[過去ログ] 【イレイザーヘッド】柄谷行人を解体する75【の現在】 (1002レス)
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902: 05/21(火)14:33 ID:0(902/1000) AAS
しかし、哲学をやる以上自慰を公開することと出た精液をマーキングすることは避けられない
問題はそれらをガラス越しに行う点にあるだろう
903: 05/21(火)14:35 ID:0(903/1000) AAS
東北大の洗面所ですか
904: 05/21(火)16:38 ID:0(904/1000) AAS
馬耳東風ではなく、蛙のつらに小便、だろう。
905: 05/22(水)06:56 ID:0(905/1000) AAS
柄谷行人もこのスレを見てるかもなっ!
906: 05/22(水)08:48 ID:0(906/1000) AAS
早く世界共和国大統領になりた〜い
907: 05/22(水)11:39 ID:0(907/1000) AAS
綿野恵太
@edoyaneko800
1時間

「階級」と諸君がひとこと言ってくれれば、 ぼくは喜んで手をつなぐ。
「弱者男性」といっているかぎりは一緒に闘わない。
908: 05/23(木)21:26 ID:0(908/1000) AAS
「反・東大」の思想史 (新潮選書)
2024/5/22
尾原 宏之 (著)

「東大こそは諸悪の根源!」――批判者たちの大義名分とは?
国家のエリート養成機関として設立された「東大」。最高学府の一極集中に対し、
昂然と反旗を翻した教育者・思想家がいた。慶應義塾、早稲田、京大、一橋、同志社、
法律学校や大正自由教育を源流とする私立大学、さらには労働運動家、
右翼まで……彼らが掲げた「反・東大」の論理とは?「学力」とは何かを問う異形の思想史。

(目次)

第1章 「官尊民卑」の打破……慶應義塾・福澤諭吉の戦い
省8
909: 05/23(木)21:26 ID:0(909/1000) AAS
尾原宏之(おはら・ひろゆき)

1973年、山形県生まれ。甲南大学法学部教授。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。
博士(政治学)。専門は日本政治思想史。首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。
著書に『大正大震災―忘却された断層』、『軍事と公論―明治元老院の政治思想』、
『娯楽番組を創った男―丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』など。
910: 05/24(金)02:43 ID:0(910/1000) AAS
「売る立場」の呪い
911: 05/24(金)18:10 ID:0(911/1000) AAS
ロシアが失った主権を取り戻しに来ている現在、

「帝国」論はどうなるのか?
912: 05/25(土)20:15 ID:0(912/1000) AAS
小谷野敦 アンチTRA
@tonton1965
8時間

斎藤幸平君がなんで比較文学にいるのか、
誰が呼んだのかは知りませんが彼は経済学者ではないのは確かで、
ドイツ語の文献学者です
913: 05/25(土)20:16 ID:0(913/1000) AAS
issaku
@issaku14
54分

橋本治との対談で「ぼくは同世代で面白いと思って見ているのは福田和也という人」と発言する浅田彰。
914: 05/25(土)21:41 ID:0(914/1000) AAS
issakuという抜け作w
915: 05/26(日)02:49 ID:0(915/1000) AAS
一作   (バッサク)
916: 05/26(日)07:11 ID:0(916/1000) AAS
ドゥルーズ 『襞 ライプニッツとバロック』
河出書房新社 117ページより

ニーチェとマラルメは骰子の一擲を発する一つの<思考世界>の啓示を、われわれに呼び覚ました。
しかし彼らの場合は、あらゆる原理を失ってしまった、原理なき世界が問題であった。
だからこそ骰子とは <偶然〉を肯定し、偶然のすべてを考える力であり、
これは原理などではなく、あらゆる原理を欠いているのである。

こうして骰子は、偶然の外に出るもの、原理によって偶然を制限しつつ偶然から逃れると
称するものを、欠如や虚無に返してやるのである。

「世界とは欠如の無名の領域であり、そこから物は出現し、やがて消滅する出現とは仮面であって、その背後には何もない、その背後にはまさに無以外の何物もない」、

何かではなく、むしろ〈無〉。神も、人間さえもないところで、原理なしに思考すること、それは
省5
917: 05/26(日)07:11 ID:0(917/1000) AAS
ドゥルーズ 『襞 ライプニッツとバロック』
河出書房新社 117ページより

ニーチェとマラルメは骰子の一擲を発する一つの<思考世界>の啓示を、われわれに呼び覚ました。
しかし彼らの場合は、あらゆる原理を失ってしまった、原理なき世界が問題であった。
だからこそ骰子とは <偶然〉を肯定し、偶然のすべてを考える力であり、
これは原理などではなく、あらゆる原理を欠いているのである。

こうして骰子は、偶然の外に出るもの、原理によって偶然を制限しつつ偶然から逃れると
称するものを、欠如や虚無に返してやるのである。

「世界とは欠如の無名の領域であり、そこから物は出現し、やがて消滅する出現とは
仮面であって、その背後には何もない、その背後にはまさに無以外の何物もない」、
省6
918: 05/26(日)07:19 ID:0(918/1000) AAS
ドゥルーズ 『襞 ライプニッツとバロック』
河出書房新社 118ページより

〈理性〉は「神経症」によって死に絶えるのだ。しかしそれ以前にも、精神病的な挿話が、
神学的〈理性〉の全体の危機と崩壊が訪れなければならなかった。そこにこそバロックの立場
が成立したのだ。神学的な理想が袋叩きにあっていたとき、世界が神学に逆らって、あらゆる
「証拠」を、暴力や悲惨をたえまなく積み重ね、大地が大揺れしかけているとき、
それを救出する手段があるかどうか。

バロックの解決とはこういうものだった。原理を増殖させること、いつも一つの原理を
袖口から飛び出させ、そして原理の 使用法を変えてしまうこと。もはやわれわれは、
しかじかの輝かしい原理に、どんな対象を与えることができるか問うたりはしない。
省14
919: 05/26(日)07:23 ID:0(919/1000) AAS
ドゥルーズ 『襞 ライプニッツとバロック』
河出書房新社 119ページより

戯れとは原理そのものの戯れであり、原理の発明という戯れなのである。
だからそれは、チェスにせよ、チェッカーにせよ、内省の戯れであり、
そこでは古めかしい賢明さや慎重さではなく、敏捷さ(偶然ではなく)が大切なのだ。
第三に、これは空虚を締め出し、もはや欠如には何も与えない充足の戯れである。
これは転倒した〈孤独者〉であり、空虚が充たされるまで空の場所を飛び越え、
飛び越した駒を取り払うのではなく、自分が飛び越した欠落を充たすのである。

結局これは非戦闘であって、絶滅戦争よりはゲリラ戦に近く、チェスやチェッカー
よりは囲碁に近い。敵を無にするためにわがものにするのではなく、敵の現前を
省4
920: 05/26(日)07:24 ID:0(920/1000) AAS
ドゥルーズ先生はこのように仰言ってますが。・・・・

はてさて、、、「NAM原理」の行方は?
921: 05/26(日)07:26 ID:0(921/1000) AAS
無原理から、原理過剰へ?
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