[過去ログ] 匈 奴3 (321レス)
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1: 2018/06/20(水)21:25 ID:0(1/320) AAS
匈奴=世界帝国
2: 2018/06/20(水)21:26 ID:0(2/320) AAS
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net
2chスレ:whis
3: 2018/06/20(水)21:27 ID:0(3/320) AAS
  匈  奴 [転載禁止](c)2ch.net
2chスレ:whis
4: 2018/06/20(水)21:37 ID:0(4/320) AAS
日本(縄文人)の方が、匈奴に近いのに・・・
トルコめ、勝手に匈奴をコーカソイド化しやがって・・・
5: 2018/06/21(木)11:57 ID:0(5/320) AAS
倭奴って言われるとむしろ誇りに思うようになってしまったら、貴方も立派な匈奴フェチだw
6: 2018/06/23(土)16:25 ID:0(6/320) AAS
冒頓単于はトルコではメテ、METという
取る子ではかってにメテ姓を名乗る不届き者もおるとの情報
匈奴王族のレンテイ家は劉氏に改名したんだからいるわけねーw
7: 2018/06/23(土)16:31 ID:0(7/320) AAS
頭曼単于の頭曼は、一万人の長という意味で
万士長というような将軍号か?

とうじは東胡が強盛で、なおかつ秦の始皇帝がオルドス、河南地方を狙って
大軍を送り込み併呑したので、よわった匈奴は東胡にこき使われていたようだ

なお頭曼は秦からオルドスをとりかえしており、むすこ冒頓単于に
1万騎を与えて万士長とした
8: 2018/06/25(月)06:10 ID:0(8/320) AAS
蒙古タンメンなどで「モンゴル=激辛」というイメージがあるが
モンゴルの味つけは岩塩のみ、
あれはまったく日本の創作、唐辛子は南方植物なので激辛料理などないとのこと。
欧風ビーフカレーがヨーロッパに無く、日本人の創作という話に似ている
ところが白人は日本カレーが大好きだから、激辛ラーメンも現地にもっていけば・・

モンゴルで最高の料理は子羊の肉を切り取っててきとうにアルミ缶に詰めて
その上から焼いた石をたくさん積んで1時間待つと蒸し焼きになる
この料理法は最高の肉と汁が味わえるそうだ
日本のジンギスカンじゃなかった・・
9: 2018/06/26(火)03:20 ID:0(9/320) AAS
勉強になりますありがとう 
食もその土地柄、習慣や個性の文化の違いが想像を掻き立てさせる
10: 2018/06/26(火)20:56 ID:0(10/320) AAS
人間のさいしょの牧畜は定住型で、一万年まえから
中央ユーラシアの主な家畜は羊がしめていたが、人間は集落に定住しており
羊は囲いの中で飼われていた

やがて、この囲いは不要となって人間は羊を連れて移動する
野営キャンプをして大きく移動するようになった
革命だが家畜の方に遺伝子的な変化があったのか、人間が羊をコントロールするすべを会得したのか
中央アジアの遊牧民は岩塩の革袋を下げ、家畜に舐めさせることで支配するとも言う

ゴビ砂漠はピンクの岩塩がでる。ここから遊牧に最適である東アジアが大きく飛躍する
岩塩を豊富につかう料理のためげんざいでもモンゴル人は高血圧に悩まされる
11: 2018/06/27(水)22:02 ID:0(11/320) AAS
肉料理に岩塩はたいへん合う。マイルドな海塩より岩塩のほうが塩味がキツイためだ
インド人が香辛料を多用するのは食あたり防止だという
熱帯だと肉が腐り食物も痛みやすくカレーのような強い味が必要だった

自衛隊は、食材が乏しくてもカレー粉をもっていけば何でも食えるという
鍋に変な肉やカエル、適当な野草ぶちこんでもカレー粉があれば何でもカレーになる

このように便利な香辛料なので、日本軍は朝鮮討伐のとき多量の唐辛子をもちこみ
食事にふりかけていたようで、これで朝鮮の人は「唐辛子」を知った
当初は舌を焼く苦痛でしかなかったので「倭芥子には毒がある」と長く忌まれた

中国には花椒という強い香辛料が有るので唐辛子はうけいれられ、激辛四川料理になるが
日本武士がアジアでもっとも早い時期からとうがらしを野戦料理として利用していたようだ
省3
12: 2018/06/28(木)17:26 ID:0(12/320) AAS
バカ舌貧乏舌だけど20年前ブロンコビリーていうファミレスで初めて塩で食べたステーキがうまかった
ここで語られてるモンゴルの岩塩で紹介写真ではピンクだった(固まりは
13: 2018/06/28(木)19:02 ID:0(13/320) AAS
岩塩の色はピンクが多く、ヒマラヤやモンゴルがそれで良質とされる。ピンクはミネラル豊富。
黒や赤や白の岩塩もあるけど
黒は泥で白は石灰で、赤は鉄分、パキスタンの赤岩塩は、赤粘土

人間が消費する塩の大半、7割は岩塩。つまり掘れば取れる岩塩は便利
日本では岩塩は取れないので馴染みがなく赤穂の海塩となる、
日本で輸入される海塩の殆どはメキシコと豪州が占める

ただ海にはマイクロプラスチック健康問題があり、げんざい
1キロの海塩で10粒のプラスチックが確認される。これは増えると予測される
岩塩は数億年前の海なので当然プラスチックはない
14: 2018/06/29(金)08:36 ID:0(14/320) AAS
月氏のものと推定される古墳の発掘調査の結果どうやらサカや月氏は
腕や胸にイレズミをしていたらしい
文様は怪獣や魚などだがもちろん世界各地に刺青の風習は有る

中国は文様といい、野蛮として嫌い、また親から受け継ぐ身体を毀損する意味からも
道徳的に受け入れない。距離の近い匈奴もそうだったかもしれぬ
ただ日本や呉越など南方は全身にいれずみした
日本の使節による説明だと、もとは海に行く人の護身の意味だった
いまは実用味は薄れ形式的なもの、とのこと
おそらく月氏も魔除け、あるいは威嚇用に入れ墨したと思われる
モンゴル草原も夏は暑いから半裸になる、刺青した体のほうが見栄えはしただろう
省5
15: 2018/06/29(金)09:00 ID:0(15/320) AAS
アルタイの王女のミイラとして世間に勇名なウコクの王女はイレズミをしていた
この古墳群は月氏とされる。この人達はトカラ人でブロンドの髪だ
2001年のミトコンドリアDNA解析ではサモエード人、ケット人に近縁とされる
白のシルクの下着、フェルトのスカートや靴下、毛皮の上着
これが月氏の衣装であろうか

アルタイプリンセスはアルタイ人に政治的不和をおこした
死者をあばき展示するのは王女への不敬でありすぐさま埋葬すべきとした
ロシア学者は、こいつは王女ではないと反撃した

匈奴王族はモンゴロイドだが目はグリーンで彫りが深いとされ
オルドスの西半分にいたというトカラ人月氏の血縁を伺わせる
省5
16: 2018/06/29(金)09:34 ID:0(16/320) AAS
東胡の勢力は10万騎。ところで東胡の特色は装甲騎士だろう
東胡の子孫である烏桓は鉄の鍛造を得意としたくみに鎧を打ち上げる

鮮卑も鉄騎も有名で、20世紀まで西欧の主力だった重騎兵ははるか東方の
鉄騎(東胡)が元祖だとされる
サカやスキタイも重騎士でしられ、ペルシアの最精鋭部隊である不死隊
イモータルズは、たった一万だが屈強な鎧を着ていた。これもサカが多かったという。

東胡10万は重騎士で、月氏20万騎もおそらくガチンコの装甲隊、
匈奴やフンは革よろいのみ、軽量な軽騎兵である。
これでは匈奴1万ではかちめがない・・と思われるが優れた機動力と弓術で圧倒した。

匈奴は金で雇われ秦末の各地の戦乱に首を突っ込む、プロ傭兵隊長だった
省7
17: 2018/06/29(金)10:45 ID:0(17/320) AAS
月氏の入れ墨と日本の刺青は一見関係ないようだが北方アイヌや
蝦夷もイレズミをこのんだことは一考を要する

シベリア極東部のギリヤーク、コリヤーク、チュクチなどので顔や腕にいれずみをする
アイヌではいれずみは成人女性の証とされ、ローマでもトラキア女性の風習
インドの例を見てもむしろ女性の成人儀式の利用が着目される
アルタイ王女でも、一人前の証、あるいは身分の証としてイレズミはこのまれる

ロシアシベリア北東の端のチュクチ半島に住む野蛮のチュクチ民族ではあるが
トナカイ遊牧と海岸漁労民族にわかれる
北辺の民族として植物も乏しいのでもちろん南方交易は望まれたが
この相手は日本ルートがおもで、チュクチは日本の鎧甲や武器道具、産物を頼りにした
省2
18: 2018/06/29(金)11:03 ID:0(18/320) AAS
沈黙貿易は・・ヘロドトス 歴史(ヒストリアイ)でもしるすが
カルタゴ人はアフリカ人との交易にこれを応用していた

直接接触は避けるというのが沈黙貿易のキモである

まずアフリカ沿岸にカルタゴの舟が来てさだめられた場所に商品を置く
黒人は白人が去ったのをたしかめて横に黄金を置く
カルタゴ人は黄金をしらべ不足ならまた消える

黒人は黄金を追加していく。これが繰り返されて十分な対価だとカルタゴが思えば
黄金を領収して品物は置いていく

おそらくこの形式だと「ケチなやつ」「今回はせこい」など色々な不満が出たのは想像がつくが
この沈黙貿易はきわめて礼儀正しく、横奪や暴行はなかった
省5
19: 2018/06/29(金)11:25 ID:0(19/320) AAS
日本のアイヌと択捉アイヌ(ギリヤーク)の交易は、
アイヌが米・味噌・鉄製品などならべ、ギリヤーク人はラッコの毛皮で交換
礼儀正しく長らく行われた
またアイヌは日本人と交易市でへいきで接触したので
人の接触を嫌う、これはもちろんギリヤーク人がのぞんだものだったらしい

ところが匈奴が中国との交易を望んだのはもちろん植物相の貧困で手に入らない
中国のコムギやコメやビタミン源の茶や野菜、文明の利器は
とにかく遊牧民が欲しいものだった

つまりギリヤーク人やシベリア民は、日本との交易はとてつもなく望んできた
しかし彼らにはケガレ思想ががあり、外界人や日本人を激しく拒んだという
省4
20: 2018/06/29(金)11:59 ID:0(20/320) AAS
特産品からその土地柄、文化、風俗がわかりそこに繋がる話がとても面白かったです
田舎にある無人販売機みたいなのも立場の違い、必要性、顔を合わせてないのに信頼関係
面白かった
渤海と日本も交易があったとのこと
なにか機会があった時にでもお話があれば宜しくお願いします
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