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主イエス・キリストは父なる神 2015.3.18 (1422レス)
主イエス・キリストは父なる神 2015.3.18 http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1426678226/
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1053: 893 [] 2015/05/01(金) 16:06:54.06 ID:f0tv4taw.net >>1048 >>1051 私は、カトリックでしたから、「いのちをすてる」ということは、 「マジ死に」のことでした。 現代でもそうだと理解していました。 (今の日本の他の信徒さんの考えは、わかりませんので。w) しかし、世界には、まだまだこういう考えはあるでしょうね。実際ありますから。 -------------------------------------------------------------------------- 神学上「殉教」とは、「キリスト教の信仰や道徳を捨てるよりも、 苦しみや死を選んで信仰の証しをすること」 で、 殉教者は“信仰の証人”であると説明される。 キリスト教の教理からすれば、磔刑に処せられた「イエスの死」というのは 贖いを目的としたものであって、「イミタティオ・クリスティー Imitatio Christi」、 すなわち“十字架上でのイエス・キリストの受難に倣う”という思想は、 とりわけ中世以降のローマ・カトリックによって強く推奨されたものであった。 そしてそうした思想に心から共鳴したロヨラ Ignatius de Loyola(1491-1556)により 創設されたイエズス会が、日本での主たるキリスト教布教を担ったことを想起すると、 キリシタンたちが上述の教理を受容していたと考えるのは必然である。 『マルチリヨの栞』 (「マルチリヨmartirio」=「殉教」) (@)マルチリヨの鑑 ―――「模範」を説いた文書、慶長年間(1596 〜 1614 年頃)作 (A)マルチリヨの勧め―――「意義」を説いた文書、元和年間(1615 〜 1623 年頃)作 (B)マルチリヨの心得―――「心得」を説いた文書、寛永年間(1624 〜 1647 年頃)作 キリシタン信仰におけるマルチリヨと「個」についての一考察 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/57712/1/asia6hazama.pdf ---------------------------------------------------------------------------- http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1426678226/1053
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