森山高志 被害者の会 (576レス)
森山高志 被害者の会 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/
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541: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:29:30.16 ID:SQvFv7HD 六信(ろくしん)とは、ムスリム(イスラーム教徒スンナ派)が信じなければならない6つの信仰箇条。五行とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。 唯一全能の神(アッラーフ)(スンナ・シーア) 天使の存在(マラーイカ)(スンナ) 啓典(神の啓示、キターブ)(スンナ) 使徒・預言者(ラスール)(スンナ・シーア) 来世の存在(アーヒラ)(スンナ・シーア) 定命(カダル)(スンナ) クルアーン中に6つを同時に述べた箇所は無い(5つないしは4つに言及している箇所はいくつかある。2-177、4-136など)が、イスラーム初期の段階から「六信」として定式化していたようである。 なおシーア派では五信で、上記の1・4・5に加えて以下の定めである。 神の正義(シーア) 預言者(シーア) http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/541
542: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:30:12.86 ID:SQvFv7HD クロノス(古希: Κρόνος, Kronos)は、ギリシア神話の大地および農耕の神である。山よりも 巨大な巨神族ティーターンの長であり、ウーラノスの次に全宇宙を統べた二番目の神々の王で もある。万物を切り裂くアダマスの鎌を武器とする。ゼウスの父親としてもよく知られており、ティーターン 神族を率いてオリュンポスの神々と全宇宙を揺るがす大戦争を行った。 名称 時間の神クロノス (Χρόνος, Khronos) と発音が近い(英語では同音)ため、混同されること があるが、別の神である。古典ギリシア語においては κ は無気音 [k] で、χ は有気音 [kʰ] で あり、若干異なる。これらの発音はしばしば混同され、当のギリシア人やローマ人も混同するこ とがあった。 ★「時間」と「大地と農耕」 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/542
543: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:31:06.80 ID:SQvFv7HD ギリシア神話 ジョルジョ・ヴァザーリの描いた、クロノスとウーラノス ヘーシオドスの『神統記』によればウーラノスとガイアの息子でティーターンの末弟[1]。レアー の夫であり、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスおよびヘーラー、ヘスティアー、デーメーテール の父でもある[2]。また、愛人であるニュンペーのピリュラーとの間に半人半馬の賢者ケイローン をもうけた[3]。 父であるウーラノスの性器を、刃が魔法の金属・アダマスでできた鎌で切り取って追放するが、 自身も父親と同様ギガースたちをガイアの胎内に押し込めていたためガイアの怒りを買い、後 に息子であるゼウスに討たれた。彼は父同様、子にその権力を奪われるという予言を受けたた め、子供が生まれるたびに(ヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン の順に)飲み込んでしまったという。 最後に生まれたゼウスだけは、母のレアーが偽って石をクロノスに食わせたために助かった。 クレタ島で(牝山羊アマルテイアによって)密かに育てられたゼウスは、クロノスに(神酒ネクタ ールを飲ませて)兄弟を(飲み込んだときとは逆の順に)吐き出させ(このとき、兄弟の序列が 入れ替わり、末子であるゼウスが最高神となった)、兄弟は力を合わせて、クロノスらティーター ン神族を倒した。 クロノスの子供たち 炉の女神ヘスティアー 豊穣の女神デーメーテール 結婚と出産の女神ヘーラー 冥界の王ハーデース 海の王ポセイドーン 神々の王ゼウス 石 [注 1] ケイローン ローマ神話 黄金時代に地上を統べた王、農耕神とする伝承もあり、収穫祭で盛大に祀られた。このことか ら、ローマ神話における農耕神サートゥルヌス(英語読みでサターン)と同一視される。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/543
544: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:31:33.38 ID:SQvFv7HD 天地創造(てんちそうぞう)とは、厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことを指す。宗教絵画などでよく題材となる。[1] 天地創造の流れ ヒエロニムス・ボスの『悦楽の園』の扉、両翼を閉じると現れる外面に描かれた天地創造時の地球。おそらく天地創造三日目の大地、海、植物の創造時で、まだ人間は誕生していない ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれている。 創世記 1章1-8節(口語訳聖書) 1 はじめに神は天と地とを創造された。 2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。 7 神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。 1日目 神は天と地をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができられた。 2日目 神は空(天)をつくられた。 3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。 4日目 神は太陽と月と星をつくられた。 5日目 神は魚と鳥をつくられた。 6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。 7日目 神はお休みになった。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/544
545: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:32:28.32 ID:SQvFv7HD 国府八幡宮 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (国分八幡神社から転送) ナビゲーションに移動検索に移動 武蔵国府八幡宮 石碑 国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)とは、令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である 。「府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。また 単に「八幡宮」「八幡神社」としたり、地名を冠する神社もある。 国府八幡宮には神社によって、国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものと がある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く、両者が混同されたものもあると見られてい る。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから、各地の国府・国分 寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから、後 に総社の機能を持つようになったものもある。 「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」「総社八幡宮」と称する八幡宮も、国府八幡宮に由 来するものとされるが、例外もある。例として、武蔵国では総社八幡宮として磐井神社が、国府 八幡宮として武蔵国府八幡宮が鎮座しており、また国分寺市西元町の八幡神社が国分寺の鎮 守であったとする説もあり、分立している。また、上野国は国府比定地に近い前橋八幡宮が国府 八幡宮とする説があるが、国府比定地から離れた場所に一国一社八幡宮として上野國一社八幡 宮が鎮座している。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/545
546: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:33:23.24 ID:SQvFv7HD 国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設(国 庁)が置かれた都市。 国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治 的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった。なお『和名抄』によると、古くは 「国」ではなく「島」とされた壱岐や対馬には「島府」が置かれたとされる(まだ確定はされていない)。 律令制の衰退にともない立地の優位性を失い廃れたり所在不明になった国府もある一方、いく つかの国府所在地は、現在でも静岡市・姫路市・岡山市・大分市など大きな都市として発展して いる。 平安時代の延喜式には、各令制国の郡の個数が記載された。また、以下のように国力による分 類(大国、上国、中国、下国)と都からの距離による分類(畿内、近国、中国、遠国)が行われた。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/546
547: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:33:44.28 ID:SQvFv7HD 大国(たいこく、たいごく)とは、律令国の等級区分の一つである。 概要 古代の日本で律令制が布かれた時代に定められた。朝廷は中央集権体制を確立することを目的とし、地方行政区画の一環として国力(課丁、管田、貢賦等の規模)により諸国を四等級に分け、行政上の決裁を行った。 延喜式による大国の一覧 延喜式が策定された10世紀頃の等級分類では、以下の13ヶ国が大国とされていた。 大和国 河内国 伊勢国 武蔵国 上総国(親王任国) 下総国 常陸国(親王任国) 近江国 上野国(親王任国) 陸奥国 越前国 播磨国 肥後国 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/547
548: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:34:04.77 ID:SQvFv7HD 国(じょうこく、じょうごく)とは、律令国の等級区分の一つである。 概要 中央集権的な統治制度である律令制が布かれた時代にほぼ定められた。朝廷は中央集権体制を確立するために地方行政区画を行い、政治力・経済力や土地面積・人口などの国力により地方諸国を四等級に分けた。 上国は上から二番目の位の国である。ただし、等級区分の基準はつまびらかではない。なお、国の等級区分の違いによって国司の官位等級にも差がつけられた。 延喜式による上国の一覧 延喜式によれば、上国に分類される国は35ヶ国ある。 中国(ちゅうごく)とは、律令国の等級区分の一つである。国力(規模)による分類と、畿内からの距離による分類の2種類の分け方が存在した。 概要 古代の日本で律令制が布かれた時代に定められた。朝廷は中央集権体制を確立することを目的とし、地方行政区画の一環として国力により諸国を四等級に分けた。中国は「大国」・「上国」に次ぐ3番目の位の国で、「中規模の国」の意。なお、中国の下の4番目の位は「下国」であった。 それとは別に、畿内からの距離によって国を分ける方法も存在した。その場合は、畿内からの距離が近い「近国」と、遠い「遠国」の中間に位置する「中距離にある国」を意味する。それは現在の中国地方の語源ともなった。 延喜式による中国の一覧 国力基準 延喜式によれば、国力によって中国に分類される国は11ヶ国ある。 距離基準 畿内からの距離によって中国に分類される国は16ヶ国ある。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/548
549: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:34:28.11 ID:SQvFv7HD 下国(げこく)とは、律令国の等級区分の一つである。小国とも言う。 概要 古代の日本で律令制が布かれた時代に定められた。朝廷は中央集権体制を確立することを目的とし、地方行政区画の一環として国力により諸国を四等級に分けた。 下国は一番下の位の国である。 延喜式による下国の一覧 延喜式によれば、下国に分類される国は9か国ある。このうち4か国は島国、2か国は半島国である。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/549
550: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:35:40.84 ID:SQvFv7HD 函館八幡宮(はこだてはちまんぐう)は、北海道函館市にある神社である。旧社格は国幣中社 で現在は神社本庁の別表神社。 函館山の南東麓に東面して鎮座し、社地は函館市街を俯瞰する。北海道の開拓に関わる神と して道民からの崇敬を集めた。 祭神 品陀和気命(ほんだわけのみこと)(応神天皇、八幡神)を主祭神とし、相殿に住吉大神と金刀 比羅大神を配祀する。 由緒 社伝では、文安2年(1445年)、亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、城 の鎮守として城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。永正9年(1512年)、河 野氏は蝦夷に攻められて城を追われ、一族は八幡神を奉じて亀田郡赤川村(現 函館市赤川 町)に逃れた。慶安2年(1649年)、河野氏一族の巫女伊知女(伊知子とも)が霊告を受けて元 町の河野館跡地に八幡宮を遷した。寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とし た江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、文化元年(1804年)、幕府の費用で 会所町(現 函館市元町北東部)に社殿を造営して遷座、以後箱館奉行所は当宮を祈願所とし 、蝦夷地総社として崇敬した。また、広く蝦夷地開拓に神験ありと信仰されたといい、近世末ま でに石狩八幡神社(石狩市)や室蘭八幡宮(室蘭市)、住吉神社(小樽市)等が当宮より勧請さ れて創祀されている。 明治に入り、会所町に庁舎を置いた開拓使は明治4年(1871年)に当宮を崇敬社と定め、同10年 5月28日、国幣小社に列格、翌11年、類焼により社殿を焼失したので、官費を以て現在地に社殿 を造営し、同13年に遷座した。明治29年(1896年)10月19日に国幣中社に昇格した。戦後は神社 本庁に参加し、昭和23年(1948年)にその別表神社となっている。 祭祀 例祭は8月15日で、それを挟んで前後3日間に亘る祭儀が斎行される。また例祭後には隔年で 神輿渡御祭があり、神輿(市指定文化財)が市内を巡幸、還御に際しては神輿を担いで参道の 石段134段を駆け昇る。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/550
551: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:36:54.78 ID:SQvFv7HD 安里八幡宮(あさとはちまんぐう)は沖縄県那覇市安里にある神社。琉球八社の一つで、明治 の近代社格制度では無格社。 祭神 八社の中で唯一の八幡宮[1]で応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀る。 他の7社は全て熊野権現を祀っている。 歴史 康熙52年(1713年、和暦では正徳3年)に成立した『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』[2]の 〔八幡大菩薩〕の段にある「勧請由来」では、当社の開基を天順年間(1457年 - 1464年)である とし、その創始について次のような伝承を記している。 第6代琉球国王尚徳王の御代、兵を遣わして喜界島を討伐することとした。喜界島は小島であ ったが、堅く護って王に従わないためである。この時、村の老人が「王が直々にお出向きになれ ば、有利になること疑いありません。何故なら猟犬は後ろに人があってこそ進みますが、兵も同 じだからです」と奏上して言った。この話を聞いた王は戦旗を上げ出陣した。出陣の門出、城の 麓に水鳥がいた。王は矢をつがえ、「今我軍が有利であるならば、この鳥をすみやかに射落とせ」 と誓って言うと、一本の矢を地に立て、一本の矢を放った。矢は鳥を射止めたので、王は帆を上 げ出航した。喜界島へ向かう海路を進むと、今度は小鐘が海面に浮いてきた。船人達がこれを 得ようと欲すると遠ざかるが、船の傍らより離れることはなかった。また王が「この戦に利がある なら霊鐘わが手に入るべし。帰国の後は八幡大菩薩を崇めるべし」と誓って右手を出すと、鐘は 簡単に手に入った。王は歓喜して輿を造って御座船に勧請し、祭祀をおこなった。王は本懐を遂 げて帰国すると、矢を立てた場所に霊社を建て、浮鐘と神通矢を垂迹として八幡大菩薩と号し奉 じた。 この『琉球国由来記』の創建伝承の最後には「神道記に見ゆ」と記されているが、慶安元年(1648年) に初版が開板された『琉球神道記 巻第5』[3]の「八幡大菩薩事」では、これが第5代琉球国王 尚泰久王御代の出来事であるとしている。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/551
552: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:38:20.27 ID:SQvFv7HD 当社は真言宗8公寺の一つである神徳寺(現在も道路を挟んだ当社の南西側に位置)に併置 の神社として、官社の制により琉球八社とされた。官社へは王府から神職の役俸並びに営繕 費が支給されたが、当社へは神職として祝部・内侍・宮童が置かれた。また、祝部・内侍が神 楽の際に着用する服装は全て王府の寺社座から支給を受けた[4]。 明治時代に入り、 琉球処分により琉球王国が廃され沖縄県が置かれると、当社は近代社格 制度により無格社とされた。『琉球宗教史の研究』によれば、沖縄県行政府では当社を村社に 列することを立案したが、経済的な理由から村社列格が出来ず、また社殿その他の設備にお いても不備な点が多々あって村社列格が事実上不可能であることから、とりあえず無格社とし て残置し、追々維持拡張整備して村社に引き直す根基を充実するよう努めることになったとして いる[5]。 さらに『琉球宗教史の研究』によれば、当時地元の民衆と信仰的に直接結合していたのは御嶽 拝所であり、無格社となり日本政府の経済的保障がなかった当社は、その後経済的にも信仰的 にも見るに耐えない無残な状態を呈することとなり、昭和14年度に沖縄県振興事業に取り上げら れたときには、明治末頃まで美麗な姿を留めていた拝殿は倒壊消滅して礎石のみが残り、本殿 は腐朽破損が甚だしくて東方に傾斜したのを4〜5本の支柱で支えている有様で、その支柱もシロ アリの被害が甚大であり、屋根は数箇所は長年の暴風雨で破壊されて参拝者の生命に危険を及 ぼす恐れがある状態となっていた。[6]。 その後、昭和19年(1944年)10月に沖縄戦で被災全焼し、戦後に再建されたのが現在の社殿で ある。神社が位置する高地は沖縄戦の激戦であるシュガーローフの戦いの戦場だった。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/552
553: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:39:37.70 ID:SQvFv7HD 真名井の滝 真名井の滝(まないのたき)は、高千穂峡の川幅が狭まった部分に流れ落ちる滝である。日本の滝百選の一つ。 峡谷の崖上は自然公園となっており、その中にある「おのころ池」より流れ落ちる水が真名井の滝となっている。 神話によれば天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移した。これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちているといわれている。 夏季は午後10時まで滝周辺がライトアップされ幻想的な雰囲気を出している。 歴史 神話〜古代 日本神話においては、ニニギの天孫降臨の地とされている。またアマテラスがこもったとされる天岩戸が町内にある(もっとも、他地域にも天岩戸とされる岩は存在しており、必ずしもその岩が天岩戸と特定されているわけではない)。 なお古代においては、この臼杵郡の高千穂町一帯を上高千穂と呼び、外輪山を含む阿蘇山全てを下高千穂と呼び、千穂は「ちお」と呼ばれていたことが、阿蘇神社縁起や宇佐八幡託宣集などの古文書、あるいは平安時代に書かれた和名鈔で確認できる。 天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社である。岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。旧社格は村社で、神社本庁の別表神社。 歴史 東西両本宮は元来は独立した別の社であった。ともに皇祖神天照大神を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。 天岩戸神社西本宮は創祀の時代を詳かにしないものの、岩窟(天岩戸)を神体とするのは、古くからの信仰形態を示すものであるとされる。社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源であり、弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたが、戦国時代にたびたび焼失したという。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/553
554: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:39:57.61 ID:SQvFv7HD 出雲族(いずもぞく)は、古代の出雲地方に存在したという説のある種族[1]。出雲神話の担い手として想定されている[1]。 出雲地域からは大量の銅鐸や銅剣などが出土した遺跡もあり、実際に古代に何らかの勢力が存在したとされている。 概要 出雲族と呼称される著名な家系としては、須佐之男命の子孫(十七世神)で地祇系に属する一族と、天之菩卑能命の子孫で天神系・天孫族に属する一族の2つがある。前者は出雲の国譲りを行った一族で、後者は熊野大社と杵築大社の祭祀をつかさどった出雲国造の家系とする。しかし、2つ氏族を共に出雲族と呼称することには疑問が大きく、宝賀寿男は「出雲族」、「出雲神族」という呼称に対しても、その行動範囲や居住地(九州→出雲→播磨→大和)から適切な呼び方ではないとしている[2]。また須佐之男命の実態は天孫族の始祖的な位置にあり、これを海神族の始祖とするのは種族的、系図的[注釈 1]、神話的[注釈 2]に不可能であるとする[3]。 地祇系 概要 『古事記』によれば、高天原より追放(神逐)されて出雲に降りた(『日本書紀』では朝鮮半島の新羅の曽尸茂梨に降臨して、土船で出雲国に渡ったとする説がある。)須佐之男命(素戔嗚尊)は、八俣遠呂智(八岐大蛇)に食べられそうになっていた櫛名田比売命(奇稲田姫)を助け、結婚して子の八島士奴美神(八嶋篠、八嶋手)を生んだ(『日本書紀』には八嶋篠を生んだとする説と、大己貴神を生んだとする説がある)。その子孫(または御子神)の大国主神は少名毘古那神や大物主神と共に葦原中国の国造り・平定を(大国主の国づくり)したが、のちに高天原の天津神達(天照大御神)に国を譲って(出雲の国譲り)隠れたとされる。 なお『古事記』には童話などで有名な因幡の白兎や、須佐之男命の試練(大国主神の神話)などの物語が収録されているが、『日本書紀』にこれらの物語は収録されていない。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/554
555: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:40:18.21 ID:SQvFv7HD 構成神 特記以外は『日本書紀』による。血縁関係(「父」、「子」など)は大己貴神から見た関係を示す。ただし『出雲国風土記』にのみ記載される神名もあるため、詳細は大国主を参照。 (父)素戔嗚尊(すさのお の みこと、『古事記』では須佐之男命) 天照大神の弟だが、高天原より追放されて出雲に降臨し、八岐大蛇を退治した。のちに根国へ行った。 (母)奇稲田姫(くしなだひめ、『古事記』では櫛名田比売) 脚摩乳(『古事記』では足名椎)の娘。八岐大蛇に食べられそうになっていたが素戔嗚尊に助けられ、その妻となった。 大己貴神(おおなむち の かみ、『古事記』では大穴牟遅神、大国主神、八千矛神、宇都志国玉神、葦原醜男) 上の二神の間に生まれた子。『日本書紀』第八段第六の一書によれば、大国主神(おおくにぬし の かみ)・大物主神(おおものぬし の かみ)という名も持つ。大己貴神は大国主神の別名であり、また大国主神の旧名でもあった。国を平定したが、のちに高天原の神に国を譲って(出雲の国譲り)隠れた。『日本書紀』第九段第二の一書には、大己貴神が住むための宮として天日隅宮がみえる。大神神社祭神。 (嫡后)須勢理姫神(すせりびめ の かみ、須勢理姫命、『古事記』では須勢理毘売命) - 『先代旧事本紀』 素戔嗚尊の娘。 (妻)田心姫命(たごりひめ の みこと、『古事記』では多紀理毘売命) - 『先代旧事本紀』 素戔嗚尊の娘。宗像の奥都島(おきつしま)に鎮座。 (子)味耜高彦根神(あじすきたかひこね の かみ、『古事記』では阿遅鉏高日子根神、迦毛大御神) - 『日本書紀』、『先代旧事本紀』 天稚彦と容姿が酷似する。高鴨神社祭神。 (娘)下照姫命(したでるひめ の みこと、高姫命、稚国玉、『古事記』では下照比売) - 『日本書紀』、 『先代旧事本紀』 天稚彦の妻。大倉比売神社祭神。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/555
556: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:41:12.93 ID:SQvFv7HD (妻)高津姫神(たかつひめ の かみ、高降姫神、神屋楯比売命) - 『先代旧事本紀』、『古事記』 辺都宮(へつみや)に鎮座。 (子)事代主神(ことしろぬし の かみ、都味歯八重事代主神) - 『古事記』、『日本書紀』、『先代旧事本紀』 鴨都波神社・天高市神社・飛鳥坐神社祭神。 (孫)鴨王(かも の おおきみ/かも の きみ、天日方奇日方命、阿田都久志尼命、『古事記』では櫛御方命) - 『日本書紀』、『先代旧事本紀』 神武天皇の時代の人。 (曾孫)健飯勝命(たけいいかつ の みこと、『古事記』では飯肩巣見命) - 『先代旧事本紀』 子孫の大田田根子命は賀茂氏・大神氏の祖。 (曾孫)渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ の みこと、渟中底姫命) - 『日本書紀』、『先代旧事本紀』 安寧天皇の皇后。 (孫)媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ の みこと、『古事記』では比売多多良伊須気余理比売) 神武天皇の皇后。ただし比売多多良伊須気余理比売は『古事記』において大物主神と勢夜陀多良比売との子とされる。 (孫)五十鈴依姫命(いすずよりひめ の みこと) 綏靖天皇の皇后。 (娘)高照光姫大神命(たかでるひめ の おおかみ の みこと) - 『先代旧事本紀』 御歳神社祭神。 (妻)八上比売(やがみひめ、『先代旧事本紀』では稲羽八上姫) - 『古事記』 因幡の白兎の原因。 (子)木俣神(きのまた の かみ、御井神) - 『古事記』、『先代旧古本紀』 木俣に刺し挟まれたことからの名。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/556
557: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:41:32.37 ID:SQvFv7HD (妻)沼河比売(ぬなかわひめ、『先代旧事本紀』では高志沼河姫) - 『古事記』 奴奈川神社祭神。八千矛神の妻問いの相手で、神語が有名。 (子)建御名方神(たけみなかた の かみ) - 『古事記』、『先代旧事本紀』 諏訪大社祭神、またはその社家(諏訪氏、矢島氏、守矢氏など)の祖であるという。『出雲国風土記』の御穂須須美命はその別名ともされる。なお、『古事記』における大国主の系譜には見られず、国譲り神話の場面に唐突に登場している。このことから、本来は出雲と無関係な諏訪地方の神とする説もある。 (妻)鳥取神(ととり の かみ) - 『古事記』 八島牟遅能神の娘。 (子)鳥鳴海神(とりなるみ の かみ) - 『古事記』 この神を含む系譜は十七世神と称される。 (孫)国忍富神(くにおしとみ の かみ) - 『古事記』 一説に須佐神社社家須佐氏の祖[4]ともいう。大国主命の子ともいう[4]。 大己貴神にはほかに沼河比売の子に建沼河男命(越氏の祖)という子がいたとする系図[4]もある。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/557
558: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:41:51.66 ID:SQvFv7HD 異説 大己貴神は『日本書紀』の一書では素戔嗚尊の子であるが、『古事記』・『日本書紀』の一書では6世孫となっている。また7世孫ともいう。『古事記』におけるその部分の系譜は次のとおりである。 建速須佐之男命は櫛名田比売命を娶り八島士奴美神を産んだ。 この神は木花知流比売(大山津見神の娘)を娶り布波能母遅久奴須奴神を産んだ。 この神は日河比売(淤加美神の娘)を娶り深淵之水夜礼花神を産んだ。 この神は天之都度閇知泥神を娶り淤美豆奴神を産んだ。 この神は布帝耳神(布怒豆怒神の娘)を娶り天之冬衣神を産んだ。(なおこの天之冬衣神は天葺根命[4]という名も持ち、須佐之男命の子ともいう[6]。子の清武豊彦命は日御崎神社神主家小野氏の祖[4]。) この神は刺国若比売(刺国大神の娘)を娶り大国主神(大穴牟遅神。異母兄弟に八十神あり。)を産んだ。 以上の系譜の他に、須佐之男命−八島士奴美神(八島士奴美命)−天之冬衣命(天葺根命)−大国主命という系図[4]もある。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/558
559: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:42:29.12 ID:SQvFv7HD 『古事記』の系譜 『古事記』には大国主神以後の系譜ものべられており、次のとおりである。 大国主神は鳥取神(八島牟遅能神の娘)を娶り鳥鳴海神を産んだ。 この神は日名照額田毘道男伊許知邇神を娶り国忍富神を産んだ。 この神は葦那陀迦神を娶り速甕之多気佐波夜遅奴美神を産んだ。 この神は前玉比売(天之甕主神の娘)を娶り甕主日子神を産んだ。 この神は比那良志毘売(淤加美神の娘)を娶り多比理岐志麻流美神を産んだ。 この神は活玉前玉比売神(比比羅木之其花麻豆美神の娘)を娶とり美呂浪神を産んだ。 この神は青沼馬沼押比売(敷山主神の娘)を娶り布忍富鳥鳴海神を産んだ。 この神は若尽女神を娶り天日腹大科度美神を産んだ。 この神は遠津待根神(天之狭霧神の娘)を娶り遠津山岬多良斯神を産んだ。 上の八島士奴美神から下の遠津山岬帯神までの神々を十七世神(とおまりななよのかみ)と呼ぶ。(ただしこれらの神々を合計しても15柱しかいない) http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/559
560: Anonymous [] 2020/07/01(水) 19:42:55.84 ID:SQvFv7HD 天孫系 概要 『日本書紀』によれば、天穂日命は高天原より国譲りの使者として遣わされたが、逆に出雲の大己貴神に従ってしまい、役目を果たさなかった。のちに国譲りが行われると、天穂日命は高天原の高皇産霊尊より大己貴神の祭祀をつかさどる者として認められ、その子孫は出雲氏(出雲国造の氏族)・土師氏となったとされる。 構成神 血縁関係(「子」など)は天穂日命から見た関係を示す。 天穂日命(あめのほひ の みこと/あまのほひ の みこと、『古事記』では天之菩卑能命。その他、天穂比命、穂日命、依野城大神、伊毘志都弊命、熊野大隅命、天熊人命) - 『日本書紀』、出雲国造神賀詞、「西角井從五位物部忠正家系」[7] 『古事記』、『日本書紀』によれば、アマテラスとスサノオの誓約の時に天照大御神の子として生まれた。『古事記』では出雲の国譲りの際に、天忍穂耳命に次いで第二の使者として高天原より遣わされたが、大国主神に媚びへつらい三年も復命しなかったため、第三の使者である天若日子が遣わされることとなる。一方『日本書紀』では「神の傑」であるとされて高天原側の使者として出雲に遣わされた。しかし大己貴神に佞媚してしまい3年におよんだので、高天原は天穂日命の子の大背飯三熊の大人を遣わすことを決定した。天穂日命への処分の有無は不明。 また、出雲国造神賀詞によれば、天穂比命は天下を見廻ったのちに高天原側に報告を行ったという。 また、『日本書紀』第九段第二の一書によると、のちに国譲りが行われたときに高天原の高皇産霊尊は大己貴神への神勅のなかで天穂日命に大己貴神への祭祀を行う役目を認めたという。 http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1549232766/560
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