎が手本にしたとされる『罪と罰』
のねちっこさに比べれば、どこか通り一遍な気がする。
でも、一箇所だけ奇異の念に打たれたのは、最後、主人公が、自分の出身を周囲に
明らかにする場面である。彼は、同じく部落出身者である思想家、猪子を敬愛している。
猪子は「我は穢多なり」と、その著作の冒頭で宣言するような人物で、丑松は、その
堂々たる生き様と、壮絶な死に様を目の当たりにする。その死が丑松にカミング・
アウトの決心をつけさせる。
こういう物語の流れ上から見れば、彼は「俺は穢多だい!文句あるか!」と啖呵でも
切りそうなものである。ところが彼はまず、教室で、教え子の児童たちに向かって
「今まで騙して悪うございました」と土下座してしまうのである。なんじゃそりゃ。
直ちに思い浮かぶのは、殺人を告白して大地に接吻するラスコリーニコフの姿
なのだが、いくらなんでも単なる猿真似とは思えない。結局、これは、小説の主人公
ではなく、島崎本人の自意識にまつわる問題なのではないかと思う。
島崎自身は部落出身者ではないわけで、彼は、自らの自意識の牢獄とでも言うべき
内的な状況を、主人公の置かれた社会的状況に重ね合わせているのは明らかだ。
丑松は、他の傀儡じみた人物たちとは異なり、そのことによって辛うじて血の
通った人間たりえている。
だとすれば、日本の被差別者がロシアの殺人者と同じような行動を取るのはさほど
不思議なことではない。
島崎もドストエフスキーもこう言いたそうである。
「私があまりに高みに立ちすぎて、本当に申し訳ない。私は孤独によって生かされて
いるが、一番憎むのもこの孤独というしろものなのだ。私は喜んで君らの元に降りて
行こう。大地に顔をこすりつけよう。高みにあることは、恐ろしい呪いであり
罪なのだから。小説を書くということは、天空から地上に至る重力の仕業なのだ」
917: 2005/10/18(火) 21:34:37 AAS
ただただ不快。
ムーは早く死ねよ
918: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/19(水) 02:08:07 AAS
『平和の死』 中村光夫 講談社 昭和48年
大人の小説である。というか、おじさんの小説というべきか。
つまり、子供や青年の甘さが微塵もない。
ある意味、前に報告を上げた『戦争まで』の姉妹編と言って良いのかも知れない。
『戦争まで』は著者のフランス留学の実体験に基づいたもの。
『平和の死』はそこから発想されたフィクション。
『戦争まで』はトゥールでの滞在記が大部分を占めているが、『平和の死』では
そこに語られなかったパリでの生活が、フィクションではあるが語られている。
『戦争まで』はフランス人観察記としての一面を持つが、『平和の死』はパリの
日本人社会が鬱陶しいほど詳細に描かれている。
『戦争まで』は中村の留学中から帰国直後にかけて書かれたものだが、『平和の死』
は、その後三十余年を経て書かれている。等々。
つまり、主人公は留学当時の中村本人を連想させる若い学生だし、舞台も大戦直前
のフランスで、大戦の勃発と共に物語が終わるのも一緒だが、それを描き出す手つきは
完全に壮年のそれなのだ。
これは、著者の実年齢のことを必ずしも指すのではない。大概の作家には、年齢と
関係なく、どこかに子供じみたところがあり、それが魅力の一部をなしていることも
多いのだが、中村は、そうした甘さを(おそらく明確に意識して)きっぱり捨てている。
こうしたタイプの作家で、私が他に知っているのは森鴎外くらいか(あるいは
後藤明生もそうしたタイプに分類されるのかも知れない)。
私はいつまでも子供なので、こうした作家には違和感というか、何か重苦しく鬱陶しい
感じを持ってしまう。
「日本にいたころ、パリへの憧れが生きる目標であったころ、彼はともかく前方をむいて
歩いてきた。しかし、それが生活になり、さらに強引に打ち切られようとしている現在、
彼はいわば内面の配置を変えずには、これに応じられない。憧れを実現したものは、
生きている人間から、生きてしまった人間になる。そのことで生命を失わぬまでも、
少なくとも若さは失う。もっとも充実した生はもはや彼の後方にあるからだ。」
こんなあからさまな文句は、五十をこえてから「処女作」を書いた批評家にしか
書けないのかも知れない。
919: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/19(水) 20:50:12 AAS
『眠狂四郎無頼控 (一)』 柴田錬三郎 新潮文庫 平成三年改版
主人公の出生の秘密をはじめ、陰々滅々としたエピソードが、毎回の読切りで、
これでもかとばかりに連続する。でも、この陰惨さは、実はこの作者の屈折した
優しさの表れでなのではないかと思う。一旦自分自身も世の中も突き放した人間が
時に見せる優しさは本物だ。「江戸っ子気質」の、男の意地を見せて死んでゆく
スリや、「因果街道」の臆病者の優男に示す狂四郎の優しさは、そこに作者自身の
優しさが見えて大好きである。
余談だけど、本文の引き締まった文章と比べ、遠藤周作とかいう男が書き飛ばした
巻末の解説文はがさつで醜く、読むに耐えない。誉めているようで、たかが大衆小説
という驕りが見え隠れするのもいやらしい。私はこの作家の著作は読んだことはない
けど、まあ推して知るべしだろうと思う。それにしても、世間を大手を振って歩いて
いる、こういう偽善者こそ、眠狂四郎=柴田錬三郎の最も憎む敵ではないのか。
920(2): 2005/10/20(木) 02:25:54 AAS
いや、最も憎むべき敵は文学板に巣食う糞コテどもだと思うよ♪
921(1): 2005/10/20(木) 02:27:07 AAS
>>920
禿同意。
922(1): 2005/10/20(木) 02:27:54 AAS
どうしてこんな糞なんだろうw<コテ
923(1): 2005/10/20(木) 02:29:41 AAS
コテ付けて自己顕示のつもりなんだろうか?
恥さらしてるだけなのに
924(1): 2005/10/20(木) 02:30:24 AAS
中学生の作文ノート?w
925(1): 2005/10/20(木) 02:31:08 AAS
本人だけはイイつもりでいるのがイタい
926(1): 920 2005/10/20(木) 02:35:49 AAS
>>921-925
なんか一気にレス付いてワロスw
927: 2005/10/20(木) 02:44:35 AAS
オマエモナーw
928: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/20(木) 02:46:13 AAS
>>926
よかったね♪
読了報告スレッド 黄金の亡命王朝
外部リンク:dokuryo.blog25.fc2.com
929: 2005/10/20(木) 02:53:08 AAS
よかったね♪
930: 2005/10/20(木) 03:05:27 AAS
よかったね♪
931: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/21(金) 19:37:40 AAS
『赤と黒』 スタンダール 大岡昇平・古屋健三 訳 講談社文庫 昭和47年
38度の熱でクラクラする中、朝から700頁あまりを一気に読んでしまった。
文字通り、熱に浮かされた状態である。
すげえよ、ジュリアン・ソレル。
すげえよ、マチルド。
「心理小説」などというレッテルから、うじうじ、ネチネチした描写を予想していたが、
これは大間違いだった。一言で言って、この小説は「活劇」である。ただし交わされるのは
銃弾でも刃でも拳でもなく(そういう場面もあるが)、「意地」なのだ。
最初それは、ジュリアンの、彼を取り巻く醜悪な世間に対する孤独な戦いとして表れ、
後半ではジュリアンとマチルドの、血で血を洗う恋愛肉弾心理戦に発展し、最後にはいかに
死と対峙するかという永遠のテーマに帰着する。
結局、周囲に頼るべき価値観が何も見出されない時代、宗教にすら救いが求められない
時代に、いかに個人が偉大でありうるか、という、多分にニーチェ的なテーマが問題なのだ。
それに対しては、一応一つの答が小説の最後に用意されている。ここには書かないけど、
感動的ながら、まあ月並といえば月並な答えである(読んだ人はわかるよね)。
でも、個人的に言えば、その鍵を握る人物であるレナール夫人の最期よりも、マチルドの
頑ななこだわり(それは愛する男の生首を抱くという奇妙なものである)が大好きです。
932: 2005/10/21(金) 19:50:22 AAS
もうさ、直接ここに書いとけばいいんじゃないかな
↓
外部リンク:dokuryo.blog25.fc2.com
933: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/21(金) 19:56:07 AAS
やだよ。
934: 2005/10/21(金) 19:57:29 AAS
なんで?
935: ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2005/10/21(金) 20:03:31 AAS
なんでも。
936(1): 2005/10/22(土) 13:18:03 AAS
「ナット・ターナーの告白」 ウィリアム・スタイロン 大橋吉之輔 河出書房新社 1970
1931年、ヴァージニア州で発生した奴隷の暴動を、リーダーであった
ナット・ターナーの眼を通して描く作品。
以下はターナーが重い材木を運ぶ2人の黒人を見たときの描写。
みすぼらしい二人のシルエットは、松材と冬空の小壁(フリーズ)を背景にして、
あてどもなく地のさいはてに向かっているかのようだった――それはまさに、
大昔から変わることのない不条理な徒労の、黒い無名の典型だった。
私は冷気にぶるっと身ぶるいし、<そもそもなぜ人間は生きているのだろう?
人間はなぜこうも虚空や空を相手にたたかうのだろう?>と思った。そして、
ほんの一瞬、私は恐ろしい苦悩に圧倒された。 294頁
こういう言葉の語り手として思い浮かぶのは、ファナティックな黒人暴動の指導者
というより、感受性の強い内省的なウィリアム・スタイロン自身の姿です。
作家を俳優になぞらえれば、スタイロンは黒人の演技はうまくないかもしれない。
けれどもそれは決してこの小説の欠点ではないと思う。
この物語全体に、血なまぐさい歴史的事件の主役であった謎めいた男の内面を
自分自身に引き寄せて捉えようとする作家の誠実さを感じるのです。
937: 2005/10/22(土) 13:39:10 AAS
「死刑執行人の歌」 上下 ノーマン・メイラー 岡枝慎二訳 同文書院 1998
アメリカで1967年から10年間停止されていた死刑の執行を自ら望み
上訴を拒否し、1977年に銃殺刑となった殺人犯ゲイリー・ギルモアを
題材にしたノンフィクション。
ギルモアはどうしようもない男であまり同情が持てないのですが、
処刑前日の最期のパーティの場面では、私もちょっとしんみりした。
けれどそこに同席した弁護士に脱獄への協力を依頼するギルモアには唖然。
これは自分を出さずに、厖大な取材メモをまとめたような形の本です。
特に、あるジャーナリストが事件をどのように取材したかという観点での
記述に多くの紙数を費やしているのですが、これだけの長さの本なら、
アメリカの司法制度や、殺人と処刑の舞台となったユタ州の文化について
メイラー自身のつっこんだ考察があってもよかったと思う。
ただ取材方法や取材倫理など、アメリカのジャーナリズムに興味がある人
にはおもしろいかも。
「心臓を貫かれて」 上下 マイケル・ギルモア 村上春樹訳 文春文庫 2004
ゲイリー・ギルモアの弟による、悪霊にとりつかれたかのような
家族の年代記です。
暴力的な父と風変わりな母を主に、家族を描く本書の多くのエピソードは
気の滅入るような陰鬱な話ばかり。こういう家庭で育てば、子どもは
犯罪者になって当然という気になります。
ただ著者の抑鬱気質の影響で、ありふれた出来事でも過剰に悲哀を帯びでしまう
傾向はあると思う。
処刑を実行する5人の銃殺隊の使用する銃の弾には空砲が一つ混ざっている
と言われていますが、マイケルの兄が最後に着ていたシャツの胸には
5つの穴が開いていたという。
938(1): 2005/10/22(土) 15:01:40 AAS
>>936
1931年→1831年
ごめんなさい。間違えた。
939: 文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o 2005/10/22(土) 21:14:12 AAS
更新したんだONE!
>>938
勝手ながら訂正させてもらたんだONE!
今、ここはそんなに荒れてないんだONE!
だから、これからは亡命王国のアピールはちょっと控え目にするんだONE!
ぼちぼちやってくので、どうぞよろしくなんだONE!
940: 2005/10/22(土) 23:28:11 AAS
クソスレage
941: 2005/10/23(日) 00:01:59 AAS
文壇・文学史で801
2chスレ:801
942: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 13:27:29 AAS
「西行・山家集」(井上靖/学研M文庫)
→西行は平清盛と同時代の歌人。この武人とは正反対の生涯を送る。
23歳で出家。俗世間から距離をおいたところで世の趨勢(すうせい)を見つめ作歌した。
時は大転換期。長いこと続いた貴族政治も武士の台頭とともに崩れていく。
まずは平家。平清盛で頂点をむかえる。おつぎは源氏。義仲、義経の活躍と死。
平泉の藤原氏の滅亡。初の武家政治を開始するは鎌倉の源頼朝――。
心情的には貴族側の一員として、この変わりゆく現実と、
その中に生きるじぶんを凝視してやまなかったのが西行という風変わりな歌人である。
仏教の無常観に基づいた歌には切実なものがある。
時代としては、(のちの日本の精神世界の基盤となる)鎌倉新仏教が生まれるすこしまえ。
鎌倉新仏教の萌芽に似たものすら見ることができる。
百聞は一見にしかず。誰もが国語便覧などで見たことがあるだろう代表歌を。
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや いのちなりけり小夜の中山」
(こんな年になってもう一度、小夜の中山を越えようとは。いのちとは……)
「おろかなる心のひくにまかせても さてさはいかにつひのおもひは」
(ままならぬ心の奴隷ともいえようわが身。いよいよ最期の落命の日にじぶんは……)
「風になびく富士のけぶりの空に消えて 行方も知らぬわが思ひかな」
(富士山の噴煙は空に消えてゆく。時には火のようにもなるわが想念はいづこへ……)
あとがきで井上靖が古歌の読み方を書いている。参考になったので引用。
「読者諸氏は先に現代語訳を読み、すぐそれを捨てて、あるいは忘れて、
あとは西行の歌だけを何回か読むことによって、
その歌の心に触れるべきであろうかと思う。
もともと歌とか詩とかいうものは、そういうものであるに違いないのである」
943: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 14:18:18 AAS
「インドの大道商人」(山田和/講談社文庫)
→ちょっと購入したときの話を。古本市で見つけた。
有名な本だからもちろん存在は知ってはいる。定価1200円が400円。
出版は1999年。さて絶版かどうか。近くの本屋に走る。棚を見るがない。
講談社文庫目録を見る。とりあえず記載されている。絶版ではないということ。
しかしその目録は去年の12月版。うーん。
鉄則。本は迷ったら買え! に従い、まあ、半額以下だからとじぶんを納得させ購入。
帰宅して調べてみたら、あはは、もう絶版になっている。勝ったと思いました。
インド本はかなり読んでいるほうだが、これは飛びぬけている。
著名な作家がインドを1ヶ月旅したくらいで書いたものとはわけがちがう。
(そういう安易なインド本はごまんとある。椎名誠、大槻ケンジ、瀬戸内晴美……)
のべ11年をかけインドの大道商人300人にインタビュー。
その結果できあがったのが本著なのである。
大道商人。正式な店舗を持たず道端で商品を売っているひと。インドに多い。
イメージとしては日本のフリマみたいな感じ。しかしあちらは生活がかかっている。
インドの大道商人はもちろんのこと、決して上流階級ではない(笑)。
そういう表舞台にでることがまずないだろうひとの話を丹念に聞いてまわる。
今までの越し方。現在の家族構成。月収(これは必ず聞く)。これからのビジョン。
何回もインタビューに行くわけではない。
だから初対面の外国人にそうやすやすと真実を語るかという疑問は残る。
が、それを差し引いてもこの労作には頭が下がる。
思ったこと。インドは宿命の力が強い。有名なのはご存知、カースト制度。
ヒンドゥー教も身分秩序の固定化の後押しをする。
つまり生まれたときからすべて決められている。職業も、結婚相手も。
ひどいと思いますか? いやいや、自由な日本のほうがよほど窮屈という見方もできる。
職業でも結婚でも、勝った負けたと始終翻弄されているのがそれほど自由なことか?
なーんてことをこの本は語ってはいない。ひたすらインドの現実と向き合う。
日本と比較したりはしない。そのような安易な作業は読者にまかせる。そこがえらい。脱帽する。
944: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 15:07:20 AAS
「こころの不思議、神の領域」(遠藤周作/PHP文庫)絶版
→対談集。対談内容、対談相手は下記のとおり。
「至福をも超えた悟りの境地とは」(平田精耕=禅の権威)
「幅広い自己愛のベクトルをもつ」(小此木啓吾=フロイト学者)
「意識と無意識の間を探る」(林道義=ユング学者)
「自我を超えた何かを求める大胆な試み」(吉福伸逸=トランスパーソナル心理学者)
「宇宙は1つの生命体である」(野沢重雄=ハイポニカ研究家)
5、6年前、こういうニューサイエンス系にはまったことがあります。
精神世界、シンクロニシティ、自己実現、宇宙との一体化、潜在能力――。
それもまさに遠藤周作経由で。恥ずかしい想い出のひとつ。
こういうのにどっぷりつかった経験があるからテレビニュースを見ても驚かない。
美女全裸教団がどうの、次世代ファームがどうの、えーと、ほかには?
すべて自由がいけないのである。日本の自由。
何をしたらいいのかわからない。何をしてもいい、何をしなくてもいい。
どっかしら宿命を求めたくもなる。使命感を。生命の燃焼を。
偶然の一致(シンクロニシティ)を。たとえ捏造されたものであれ……。
久しぶりにこの手の本を読んだら鼻につくことしきり。
遠藤周作の対談相手5人がそろいもそろって、わかってしまったようなことをいう。
たまらないね。えらそうで。あっかんべえである。
945: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 17:19:10 AAS
「部屋」(ピンター/喜志哲雄訳/「戯曲全集1」)絶版
→戯曲。本年度ノーベル文学賞を受賞したハロルド・ピンターの処女作。
ピンターの受賞を知り、ならせっかくだから(読もう)と本棚を探し回る。
9つ見つかる。これらでほぼ代表作は網羅したといってもよい。
さて、9作品を読んで迷っているわたしがいる。いろいろやった。
ネット検索など当たり前。かつてピンターという名前がでてきた書物をひっくりかえした。
そういえば安部公房の対談本にあったと思い出し該当個所を読み直す。
小田島雄志のエッセイも、戯曲の書き方のマニュアル本も再度開いた。
積ん読していてまだ読んでいない演劇書もピンターの欄だけ読んだ。
何を右往左往しているのか。
つたない読了報告を読んでくださる方のためになんとかうまく正確なピンター像をお伝えしたい。
タイムリーなノーベル文学賞作家。知っていたらお得になる情報を書きたい。
すべては「つまらない」なんていう一言で終わらせたくないがための努力だったのです。
一幕劇「部屋」。
アパートの一室に住む老夫婦。開幕後、亭主に一方的に話しつづける老婦人。
ふつうの演劇ではないと観客はここで気づく。
老婦人は地下室の存在におびえているが、地下室の住人がだれだかはわからない。
亭主の外出後、ひとり部屋の中にいる老婦人。そこに現れるのがこのアパートの管理人。
しかしかれの言うことはよくわからない。
管理人のつぎに部屋に訪問してくるのが素性も知らぬ入居希望の夫婦。
この夫婦をやっとのことで追い出したら、最後の訪問者である地下室の住人が登場する。
地下室の住人をまえにおびえる老婦人のまえにさっそうと帰宅するご主人。
もみあいになるふたり。とっくみあうだんなと地下室の住人。争いの理由はわからない。
するとなぜか老婦人が盲目になる。この原因も本文からはわからない。
いくたび「わからない」と書いたことか。
唯一(解説および他の書物のおかげで)わかったのは、内部と外部の対立という構造。
常に外部からの意味不明な攻撃におびえる内部の住民――。
この構造は今後のピンター戯曲でも繰り返されるものである。
ピンター劇は「脅威の喜劇」と呼ばれている。
946: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 17:58:05 AAS
「料理昇降器(ダム・ウェイター)」(ピンター/喜志哲雄訳/「戯曲全集1」)絶版
→戯曲。舞台はまたもや部屋の中。いるのはふたりの殺し屋。
兄貴分と弟分のあいだで繰り広げられる会話のあらかたはわからない。
どうやら誰かをこの部屋で待っているらしい。その人物を暗殺する指令を受けて。
突然作動する料理昇降器(料理の運搬のみを目的としたエレベータ)。
ここが元はレストランであったことがふたりにわかる。
料理昇降器には注文の紙が入っている。上の階からのディナーの注文である。
ふたりは殺し屋である。コックではない。食材もない。
上階にいるのは誰なのか。ふたりにはわからない。
しかし何度も作動する料理昇降器。そのたびに入っている注文用紙。
終局、兄貴分は弟分をピストルで撃ち殺す。
部屋の中(内部)にいたと思っていた弟分がどうしてか外から入ってきたのである。
その理由はどこにも書かれていない。だからわからない。おあとは、
これぞ現代の脅威を実に巧みに描いていると感じ入り拍手を惜しまぬ英国の観客。
「バースデイ・パーティ」(ピンター/沼沢洽治訳/「戯曲全集1」)絶版
→三幕の劇。閑散とした保養地の民宿。そこで惰眠をむさぼる自称音楽家のスタンリー。
おなじ民宿に外国からやってきた怪しい男がふたり。ふたりはスタンリーを拉致し連れて行く。
スタンリーは仲間を裏切ってここに逃げてきたようだがその詳細はわからない。
わかるのはまたもやこの構造である。外部からの脅威にさらされる内部。
ピンター劇の会話は「間」や「沈黙」で始終中断される。
せりふの内容も観客(読者)にはわからないことが少なくない。
これはリアルを追求したためだとか。
たしかに現実の日常会話なら第三者が盗み聞きしてもわからないことが多かろう。
(偶然、列車のボックス席で居合わせた家族の会話を聞いているような状態)。
ピンター劇のリアルにひそむ恐怖を敏感に察知し感動する英国民の鋭い感受性には驚嘆するほかない。
947: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 18:34:00 AAS
「かすかな痛み」(ピンター/小田島雄志訳/「戯曲全集1」)絶版
→放送劇。のちに舞台化。
ピンターの戯曲は決して難解なわけでも読みにくいわけもはない。
短いせりふのやりとりが続くため、きわめて読みやすい。
1日で5本も読むことができたから。このへんもピンター劇の特徴。
個々のせりふの意味は明瞭。だけど、全体とのつながりがわからない。
ありふれた日常的な部分。が、その部分は意味のある全体を構成しようとはしない。
「かすかな痛み」。
田舎の豪邸に住む大学教授夫婦。こどもはいない。
冒頭、この大学教授はうるさく飛び交うハチをジャムの瓶(びん)に生け捕りにする。
かれにはハチのほかにも気になるものがある。庭の裏門前に立つマッチ売りの老人である。
なぜならその裏門前の通りは人がまったく通行しないところだからだ。
なせ通行人がいないところで炎天下、数ヶ月も老人はマッチを売っているのか。
この哲学教授は陰謀のにおいをそこにかぎつける。
妻のすすめで老人を屋敷内に招き入れ、探ることにする。
が、夫妻がかわるがわる老人に質問するがこの男は一言も答えない。
逆に、問われてもいないのにみずからのことを話し出す大学教授であった。
終末、内部が崩壊する。妻は夫を見捨て、マッチ売りの老人を屋敷の新たな主人に据える。
老人だった男のすがたはいつのまにか若返っている。
こういうストーリーにどう対処すればいいものか。
はあはあとすらすら読むわけだ。
で、この恐怖に共感するかと言われたら首を振るしかない。
研究者ではないのだから、分析などする必要もない。
新劇人でもないから日本の観客をこれで教育しようなどと思わなくてもよい。
948: 美香 ◆ESCVVanDCU 2005/10/23(日) 19:16:34 AAS
「夜遊び」(ピンター/小田島雄志訳/「戯曲全集1」)絶版
→放送劇。のちに舞台化。
これは前衛の要素がまったくない。
意味がわからないところは皆無。老人が若返ったりもしない。
落ち着いて筋をたどることのできる一般的な風俗喜劇。
だけど、そういう喜劇を専門に書いているおなじ英国のテレンス・ラティガン、
ピーター・シェファーと比較すると、はるかに腕が落ちる。
サスペンスも感動もない。
よし、ノーベル賞作家に暴言を吐こう。
おい、ピンター! あんた正統的なドラマがうまく書けないから前衛に逃げているのでは?
内部だ外部だと観客を煙に巻きやがって。それをもてはやす批評家も問題。
ピンターよ、ちゃんと意味がわかる劇を書きなさい。
なーにが、脅威の喜劇だ。笑わせんな。ぜんぜん怖くもなんともない。
やだやだ。高卒が気取っちゃって。
「夜遊び」。
主人公はマザコン青年。社長主催のパーティにでるが、女の同僚からバカにされる。
さらに痴漢の濡れ衣まで。ついにはマザコンと上司から揶揄され大喧嘩。
深夜、帰宅するも母がわずらわしい。初めての反逆を試みる。柱時計を床にたたきつけ家出。
年増の娼婦の家へ。ここでも娼婦を殴りつけるマザコン青年。かれは人間が変わったのか。
早朝、帰宅。母との対面である。青年は母親に屈する。マザコン青年に逆戻りするのであった。
かくして「夜遊び」は終幕する。
949: 2005/10/24(月) 00:31:07 AAS
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