[過去ログ] 北周、北斉、陳の鼎立時代を語れるものはいないか (259レス)
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9: 2020/03/01(日)11:51 ID:0(9/253) AAS
呉明徹は、王林が軍を立て直す前に討つべきだと考え、夜襲を掛けて撃破した。寿陽の兵卒は、相国城まで退却した。
呉明徹は、寿陽を攻撃した。彼は肥水を堰き止めて、城を水浸しにする。城内には病気が流行り、六・七割の人間が死んでしまった。

北斉の朝廷は、寿陽に救援軍を送った。その軍勢は数十万。しかし、尉破胡が敗北したばかりなので北斉軍は怖じ気づいており、寿陽から三十里のところに留まって、なかなか進まなかった。

呉明徹の諸将が言った。
「堅城を抜く前に、大軍が救援に来ました。どうしましょうか?」
 すると、呉明徹は言った。
「兵は神速を尊ぶ。それなのに、奴等は屯営したまま進まない。自ら戦意を挫いているのだ。奴等には、戦う気はない。」

呉明徹は自ら武装して四面から寿陽へ猛攻を加えた。遂に、その一角が崩れ、王林を捕らえて建康に送った。援軍の将は北へ逃げた。陳軍は、彼等が残した輜重を奪った。

呉明徹の陣中には、王林の元の部下だった将兵が大勢いた。彼等は、王林が捕らわれるとこれを伏し拝み、仰ぎ見ることのできる者はいなかった。そして、彼等は争うように王林の助命を嘆願した。
省1
10: 2020/03/01(日)11:54 ID:0(10/253) AAS
↓上記は、このサイトの要約

http://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tinnhoku.htm

北斉を討った南朝最後の名将・呉明徹だが、はたして、良かったのか、悪かったのか。

というのも、弱体化した北斉が、北周の武帝に滅ぼされてしまったからだ。
華北を統一した武帝。もはや、南朝・陳の運命は風前の灯火となった。
11: 2020/03/01(日)14:23 ID:0(11/253) AAS
漢 禅譲→ 魏 禅譲→ 晋 禅譲→ 宋 禅譲→ 禅譲→ 斉 禅譲→ 梁 禅譲→陳

陳こそ漢民族の古代からの流れをくむ国だったのに
12: 2020/03/01(日)16:45 ID:0(12/253) AAS
三国志のハイライトは、なんといっても、曹操VS袁紹の華北対決だという人が少なくない。
実際、曹操が袁紹を倒して華北を統一してからは、「天下の3分の2は魏」と言われるほど北が南を圧倒していたので、群雄割拠といってもイマイチ盛り上がりに欠ける。

400年後の隋末の群雄割拠を描く「隋唐演義」でも、盛り上がるのは長安の李淵と、洛陽の王世充の華北対決。歴史ドラマはたいてい、唐が北朝を統一したところで終わる。
実際には、復活した南朝の蕭銑との死闘がそこから始まるのだが、ここはスルーされることが多い。

それと同じように、北周や北斉の時代を描く歴史ドラマも、南朝の陳はあんまり出てこない。
北周の武帝とか、北斉の蘭陵王あたりが見どころだ。
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(1): 2020/03/01(日)17:30 ID:0(13/253) AAS
五代十国や南北朝の時代を描いた演戯もあるのに
4大奇書に
三国志が入ってるのは
南北朝や五代十国と違って
三国時代は漢民族が主役で異民族がわき役だから
講談師も気合入って書きやすかったからだろう

五胡南北朝や五代十国だと完全に異民族も主役の一端を担っている
しかも南北朝の場合、最終的に凝った隋は異民族の流れだし
14: 2020/03/01(日)18:11 ID:0(14/253) AAS
>>13
どっちかって言ったら、むしろ、講談で人気があるのは、漢民族の英雄が異民族を倒すストーリーだな

「三国志演義」の評価が高いのは、作者の羅貫中が優れた知識人だったため、文学作品として士大夫に愛読されたことによるもの
15: 2020/03/01(日)19:15 ID:O(1/6) AAS
瞞天過海
16: 2020/03/01(日)19:41 ID:0(15/253) AAS
講談は、清朝の満州人に威張りちらされてストレスたまった漢人の民衆が、日頃の鬱憤を晴らすためにあった
17
(1): 2020/03/01(日)19:50 ID:0(16/253) AAS
あれ
明の時代から盛んじゃなかった?
18: 2020/03/01(日)20:49 ID:0(17/253) AAS
>>17
「三国志演義」などの4作品が「四大奇書」とされるようになったのは清代

「奇書」というだけあって、読書人の愛読書
19: 2020/03/01(日)21:01 ID:0(18/253) AAS
明代の民衆にとっても、北方民族の侵略は忌み嫌われる恐怖だった。
宋の岳飛や楊家将、明の劉伯温など、異民族と戦う漢民族の英雄は、講談の人気者。

「異民族が出てくるストーリーは民衆に人気がない」というのは、日本に限った話で、中国ではそうでもない。

もちろん、中国でも関羽や張飛は有名だし、三国志に人気がないと言ってるわけじゃないんで
20: 2020/03/01(日)21:10 ID:0(19/253) AAS
金庸をはじめとする中国の武侠小説には、清の庶民、とくに子どもが講談や芝居を楽しむ場面がよく出てくる

それを見れば、講談がどういうものだったかが分かる
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(2): 2020/03/02(月)13:59 ID:0(20/253) AAS
後梁はカウントされないのか…
22: 2020/03/02(月)17:37 ID:0(21/253) AAS
北周が華北を統一してからは、陳の滅亡は時間の問題となった。

ところが、ここで想定外の事態が起きた。
なんと、不世出の英雄・北周の武帝が若くして死去したのだ。
23: 2020/03/02(月)18:24 ID:0(22/253) AAS
>>21
北朝はどうもイメージが良くない
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(1): 2020/03/02(月)19:25 ID:0(23/253) AAS
>>21
俺もそれ思った
四国時代だよな
25: 2020/03/02(月)19:34 ID:0(24/253) AAS
ああ、後梁って、北朝じゃなくて南朝の残党が建てた小国のことか

それは盲点だった
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(2): 2020/03/02(月)19:37 ID:0(25/253) AAS
そもそも、北朝の後梁は時代が違うしw
27: 2020/03/02(月)19:47 ID:0(26/253) AAS
北周・北斉・陳・後梁

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/d/dd/%E5%8C%97%E5%91%A8%EF%BD%A5%E5%8C%97%E6%96%89%EF%BD%A5%E9%99%B3%EF%BD%A5%E5%BE%8C%E6%A2%81.PNG/300px-%E5%8C%97%E5%91%A8%EF%BD%A5%E5%8C%97%E6%96%89%EF%BD%A5%E9%99%B3%EF%BD%A5%E5%BE%8C%E6%A2%81.PNG
28: 2020/03/02(月)19:58 ID:0(27/253) AAS
侯景の乱により、南朝の梁はいったん崩壊した。
梁の武帝の子・蕭繹は、侯景の乱を鎮圧した。

蕭繹は、552年11月に根拠地の江陵で梁の皇帝に即位し(元帝)、梁を復興させた。
そこに、北朝の西魏が5万の軍で侵攻してきた。
江陵は554年11月に陥落し、元帝は戦死した。
西魏は、江陵において、蕭詧を新たな梁の皇帝(宣帝)として即位させた。
これが後梁である。

しかし、元帝崩御の報せを受けて、旧都・建康を守備していた王僧弁と陳霸先が、建康で別の皇子を擁立し新たな皇帝としたため、梁は2つに分裂した。

だが、両雄は並び立たず。
建康では、王僧弁と陳霸先の対立が次第に表面化し、やがて王僧弁を倒した陳霸先が、禅譲を受けて、陳の皇帝となった。
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