[過去ログ] 【イレイザーヘッド】柄谷行人を解体する75【の現在】 (1002レス)
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(3): 01/07(日)19:39 ID:0(32/1000) AAS
宮崎祐助 『ジャック・デリダ-死後の生を与える』 249頁より

後述するように、まずもって留意しなければならないのは、
デリダの思想が超越論哲学の系譜に連なるものであ り、存在の有限性、起源の二重化、
時間的・空間的距たりの根源化といった論点においてその哲学的な前提を、
ス ピノザを始祖とする内在の哲学とはまったく共有していない、それどころか
正反対の前提に立っているという点である。

また、ベルクソンに代表されるそうした内在の哲学が、政治的な効果において、
従来フランスの土着的・異 国嫌い、ひいては反ユダヤ的なイデオロギーの思想的担い手と
みなされてきたという経緯も考慮されるべきだろう。 その議論によれば
「ドゥルーズの哲学がまさしくベルクソンに関する試論をもって始まったということ、
省8
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(3): 01/07(日)19:42 ID:0(33/1000) AAS
宮崎祐助 『ジャック・デリダ-死後の生を与える』 250頁より

付言すれば、ドゥルーズの潜在的なものの哲学が「存在の一義性」を中核とした
全体主義的な存在論に収斂してしまうのではないかという疑念は、アラン・バディウの批判
(Alain Badiou, Deleuze. La clameur de l'etre ≫, Hachette, 1997/アラン・バディウ
『ドゥルーズ――存在の喧騒』鈴木創士訳、河出書房新社、一九九八年)をはじめとして、
いまなおドゥルーズ解釈を左右する重大な論点であり続けている。

日本語文献で特筆すべき研究としては、千葉雅也がこれを
ドゥルーズにおける「存在論的ファシズム」の問題として明確化しており、これに対して
「非意味的な切断の原理」や「変態する個体化」論を対置することにより非全体主義的なドゥルーズ像
を見いだそ うとしている。 千葉雅也 『動きすぎてはいけないジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』
省1
735
(3): 05/09(木)22:42 ID:0(735/1000) AAS
だから低能に哲学は無理だってもう二十年以上前から言ってるのにwww
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